第19章:希望の息吹
破城槌が門を打ち据える音が鳴り響き、ソルヴァエルの兵たちは、いつ何が現れるのか分からぬ恐怖に身を震わせていた。
その間を縫うように一人の兵が駆け、素早くエルドランのもとへ近づく。
「隊長、数名の村人は避難させましたが……多くが立ち退きを拒んでいます。
説明はしましたが、軍が自分たちを害するとは信じようとしません。」
「嘘だろ、今それは要らん。
子どもは残っているのか。
どんな手段を使ってでも避難させろ、必要なら親から引き離してでもだ。」
「はい、隊長。
まだ子どもはいます。
命令を伝えます。」
兵は慌ただしく走り去った。
その直後、木材が軋む音が響き、槍を地面に打ち鳴らす音が太鼓のように重なる。
最後の衝撃とともに門はついに砕け、破城槌の頭部が瓦礫の中から引き抜かれた。
その向こうには、盾を構えた兵の列が、果てしなく広がっていた。
「ゼフィラ、避難を手伝え。
お前はもう限界だ。
村人を助けて、一緒に退け。」
「避難はさせる。
でも、あんたを置いて逃げる気はない、馬鹿。
これを一人で背負わせるつもりはないわ。」
彼女は苦しげに立ち上がり、村の方へ向かった。
エルドランは兜を被り、剣を抜くと、それを高く掲げて兵たちに備えを命じる。
「兵士たちよ、戦えとは強制しない。
逃げる選択をしても、俺は理解する。
だが残るなら、誓いを思い出せ。
できる限り、村人を守れ。」
再び角笛が鳴り、敵兵たちは盾を正し、隊列を組んで中庭へ進み出る。
エルドランは最後に自軍の兵を振り返り、微かな笑みを向けると、稲妻のように姿を消した。
その刃は一人の敵兵を貫いた。
エルドランの速度に、相手は反応する暇すらなかった。
彼は即座に剣を引き抜き、空を裂いて、別の兵の兜を断ち割る。
虚ろな眼が転がり落ち、そこには空の骸だけが残った。
それを見て、ソルヴァエルの兵たちも動き出した。
剣を抜き、一斉に突撃する。
金属の激突音が鳴り響き、他の音はすべて押し潰された。
一方、ゼフィラは市場のある村の中庭を横切っていた。
風に運ばれた火の粉が家々に降り注ぎ、すでに火が回った建物もある。
濃い煙に満たされた家屋から、残っていた村人たちが否応なく外へ追い出されていた。
「何をしているの。
あいつらが遊びで戦ってると思ってるの。
今すぐ出て行きなさい、愚か者。
祈ったところで、戦争はあなたたちを見逃さない。」
通りに集まった村人たちは、悲しげな目で彼女を見た。
ようやく理解し、動き出す者もいれば、立ち尽くしたままの者もいる。
神に助けを乞い、膝をつく家族へ向かう途中、ゼフィラは年老いた男が家畜を連れ出そうとしているのを見た。
「何をしてるの。
今は獣の世話をしてる場合じゃない。
囲いを開けて、勝手に逃がしなさい。」
だが男は答えず、革紐で牛を繋ぎ続けていた。
ゼフィラは近づき、その腕を掴んで動きを止める。
「離せ、この汚らわしい魔女め。
お前の言葉一つで、俺の獣を死なせる気はない。」
「魔女?
向こうの音が聞こえないの。
時間はもう贅沢品よ、老いぼれ。
命はあなたの所有物じゃない。
年を取っていようと、死は容赦しない。
誰かを救いたいなら、子どもたちの避難を手伝いなさい。」
男は荒々しく体を振り、ゼフィラは手を放さざるを得なかった。
彼女は目を伏せ、考えを改めるのを諦め、通りの中央で動けずにいる一家へ向かう。
だが、術の疲労が彼女を蝕み、足取りは不確かになり、倒れまいと必死に抗っていた。
「今は倒れるな、まだ早い。
ここから人を出さなきゃ……」
自分に言い聞かせるように、彼女はそう呟いた。
だが家族へ近づこうとしたその時、息を切らした衛兵の一人が駆け寄ってきた。
「や……奴らが……。
城壁に穴を開けました。
もう村の中に入ってきています。
全員を逃がす時間は……ありません……」
「最悪ね。
運命が本気で私たちを潰しにきてるらしい。
できるだけ多くを避難させて。
私は時間を稼ぐ、少しでも。」
彼女は続けて尋ねた。
「……どこに、突破口が?」
男が指し示した方向へ、ゼフィラは歩き出した。
拳を握り締め、疲労を考えないようにしながら。
だが路地を曲がった瞬間、下卑た笑い声が耳に届いた。
そこには敵兵が五人、そしてその前に一家がいた。
父親は無残に打ち据えられ、すでに息絶え、地面に横たわっている。
その傍らで、子どもが声を上げて泣き叫び、父の名を呼びながら起き上がるよう懇願していた。
兵たちは母親を持ち上げ、乱暴に家の中へ押し込む。
「そのクソガキを黙らせろ。
あれが喚いてたら、どうやって楽しめってんだ。」
兵の一人がそう吐き捨てた。
一人が家から出てきて、子どもの方へ向かう。
ゼフィラは壁に手をつき、体を支えながら立っていた。
右手に魔力を集めようとするが、何の感覚も返ってこない。
「……今じゃない。
お願い、こんな時に裏切らないで。
応えて……」
声は掠れ、震えていた。
子どもの前に立った男は剣を抜いた。
ゼフィラは無理に力を引き出そうとする。
走って助けに行くこともできないと分かっていながら。
だが、何も起こらなかった。
先の術で、彼女は完全に空になっていた。
粘ついた音が耳に届いた。
次の瞬間、子どもの泣き声は途切れた。
止めなければと叫ぼうとした。
だが声は出ず、ゼフィラは壁の角にもたれ、座り込む。
両手で顔を覆った。
「どうして……。
どうして今なの……。
一番必要な時に、どうしてこんなに……」
その場に、彼女はしばらく動けずにいた。
家の中からは、女の叫び声が次第に大きくなっていく。
だが体は言うことをきかず、意志そのものが抜け落ちたようだった。
「……エルドランを……探さなきゃ。
助けられるのは……あの人しかいない。
私は……彼が必要……」
低く、か細い声だった。
彼女は何とか立ち上がる。
あちこちで悲鳴と笑い声が交錯していた。
通りを抜けた先で、彼女は立ち止まる。
村の衛兵一人が、敵の巡回に囲まれていた。
彼は武器を捨て、膝をついている。
「や、やめてくれ。
俺は……あいつらの仲間じゃない。
王国に仕えているだけだ。
邪魔はしない、手伝う……」
地に伏したまま、必死に訴える。
ゼフィラはその顔を認識した。
かつて彼女を罵り、事が起きる前に差し出そうとした男。
「俺たちに?
