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第4話 聖者来訪

 ハルディ砦に帰還して三ヶ月が過ぎていた。

 この間、ラーズは怪物や黒い霧の正体を確かめるべく、何度もガラトの地へ赴いた。

 王都を覆っていた黒い霧は、消えるどころかゆっくりと勢力を拡大し続けている。非常に強い毒性があり、呑まれたが最後、そこは二度と人が立ち入ることができない死の大地と化してしまうだろう。

 さらに、霧の中には無数の怪物どもが生息していることも判明した。

 怪物は人語を話さず、人間を見かけると容赦なく襲い掛かってくることから、こちらと友好関係を築く気がないのは明白だった。

 今のところ怪物どもが攻め入ってくる気配はないが、その脅威がいずれ帝国領にまで及ぶであろうことは疑いようもなかった。


 当然、この危機的状況は帝国上層部にも伝えてあった。

 持ち帰った怪物の死骸を見た砦の司令官が、顔を真っ青にして本国へ援軍要請の書簡をしたためたほどである。

 だが、今のところ本国からはなんの反応もない。

 そもそも、仮に援軍がきたとして、あの黒い霧をどうにかできなければ、いたずらに犠牲者を増やすだけの結果になりかねなかった。


 なので、ここ最近のラーズはガラト人の伝承についての調査に力を入れていた。

 というのも、これまでに逃れてきたガラト人の多くが『魔王』の存在を口にしていたからだ。黒い霧が伝承に出てくる魔王の仕業だと言うなら、過去にその脅威を退けているということになる。なんらかの対策方法が伝承の中にあるのではと考えたのである。


「ふぅ……」


 ラーズは書物から顔を上げて、目元を軽く揉んだ。

 読んでいたのは、三度目の調査に赴いた際に出会ったガラト人の老人から提供された書物で、ガラトの民に広く伝わる『光の勇者伝説』について書かれたものだった。

 かなり古い書物ゆえに判読にかなり手間取ったが、内容そのものはさほど複雑ではなかった。


 ――光の勇者伝説。

 今より五百年前。ガラトの地に空より悪魔の王が現れた。悪魔の王は闇の力を操り、次々と異形の怪物を生み出し、その圧倒的な力と恐怖によって人々を蹂躙していった。ガラトの地は闇に覆われ、おぞましい怪物が跋扈する死の大地となった。

 多くの者が悪魔の王を討伐せんと戦いを挑んだ。

 だが、生きて帰ってきた者は誰ひとりとしていなかった。

 絶望のなか、ひとりの勇者が現れる。

 闇を払うことのできる『光の力』を持った勇者は、数々の試練を乗り越え、激しい戦いの末に悪魔の王を打ち倒し、ガラトの地に再び光を取り戻したのであった――


「悪魔の王に光の勇者、か……」


 いかにも作り物めいた英雄譚。

 とはいえ、ただの作り話が伝承にはならないだろう。そこに散りばめられている情報は無視できないものばかりであった。

 おそらく『悪魔の王』というのが、ガラト人の言う『魔王』で間違いないだろう。闇の力というのも、あの黒い霧と符合しているように思える。

 この伝承が事実に基づいていると仮定すると、勇者が持っていた『光の力』とやらがあれば、魔王の脅威に対抗できるということになる。


 問題は、今の時代に『光の勇者』に該当する者が存在するかどうかだ。

 もし『光の力』が血統によって受け継がれるのだとしたら、勇者の血を引く末裔がいれば有力な対抗手段となりえるだろう。

 伝承では、魔王を倒した勇者は国王から領地と爵位を与えられ幸せに暮らした、となっていた。ならば、どこかに末裔がいたとしても不思議はない。


 ただ、書物を貸してくれた老人の話によると、勇者はその力を恐れた国王や重臣たちによって辺境の地に追いやられた挙句、暗殺者の手に掛かって非業の最期を遂げたとする説もあるのだという。

 ちなみに、武力で王位を簒奪したというガラトの王クルステン――最後の王となってしまったが――は、勇者一族の末裔を名乗っていたのだそうだ。

 それが真実かどうかは定かではないが、いずれにしろガラト王国が滅亡した今、勇者の血脈も途絶えてしまったと考えるべきだろう。


「結局、振り出しか……」


 ラーズがため息を吐いたのと扉をノックする音が聞こえたのは、ほぼ同時だった。


「入れ」


 そう促すと、従者のひとりが入室してきた。


「ラーズ様、司令官殿が至急広間に来るようにとの仰せです」


 このハルディ砦の司令官は、ハイマンという名の齢六十を越える騎士である。総督府から派遣されている数少ない騎士のひとりだが、現地民を見下すような態度をとらないので、民からの評判は悪くない。ラーズにとっても割と話の通じる上官であった。


