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灰焔の残響の中で (R16)  作者: Wolfy-UG6
第1巻 ― 再生の残り火
22/23

第21章:ふたつの心の嘆き

天幕の外で騒がしさが続く中、エルドランはその音を聞いていた。

鎧の擦れる音。

重たい音を立てて、木材が地面に置かれていく気配。


やがてヴェルリックが、二人の兵を伴って再び天幕へ入ってきた。

彼は椅子に腰を下ろす。


「覆え。

まだ愉しみは取っておこう。

それから、口を塞げ。

今は、声を聞く気分じゃない。」


手を軽く振って命じた。


兵の一人がエルドランに近づき、布切れを口に押し込む。

さらに別の布で口元を巻き、吐き出せないように固定した。

続けて床に落ちていた大きな布を拾い上げ、彼の頭から被せる。

視界は完全に閉ざされた。


数分後、天幕の布が開かれ、兵たちがゼフィラを連れて入ってきた。

背後から膝裏を蹴られ、彼女は強引に跪かされる。

首元の鎖は、容赦なく引かれていた。


ヴェルリックは立ち上がり、ゼフィラの前へ歩み寄る。

彼女の目線に合わせるように、身を屈めた。


「さて。

猶予は終わりだ、愛しきゼフィラ。

もう話す気になったか?」


穏やかな声だった。


ゼフィラは答えず、顔を背けた。

ヴェルリックは彼女の頬を掴み、無理やりこちらを向かせる。


その瞬間、ゼフィラは唾を吐いた。


ヴェルリックは一歩退き、何も言わずに立ち上がる。

懐から絹のハンカチを取り出し、顔を拭った。


「最後まで、冷たいままだな。

傷つくよ、本当に。

せっかく、もう一度だけ機会をやろうと思っていたのに。」


彼は続けた。


「あの夜を覚えているか。

やめてくれと懇願していた時を。

俺の手が、お前の柔らかな身体を辿っていた時を。」


指を鳴らし、布の方を示す。

傍にいた兵が、それを一気に引き剥がした。


エルドランとゼフィラは、襲撃以来、初めて互いの姿を目にした。


「さて、どうする。

今なら、まだ話はつく。

俺は今、機嫌がいい。」


ヴェルリックはそう言った。


「地獄へ落ちろ、腐れ外道。

私は何も言わない。」


ゼフィラは吐き捨てた。


「素晴らしい。

まあ、そう答えると思っていた。

警告はした。

それでも拒んだのは、お前たちだ。

なら――本番に入ろう。」


ヴェルリックは天幕の布を指差す。

兵たちがそれを引き裂き、大きく外の視界が開いた。


そこには、整列した兵たちが待っていた。

エルドランが聞いていた金属音の正体。


「では、始めよう。

腹が減ってきた。

俺の“食事”を運べ。」


そう言って、ヴェルリックは再び椅子に腰を下ろした。


兵の一人が離れ、視界の外へ消える。

天幕の中に、重い沈黙が落ちた。


エルドランの目には涙が滲んでいた。

ゼフィラは初めて、彼の瞳に宿る恐怖を見た。


「さて、何を待っている。

手本が必要か?

さっさと始めろ。

時間は無限じゃない。」


ヴェルリックの声は、淡々としていた。


「大丈夫……。

何が起きても、強くいて……。」


ゼフィラの声は、不思議なほど穏やかで、優しかった。


兵の一人がゼフィラの髪を掴み、天幕の外へ引きずり出す。

外にいた兵たちは、即座に理解した。


鎖が外され、彼女の両腕は地面に押さえつけられた。


エルドランは叫んだ。

だが、口を塞ぐ布が、その声をすべて飲み込む。

目の前で、たった一言の命令によって、彼の妻が差し出される。


「おや。

何か言いたいことでも?

