第14章:重なり合う世界
翌朝。
山の冷えた空気が小さな山小屋に満ちる中、ネリアとウェンズワースは早くに目を覚ました。
ウェンズワースは急いで薪を暖炉にくべ、火を起こす。
ネリアはその前に座り込み、身を震わせた。
「人目を避けるのは分かるけど、ちょっと極端すぎない?」
ネリアは言う。
「時期が悪いだけだ。
暖かい季節なら景色は見事だぞ。
それに今は誰も来ない。」
ウェンズワースは答えた。
彼は台所へ向かい、瓶を持って戻る。
中身を鍋に注ぎ、火の上に掛けた。
床に座り、手を擦り合わせてから火にかざす。
「一晩中考えてたんだけど。
ひとつ分からない。
ここに来るとき、特別な力はないって言われた。
じゃあ、どうしてあれが私の中にいるの?
向こうが考えを変えたの?」
ネリアは戸惑いながら問う。
ウェンズワースは笑い、軋む天井へ視線を向けた。
「関係ない。
我らのマナが形を取る理由は、今も分からん。
だがあれはお前の延長だ。
強くもない。
お前と共に学び、限界もお前と同じだ。」
説明する。
「じゃあ結局、最初と同じで弱いままってことね。」
ネリアは肩を落とす。
「ちょっとくらい特別だと思ったのに。」
「特別だ。
ただし別の意味でだ。
お前は早く学べる。
俺は教会の一件の後、五年も無力だと思い込んでいた。」
ウェンズワースは言った。
彼は立ち上がり、鍋を下ろす。
中身を杯に注ぎ、ひとつをネリアへ差し出す。
再び隣に座り、自分の杯を前に置いた。
「約束した通り話そう。
俺があれの存在を知ったのは十の頃だ。
戦の最中だった。
誰も見るべきでないものを見た。
死ぬ恐怖に呑まれた時、エルズリーネは現れた。」
穏やかに語る。
「……それで私を殺そうとしたの?
恐怖が目覚めさせるから?」
ネリアの声は冷たい。
「近い。
俺に起きたなら、お前にも起こるかもしれんと考えた。
拒絶の後、空気の震えを感じた。
泣きながら出て行くお前を見て、仮説を立てただけだ。」
彼は続ける。
「安心しろ。
殺すつもりはなかった。
そして結果は出た。」
二人はひと口飲む。
ネリアは炎を見つめるが、視線は虚ろだ。
思考が巡る。
もし自分が応えなかったら。
どこまでやったのか。
小さく身震いした。
「疑問は尽きんだろうが。
飲み終えたら外へ出るぞ。
長々と説くより、見せた方が早い。」
ウェンズワースは杯を口に運ぶ。
ネリアは頷き、一気に飲み干した。
寒さも熱さも気にしない。
二人は立ち上がり、厚着をして外へ出る。
果てなき森に囲まれた広い空き地が、朝露に光っていた。
「ここなら十分だ。
少し離れる。
失敗して野宿は御免だ。」
歩き出す。
目的の場所に着くと、ウェンズワースは振り向き、銀貨を取り出した。
「魔法の理屈は知っているか。
両親や周囲が使うのを見ただろう。」
問う。
「うん。
ママは水を温めたり。
でも……あの人が炭になった時も見た。
本で読んだものとは違った。
路地でも。」
ネリアは答えた。
「なら段階は見ているな。
人は三つに分かれる。」
気楽な口調で続ける。
「まずは最も多いもの。
日常の魔法だ。」
左手に銀貨を持ち、右手をネリアへ向ける。
指を半ば閉じ、窪みを作る。
言葉も動きもなく、小さな炎が掌に灯った。
「誰もが持つ。
殺すためではない。
稀に身を守る程度だ。
だが足が遅ければ、生き延びられん。」
彼は言った。
背に手を回し、布を取り出す。
ネリアはすぐに気づく。
自分の剣だ。
布を解き、右手で握る。
布は風に舞った。
集中する。
ネリアは父がテリシアと鍛錬する姿を思い出す。
黄金の光を纏う剣。
だが今、柄の宝玉が脈打つ。
青い光が心臓のように明滅する。
「見事だ。
誰が鍛え、誰が付与したか知らんが、稀な仕事だ。」
剣を見つめながら呟く。
「どうして金色じゃないの?
パパのは金色に光る。」
ネリアは尋ねる。
ウェンズワースは微笑む。
「石が注いだマナを受け止め、刃を包む。
石ごとに性質がある。
石がなければ、見るのは生のマナだ。
そしてこれが、強化された刃の力だ。」
彼は木へ歩み寄る。
一瞬集中する。
青い光が激しく脈打つ。
鋭い一閃。
刃は抵抗なく幹へ沈んだ。
引き抜くと、深い裂け目だけが残った。
「扱いを心得て、手にするものと繋がれれば、すべては武器になり得る。
それが俺の言う“内在魔法”だ。
己を強化する。
魔力、速度――あるいは……」
彼は木を指差す。
「物を形作る。」
「そんな簡単に?
