第12話 襲撃
翌日、フィリスが指し示す方角に向かって森を進んでいたところ、昼頃になって土を踏み固めてできた細い道を発見した。
馬車が通ったと思しき轍の跡があるのを見て、イームクレンが振り返って言った。
「どうやらこの先で間違いなさそうだ」
「集落にはガラト兵がいるかもしれん、全員警戒を怠るな」
ラーズは騎士たちにそう指示を出すと、自身はフィリスと馬を並べる形で進む。
しばらくしてフィリスが不安そうに呟いた。
「神託の子のご両親が協力的であればよいのですが……」
ラーズはあえて反応しなかった。
たしかにもっともな懸念ではある。ロセヌ神への信仰が薄い異国の地では聖者の威光などないに等しい。ましてや敵国の兵を引き連れているとなれば間違いなく警戒されるだろう。それ以前に「子供を渡せ」と言われて「はいどうぞ」と差し出す親などいるはずがない。
ただ、そのあたりの交渉について、ラーズは口を出すつもりはなかった。
任務はあくまでも聖者フィリスの護衛である。むしろこの少女がどうやって説得するのか興味をそそられてすらいた。
やがて森を抜けて峠道に出る。馬を励ましながら峠を登っていくと、遥か前方に緑に囲まれた集落が見えてきた。
「ようやくたどり着いたな」
ウォーレンは言いながら愛馬の首筋を労わるように撫でる。
そのとき、イームクレンが「待て!」と鋭い声をあげた。
ラーズもすぐに気付いた。
集落にある家のひとつから煙が吹き上がっていた。時間的に昼餉時ではあるが、昼食の支度にしては煙の勢いが尋常ではない。
「なんか様子がおかしくない?」と小首を傾げるオッシ。
「行くぞ!」
ラーズは迷わず馬に拍車を入れ、一気に峠を駆け下りる。
他の騎士たちもすぐに後を追う。
「もし怪物どもがいたら乱戦になる。村に突入する前に馬を降りろ!」
ラーズの指示に騎士たちが「おう!」と応じた。
村に近づくと異変が起きていることがはっきりとわかった。
空気があきらかに淀んでいた。一度吸ったことがあるラーズは、これが怪物がまき散らす瘴気だとすぐにわかった。
素早く馬から降り、剣を引き抜いて村の入口をくぐる。
入ってすぐの家から激しく火の手が上がっていた。おそらく昼食の準備で火を使っていたところを襲われたのだろう。
襲撃を受けてからどのくらいの時間が経ったのかはわからないが、悲鳴がまったく聞こえてこないことが状況の悪さを物語っていた。
ラーズは周囲を警戒しながら、村の中心部に向かう。
広場へ出ると、片隅に何かが乱雑に積み上げられてあった。
「まさか……」
悪い予感は的中した。
村人と思しき死体が、折り重なるように打ち捨てられていたのである。
そのとき、少し離れた家の玄関から、のそりとメッサーが現れた。
いつもの四つん這いではなく両足で直立し、脇には人間の死体を抱えている。ラーズたちに気付くと威嚇するように奇声を発し、まるでゴミでも扱うように死体を地面に放り出した。
「な、なんてことを……」
フィリスの表情がみるみる怒りに染まっていく。
「このような蛮行、神は決してお許しになりません!」
叫ぶと同時に、フィリスは怪物に向かって走り出していた。
「おい、待て!」「お嬢様!」
制止の声も聞かず、フィリスは怪物の前に身を躍らせる。両腕で掴みかかろうとしてくる怪物に臆することなく、勢いよく拳を前に突き出し、短く叫んだ。
「気弾!」
次の瞬間、怪物の頭部が地面に叩きつけられた果実のように弾け飛ぶ。残った身体はぴくぴくと痙攣した後、どさりと崩れ落ちた。
「……おい、今のはなんだ?」
ウォーレンは呆気に取られた顔でラーズに尋ねた。
「おそらく、あれが聖霊術だろう」
聖霊術には人を癒す術だけでなく、邪悪を祓う術もあるという。噂には聞いていたが、怪物の頭を一撃で吹き飛ばすほどの威力だとはラーズも思っていなかった。
「お嬢様、ひとりで先走らないようにといつも申し上げているでしょう! このままではいつか私の心臓が止まってしまいます!」