それとも、混ざりたいか。

望むなら、いくらでも可能だ。」


ヴェルリックは、エルドランを見て言った。


エルドランは目を閉じた。

見ることを拒み、何も答えなかった。


「だめだ、だめだ、だめだよ坊や。

そんな真似はさせない。

ちゃんと見せてやれ。

一瞬も逃すな。

お前の沈黙が、妻に何を与えているのかをな。」


ヴェルリックは笑いながら言った。


兵の一人がエルドランに近づき、腕を首に回す。

閉じかけた瞼をこじ開け、頭を無理やりゼフィラの方へ向けさせた。

涙が溢れ落ちる。

耳には、妻の拒絶の声だけが届いていた。


「やめて……離して。

お願い……。

そんな権利、あなたたちにはない……。」


ゼフィラの声は、冷たく、か細い。


「まあまあ。

これは始まりにすぎない。

言ったはずだ。

あの夜を、何度でも思い出させてやると。

ただし――

知りたいことを教えてくれれば、話は別だ。

苦しみを短くしてやるかもしれない。

我々も、そこまで野蛮ではないからな。」


ヴェルリックは淡々と続けた。


だが、答えは返らない。

彼は手を振り、続けるよう合図した。


しばらくして、兵たちが戻ってくる。

卓の上に、酒の入った壺。

果物の籠。

肉と野菜が盛られた皿。


「おお、やっとか。

ご苦労。」


ヴェルリックは軽く手を振り、兵たちを下がらせた。


彼は杯に酒を注ぎ、口をつけ――途中で止める。


「諸君。」


低く声をかける。


兵たちは戸惑い、振り返った。


「少しは丁寧にやれ。

壊れやすい玩具を扱っているように見える。

俺が欲しいのは、抵抗の消失だ。

その顔から、あらゆる感情が抜け落ちるまで続けろ。」


冷えた声だった。


ヴェルリックはナイフとフォークを取り、肉を切り分ける。

野菜と一緒に口へ運ぶ。

肉汁が口の端を濡らし、咀嚼音が、外の気配と混じり合った。


彼は長い時間をかけて食事を終えた。

その間、小さな陽気な旋律を口ずさみ、指先を振る。

まるで指揮者のように。


エルドランは視線を逸らそうとした。

だが、どうしても、ゼフィラから目を離せなかった。


ゼフィラは彼を見た。

もう言葉を発する力は残っていない。

荒い呼吸。

その瞳から、光が少しずつ失われていく。


思考は現実から逃れようとした。

だが、どんな変化も、彼女を再びこの場所へ引き戻した。


三時間後。


ヴェルリックは立ち上がり、エルドランの前へ来る。

涙で腫れたその目を覗き込み、頬を掴んで頭を弄ぶ。


「ふむ。

まだ折れないか。

だが――

奥方はどうかな。

あの目を見ろ。

完全に空だ。

今や、死体の方がよほど感情を持っている。」


彼は手を放した。


次に、ゼフィラへ近づく。

兵たちが道を空ける。

ヴェルリックは屈み、彼女の口元に耳を寄せた。


「……やめて……お願い……。

もう……終わらせて……。

死なせて……。」


囁きのような声だった。


ヴェルリックは小さく息を吐き、膝の上で腕を組む。


「そうか。

そうしてほしいか。

だがな、選択肢は与えた。

今はもうない。

決めるのは俺だ。

言っただろう。

後悔させると。

さっきまでの威勢はどうした。

その強さは、どこへ行った?」


彼の声は、静かだった。


ゼフィラの目から涙が溢れ落ちる。

喉が詰まり、嗚咽が漏れる。

呼吸は、途切れ途切れだった。


「おやおや。

二人そろって泣くとは。

この程度で?

