第9章:朝のぬくもり
翌朝、ネリアは父に起こされた。
彼はそっと彼女の頬に手を置き、急に目覚めさせないよう、ゆっくりと撫でた。
「おはよう、俺の姫。
起きないといけないぞ。
出かける準備をするからな」
低い声で、エルドランはそう言った。
ネリアは目を開け、大きくあくびをした。
まだ視界はぼやけている。
窓の外を見ると、朝の光はまだ弱かった。
「パパ、まだねむい。
ねたい」
ネリアはそう答えた。
「分かってる。
でも準備をしないといけない。
信じてくれ、今日はがっかりさせない。
誕生日だって、忘れてないよな」
エルドランは微笑みながら言った。
ネリアは目を見開いた。
その瞬間まで、今日がその日だということを忘れていた。
彼女は布団を跳ねのけ、にっこりしながら身を起こした。
その様子に、エルドランは少し驚いて立ち上がった。
「朝ごはんを食べて、それから母さんが着替えさせる。
いいな」
扉へ向かいながら、彼はそう続けた。
「だめ。
きょうはパパにおようふく、きせてほしい」
ネリアはそう言って、彼のズボンを引っ張った。
エルドランは振り返り、身を屈めてネリアを抱き上げ、腰に抱えた。
「分かってる、可愛い子。
でも今日は無理なんだ。
パパにはやることがある」
そう答えた。
ネリアは小さく笑い、エルドランの肩に頭を預けた。
二人は部屋を出て、食卓へ向かった。
エルドランはネリアを椅子に座らせた。
「おはよう、小さな冬眠さん。
やっと起きたのね。
今日は遅刻しないでしょうね」
ゼフィラはそう言って、ネリアの前に乳の入った杯を置いた。
「おはよう、ママ。
ありがとう」
ネリアは答えた。
彼女は湯気の立つ乳に息を吹きかけ、杯を口元へ運び、大きく一口飲んだ。
朝食は静かに進んだ。
ネリアは、時折両親が小声で話すのに気づいたが、何を言っているのかは聞こえなかった。
杯が空になると、ゼフィラは卓を片付けた。
エルドランはネリアに近づき、額に口づけをしてから、ゼフィラのもとへ向かった。
「じゃあ行ってくる。
全部整っているか、見てくるよ。
お嬢さんは任せた」
そう言って、ゼフィラを抱き寄せた。
ゼフィラは小さくうなずいた。
エルドランは扉へ向かい、ゼフィラはネリアのもとへ歩み寄った。
彼女は乳の残る口元を拭き、ネリアを抱き上げて洗い場へ連れていった。
「今日はきれいにしないとね。
汚れたまま教会には行けないもの」
ゼフィラは微笑んで言った。
床に降ろされると、ネリアは服を脱ぎ、大きな桶の中に座った。
ゼフィラは掌の中に小さな炎を灯し、それを水差しの下へ滑り込ませて湯を温めた。
数分後、彼女は手を離し、水差しを持ち上げて桶の縁へ近づけ、ゆっくりと湯を注いだ。
温もりに包まれ、ネリアは体をゆるめた。
水で遊びながら、ゼフィラが洗う準備をするのを眺めていた。
ゼフィラは近づき、膝をつき、袖をまくった。
小さな海綿を取ろうと身を屈めた瞬間、ネリアは両手を水に突っ込み、母に水を跳ねかけた。
そしてすぐに、いたずらっぽく視線を逸らした。
「ほんとにネリア?
しかも目を逸らすなんて。
下手な役者ね。
口元が笑ってるの、見えてるわよ、この小悪魔」
ゼフィラは低く言った。
彼女は海綿を置き、両手を水に入れて、今度はネリアに水をかけ返した。
そしてそのまま腰に手を伸ばし、あちこちをくすぐり始めた。
ネリアは身をよじり、声を上げて笑った。
二人はそのまま、しばらくじゃれ合っていた。
だがそのとき、玄関の扉が開く音がした。
「二人とも、どこにいるんだ?」
エルドランの声が響いた。
ゼフィラはネリアを見て唇に指を当て、音を立てないよう合図した。
彼女は手を水に沈め、そのまま待った。
扉が開いた瞬間、ゼフィラは勢いよく水を跳ねかけた。
ネリアは思わず声を押し殺した。
二人は同時に笑い出した。
エルドランは後ずさり、足を取られてよろめき、ぶつかった衝撃に顔をしかめた。
「これで街の警備をやってるんだからね。
背後ががら空きじゃ、安心できないわ」
ゼフィラは笑いながら言った。
エルドランは体勢を立て直し、彼女に歩み寄って手を取り、ゼフィラを引き起こした。
「お前だから許してるんだぞ。
そうじゃなきゃ、とっくに牢屋行きだ」
皮肉っぽく、エルドランは言った。
「私がいなかったら、どうするつもり?
その小さな頭を埋めるには、私がいないと無理でしょう」
ゼフィラは言い返した。
二人はしばらく見つめ合い、そのまま長く口づけを交わした。
桶の中にいるネリアは視線を逸らし、ため息とともに目を回した。
少し気まずそうに、水面をぴちゃりと叩いて、自分の存在を主張した。
「じゃあ、もう少しでこの小さな怪物を洗い終わるわ。
今日は人、多いの?」
ゼフィラが尋ねた。
「いや、三人か四人くらいだ。
でも彼女の番の前に行けるといい。
どういう流れか、一応見せておきたいからな」
エルドランは答えた。
ときどき思う。
私がもう、話を理解し始めてるってこと、忘れてない?
