第20章:鎖に砕かれた愛
エルドランとゼフィラが捕らえられてから、丸二日が過ぎていた。
その間もゼフィラは深い眠りに沈んだままだった。
王は二人の兵を伴い、彼女が閉じ込められている檻の前へと近づいた。
彼らはソルヴァエルの村外れの平原に留まっていた。
「起こせ。
もう十分だ。
こんな泥溜まりで一生を過ごす気はない。」
王が命じた。
兵たちは戸惑い、顔を見合わせる。
「起こすって……。
どうやってですか。
もう二日も、あのまま眠り続けてるんですよ。」
一人が答えた。
「知るか。
何とかしろ。
俺は何のためにお前たちに金を払っている。
無能の子守までさせる気か。」
王は苛立ちを隠さず吐き捨てた。
その間に離れていたもう一人の兵が、水の入った桶を持って戻ってくる。
扉を開けるよう命じ、金属音とともに錠が外された。
桶を持った男は中へ入り、その中身をゼフィラに浴びせた。
冷水を浴び、ゼフィラは激しく咳き込み、体を震わせる。
「やればできるじゃないか。
もういい、下がれ。
彼女とは二人で話す。
これ以上、役立たずは要らん。」
王の声は冷たかった。
兵たちは逆らう気も起きず、素早くその場を後にした。
王は檻の脇にあった腰掛けを手に取り、中へ入り、それに腰を下ろす。
視線はゼフィラから離れない。
ゼフィラはゆっくりと目を開いた。
手首に走る違和感と痛み。
太い鎖が格子に繋がれ、両手の自由を完全に奪っていた。
外は異様なほど静かだった。
物音一つなく、彼女は弱った意識を少しずつ取り戻していく。
「さてさて。
また会えて嬉しいよ、ゼフィラ。
久しぶりだな。
あの夜から、もう十年近くになるか。」
王は穏やかな口調で言った。
「ヴェルリック……。
消えなさい、この化け物。
どこまで腐ってるの……。」
ゼフィラはかすれた声で吐き捨てた。
ヴェルリックは、その言葉を聞いて大きく笑った。
「ははは。
相変わらずだ。
そこがいい。
この状況でも折れない、その鋼のような気性がな。」
「何が目的。
まだ足りないの。
これ以上、何を壊せば気が済む。
また戻ってきたのは、自分の愉しみのため?」
ゼフィラの声には、怒りが滲み始めていた。
「愉しみ?
ああ……まだ分からないか。
昔ほど頭が冴えていないようだな。」
ヴェルリックは嘲るように笑った。
「なら聞くわ。
何が、あそこまでの蛮行に値したの。
あの人たちは何もしていない。
殺される理由なんて、どこにもなかった。」
冷えた怒りが、言葉に乗る。
ヴェルリックは立ち上がり、腰掛けを蹴り飛ばしてゼフィラの前に立った。
その目には、欠片ほどの後悔も宿っていない。
「俺が欲しいもの。
あの虐殺に値するもの。
それは――お前が生み出したものだ。
お前が、この世に産み落とした存在だ。」
低く、断定するように言った。
その言葉を聞いた瞬間、ゼフィラの心臓は強く脈打った。
ネリアのことは、村の外では誰にも話していない。
教会ですら、王と結びつけられるはずがなかった。
「……何の話。
私は子どもなんて産んでいない。」
視線を逸らさず、言い切った。
ヴェルリックは拳を握り締めた。
皮膚の下で筋肉が強張る。
彼は振り返り、腰掛けを強く蹴りつけた。
木片が砕け、檻の格子に叩きつけられ、弾け散った。
「俺を愚弄するな。
