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第11話 旅路

 二日目も暮れようとする頃、一行の前方に、夕日で頂きを真紅に染めらあげられた高嶺が姿を現した。北の山岳地帯で最も標高が高いニカール山である。

 このニカール山を含むグラシス山脈は東西に多くの山を連ね、エレニール、ガラトの両国にまたがっている。

 ラーズの隊はこれまでに何度もガラト領内を訪れていたが、ニカール山の麓に近づくのは初めてだった。


「ニカール山……懐かしいですねぇ」


 トーキルが山の中腹あたりを眺めながらしみじみと言った。


「え、ニカール山に行ったことあるの?」


 馬を並べていたオッシが驚いて魔術師を見た。


「以前、一度だけ訪れたことがあるんです。師匠に連れられてね」


「師匠って魔術の師匠?」


「そうですよ」


「けど、なんでまたニカール山に? なんかあったっけ?」


「ニカール山には大昔にドワーフ族の王国があったんですよ。もっとも、今はただの廃墟ですがね。師匠がちょっとした調査依頼を受けて、それで私も一緒に付いていったんです。もうかれこれ二十年近くも昔の話ですが」


 ドワーフ族とは土と穴倉をこよなく愛する亜人種である。

 身長は人間の腰くらいまでしかないが、頑強で手先が器用な種族で、特に鍛冶や石工を得意としており、彼らの作り出す武具や工芸品は人間が作ったものよりも質が良いと言われている。


 ドワーフ族以外にも、オーソシア大陸には様々な亜人種が存在している。

 代表的なのはエルフ族だろう。

 エルフ族は森の妖精とも呼ばれ、美しい容姿と異様に長い耳を持つという特徴がある。人間よりも遥かに長命であり、千年を越える時を生きる者さえいるのだという。

 他にも、腕の代わりに翼を持ち、大空を自由に飛び回るハーピー族。上半身は人でありながら山羊の角と脚を持ったサテュロス族など、多種多様な種族がいる。

 もっとも、そのほとんどは長い歴史の中で数を減らし、現在ではわずかな部族が大陸西部の山林に集落を作ってひっそりと暮らしているのみである。

 なので、ラーズは実際に亜人種を見たことは一度もない。

 かつてニカール山にドワーフ族の王国があったことは知っていたが、現在はトーキルの言う通りただの廃墟と化しているらしく、滅多に人が足を踏み入れないことから、危険な獣の巣窟と化しているなどという噂もあった。