慌ててフィリスのもとに駆け寄ったアイラが、泣きそうな顔で懇願する。
どうやらフィリスがこういった行動をとるのは珍しいことではないようだった。
ラーズは少女の意外な一面に驚きつつも、努めて冷静に声を掛けた。
「フィリス殿、神託の子の気配は?」
その一言で冷静さを取り戻したのか、フィリスははっとして周囲の気配を探り始める。そしてすぐに村の奥を指さした。
「向こうから感じます!」
「ならば急ぎましょう」
ところが、先ほどの騒動を聞きつけたのか、あちこちの家屋から次々とメッサーが姿を現した。その数はざっと十体ほど。口から瘴気をまき散らしながらにじり寄ってくる。
ラーズはフィリスを庇うように前に出た。
「ここは我々にお任せを。あなたは早く神託の子のもとへ」
「わかりました。騎士のみなさんに神の加護があらんことを」
「さ、お嬢様、こちらへ!」
先行するアイラにフィリスが続く。その後ろをトーキルが「走るのかぁ」とぼやきながら追っていった。
「おい、あいつらだけで行かせていいのか? 俺ら一応、あの娘の護衛だろう」
ウォーレンが横からラーズに声を掛けた。
「状況が状況だ、やむを得ん」
「まぁ、あの聖者殿に護衛は不要か」
「さっきのやつ、すごかったもんね」とオッシが興奮気味に言う。
「……とはいえ、さすがに完全放置というわけにもいかないか」
ラーズはそう思い直し、イームクレンを見た。
「頼めるか?」
イームクレンは頷くと、弓を手にその場から離れていった。
「よし。騎士たちよ、狩りの時間だ! 存分に暴れろ!」
ラーズの号令に、オッシが「ひゃっほう!」と歓声をあげた。
一方、村の奥へと続く道を走るフィリスは、周囲の凄惨な光景に愕然としていた。
いたるところに血まみれとなった村人の死体がある。必死に抵抗したのだろう。ほとんどの者が鍬や棒切れなどを手にしたままだった。
あまりの痛ましさに心が締め付けられる。
(これが、今この地で起きている脅威……)
フィリスはこれまでも聖者として、アイラと共に邪悪な気に憑りつかれた人や獣を幾度となく祓ってきた。
しかし、ここで起きている出来事は、それらとは根本が異なる気がした。
今も得体の知れない邪悪な意思がこの地に蔓延っているのを肌で感じる。いずれその脅威は大陸全土に広がり、すべてを飲み込んでしまうだろう。
そうさせないためにも、神託の子は必ず保護しなければならない。
フィリスは走る足に力を込める。
だしぬけに、近くの家からメッサーが飛び出してきた。
フィリスの心臓を狙って、鋭く伸びた爪を突き出してくる。
「痴れ者がッ!」
一瞬で距離を詰めたアイラが容赦なく怪物の顔面を盾で殴った。
耳障りな悲鳴を発しながらたたらを踏む怪物。が、さして効いた様子はなく、すぐさま標的をアイラに変えて掴みかかってくる。
アイラはその手を盾で弾くと、がら空きの胴体を剣で斬り裂いた。ところが、斬られたそばから傷口が泡を立てて塞がっていく。
「そういえば、頭を潰す必要があるんだったな」
手足を斬り飛ばして動きを封じ、頭を潰す……騎士たちが見せた戦い方は、まさしく理に適っていると言えた。
アイラはそれを忠実に実行した。
口から吐き出される瘴気を盾で防ぎ、すれ違いざまに足を斬る。倒れたところへ、剣を頭部に突き立てて止めを刺した。
「お嬢様、お怪我は――」
アイラが言い終えるより先に、隣の家から別のメッサーが飛び出てきた。
が、直後に飛来した矢が怪物の頭に突き刺さり、襲撃を未遂に終わらせた。
矢が飛んできた方へ目を向けると、離れた家の屋根に、弓を構えた騎士イームクレンの姿があった。
「あの男……まさか、あの距離から……?」
驚くアイラに向かって、イームクレンはさっさと行けとばかりに顎をしゃくった。
「急ぎましょう!」
フィリスは力強く言うと、村の奥に向かって再び走り出した。