すけこましアラジンの満ち足りた人生
アラジンは隣で寝ているP子のこめかみにチュッと軽く音を立ててキスをしました。「おはよう」ふさふさした自慢の黒髪をかきあげて、P子の顔を見下ろしながら微笑みます。「おはよう、アラジン」嬉しそうに笑ったP子はアラジンの麦色の肌を見つめて幸せに包まれていました。アラジンは、「じゃあ、僕仕事があるから行くね」P子の髪を長い右手の中指で梳くようにしてから、アラジンはベッドから出ました。P子「何の仕事?」アラジン「何でもいいじゃないか」P子「変な女と付き合ってるんじゃないでしょうね?」アラジン(お前も変な女のうちの一人だよ)「そんなことないよ。ちょっとした営業さ」P子「ねえ、働かなくていいのよ。二人食べていくだけなら私の給料でも十分だし。いてくれるだけでいいんだから。ねえ」アラジン(馬鹿か。お前みたいな貧乏娘の給料で俺が暮らすのに足りるわけないだろ。俺を囲い込むつもりか)「そんなわけにはいかないよ。ひと月くらい留守にするかも」身支度を整えたアラジンは、洒落た鞄をひょいと床から取って玄関に向かってしまいました。P子「いやよ。嫌! どこにも行かないで。私だけのアラジンでいてよ!」P子の叫びはアラジンがさっさと出ていって閉まった扉に遮られて、部屋に反響しただけでした。アラジンはストリートをうろうろと歩き回りました。(P子もこんなに執着してくるのなら、そろそろ切ったほうがよさそうだな)アラジンには、ヒモになって養ってもらっていた彼女に自殺未遂事件を起こされた過去がありました。(俺をものにしたいのならそんなに安い額じゃ間に合わないよ)バザールが賑わっていました。人ごみを飄々とよけつつ、面白い店はないかと探しました。誰も寄り付かない不気味な露店が一つありました。地面にボロボロの布切れを敷いた上に、半分寝ているような汚い爺さんが座り込んでいました。店にあるものは鈍い金色のランプだけです。ひゅっとアラジンの背後から何か飛んできて爺さんに当たりました。生卵がぶつけられたようです。爺さんの粗末で油じみたシャツに卵の白身が垂れました。(みじめな爺さんだ)アラジン以外、その露店に近づく者は誰もいません。爺さんが目を開けてアラジンを認めました。爺さん「……これ、買わんかね?」アラジン「いくら?」爺さん「1ドラクマ」アラジン「高いよ。いらない」爺さん「じゃあ三分の二ドラクマ」アラジン「やっぱいらない」爺さんはしょんぼりと顔をうつ向かせて背中を丸めて小さく身体をまとめながら「じゃあ……五分の一ドラクマでいいよ」と呟きました。アラジン「よし、買った」アラジンはバザールで他にパンやドライフルーツを購入して、住みかとしているオアシスの近くの空き地に建てたあばら家に帰りました。藁の上に横たわって、「はー。どうしてこの狭い家に帰ると落ち着くのか」とひとりごちました。袋に入れて持ってきたパンとドライフルーツを少しだけ齧りました。ランプはくすんで汚れていたため、表にためていた雨水で洗いました。ドライフルーツを噛みながらランプの表面をこすると、ランプの口からもうもうと煙が立って、視界の全てを白く染めました。「なんだこりゃ? ゲホゲホ! もうろくジジイにろくでもないものを売りつけられた!」視界が晴れると、足のない青い肌をした幽霊が目の前にいました。アラジンは腰を抜かしました。「俺はついに気が狂ったのか?」青い幽霊はうやうやしく頭を下げました。「私の名前は『ランプの精』です。ご主人様。三つの願いを何だってかなえて差し上げます」アラジンはポカンとしながらも、何とか立ち上がって、自分の服の埃を払いました。「『ランプの精』? ホントか?」ランプの精「本当ですとも。ご主人様」アラジンは顎に手を当てて考えました。(こんなものが出てきたのなら、三つの願いとやらもいっそ信じてやったって構わない。とっくに異常事態だ)アラジン「じゃあさ、じゃあさ……、お金持ちに……、いや女も欲しいな。とびきり金持でとびきり極上の女。毎夜毎夜、暇なしにあらゆる贅沢をしてやりたい。よし、ランプの精、俺を美人という噂のこの国の王女の婿にしてくれ」ランプの精「承知しました」アラジンはそこで気を失いました。気が付くと、アラジンは自分が着たこともない身なりのいい恰好をして、王門の前に突っ立っていました。周りを見渡すと家来や侍女の服装の人間たちが自分の後ろに控えています。「トンボ王国の王子『アラジン』様のおなーりー」衛兵がラッパを鳴らして門が開かれました。使用人の服を着てランプの精がアラジンの横でかしこまっていました。アラジン「『トンボ王国』ってどこだ?」ランプの精「『カブトムシ王国』の方が良かったですか?」