集中するだけで何でもできるの?」
ネリアは目を丸くした。
「いや。
……どう説明するか。
ラジオを想像しろ。
遠く離れた相手と話すには、同じ周波に合わせねばならん。
精度が高いほど、声は澄む。
原理は似たようなものだ。」
ウェンズワースは言う。
「でも、その“周波”ってどうやって知るの?
私たちに“49.7”って書いてあるわけじゃないし。」
ネリアは眉を寄せた。
ウェンズワースは剣を手の中で滑らせ、刃を握って柄をネリアへ差し出す。
「数値はない。
だが聞けばいい。
語りかけるものに集中しろ。
鋼と思うな。
自分の延長だと思え。
具現する存在と同じだ。」
ネリアは剣を握る。
初めて手にした時の感覚が蘇る。
触れた瞬間、冷たいものが身体を走る。
微かな囁き。
頭の奥へ入り込もうとする。
目を閉じる。
理解しようとする。
だが雑音のように混じり合い、意味を結ばない。
「……できない。
何か言ってる気はするのに、ぐちゃぐちゃで。」
目を開けた。
「当然だ。
今できたら、そちらの方が怖い。
続きへ進もう。
いずれ掴める。」
ウェンズワースは答える。
彼は右手に銀貨を取り、ネリアに見せる。
理由は分からない。
路地で見た使い方は知っている。
「第三の分類。
俺が“外在魔法”と呼ぶものだ。
名は単純だが、本質を示している。
例えるなら……我らの世界の銃だ。」
銀貨を仕舞う。
少し下がり、銃を構える姿勢を真似る。
「引き金を引けば、致死の弾が放たれる。
前に何があろうと貫く。
だが俺は威力を制御できる。」
指で引き金を引く仕草。
空気を裂く音。
鈍い衝撃。
ネリアは彼の指した方を見る。
樹皮に光る何かが突き刺さっている。
近づく。
銀貨が食い込んでいた。
仕舞ったはずなのに。
戸惑いながら引き抜き、戻る。
「そんなにお金持ちなの?
それに、さっきみたいに爆ぜなかったのはどうして?」
問う。
ウェンズワースは笑い、湿った草に腰を下ろす。
ネリアも倣うが、すぐに衣服が濡れ、冷えが伝わる。
「金ではない。
塗装した金属片だ。
内在魔法で強化し、射出する。
さて最後の要点――魔法円だ。」
落ち着いて言う。
「魔法円?
二年前に聞いたけど、意味は分からなかった。」
ネリアは首を傾げる。
「力の段階分けだ。
今の銀貨は第二円。
十分に強力だが、単一目標に限る。
詠唱なしで即応できる分、その制約がある。」
彼は息を吐く。
「詠唱?
ママは水を温めるとき、何も言わない。」
言いかけて止まる。
樽の水を冷やしたあの男は、言葉を唱えていた。
「無詠唱は速い。
だが精度は荒いか、範囲が狭い。
詠唱は精密、あるいは広域。
その代わり時間がかかり、無防備になる。」
ウェンズワースは答えた。
「でもパパは何も言わずに剣を強化する。
動きも正確。
どうして?」
ネリアは考え込む。
「そこが複雑だ。
だが本質は単純。
己や物へ作用するのは、マナの転移だ。
像を思い描き、それを流す。
対象は一点。
だから精度は自然と定まる。
銀貨と同じ理屈だ。」
彼は集中した目で説明する。
「つまり、想像すればいい?
でも詠唱は?
適当に言葉を並べればいいわけじゃないよね。」
ネリアは目を細める。
「そこが問題だ。
言葉は創作ではない。
複雑な研究が刻まれた典籍――コデックスに記されている。
学院で学ぶか、師を得ねば扱えん。
無知なまま無理に使えば……
最悪、死ぬ。」
ウェンズワースの声は重い。
ネリアは唾を飲み込む。
真似をしていた過去を思い出す。
「でも最後に一つ。
どうして五年待たなきゃいけないの?
