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第3話 闇の胎動

 ラーズは剣を鞘に納めると、大きく息を吐き出した。


「なんなんだ、この怪物は……」


 地面に横たわっている死骸に近づき、あらためてその身体を観察する。

 人の形をしているが、体毛は一切なく、肌は黒く染まり、流れている血も黒い。両手からは鋭く尖った爪が伸びている。足元に転がった頭部には無数の触手が生え、大きく裂けた口からは、かすかに瘴気が漏れ出ていた。周辺の草が枯れかけていることから、やはり相当な毒性があるようだ。

 もし王都を覆っている黒い霧がまったく同質のものだとしたら、中にいる住民が生きながらえている可能性はまずないだろう。ほんのわずか吸っただけだったが、ラーズにはそれが嫌でも理解できた。


「こいつが魔王……ってことはないよな?」


 同じように死骸を観察していたウォーレンが尋ねてきた。

 ラーズは首を振る。


「さすがに違うだろう。こんな簡単に倒せるなら伝説にはならないはずだ」


「……ってことは、他にもこんなバケモノがいるってことか?」


「その辺りはあの馬車に乗っている者から聞けるはずだ」


 ラーズはちょうどやってきた馬車に目を向けた。


「俺の馬は?」


 到着早々、御者台のオッシが辺りを見回した。


「ここだ」


 答えたのはイームクレンだった。死骸を検分している間に、散っていた馬を呼び集めておいてくれたのだ。

 オッシが愛馬と再会しているのを横目に、ラーズは剣を抜いて馬車に近づいた。


「降りてくるんだ」


 剣の切っ先で扉を叩く。

 しばらくすると扉が開き、中から人がおずおずと降りてきた。数は三人。恰幅の良い中年男と妻子と思しき女と子供。身なりからしてそれなりに高貴な身分だろう。三人ともすっかり怯えきっている。


