第19話 選択
すでに日は沈み、夜の闇が森を覆っていた。
ラーズの指示で、周辺の警戒のためこの場を離れているイームクレン以外の全員が馬車の傍に集められた。
神託の子や村の子供たちは全員無事だった。あれだけの数の怪物に襲撃されて犠牲者が出なかったのは奇跡に等しいだろう。
幸い、負傷したアイラとオッシも、フィリスの聖霊術による治療で事なきを得た。
ただ、治療を行った当人が気力を使い果たしてしまったようで、今はアイラの膝の上で泥のように眠っている。
ラーズは集まった一同を見回した。
皆、疲れ果てており、表情も暗い。
馬を失った――この事実がなにを意味するか、子供でも理解できるだろう。状況は最悪の一言に尽きた。
「で、これからどうするよ?」
沈黙を破ったのはウォーレンだった。
「俺たちは馬を失った。奴らご丁寧に一頭残らず殺しやがった。この状況でどうやってボタモイ平原まで行くってんだ?」
愛馬を殺されたからか、ウォーレンの口調には抑えきれぬ怒りが滲んでいる。
「北の山脈を越えるか、このまま森を抜けるかの二択しかないだろう」
ウォーレンとは対照的に、ラーズは感情のこもらない声で答えた。動揺はしていたが、指揮官がそれを表に出すわけにはいかなかった。
「なんの準備もなしに山越えなんてできるわけがねぇだろ。ましてやガキどもを連れてなんざ無謀を通り越してただの自殺行為だ」
ウォーレンの発言に置き去りにされるとでも思ったのか、子供たちが怯えたように身を寄せ合った。
「なら、このまま森を進むか?」
「そいつはもっとありえねぇ。怪物どもが俺たちを狙っているのはさっきのではっきりした。徒歩で森を進むなんざ襲ってくれと言っているようなもんだ。だいたい黒い霧だって迫ってるんだぞ!」
「でもさ、黒い霧はフィリスお嬢さんの聖霊術があるならなんとかなるんじゃない?」
オッシの意見は、すぐさまアイラによって却下された。
「聖霊術はとてつもない集中力と気力を要するのだ。そう気軽に何度も使えるようなものではない。一体二体の怪物ならまだしも、黒い霧をすべて浄化するなど不可能だ」
アイラの膝で眠っているフィリスの姿を見て、誰もが納得した。
責任感の塊のような少女がこの状況で眠りこけているのだ。よほどの無理をしたことは想像に難くない。
この少女の性格ならば、今の状況に責任を感じ、己の命を捨ててでも皆を無事に帰還させようとするだろう。彼女を無事に連れ帰らねばならないラーズとしては、そんな無茶をさせるわけにはいかなかった。
だが、他に具体的な方策はなにも思いつかない。完全な八方ふさがりだった。
重苦しい沈黙が、再び場を支配する。
「……ええっと、ひとつよろしいですかね?」
トーキルが座ったまま遠慮がちに手を上げた。
「なにか案があるのか?」
「ええまぁ。他のに比べて幾分かマシ、といった程度のものですが」
「聞かせてくれ」
トーキルは頷いて立ち上がると、背後にそびえ立つ山を指し示した。
「あのニカール山にはドワーフ王国の廃墟があって、私は以前そこを訪れたことがある、という話を先日したことは憶えてます?」
「ああ」
「ラーズ殿は実際にドワーフ王国の廃墟をご覧になったことはありますか?」
「いや、ない」
「他の方は?」
誰も首を縦には振らなかった。
その反応にトーキルは満足したように頷く。
「おい、さっさと要件だけを言いやがれ」
ウォーレンが苛立ちを隠そうともせずに凄む。
「まぁまぁ。もったいぶるのは魔術師の性なのでご容赦ください」
そう言うと、トーキルは本当にもったいぶるように咳ばらいをひとつした。
「……ドワーフ族の王国は皆さんが想像するような地上に城があって周りに街がある、といった形態ではありません。彼らは山にとんでもなく長大な隧道を掘って、その中に街をつくって暮らしていました」
「とんでもなくってどのくらい?」
興味津々といった様子でオッシが尋ねる。
「山の端から端までに決まってるじゃないですか。ニカール山には東西を貫く巨大な隧道があるんですよ。言ってる意味、わかりますよね?」
「……つまり、その隧道を通って西に抜けると?」
ラーズがそう答えると、トーキルは「ご明察」と出来の良い生徒を褒めるように手を叩いた。そして視線を山の中腹へと向ける。
「ちょうどいい具合に、この近くに隧道に繋がっている抜け道があります。以前、師匠と赴いた際に見つけたものです。少々山登りをしなければなりませんが、山を越えるよりはマシでしょう」