「ドワーフ王国の廃墟かぁ」


 そう呟くオッシの顔には抑えきれぬ好奇心が漏れ出ていた。


「私が行ったときには見つけられませんでしたが、廃墟のどこかにドワーフ族の財宝が隠されているなんて噂もありましたね」


「へぇ! そいつは夢があるね」


「言っておくが、寄り道している時間はないぞ」


 ラーズは先回りするように会話に割り込んだ。


「いやだなぁ隊長、そんなこと言われなくてもわかってるって」


 そう言いつつも、オッシの表情はどこか残念そうだった。




 そして翌朝。一行は予定通りニカール山の麓の森までやってきた。

 滅多に人が訪れない森は、まさに自然の要害であった。びっしりと生い茂った木々が、立ち入ることを拒むように激しく葉を鳴らしている。


「……本当にこの森の中を進むんですか?」


 不安そうに問いかけてくるトーキルに、ラーズは頷き返した。


「ここはまだ怪物どもの勢力圏外だ。平地を行くよりは安全だろう」


「こんな森に入ろうだなんて、エルフ族くらいしか思いつきませんよ。下手をすると怪物に襲われる以前に、道に迷って野垂れ死にするんじゃないですか?」


「大丈夫大丈夫、うちには優秀な斥候がいるから」


 軽い調子で言うオッシの視線は、イームクレンへと注がれていた。

 イームクレンは常に冷静沈着で、優れた状況判断能力を持っていることから、ラーズはこういう場面では常に彼に先導を任せていた。

 当の本人は、先ほどから森の入口を舐めるように観察している。しばらくすると、巧みに手綱を操って森の中へ入って行った。


「行くぞ」


 ラーズの号令で他の者も後に続いた。


 森の中は伸びた枝が重なり合って頭上を覆っているせいで薄暗く、かなり視界が悪かった。少しでも気を抜けば、あっという間に迷ってしまうだろう。

 イームクレンは周囲の不安などどこ吹く風とばかりに、かすかに残る踏み分け道の痕跡を的確に見つけ出していった。


 不気味な静けさに包まれる森を、一列になって進む。

 聞こえてくるのは木々の葉が擦れ合う音と、蹄が地面を踏む音だけ。

 いくら怪物どもの勢力圏外とはいえ、いつ奴らが木の陰から飛び出してくるかわからない。その緊張感が、一行から容赦なく気力と体力を奪っていく。

 いっそのこと襲ってきてくれた方がマシだ、とはウォーレンの言である。


 結局、怪物どもは影すら見せず、一行は適度に休息を挟みつつ、かなりのハイペースで森を進み続けた。

 途中、トーキルがバランスを崩して落馬するといった事故はあったが、下に落ち葉が敷き詰められていたおかげで怪我はなかった。

 それ以外は特にトラブルと呼べるような出来事は起こらず、そろそろ日が沈もうかというところで夜営することになった。


 さすがに三日目ともなると、初日のようなぎこちなさはもうなかった。

 よどみなく夜営の準備を終えると、先に見張りについたイームクレン以外は各人が自由に身体を休める。

 ラーズとウォーレンは近くの岩に背を預けて、葡萄酒入りの水袋にちまちまと口をつけていた。


 ラーズが何気なく聖者一行が休んでいる方に目を向けると、ちょうどアイラが薪に火を点けようとしているところだった。

 そこへトーキルとオッシが背後から忍び足で近づいていく。

 集中しているのか、それとも気にしていないのか、アイラは作業を続けている。

 すると、おもむろにトーキルが薪に向かって手をかざし、聞いたことのない短い言葉を発した。

 直後に彼の手の平から火の玉が飛び出て、枯れ木に燃え移った。

 それを見たオッシが「おおっ!」と感動の声をあげる。

 が、その声はたちまち「ええっ!?」という困惑と驚愕に取って代わった。

 薪に燃え移った火がそのまま勢いを増し、火柱となって焚火の上にあった鍋を中身ごと吹き飛ばしてしまったのである。

 しかも鍋は、あろうことか聖者フィリスのすぐ傍に落下した。

 ガランと派手な音を立てて転がる鍋。

 フィリスは「きゃっ」と悲鳴をあげて身を竦めた。

 案の定、それを見たアイラが烈火のごとく怒り狂った。


「貴様、なにをするか!」


「いや失敬失敬、どうやら火力調整を誤ったようです。どうも弱火は苦手でして」


 トーキルは悪びれた様子もなく後頭部を掻いた。


「そうじゃない! お嬢様に当たったらどうするつもりだ!」


「それはもちろん誠心誠意謝罪します」


 そのズレた返答に、オッシが腹を抱えて笑う。


「何がおかしい! 貴様も同罪だ、そこに直れ!」


「なんで俺まで!?」


「どうせ貴様が魔術を見たいとでも言ってせがんだのだろう!」


「おお、さすがは聖騎士殿、見事なご慧眼!」


 トーキルが称賛するように手を叩いた。

 オッシは最後まで抵抗する素振りを見せたが、有無を言わさぬアイラの迫力に圧倒され、結局はトーキルと並んで説教を受ける羽目になっていた。


「――まったく、下らんことに魔術を使いおって! おかげで貴重な食糧が一食分無駄になったではないか。貴様らは飯抜きだからな!」


「アイラ、そこまで怒らなくても……彼らも悪気があったわけではないでしょう」


 横からフィリスが取り成すも、アイラは聞く耳を持たなかった。


「悪気があろうがなかろうが関係ありません。こういう馬鹿どもは厳しく躾けないとつけ上がるだけです!」


「躾って、そんな犬や猫じゃないんですから」


「似たようなものです! 可愛げがあるぶんだけ犬猫の方がまだマシです」


「もう、そんなこと言って……」


 とはいえアイラの怒りはさほど長続きしないらしく、トーキルとオッシに新しい枯れ木を集めてくるよう命じると、自身は飛んでいった鍋を拾い、再び夕食の準備に取り掛かる。なんだかんだ人数分を用意しているあたり、根はお人好しなのだろう。