全部知っている。
あの夜の後に逃げたこと。
俺の愛妾になるのを拒んだこと。
それだけならまだ許せた。
だが――お前が“娘”などと呼ぶあの存在を生かし続けたこと。
あの忌まわしい私生児を、お前が“夫”と呼ぶ下賤な男が守ったこと。
それだけは、決して許さない。」
ヴェルリックは怒声を上げ、燃えるような視線を向けた。
「放っておいて。
あの子は何もしていない。
あなたにとって、何の意味もない存在でしょう。
私が欲しいなら、ここにいる。
だから……あの子を巻き込まないで。」
ゼフィラは懇願するように言った。
「……あの夜、私を無理やり抱いただけでは足りないの。
今さら父親の真似事でもするつもり?」
「我慢を試すな、ゼフィラ。
居場所を言え。
そうすれば、ここで終わらせてやる。
その“過ち”が世界から消えるなら、お前たちは助けてやってもいい。」
ヴェルリックの声は、どこまでも冷たかった。
ゼフィラは鎖に繋がれた手に魔力を集めようとした。
だが、何の反応もない。
身体そのものが、拒絶しているかのようだった。
「無駄だ。
首のその首輪が、魔力の流れを完全に遮断している。
俺が何の備えもせずに来たと、本気で思ったか?」
そう言って、彼は薄く笑った。
ゼフィラは目を閉じた。
抗う術がないことを、否応なく理解する。
「好きにしなさい。
私は、居場所を教えない。
“過ち”だと言うなら、それを犯したのはあの夜のあなたよ。
王の仮面を外しなさい。
私たち二人とも、あなたが怪物だと知っている。」
冷え切った声だった。
それで収まるはずがないと、彼女自身が分かっていた。
ヴェルリックは歩み寄り、手を伸ばし、彼女の喉元に触れた。
「強がれば助かるとでも?
いつか必ず見つけ出す。
そしてあの娘には、お前があの世でさえ味わい続ける裁きを与えてやる。」
「その頃には、あの子は成長しているわ。
汚らわしい豚。
その目と目が合う日が、あなたの最後になる。
これだけの無辜を踏みにじっておいて、協力すると思って?」
蔑みを隠そうともしなかった。
「そこだ。
本当に、そこが気に入っている。
俺の掌の上でも、決して折れない。
だが覚えておけ、ゼフィラ。
俺の忍耐にも限界がある。
あの子を生かしていなければ、すべては起きなかった。
平穏に生きることもできたはずだ。
それを、お前は俺を嘲った。」
ヴェルリックの声は、わずかに落ち着いていた。
「同じことを繰り返すのね。
答えも同じよ。
その“過ち”を望まなかったなら、欲望を抑えればよかった。
あの子が、あなたの獣じみた衝動の代償を払う理由はない。
エルドランは……あなたには決してできない形で、あの子を育てた。」
ゼフィラは吐き捨てるように言った。
ヴェルリックは深く息を吐いた。
その間にも、ゼフィラは密かに鎖を引こうとしたが、結果は同じだった。
逃げ道はない。
「エルドラン、か。
あの子に関わった代償は、必ず払わせる。
まだ分かっていないようだな。
状況を決めるのは俺だ。
誰一人、俺に逆らうことはできない。」
愉悦を帯びた声だった。
「それが証拠ね。
どんな王が、自分の村を焼き払う?
私たちは何も求めなかった。
それでも、あなたはすべてを壊した。
……なぜ?
結局、何のために?」
ゼフィラは問いかけた。
「なぜ、だと?