「司令の執務室ではなく広間なのだな?」


「はい。広間にて客人の相手をしておられます」


「客人? 誰だ?」


 辺境の砦に客人がやってくるなど滅多にあることではない。年に何度か総督府から役人がやってくる程度である。


「なにやら帝都からいらした方々とかで、私も詳しくは……」


「わかった。すぐに向かおう」


 ひょっとしたら、ようやく援軍の目途が立ったのかもしれない。そんな淡い期待を胸に、ラーズは自室を出て広間に向かった。




 従者の言っていたとおり、広間には司令官のハイマンの他に、客人と思しき三人の人物がいた。そのうちの一人が会議用の大テーブルを挟んでハイマンと話しており、残りの二人は立ったまま後ろに控えている。

 ラーズは素早く三人の人物を観察する。

 当然だが、知っている顔はなかった。


 ハイマンと話しているのは白い法衣を纏った若い女性だった。いや、女性というより少女というべきか。おそらくまだ十代だろう。それでいて歴戦の騎士であるハイマンを前に臆する様子もなく、堂々と相対している。所作からもどことなく気品が感じられることから、それなりに身分の高い者なのかもしれない。


 その少女のすぐ後ろに控えているのも女性だった。かなりの長身で、年齢もラーズとそう変わらないだろう。こちらは法衣ではなく甲冑を身に着けている。立ち姿に隙がないことから、相当な修練を積んだ戦士であることがわかる。


 最後のひとりは、かなり怪しげな風体をしていた。

 濃紺のローブを身に纏い、人前にもかかわらずフードを目深に被って顔を隠しているのだ。ローブの袖からわずかに覗く肌は土気色で、猫背な姿勢も相まって、胡散臭さが尋常ではなかった。


 この三人組がどういう目的でハルディ砦にやってきたのか、まったく想像がつかない。若い女性がこんな辺境の地にやってくるくらいだから、なにかのっぴきならない事情があるのは間違いないだろう。


 ラーズは大テーブルに近寄り、ハイマンに話しかけた。


「司令、お呼びとのことですが……」


「おおラーズか、今ちょうどお前の話をしておったところだ」


 ハイマンはいかにも作り笑いといった笑顔を浮かべると、ラーズの肩に手を置いて、強引に客人の方に身体を向けさせた。


「紹介します。この者が先ほどお話した騎士ラーズです」


 対面の少女は、すっと椅子から立ち上がると、ラーズに向かって丁寧にお辞儀した。


「お初にお目にかかります。フィリスと申します」


 聞く者を安心させるような、優しく、澄んだ声だった。容姿も掛け値なく美しい。まるで絵画から抜け出してきたかのような品のある顔立ち。陶器のような白い肌とは対照的な黒髪は、邪魔にならないように頭の後ろに結い上げられている。その髪型のせいもあってか、まだ少女と呼べる年齢のはずなのに包み込むような母性が感じられる。手を差し伸べられたら迷わずその手を掴んで跪いてしまいそうな、そんな雰囲気があった。


「ラーズよ、こちらのフィリス殿はロセヌ神に仕える聖者殿だ。遥々帝都よりお見えになった」


 ハイマンの紹介を受けた少女が柔らかい笑みを浮かべた。


「ラーズ殿のご活躍は帝都にも届いております。こうしてお会いできたこと、とてもうれしく思います」


「……恐縮です」


 社交辞令と断じるには、少女の表情はあまりにも誠実さに満ちあふれていた。


(なるほど、ロセヌの聖者か……)


 ロセヌは光と秩序を司る神の名である。そのロセヌ神を奉じるロセヌ教団は、エレニール帝国内でも大きな影響力を持つ一大組織だ。

 そして聖者とは、ロセヌ神に仕える神官のなかでも教団に認められた者だけが名乗ることを許される特別な地位である。見れば、たしかに少女の法衣には聖者であることを示す印が刺繍されてあった。


 噂によれば、聖者は神に祈りを捧げることで、神の大いなる力の一部を振るうことができるとされている。その力は『聖霊術』と呼ばれ、邪悪を退け、傷ついた人を癒すこともできるのだという。

 ラーズは実際に『聖霊術』を見たことがないので、それが本当かどうかはわからない。ただ、この若さで聖者と認められたということは、目の前の少女がいかに優秀であるかを物語っていた。


「ハイマン殿、ラーズ殿にはわたくしから直接、此度の来訪の目的を説明させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」


 聖者フィリスの申し出に、ハイマンは「もちろんです」と恭しく答えた。

 フィリスはハイマンに礼を言うと、ラーズの方に向き直った。


「ラーズ殿、今回わたくしがこうしてこのハルディの地に参ったのは、ロセヌ神からお告げがあったからです」


「お告げ、ですか……?」


「半年ほど前のことです。わたくしが祈りを捧げていると、突然、頭の中にある光景が浮かんできたのです。それは東の地に現れた邪悪な存在によって、大地が次々と闇に覆われていくという、とても恐ろしいものでした」