「だが、怪物どもはどうするんだ? 間違いなく追ってくるぞ」とウォーレンが口を挟んだ。
「私が魔術で出入口を塞ぎます。そうすれば簡単には追ってこられないでしょう。一旦隧道の中に入ってしまえばフーガーに捕捉される心配もなくなるはずです」
「中はどんな感じなの?」とオッシ。
「隧道そのものですよ。途中に無数の枝道がありますが、基本は一本道です。まず迷うことはありません。道も平坦ですし、山を迂回するよりも遥かに楽なはずです。うまくすれば黒い霧が来る前に西側に抜けられるはずです」
ラーズは素早く頭の中で地図を広げる。ニカール山の西側に出られれば、ボタモイ平原はそこから南下すればすぐである。怪物どもに追い付かれるよりも先にハイマンの部隊と合流できる可能性は十分にあった。
「そんな良いルートがあるならもっと早く言えよ!」
ウォーレンが憤ると、オッシも「そうだそうだ」と同調した。
「いやぁ、そうおっしゃりたくなる気持ちはよくわかるんですが……そうそう都合の良い事ばかりでもないんですよねぇ……」
トーキルは困り顔で事情を説明しだした。
……今から二十年近く前、トーキルが師と共にニカール山を訪れたのは、たまたま訪ねたガラトの村でドワーフ王国の廃墟の噂を聞いたからだった。ドワーフ王国の廃墟など滅多にお目に掛かれない貴重な遺跡である。
トーキルと師は意気揚々と現地に向かった。
ところが、そこは多くの悪霊が棲みつく悪夢のような場所だった。
原因はすぐに判明した。
大隧道の中に『魔素の吹き溜まり』が発生していたのだ。
魔術の源となる魔素は、大地から発生すると言われている。
通常発生する魔素は微量で、本来であれば自然と大気に溶け込んでいくのだが、ごく稀に異常な量の魔素が発生し、大気に溶け込めずに堆積してしまう場所が存在する。それが魔素の吹き溜まりである。
濃い魔素は周囲の環境や生物に影響を与える。
特に霊魂などの超自然的な存在は魔素の影響を受けやすく、吹き溜まりに吸い寄せられた霊魂が悪霊と化して人間を襲うといった事件は世界各地で発生していた。
本来、魔素の吹き溜まりは正しい気の流れを作り、長い時間を掛けて自然消滅させるのが適切な処理方法なのだが、山奥の隧道という場所がよくなかった。
隧道内に発生していた魔素の吹き溜まりは、長年放置され続けた結果、トーキルの師でさえ見たことがないほどの規模に成長してしまっていたのである。
このままではまずいと、トーキルの師は魔素の吹き溜まりを半ば強引に封印した。
だが、魔術による封印は未来永劫続くようなものではない。言ってしまえば、一時凌ぎの処置に過ぎなかったのである。
「――というわけでですね、師匠が封印処置した魔素の吹き溜まりが今現在どうなっているのか、行ってみなければわからないんですよね」
「つまり下手をすると悪霊がうじゃうじゃいるかもしれないってこと?」
「まぁそういうことです」
「それじゃこのまま森を進むのとたいして変わらないじゃん」
オッシはお手上げだとばかりに天を仰いだ。
「だから他のに比べて幾分かマシ程度だって言ったでしょう」
「封印が解けている可能性はどれくらいだ?」
ラーズが問うと、トーキルは少し考えてから答えた。
「半々ってところですかね。師匠は『五十年はいける』って自信満々に言ってましたが、私の見立てではもってその半分くらいだと思います」
「なぜそのまま放置したんだ?」
「いやいや、あの封印処置だって慈善事業みたいなものですからね。村に戻ってから役人に報告するようちゃんと村の人には伝えましたし、その先のことにまで責任を持てというのは無茶な話でしょう」
「もし封印が解けてても、また封印し直せばいいんじゃないの?」とオッシが指摘する。
「簡単に言ってくれますねぇ。残念ながら私ひとりでは不可能です」
「そのトーキルの師匠って、今はどうしてるのさ?」
「さぁ、派手に喧嘩別れして以来まったく連絡を取ってませんので、今はどこでなにをしているのやら……」
オッシは「あれま」と肩をすくめた。
そのとき、見張りに出ていたイームクレンが切羽詰まった表情で戻ってきた。
「急いでここを離れた方がいい。南の森が騒がしくなってきた」
もはや悩んでいる時間はなかった。
「ラーズ、どうする?」
ウォーレンのその問いかけは、どの選択肢を選ぶかではなく、決断を促すためのものだった。
ラーズは全員の顔を見回して告げた。
「隧道を通って西に抜ける」