もし、王家の血を引かぬ子が生まれたと知られたら、どうなる。
民は希望によって従う。
その希望に縋り、疑うことをやめる。
その均衡を、私生児一人に壊されるわけにはいかない。
だから消す。
それだけだ。」
ヴェルリックは、彼女を見据えた。
彼はさらに近づき、ゼフィラの頬に手を添える。
冷たい皮膚が触れ、彼女は思わず身を震わせた。
「話さないなら、無理にでも吐かせる。
保証しよう。
あの夜、俺と過ごした時間など、可愛く思えるほどの先がある。
地獄を知らないなら――
指一本で、それを呼び出せると教えてやる。」
氷のように静かな声だった。
ヴェルリックは背を向け、檻の外へ出る。
扉を閉める直前、最後にゼフィラを振り返った。
「考える時間をくれてやる。
数時間後、兵が迎えに来る。
その時は……答えを決めておけ。」
そう言い残し、彼は去った。
彼はそのまま離れ、遠くで揺らめく灯りの方へと向かった。
灰色の空が、ゼフィラの思考に重く寄り添っている。
「ごめんなさい、エルドラン……。
全部、私のせい……」
彼女は空を見上げ、かすれた声で呟いた。
ヴェルリックが野営地へ戻ると、兵たちは立ち上がり、彼の前にひれ伏した。
地面には倒れた酒壺が散らばり、幾人もの女たちが檻に閉じ込められ、解放を求めて泣き叫んでいる。
彼は一つの天幕へ向かった。
布は破れ、見る影もない。
それを押し分け、迷いのない足取りで中へ入る。
中にいたのはエルドランだった。
彼はゼフィラと同じ鉄の鎖で、木の柱に縛り付けられている。
「さて、二人きりだな。
勇敢な兵士殿。
まだ、ゼフィラの娘がどこにいるのか、教える気はないか?」
ヴェルリックは落ち着いた声で尋ねた。
エルドランは答えない。
視線を伏せ、彼を見ようともしなかった。
「本当によく似ている。
意志の強さがな。
惜しいことだ。
お前のような男が俺の側にいれば、軍はもっと美しくなる。」
「冗談じゃない。
お前の軍に加わるくらいなら死ぬ。
命令一つで無辜を殺す。
そんな軍が、守ると誓った者たちに刃を向けるか。」
エルドランは冷たく言い返した。
ヴェルリックは声を上げて笑い、酒杯を注ぐと、近くの卓へ腰を下ろした。
「従う軍だ。
王に何一つ隠し事をしない。
忠実な者たちだ。
命令すれば動く。
その代償として、女たちで遊ぶ自由を与える。
首輪だよ。
それで十分、従順になる。」
「報酬だと?
命に価値はないのか。
……本気で、どんな怪物だと思っている。」
エルドランの声には怒りが滲んだ。
「怪物?
勘違いするな。
俺は何もしていない。
命じているだけだ。
血を流したのは俺じゃない。
むしろ――
俺に娘を差し出さなかったことで、これだけの犠牲を出したのは、お前たちだ。」
ヴェルリックはそう言った。
「必要なら、また同じ選択をする。
お前が慈悲をかけたと思うな。
たとえ娘を渡していたとしても、殺戮は止まらなかった。
お前が言う“報酬”を与えなければ、あの犬どもは従わなかった。
だから、どうせすべて焼き払った。」
エルドランの声は揺れなかった。
ヴェルリックは杯を置き、姿勢を正し、エルドランを真正面から見据えた。
「そうかもしれんな。
誰が俺を止められる?
結果として、お前も止められなかった。
では、何が俺を縛る?」
そう言って、彼は再び椅子にもたれ、卓に足を投げ出す。
笑みを浮かべ、酒を一気に煽った。
「だが、もういい。
無駄話は終わりだ。
娘の居場所を言う気はあるか?」
「死んでも言わない。
お前が知ることはない。」
エルドランは即答した。
ヴェルリックは立ち上がり、杯を置く。
出口へ向かい、振り返って言った。
「いいだろう。
選択肢は与えた。
拒んだのはお前たちだ。
ならば――
ゼフィラにも言った通り、想像すらできぬ地獄を味わわせてやる。」
冷え切った声だった。
彼は天幕を出て、大きく伸びをし、夜の空気を吸い込んだ。
そして兵たちに視線を向ける。
「準備をしろ。
今すぐ、彼女を連れて来い。
六十人を並ばせろ。
できるだけ早く。
……まだ立っていられる奴を選べ。」
ヴェルリックの命令に、兵たちは一斉に動き出した。
異議はない。
彼は空を見上げ、薄く笑った。
その目には、望む答えを必ず手に入れるという、冷たい確信が宿っていた。