それに魔法円はいくつあるの?」
さらに問いを重ねる。
「……答えは明白だろう。
お前の身体だ。」
ウェンズワースは静かに言った。
ネリアは自分の身体を見下ろした。
彼の言わんとするところが掴めず、困惑する。
「ここではお前は子供だ。
当たり前のことだがな。
だが同時に、マナにとっては砕けやすい器でもある。
防ぎが整わぬうちは、内側から潰される。
毒のようなものだ。
身体が慣れ、取り込み、耐えられるようになって初めて、害なく具現できる。
もし乳飲み子に無理やり覚醒を施したらどうなるか。
火にかけられた肉のようなものだ。
想像はつくだろう。」
穏やかだが揺るがぬ声だった。
ネリアはぞくりとする。
裾を握る手が湿る。
「最後の問いだが。
現在確認されているのは四円までだ。
だが第四円に至る者は稀だ。
それは殲滅の魔法。
人体を極限まで追い込む。
用いれば脳の繋がりが損なわれる。
その後、一人で生きられなくなった者もいる。」
彼は言い終えた。
立ち上がり、尻についた草を払う。
ネリアも数瞬遅れて真似る。
「第五円があるという噂もある。
だが誰も信じていない。
第四の後遺があれだ。
もし存在するなら、神の域に触れる。
神々が許すとは思えん。」
片目を閉じた。
その日残りの時間は、基礎の反復に費やされた。
理屈を身体に落とし込むための訓練。
最初こそ慎重だったネリアも、やがて喜びと焦りが勝る。
ウェンズワースは幾度も制止した。
身体の限界を超えるなと。
やがて夜。
卓を囲み、肉と野菜を口にする。
ネリアは小さく咳払いをした。
「ねえ。
前はどこに住んでたの?
どうしてここに来たの?」
ためらいが滲む。
ウェンズワースは食べ物を喉に詰まらせかけ、叉を置き、胸を叩く。
荒く嚥下し、潤んだ目でネリアを見る。
目元を拭った。
「すまん。
驚いただけだ。
以前はイングランドにいた。
職は……」
言い淀む。
「私はフランス。
他人の書いた言葉に命を与える仕事をしてた。」
ネリアは助け舟を出す。
「ならば率直に言おう。
厄介な人間を消す仕事だ。
報酬と引き換えに。
暗殺者だ。
常に影に生きてきた。
だが家族を持った。」
ウェンズワースは続けた。
ネリアは固まる。
身体が動かない。
彼は近づき、頭に手を置いた。
「怯えるな。
無差別に殺す者ではない。
生きるために必要なことをしただけだ。
そして二つ目の問いだが――俺を殺したのは妻だ。」
微笑む。
「……奥さんが?」
ネリアは小声で問う。
ウェンズワースは息を吐き、視線を遠くへやる。
やがて手を離し、席へ戻る。
「そうだ。
職は知っていた。
隠してはいない。
彼女だけが、俺を闇に沈めずにいた。
だがある日、越えてはならぬ契約を受けた。
皮肉なものだ。
彼女の血縁を手にかけた。
怪物だと思うか。
だが選択はそれしかなかった。
断れば、彼女が狙われた。
それでも――知った時、まさか彼女が終わらせるとは思わなかった。
地上で四十年。
そしてここだ。」
声は静かすぎた。
彼は食事を再開する。
ネリアはもう何も聞けない。
沈黙のまま皿を空にする。
やがてウェンズワースが叉を置き、ネリアをじっと見た。
「今度は俺の番だ。
なぜ幼子を演じ続ける。
前世の知を活かそうとしない。
理解は早いはずだ。」
そう問いかけた。
「どうしてって……?」
ネリアは呟く。
喉が締まり、言葉を探す。
やがて小さく息を吐き、口を開いた。
「格好いい理由じゃない。
生まれた時、母は死んだ。
父はずっと私を恨んでた。
二人きりでいるのが耐えられなくて再婚して……そこから地獄。
継母は毎日、何でも私のせいにした。
些細なことで殴られた。
父は私を嘘つき扱い。
それで、私は閉じこもった。」
視線は下がったまま。
少し間を置く。
思い出すこと自体が苦い。
だが彼が語った以上、自分も語る。
「十九で働き始めて、家を出た。
生活は安定して、結婚もした。
完璧じゃなかったけど、優しい人だった。
でも二十三の誕生日。
仕事に出ている間、別の女と楽しんでるのを知った。」
再び言葉を継ぐ。
「それで、どうしてここに?
そいつが――」
ウェンズワースが言いかける。
「違う。
愚かだったのは私。
橋から飛び降りようとした。
でも戻ろうとした瞬間、足を滑らせた。」
ネリアはかすかに笑う。
重い沈黙。
視線は交わらない。
「子供を演じてるのは、本気でこの人生を楽しみたいから。
最初は物語の英雄みたいになりたかった。
でも気づいた。
もっと大事なものがある。
愛してくれる両親。
あたたかい人たち。
前の人生を混ぜたくない。
持ってなかったものを、今は味わいたい。
比べる癖はあるけど、それ以上はしない。」
肩の力を抜いて言う。
「なるほどな。
ならば教える側としても覚悟がいる。
魔法の習熟には年単位を要する。
だが我らには前世の知がある。
使わねば、遠回りだ。」
ウェンズワースは答えた。
立ち上がり、卓を片付ける。
ネリアも手伝う。
やがて二人は暖炉の前に腰を下ろし、炎を黙って見つめた。
「今日はもう十分だ。
休もう。
お前の旅はここからだ。
先は長い。
備えろ。」
ウェンズワースが言う。
ネリアは頷き、立ち上がる。
用意された小さな寝室へ向かう。
着替え、床に潜り込む。
瞼はすぐに重くなり、意識は夢へ沈んでいった。