アラジン「そうじゃなくて……」ランプの精「どうせこの国の王室に婿入りするからどこでもいっしょですよ」大臣らお偉方に挨拶をされて、王様に謁見しました。王様「やあやあ! トンボ王国にはいつも世話になっとるよ。お父さんは元気かい?」アラジンは顔を引きつらせて「……とても元気でやっております。ありがとうございます」と答えました。アラジン(どういう魔法を使ったんだろう……)王女様に引き合わせられました。チョコレート色のとろけそうな肌に、涙で潤んだ蠱惑的な瞳。身体の線のバランスは完璧で、しなやかに腰を揺らして歩いてきました。膝を少し曲げてアラジンに挨拶をしたので、アラジンも慌ててそれに応じました。王女様の部屋に招き入れられました。二人きりになって王女は話しました。「私と結婚したいのよね?」アラジン「へ? あ、はい。はい! 是非とも美しいあなたを手に入れたいのですよ。私は」王女「そういうのいいから」王女は、椅子に足を組んで腰かけて、ワインを飲み始めました。「私たちはあなたの国と友好関係を築きたいの。王女なんてのはそのために存在しているようなものだから。だからよろしく。ムコドノ」
王女は勝手にベッドに入って寝てしまいました。アラジンはどうすべきか迷い、仕方ないので、ベランダでワインを飲みながら一夜を明かしました。王女とアラジンは結婚しました。アラジンは政務に取り組むことを余儀なくされました。アラジンは馬鹿ではないので、それなりにこなすことができました。王女と夜を過ごすこともありました。美味しい食事。きれいな服。家来たち。満ち足りて満ち足りて……、そのうち退屈になりました。何をしても退屈でした。お上品な何もかもに嫌気がさしました。特に目立った落ち度のない王女になんの魅力も感じなくなりました。王様に「未来の国王よ。ちゃんと勉強するんじゃぞ。わしら税金で食べとるんだから」と言われるのも疲れました。ある日、気が付きました。「俺にはまだ二つの願いが残ってる!」アラジンは自分の部屋の机の横に引っかけておいた汚いずだ袋からランプを出してこすりました。ランプの精「はーい。お久しぶりでーす」アラジン「ランプの精。世界一面白いハーレムを作ってくれ」ランプの精「お安い御用」煙が満ちて、晴れるとさっきまで窓のなかった場所に窓が付いていました。窓から覗くと大理石の屋内の巨大な風呂場がそこにありました。浴槽の中にも外にも裸の女……、白人、黒人、ヒスパニック、中国系……が立ったり歩いたりしてました。「うひょー」アラジンは口笛を吹いて、階段を下りて、そのハーレムにまっしぐらに走っていきました。アラジンはそれから一日中ハーレムで暮らすようになりました。政務は王女が受け持つようになりました。国王から「遊びはほどほどにしなさい」と言われたけれど、アラジンはハーレムで遊ぶことをひと時も止められません。あまりにだらしがないので王女はアラジンを怒鳴りつけました。「けじめがないのにも、程があるわ!」アラジン「知ったことか。お前みたいに可愛げのない女大嫌いだ」王女「お互い様よ!」そのうちその生活にもアラジンは疲れてきました。風呂に浸かって天井を仰ぎ見て呟きました。「『苦労がない』って苦労だな……」P子の顔が思い浮かびました。アラジンは風呂から上がって部屋に戻りランプの精を呼びました。「はーい。ご主人様」アラジン「ランプの精。全部なかったことにしてくれ」ランプの精「本当にいいんですか?」アラジン「いいんだ」目の前の全てが歪んでマーブル模様を描き出し、アラジンは昔のちんけなヒモ稼業の頃の服装に戻って、あばら家の前に立っていました。アラジンは以前から貯めていたお金を確かめました。庶民にしては少なくない額がありました。それで羊とオアシスの中で一番安い土地を買いました。羊の乳を搾って売る生活を始めました。生活が安定しだした頃に、P子の家に行きました。まさにその時荷物をまとめて引っ越そうとする直前のP子に会うことができました。アラジンは「結婚してください」と言えずに、「ごめんなさい」と小さな声で呟きながら、指輪を遠慮気に見せました。P子は悲しみのカーテンから朝日がこぼれたように笑って、指輪を受け取りました。「あなたが変わったって噂を聞いて、誰か素敵な人と家庭を築いてしまったのかと思った」アラジンはその言葉に胸を痛めました。「もうどこにも行かない」羊を育てながら、生活をして、ささやかなパンを食べてスープを飲みました。バザールや街中を二人でしばしば散歩しました。曲芸に腹を抱えて笑いました。たまに行く安い飲み屋で射的などのゲームに興じました。二人の間に女の子が生まれました。この世にいるどんな娘よりも無邪気で明るい娘です。王室では王女が政務をとり、王女のハーレムに三人の婿がいるそうです。




