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第2話 怪物

 正体不明の黒い霧の中に沈んだ王都……。その衝撃的な光景を目の当たりにしたラーズたちは、数分後には丘を下り、近くの森に身を潜めていた。

 王都の中から何かが現れたわけではなく、とにかくあの場に留まっていたくないという本能に突き動かされた結果である。

 どのみち、長旅で疲弊している馬を休ませる必要もあった。


「……それで、これからどうするつもりだ?」


 周囲を警戒していたウォーレンが振り返ってラーズに問いかけた。

 ラーズはすぐに答えられなかった。さすがに動揺していた。廃墟になっているかも、くらいは予想していたが、あの光景はさすがに想像の埒外だった。


 あの黒い霧はいったいなんなのか。

 自然発生したものでないとするなら、誰かの仕業ということになる。

 ガラト王国が独自に魔術の研究を行ない、それを行使したのだろうか。

 そうは思えなかった。あれほどの規模の霧を発生させるなど、魔術大国と呼ばれるパールハットン王国の魔術師でさえ不可能だろう。

 そもそも、あれはそういったものとは根本がまったく異なる現象に思えた。


(やはり、魔王なのか……)


 もはや馬鹿げていると笑い飛ばすことはできなかった。

 もし本当に魔王の仕業だとしたら、これで終わりということはないだろう。地理的に考えて次は帝国領が狙われる可能性が高い。

 だが、ただ「魔王の仕業かもしれません」と報告したところで、上がそれを信じてすぐに動いてくれるとは到底思えなかった。

 なにかこの状況をわかりやすく説明できる物的証拠を入手したいところだった。そして、それがあるとすれば、あの黒い霧に覆われた王都の中、ということになる。


「おい、まさかあの中に入るとか言い出さないよな?」


 ウォーレンが先回りするように言った。


「王都がどうなっているのか、この目で確認するのが我々の任務だ」


「馬鹿言うな! あの黒い霧を見ただろう! どう考えたって普通じゃねぇ!」


「もし生存者がいれば情報が得られる可能性がある」


「いるわけねーだろ! いればここに来る途中でとっくに出会ってる!」


「だが、それ以外に何が起きたのかを知る術がない」


「それで隊が全滅したら意味ないだろうが!」


「全員で入る必要はない。ひとりで行けば犠牲は最小で済む」


「ほう、名案だな。で、その哀れな子羊役は誰がやるんだ?」


 ウォーレンの目に危険な光が宿る。


「当然、俺だ」


 ラーズが即答すると、案の定ウォーレンは怒りを爆発させた。


「ふざけるな! 隊長自らとか馬鹿げてるにも程があんだろうが!」


「少しでも危険だと判断すればすぐに戻る。少なくともあの黒い霧が人体に害を及ぼすかどうかくらいはわかるはずだ」


「それじゃ等価交換にすらなってねーよ!」


「とにかく、もう少し近くで街の様子が見たい。入る入らないは別としてな」


 ラーズの発言を受けて、イームクレンとオッシが黙って出立の準備を始める。

 そんなふたりを見てウォーレンは苛立たしげに舌打ちすると、鋭い目つきでラーズを睨んだ。


「言っておくが王都に入るのは俺だ。ラーズ、お前じゃない」


 ラーズが何か言い返そうと口を開きかけたとき、イームクレンが鋭く片手をあげて一同を制した。


「どしたの?」


 問いかけるオッシに、イームクレンは人差し指を唇にあてて黙るよう促した。そして、目を閉じて周囲の気配を窺う。

 イームクレンの感覚が人より優れていることを、この場の全員がよく知っていた。実際に窮地を救われたことも一度や二度ではない。


「……馬車が走っている音……それほど遠くない」


「いくぞ!」


 ラーズはすぐさま馬に飛び乗った。


 イームクレンの先導で音がする方へと向かう。

 森を抜けたところで、一台の豪奢な馬車が装飾過多の見た目に相応しくない速度で疾走しているのが見えた。

 いや、暴走している、という表現の方がより正確か。車輪が何かにぶつかる度に大きく揺れて今にも横転しそうなのに、一向に速度を落とす気配がない。

 ラーズは不審に思い、視線を馬車の後方へ移した。


「……なんだ、あれは?」


 蜥蜴のように四つん這いになった何者かが、ありえない速度で馬車の後を追っていた。姿形こそ人の体をなしているが、肌の色は暗灰色で、頭部には頭髪の代わりに植物の蔦のような触手が蠢いている。あのような生物を、ラーズは見たことがなかった。