「か、怪物は?」


 中年男が恐怖に顔を引きつらせながら尋ねてきた。


「我々が倒した」


「お、お前たちは何者だ?」


「我々はエレニールの騎士だ」


 この状況下で隠し立てする必要もないので、ラーズはあっさりと答えた。


「エレニール!? なぜ帝国の連中がここにいるんだ!?」


「ご自身の立場をわきまえられよ。今質問をする権利を持っているのは私であって、あなたではない。まずはこちらの質問に答えてもらおう」


 ラーズは剣の切っ先を向け、冷めた声で言った。

 少しでも逆らえば殺されるとでも思ったのか、男は首をかくかくと縦に振ると、必死になってラーズの質問に答え始めた。その姿は涙ぐましくもあり、滑稽でもあった。


 男はガラトの貴族だった。領地が正体不明の怪物の襲撃を受けたため、援軍を求めて王都に向かっている途中でさっきの怪物と遭遇し、襲われたのだという。


「はっ、物は言いようだな。ようは守るべき領民を見捨てて自分たちだけ逃げてきたってだけだろう。ずいぶんと立派なご領主様だな」


 ウォーレンが男に軽蔑の眼差しを向けながら言った。


「き、気付いた時にはもう街は壊滅してたんだ! あのまま屋敷いたら私も家族も殺されていた。だから仕方がなかったんだ!」


 もはや誰に対しての言い訳なのかもわからなかったが、男の抗弁は騎士たちになんら感銘を与えなかった。

 ラーズは無言で馬車に向かうと、「ま、待て!」という男の声を無視して中を覗き込んだ。中には絵画や装飾品、絹織物といった財宝が所狭しと積み上げられていた。


「民を救う時間はなくとも、財宝を積み込む時間はあったようだな」


「ぐっ……」


「まあいい。それよりも、あなたの領地を襲撃したという怪物はあれと同じか?」


 ラーズが地面に転がっている死骸を指さして問うと、貴族の男は何度も頷いた。


「正体について、なにか心当たりは?」


「わ、私が陛下より領地を賜って五年以上経つが、これまでにあのようなバケモノが現れたことなど一度もない。ただ……」


 貴族の男は何か思い当たったのか、急に口ごもった。


「ただ、なんだ?」


「……我らガラトの民に古くから伝わる伝承に、似たような特徴を持つ魔物が出てくるのだ。闇を操る魔王の眷属としてな……」


「また魔王かよ!」ウォーレンがうんざりしたように言った。


「魔王とはなんなのだ?」


 ラーズの問いに、男は引きつった顔で首を振った。


「わ、私もくわしくは知らんのだ。なにせ何百年も昔の古い伝承だからな。知りたいのなら王都の書物庫を調べるしかない」


「……」


 それが不可能なのは、つい先ほど見た王都の様子からして確定事項だった。


「そ、それよりも、お前たちは我々をどうするつもりだ? 人質にして身代金を要求するつもりか?」


 男の声は完全に震えていた。


「どうもしない。もう用は済んだ。後は好きにするといい」


 ラーズがそう答えると、男は露骨にほっとしたような顔になった。

 それを見たウォーレンが意地の悪い笑みを浮かべる。


「ひょっとして、王都に行くつもりか?」


「当然だ! 王都へ行き、陛下に上申して兵を出していただく。我が国の屈強な兵団をもってすれば、あんなバケモノの百や二百、物の数ではない!」


「やめとけやめとけ。行ったところで無駄だ」


「な、なんだと、どういうことだ?」


 怪訝な顔をする男に向かって、ウォーレンがせせら笑った。


「あんたらを助けたのがガラト人じゃなかったって時点で察しろって話さ。あのバケモノどもは、あんたの領地を襲うよりも先に王都を攻め滅ぼしちまったのさ。今行けば、めでたく国王陛下の後を追えるだろうぜ」


「う、嘘だッ!」


 男の蒼白になって叫んだ。


「嘘ではない」ラーズは冷たく言った。「あなた方の王都はすでに陥落した。あの丘を登れば、黒い霧に覆われた王都を見ることができる」


 男は血相を変えて丘の上に登り、真っ青な顔になって戻ってきた。


「ま、まさか……そんな……」男は膝をついて涙を流し始めた。「わ、我々はこれからどうすれば……」


 知るか、と突き放したくなる衝動をラーズは抑えた。いくら敵国の民とはいえ、少なくとも後ろで怯えきっている子供に罪はない。

 ラーズは男に向かって言った。


「――偉大なる皇帝陛下は、恭順を示す者には寛容であらせられる。我々の砦では保護を求める難民の受け入れはいつでも行っている。それはあなた方とて例外ではない」


「な、難民……?」


「強制はしない。我々も実際に貴国の王の亡骸を見たわけでない。当然、どこかに落ちのびている可能性だってあるだろう。あなたが最後まで忠儀をまっとうすると言うなら、それを止める理由はない」


 おそらくその可能性を考慮すらしていなかったのだろう。男は「あ」と小さく声をあげて下を向いた。が、葛藤はほんの一瞬だった。

 忠誠心を生存欲が上回ったのか、貴族の男は媚びるような笑みを浮かべて、ラーズに保護を求めてきた。


「けっこう。あなた方を難民として受け入れる。道中の安全は帝国騎士の名に懸けて我々が保証しよう」


 ラーズはそう宣言すると、オッシの方に向き直った。


「オッシ、怪物の死骸をあの馬車に積み込め。直接は触るな。馬車の中に絹織物がある。それに包んで運ぶんだ」


 それを聞いた貴族の男が慌てて声を上げた。


「ちょ、ちょっと待て! 私の馬車にあのバケモノの死骸を載せるつもりか!?」


「そのつもりだが?」


「我々はどうすればいいのだ!」


「立派な馬車だ。不要な荷を捨てれば、あなた方も十分に座れるだろう」


「か、怪物の死体と一緒にいろというのか?」


「嫌なら御者台に座ればいい」


 にべもない態度で答えるラーズ。その間にもオッシは勝手に馬車の中を漁り、美しい絹織物を持ち出していた。


「ま、待て! それは一番高価なやつだぞ!」


 騒ぐ男を無視して、オッシは怪物の死骸の回収に向かった。

 ラーズは馬上にいるイームクレンに声を掛けた。


「先行して安全を確認してくれ」


「わかった」


 イームクレンは馬首を巡らし、駆けていく。

 オッシとウォーレンがふたり掛かりで怪物の死骸を馬車に積み込んだのを確認すると、ラーズは愛馬に跨った。


「よし、ハルディ砦に帰還する!」


 いつのまにか空がどんよりとした雲に覆われつつあった。

 ラーズには、それがこれから起こる凶事を暗示しているように思えてならなかった。



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