手伝うだと?
はははは。
どうやら状況が分かってねえな。
俺たちは支配しに来たんじゃない。
滅ぼしに来たんだ。
自分の村を裏切って仲間入り?
都合のいい方に尻尾を振るだけの犬だ。
裏切り者は要らねえ。」
冷たく言い放たれる。
衛兵が言い返す間もなく、刃が喉を貫いた。
一息の動作で、男は笑いながら斬り払う。
首が転がり、開いた口と虚ろな目だけが、地面に残った。
「さあ、続けるぞ。
好きにやれ。
こんな風に味わえる機会は、そう多くねえからな。」
兵はそう言い残し、去っていった。
ゼフィラは物陰に身を潜め、兵たちが離れるのを待つ。
そして再び、正門の方へと歩き出した。
だが進むにつれ、視界が滲み、足取りは重くなる。
悲鳴と笑い声、血の匂いが空気を満たし、頭が回り始めていた。
遠くから、さらなる懇願の声が聞こえてきた。
泣き声と笑い声が混じり合い、精神を少しずつ削っていく。
「ママ、起きて……お願い。
どうして動かないの、ママ。
おじさんたち、また来ちゃうよ……」
ゼフィラの近くで、幼い子どもの声が響いた。
「おい、こっちは年増を見つけたぞ。
連れてくからな。」
男の声が、無遠慮に割り込む。
「いや、やめて、離して。
ママ、ママ……お願い、助けて……」
少女の叫び。
ゼフィラは耳を塞いだ。
これ以上、耐えられなかった。
吐き気をこらえながら、ただ前へ進む。
不思議なほど道は開けていた。
誰ともすれ違わない。
まるで皆、別の場所で忙殺されているかのように。
やがて彼女は城壁に辿り着き、それに沿って大門へ向かった。
だが、そこで強烈な違和感に襲われる。
静寂。
金属のぶつかる音が、もう聞こえない。
体の抗議を無視して足を速め、村の入口に辿り着いた瞬間、光景が彼女を打ち据えた。
無数の死体が、地面を埋め尽くしていた。
立ち上る臭気に耐えきれず、膝をつく。
胃の中のものを吐き出し、目の前の現実に身体が拒絶反応を示す。
彼女は顔を上げ、口元を拭った。
苦い味が喉に残り、唾を飲み込むのも困難だった。
そして視線を平原へ向ける。
煙が空を覆い尽くし、炎が歪んだ光で景色を照らしている。
その中に、エルドランがいた。
まだ立っている。
たった一人で。
彼の前には、数え切れぬほどの兵。
傍にいなくとも、ゼフィラには分かった。
彼は限界だった。
エルドランは剣に体を預け、今にも崩れそうに立っている。
その周囲で、敵兵たちは笑っていた。
王が一定の距離を保ったまま近づき、満足げな笑みを浮かべる。
「望み通りだろう。
見てみろ、お前の愚行が生んだ結果を。
選択肢は与えた。
さあ、これがその答えだ。」
冷えた声だった。
「選択だと……。
受け入れていようが、貴様らは殺していた。
この軍勢を率いてきた時点で、最初から決まっていたはずだ……」
エルドランは息を切らしながら答える。
「もういい。
貴様の戯言には飽き飽きだ。
だが、言葉もここまでだな。
探していたものが、どうやら見つかった。」
王は、エルドランの背後へ視線を移した。
エルドランは振り返る。
そこには、死体と血に足を取られながら、這うように近づくゼフィラの姿があった。
彼は手を伸ばす。
だが、力は残っていない。
「二人とも捕らえろ。
もう終わりにする。」
王の命令が落ちた。
兵の一人がエルドランに近づき、剣を奪い、柄頭でこめかみを打ち据える。
激戦と疲労の中、視界は一瞬で暗転した。
彼は崩れ落ち、地面に倒れる。
荒い呼吸だけが、まだ生きている証だった。
「エルドラン……!」
ゼフィラの叫びは、絶望に歪んでいた。
最後の望みを込めて手を伸ばした瞬間、腹部に激痛が走る。
息が詰まった。
王の兵が近づいており、容赦なく蹴りを叩き込んでいた。
その手には、槍。
「……ごめんね、ネリア。
約束は……守れそうにない。
幸せでいて。
生きて……自分を誇りなさい……」
か細い声だった。
そこで、彼女の意識は途切れた。
闇がすべてを包み込み、世界は消えていく。
ようやく訪れた静寂が、彼女の心を解放した。