「おい、どうする!?」


 ウォーレンの問いかけに、ラーズは即答した。


「助けるぞ。ガラト人の生き残りの可能性がある。それに状況から見て、あの化け物が黒い霧と無関係ということはありえないだろう」


「お前ならそう言うだろうと思ったよ!」


 ウォーレンは舌打ちした。


「もしかしたら、あの馬車にはガラト王国のお姫様が乗ってたりするかもよ」


 オッシが軽い調子で言った。

 たしかに馬車の扉にはガラト王国の紋章が描かれていた。


「馬鹿が。夢を見すぎだ」


「夢くらい見たっていいじゃない」


「永遠に覚めない悪夢でも見てやがれ」


「おしゃべりはそこまでだ。行くぞ!」


 ラーズは号令と同時に馬の腹を蹴った。他の三人もすぐさま後に続く。


 騎士隊は馬車と並走しながら、少しずつ距離を詰めていく。

 馬車を引く馬は恐慌状態に陥っていた。それもそのはずで、御者台の上には本来いるべきはずの御者の姿がなかった。


「オッシ、御者台に飛び移って馬を落ち着かせろ」


 ラーズの命令に、オッシは「簡単に言ってくれるなぁ」と天を仰いだが、すぐに速度を上げて馬車に近寄っていく。

 怪物がそれに反応した。阻止せんとばかりにオッシの背後に迫る。

 それを見たイームクレンが、背中の矢筒から矢を取り出して弓につがえた。疾走する馬上でも弓を引く姿勢が乱れることは一切ない。

 放たれた矢が弧を描き、オッシに襲い掛かろうとしていた怪物の背中に突き刺さった。怪物の身体がビクンと跳ね、そのまま勢いよく地面を転がって後ろへ流れていく。

 その間にオッシは高い運動能力を見せ、御者台に飛び移ることに成功していた。素早く手綱を握り「どうどう!」と声を上げて馬を宥めにかかるが、狂乱状態の馬はそう簡単には落ち着いてくれなさそうだった。


「まだ追ってくるぞ!」


 イームクレンが鋭く叫んだ。

 その言葉通り、体勢を立て直した怪物が、背中に矢が突き刺さったまま馬車へ向かって爆走を再開していた。

 ラーズは馬を駆って馬車と怪物の間に割って入る。素早く馬から降り、怪物の標的にならないよう「いけッ!」と尻を叩いて愛馬をこの場から離れさせた。


「まさか異国の地でバケモノ退治をさせられるとはな」


 同様に馬から降りたウォーレンがうんざりしたように言った。


「おかげで街に入らずに済みそうだ。あれの死体を持ち帰れば良い証拠になる」


 ラーズがそう言うと、ウォーレンは露骨に顔をしかめた。


「俺はお前のそういうところが嫌いだよ。だいたい、そういう台詞はあのバケモノを倒してから言ってくれ」


「ならそうしよう」


 ラーズは前に進み出て剣を構えた。

 怪物は止まることなく、そのままの勢いで飛び掛かってきた。

 ラーズは突き出された怪物の腕を躱し、すれ違いざまに剣を振るう。

 たしかな手応えがあった。

 脇腹を深々と切り裂かれた怪物が地面をのたうちまわる。

 ラーズが止めを刺そうと近づくと、それを待っていたかのように怪物の大きく裂けた口から黒い瘴気が吐き出された。


「うッ――!」


 ラーズは咄嗟に顔を背けたが、間に合わなかった。

 直後にすさまじい吐き気に襲われ、とても立っていられずに蹲った。ほんの少量を吸っただけだったが、まるで炎を吸い込んだかのように肺が熱い。


「死ねやァ!」


 代わりにウォーレンが攻撃を仕掛けるも、怪物は蛙のように四つん這いのまま大きく後ろに跳び退ってそれを躱した。


「ラーズ、大丈夫か!」


「だ、大丈夫だ……。それよりも、あの瘴気は絶対に吸うな」


 ラーズは懸命に吐き気をこらえながら言った。

 怪物が立ち上がって、じりじりと迫ってくる。驚いたことに、脇腹の傷口がぼこぼこと泡を立てながら徐々に塞がりつつあった。


「バケモノめッ!」


 ウォーレンが叫びながら斬りかかる。瘴気を浴びぬよう足を止めずに二度、三度と剣を振るい、怪物の身体に傷を負わせた。

 が、その傷も瞬く間に塞がってしまう。


「ウォーレン、下がれッ!」


 今度はラーズが前に出て、怪物の胸に剣を突き立てた。

 人間であれば確実に心臓を貫かれているはずだ。しかし怪物は平然と腕を伸ばして掴もうとしてきた。

 ラーズは素早く後ろに跳んで、それを躱した。全身から汗が噴き出している。捕まったら最後、瘴気をまともに浴びる羽目になるだろう。


「不死身か、こいつは……」


 隣でウォーレンが呆然と呟く。

 そのとき、馬上のイームクレンが放った矢が怪物の側頭部に突き刺さった。

 これは効いたようで、怪物はぐらぐらとよろめいた。


 それを見たラーズとウォーレンは頷き合うと、一気に攻勢に出た。

 左右から立て続けに剣を叩き込む。

 斬られても再生するからか、怪物は防御に関してはおざなりだった。

 だが、頭部への攻撃にだけは過剰に反応した。

 それが何を意味するのかは明白だった。

 ふたりの騎士は頭を狙うと見せかけて執拗に足を狙った。そのフェイントに怪物は面白いように引っ掛かった。

 執拗な足への攻撃で動きが鈍ったところへ、背後から疾走してきたイームクレンが駆け抜けざまに長剣を一閃させた。

 刎ねられた怪物の首が宙を舞い、ラーズの目の前に転がった。

 ラーズはすぐさま剣を突き立てる。すると、未練たらしく動いていた触手の動きが止まり、残った怪物の胴体も崩れ落ちたのだった。



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