だが……

そろそろ答えてくれてもいいんじゃないか。

居場所はどこだ。

さもなくば、方法を変える。」


彼は続けた。


「正直、少し飽きてきた。

他にも予定があってね。」


だが、ゼフィラの口から言葉は出なかった。

ただ、嗚咽だけが続き、

呼吸を細かく刻んでいた。


「なるほど。

そういうことか。

では、これまでだな。

諸君、ご苦労だった。

もう下がっていい。

……君と、君は残れ。」


ヴェルリックは二人の兵を指差した。


他の兵たちは道具を拾い集め、笑い声を上げながら野営地へ戻っていく。

先ほどまでの出来事を肴に、軽い口調で言葉を交わしながら。


ヴェルリックは再びエルドランの前に立ち、そして振り返って残した二人に命じた。


「彼女を覆え。

それから手を縛れ。

椅子に座らせろ。」


短く、冷たい声だった。


二人の兵は破れた天幕の布を拾い、ゼフィラの体を覆う。

そのまま持ち上げ、椅子へと座らせた。

離れようとした、その瞬間。


「……咳払い。」


ヴェルリックが不機嫌そうに喉を鳴らした。


「誰だ、こんな間抜けを寄越したのは。

縛れと言っただろう。

用心に越したことはない。

一体、訓練で何を教わってきた?」


吐き捨てるような声。


兵たちは慌てて頭を下げ、一人がすぐに動く。

ゼフィラの手首を椅子に縛り付け、完全に固定した。


ヴェルリックは卓に置かれていた杯を手に取り、酒を注ぐ。

隣の椅子に腰を下ろし、卓に足を乗せた。


「一杯どうだ、愛しい人。

喉が渇いているだろう。

これだけ涙を流せば、その小さな体も干上がる。」


杯を差し出す。


だが、ゼフィラは反応しなかった。

虚ろな目で床を見つめたまま、瞬き一つしない。


「それで、俺が怪物だと言われる。

……まあいい。

彼を外して、準備しろ。

終わりにしよう。

それから、口の中の布を取れ。

まだ沈黙を守れるか、見せてもらおう。」


杯を卓に戻しながら言った。


兵がエルドランの拘束を解き、口を塞いでいた布を外す。

もう一人が手伝い、二人で彼を引きずるようにして連れて行く。


その途中、エルドランは必死に顔を向け、ゼフィラを見た。

ほんの一瞬。


「……許してくれ、愛する人。

俺が……弱かった。

全部……俺のせいだ……。」


声は震え、後悔に満ちていた。


「いやはや、感動的だ。

だがな、勝手に止まる許可は出していない。」


ヴェルリックの声は冷たかった。


兵たちは再び動き出し、かつてゼフィラがいた場所へエルドランを運ぶ。

地面に倒し、木の板の上に固定する。

鎖と縄で四肢を拘束し、身動きを完全に封じた。


「下衆どもめ……。

神がいるなら、永遠に焼き尽くされろ。

お前たちより、獣の方がよほど慈悲深い。」


エルドランは叫んだ。


「獣、か。

実にいい言葉だ。

では、その慈悲を存分に味わってもらおう。」


ヴェルリックは淡々と返した。


金属が擦れる音。

近づいてくる。

低い唸り声と、明確な吠え声。


エルドランの目が大きく見開かれる。

必死に周囲を見回し、拘束から逃れようとする。

呼吸が荒くなっていく。


巨大な鉄の檻が、彼のすぐ近くで止まった。

中には、鎖に繋がれた三匹の大きな犬。


檻を押してきた兵たちは、先の尖った金属の棒を手に取る。

それで犬たちを突く。


犬たちは激しく吠え、唾液を飛ばし、鎖を引きちぎらんばかりに暴れ始めた。


「……まだ話す気はないか。

そうか。

なら、好きにしろ。

開けろ。」


ヴェルリックはため息混じりに言った。


兵の一人が棒で留め金を外し、檻の扉を開く。

音に反応し、三匹は一斉に向きを変え――


次の瞬間、躊躇なくエルドランへと飛びかかった。


「惜しいな、本当に。

良い隊長になれただろうに。

まったく……

少し話してくれれば済んだものを。」


ヴェルリックはそう言い、ゼフィラの髪に手を伸ばした。


「だが安心しろ。

すぐに、すべて終わる。」


だが、ゼフィラはその愛撫に反応しなかった。

エルドランの叫びが耳に届いた瞬間、再び涙だけが溢れ出す。


「エ……エルドラン……お願い、やめて……。

もう……耐えられない……。

お願い……今すぐ……」


息が詰まり、掠れた囁きだった。


「そうだな、ゼフィラ。

確かに、もう叫ぶ必要はない。

不思議なものだ。

あれほど固く閉ざしていた舌が、ようやく動き出した。

お前の地獄を終わらせるために、一言も発さなかった男がな。

……可哀想に。」


ヴェルリックは静かに答えた。


彼はそのまま立ち続けた。

数分。

やがて、エルドランの叫び声は完全に途切れた。

残ったのは、犬たちの低い唸り声と、湿った音だけだった。


「よし、戻せ。

食わせ過ぎるな。

汚物を食って腹を壊されても困る。

檻に戻して連れて行け。」


淡々とした命令。


兵たちは檻を引き戻し、肉片を中へ投げ込んだ。

犬たちはそちらに引き寄せられ、再び檻の中で食らいつく。

金属音は遠ざかり、やがて完全な静寂が訪れた。


「……ああ、やっと静かになった。

やはり静寂というものは、心を休ませる。

そう思わないか?」


ヴェルリックはゼフィラへ振り返った。


だが彼女の頭は横へ傾き、もう力は残っていない。

呼吸は浅く、かすかだった。


「安心しろ。

このままにはしない。

本当に大した沈黙だ。

尊敬に値する。

だが……

その様子では、もう何も語れまいな。」


彼はそう言った。


ヴェルリックは近づき、腰の短剣を抜く。

片手でゼフィラの髪を撫で、もう一方で刃を首元へ滑らせた。


「言ったはずだ。

あの子を守った代償は、必ず払わせると。

選択を悔いるがいい。

休め、ゼフィラ。

だが覚えておけ。

俺は必ず見つける。

遅かれ早かれ、あの子も――

お前たちのもとへ行く。」


耳元で囁く。


刃が、一息に動いた。

ゼフィラの頭が前へ落ち、喉が空を求めて痙攣する。

掠れた音が、数秒。

最後の震えとともに、命は抜け落ちた。


「撤収だ。

装備を片付けろ。

二時間後に出発する。

全員、準備を整えろ。」


ヴェルリックの命令が響いた。


兵たちは去っていった。

ゼフィラとエルドランを、そのまま残して。


やがて雨が降り始める。

崩れた村を濡らし、

まるで、同じ時にこの世を去った二つの魂の、

涙のように。

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