 ラーズは目を見張った。半年前と言えば、ガラトの滅亡どころか、まだガラト人の襲撃が頻繁に起こっていた頃である。


「それ以来、わたくしは何度もロセヌに問いかけました。やがて訪れるその災厄から人々を守るためにはどうしたらいいのかと……。すると一月ほど前、ようやく新たな啓示が下ったのです。その内容は『東の地で生まれた赤子が、やがて世界を覆う闇を打ち払う光の勇者となるであろう』といったものでした」


「闇を打ち払う光の勇者……」


 まさしく書物に書かれていた伝承と同じだった。

 伝説の勇者が持っていた『光の力』は、血統ではなく神によって授けられたもの……。たしかにそう考えれば、今の世にあらたな勇者が誕生したとしてもおかしくはない。

 ラーズはようやく少女の来訪目的を理解した。


「つまり、聖者殿はその赤子を保護するためにこの地に来られたと?」


 少女は頷いた。


「ラーズ殿には、わたくしが神託の子を迎えにいく道中の護衛と道案内をお願いしたいのです。ハイマン殿からラーズ殿はとても優秀な騎士であり、ガラト領内の地理にも明るいと伺いました」


 ラーズは思わずハイマンを見た。敬愛すべき上司は、いかにもそれらしい厳かな顔をしていたが、決して目を合わせようとはしなかった。

 仕方なく、少女に目を向ける。


「……お話はわかりました。ただ、不敬を承知で申し上げるならば、ここより東の地は恐ろしい怪物どもが跋扈する魔境と成り果てております。とてもその赤子が無事でいるとは思えません」


「ラーズ!」


 ハイマンが慌てて声をあげるが、フィリスは「かまいません」とそれを制した。


「ラーズ殿のご懸念はもっともだと思います。ですが、わたくしには神託の子が今も無事でいることがはっきりとわかるのです」


「……どういうことでしょうか?」


「ロセヌの御力の成せる業です。啓示を受けた日から、わたくしは遠く離れた場所にいるはずの赤子の存在を感じ取ることができるのです」


 にわかには信じがたい話だったが、ラーズには少女が嘘を吐いているようには見えなかった。


「では、その赤子の居場所を教えてください。さすれば私がその赤子を連れてまいりましょう。なにも聖者殿自ら危険を冒して赴かれる必要はございますまい」


 ラーズの提案に、少女は申し訳なさそうに首を振った。


「残念ながら、神託の子がどこにいるのか、漠然とした位置がわかるだけで、具体的な居場所まではわからないのです……。ですが、近くまで行けばわかるはずです。それに、おそらくわたくし以外に神託の子を見分けられる者はいません。これは、わたくしが果たさねばならぬ使命なのです」


 少女の瞳が、ラーズの目を真っ直ぐに見据えた。


「ラーズ殿、突然このようなことをお願いして心苦しくはありますが、このオーソシア大陸で暮らす人々の未来のために、どうか力をお貸しいただけないでしょうか?」


 少女はそう言うと、深々と頭を下げた。


 ラーズはあらためて聖者フィリスを見る。

 不審な点は多々あったが、彼女の態度からは相手を謀ろうとする邪心は感じられない。あるのは使命を果たさんとする強い意思だけ。

 ラーズは元々、信心深いほうではない。神の存在を疑ってはいないが、神に自らの意思を委ねるような生き方には否定的だった。

 それでも、この少女の言葉なら信じてもいいと思えた。現状で黒い霧に対抗する術がない以上、彼女の言う『神託の子』が唯一の希望であることも否定できない。

 それに、どのみち拒否権がないことはわかっていた。

 少女は「お願い」と言ったが、ハイマンに呼び出された時点で、それが命令に変わるであろうことは疑いようもなかった。


「……わかりました。私でよければお力添えいたしましょう」


 ラーズの言葉に、少女が勢いよく顔を上げた。


「ほ、本当ですか? ありがとうございます!」


「ですが、ひとつだけ条件を出させていただいてもよろしいでしょうか?」


「条件……それはどういったものでしょうか?」


「指揮権を私にいただきたいのです。先ほども申し上げましたが、東の地は魔境です。無事に使命を果たすためには、たとえどのような立場の方であっても命令に従っていただく必要があります」


 フィリスは気を悪くした様子もなくあっさりと頷いた。


「最初からそのつもりでした。あなたの命令に従うと約束します」


「ご理解いただけて感謝します」


「いいえ、こちらこそ感謝します。ラーズ殿、これからよろしくお願いいたしますね」


 フィリスはぺこりとお辞儀をし、笑顔を浮かべた。その屈託のない表情は、聖者ではなく年相応の少女のものだとラーズは思った。



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