まだ赤ちゃんみたいに扱われてる気がする。
ネリアは心の中でそう思った。
エルドランは部屋を出ていった。
ゼフィラは再び膝をつき、海綿を手に取った。
それを水に浸し、とろりとした液体を垂らしてから、ネリアの体を優しく洗い始めた。
数分後、ネリアのうなじを支え、体を後ろへ倒して髪を洗った。
「さあ、水から出ようね。
それから、あの小さなドレスを着ましょう。
きっと、とても可愛いわ」
ゼフィラは柔らかい声で言った。
ネリアは笑顔を向け、両腕を差し出した。
ゼフィラは厚手の小さな羊毛のタオルを取り、広げてネリアを包み込んだ。
水から引き上げ、布で丁寧に水気を拭き取る。
ネリアは、メルフィナから贈られた白い小さなドレスに袖を通した。
ゼフィラは髪を結び、一部をあえて下ろして、ふんわりとした形に整えた。
ネリアは鏡を見つめ、気づかぬうちに微笑んでいた。
「はい、これで綺麗。
もうすぐ、大きな女の子ね」
ゼフィラは、少し寂しそうな目で言った。
「ありがとう、ママ。
だいすき」
ネリアは答えた。
二人は部屋を出て、エルドランのもとへ向かった。
ネリアは彼の隣に座り、ゼフィラは卓に杯を並べた。
それぞれに果実の汁を注ぎ、前へ押し出す。
「順調なら、そんなに時間はかからないはずだ。
あとは、今日ばかりは神々が悪戯をしないことを祈るだけだな。
それにしても、儀式が誕生日と重なるなんて、運がいい」
エルドランは一口飲みながら、そう漏らした。
「ふふ、そんなふうに心配するなんて、少し可愛いわね。
でも大丈夫。
ほら、あなたの娘、こんなに綺麗じゃない」
ゼフィラは言った。
「それは分かってる。
俺たちの娘だ、当たり前だろ。
だが……あの件があってから、どうしても疑念が消えない。
もし、何かあったらどうする?」
エルドランはそう尋ねた。
彼はネリアの頬に手を置き、優しく撫でた。
果実の汁を飲む彼女に、大きな笑顔を向けながら。
「先のことは誰にも分からない。
その時が来たら、その時に考えればいい。
でも今日は、疑いでこの子の日を曇らせたくない。
過ぎたことは、置いていきましょう」
ゼフィラはきっぱりと言った。
「その通りだ。
特に今日はな。
準備ができてるなら、行こう。
早く着いても、他の様子を見られるしな」
エルドランが続けた。
ゼフィラはうなずき、杯を片付けてから軽い外套を羽織った。
ネリアは椅子から降り、父の後について扉へ向かった。
だがゼフィラがその手を取った。
「こっちに来て、私の宝物。
あと一つだけ。
それで完璧よ」
そう言って、彼女はポケットを探った。
ゼフィラは身を屈め、ネリアの髪の一房を取り、小さな留め具をつけた。
ネリアは鏡の前に立ち、それをじっと見つめた。
優雅な鳥を思わせる形。
青と紫が混じった色合いが、彼女の緑の瞳を際立たせていた。
彼女は父のほうを振り返った。
「見て、パパ。
きれい」
ネリアは少しだけ頭を下げて言った。
エルドランは大きく笑み、扉を開いて手を差し出した。
ネリアはその手を取り、一緒に外へ出た。
小さな庭は朝の光に満ちていた。
だが空気は冷たく、ネリアは身をすくめた。
庭を抜けたあと、彼らは村の方角へは向かわなかった。
外へ続く道へ進んでいく。
ネリアがまだ一度も足を踏み入れたことのない場所だった。
「ママ、どこに行くの?
なんで、あっちなの?」
戸惑いながら、ネリアは尋ねた。
「別の町へ行くのよ。
ここには、私たちが必要としている儀式に合う教会がないの」
ゼフィラは答えた。
しばらく歩き、ネリアは新しい景色に目を輝かせていた。
そして小さな厩の前で足を止めた。
小さな馬車につながれた馬たちが、静かに待っていた。
「準備は整ってるか、ウェンズワース。
こちらは問題ない」
エルドランは落ち着いた声で言った。
ネリアは父の隣に立ち、男を見上げた。
背が高く、細身。
立派な口ひげが口元を覆い、長い髪が高い帽子の下から流れていた。
どこか貴族に近い気品があった。
「もちろんです、エルドラン。
いつでも出発できます。
馬も整えてありますし、約束通りお待ちします」
ウェンズワースは帽子を取って、ゼフィラとネリアに礼をした。
三人は小さな馬車に乗り込んだ。
男は前に座り、手綱を握った。
腕を上げ、そして鋭く振り下ろす。
乾いた音とともに革が鳴り、馬がいななき、走り出した。
ネリアはよろめき、母の腕にしがみついた。
「早く太陽が上がってほしいな。
今朝は、思ったより寒い」
エルドランは手に息を吹きかけながら不満を漏らした。
「私が温めてあげてもいいけど?
でもあなた、年を取ったものね。
十秒じゃ足りないかしら」
ゼフィラは笑みを浮かべて言った。
エルドランは目を回した。
ネリアは外套の襟を整え、首元に入る冷たい風を遮った。
「その冗談、切れ味が落ちてるぞ。
お前も年だな」
エルドランは言い返した。
好きだけど……ほんとに。
たまに、どうしようもない。
ネリアは二人を見ながら、そう思った。
やがて沈黙が訪れた。
ネリアは馬車の縁から身を乗り出し、流れる景色を眺めた。
この瞬間から、すべてが初めてのものになる。
村の外での最初の一歩。
彼女は、そのすべてを心ゆくまで味わうつもりだった。