 その後も聖者一行はやいのやいのと言い合いながらも、くつろいだ様子で焚火を囲んでいた。


「……オッシのやつも相変わらずだな」


 一連の騒動を眺めていたウォーレンが呆れたように言った。

 オッシはごく自然に聖者一行の中に溶け込んでいた。

 この三日間、他の騎士たちが聖者一行に対して壁を作っているなか、彼だけは積極的に交流を図っていたのだから当然の光景ではあった。


「向こうは聖者に聖騎士、おまけに魔術師だ。そんな連中に囲まれれば、持ち前の好奇心が爆発してしまうのも無理ないだろう」


 擁護というにはおざなりすぎるラーズの言葉に、ウォーレンは苦笑した。


「ま、それがあいつの良いところでもあるか。良い具合に橋渡し役をしてくれてると思えば、あの軽薄さにも一定の敬意をもたなきゃならんかもな」


 ラーズは「そうだな」と同意した。

 オッシの人懐っこく好奇心旺盛な性格は昔から変わっていない。純粋で、どんなことにも興味を持ち、頭の回転が速く、物事への理解力も高い。

 それでいて人を見た目や人種で差別したりせず、誰に対しても分け隔てなく接する心の広さも持ち合わせている。それは敵対しているガラト人に対してさえ変わらない。

 オッシには間違いなく人を惹き付ける魅力があった。


「……おい、ラーズ」


 急にウォーレンが小声になった。

 顔を上げると、いつのまにかフィリスが近くまでやってきていた。

 慌てて立ち上がろうとするラーズに、フィリスは「そのままで」と言った。


「どうかされましたか?」


 ラーズは浮かしかけていた腰を落としながら尋ねた。


「あれだ、オッシの野郎が迷惑だって文句を言いにきたんじゃないのか」


 おどけた口調で言うウォーレンに、フィリスは慌てたように手を振って「違いますから」と否定した。


「オッシ殿にはとてもよくしていただいております。わたくしがここに参ったのは、お伝えしておくことがあるからです」


 そう言うと、フィリスはラーズの真向かいに座った。


「神託の子の気配がだいぶはっきりと感じられるようになりました。このまま行けば、明日には神託の子のもとにたどり着けると思います」


 それはラーズにとって、というより、人類にとっての吉報と言えた。


「ここまで無事にこられたのは、あなた方のおかげです。本当に感謝しております」


 フィリスが深々と頭を下げる。


「それが我々の任務ですから、礼を言われるようなことではありません」


 ラーズは素っ気なく応じた。


「もちろん、わかっております。ですが、今回の旅にあなた方を巻き込んだのはわたくしです。きっと騎士の方たちは、さぞお腹立ちだったことと思います。それでもあなた方はこうして力を貸してくださっている。そのことについて、あらためてお礼を申し上げたかったのです」


 すると、ウォーレンが意外そうな顔で言った。


「あんたら聖職者ってのは、こういうときは『すべて神の加護のおかげです』とか言って感謝の祈りを捧げるもんなんじゃないのか?」


「それは違います」


 思いのほか強い口調でフィリスは否定した。


「自身に都合の良いことが起こったとき、そのすべてが神の加護と考えることは信仰ではありません。今の状況は、ここにいる皆さんの尽力によりもたらされたもの。それに対して感謝をするのは当然のことです」


 よほど思いがけない言葉だったのか、ウォーレンが感心したように「へぇ」と呟き、ラーズに向かって肩をすくめてみせた。

 信仰云々について、ラーズに思うところは特になかった。ただ、真っすぐな心根を持ち、それを素直に表に出せる少女の態度には好感が持てた。


「フィリス殿、今夜はもう休まれた方がいい。行きよりも、神託の子を守りながらになる帰りの方が遥かに大変になるでしょうから」


 ラーズがそう促すと、ウォーレンも頷いた。


「だな。礼を言うのは無事に砦に帰ってからにしてくれ。もしこのまま無事に帰還できたら、そのときは俺もロセヌ神とやらに感謝の祈りでもなんでも捧げてやるさ」


 不敬ともとれるウォーレンの言葉にも、フィリスは特に気分を害した様子もなく、にこりと微笑んでから立ち上がった。


「あらためて、明日からもよろしくお願いします」


 聖者を名乗る少女は、くるりと身を翻して立ち去った。その向こうでは聖騎士アイラが無言でこちらに睨みを利かせていた。

 ウォーレンはからかうように酒入り水袋を掲げてから、ゆっくりと立ち上がった。


「さてと、俺はイームクレンと交代してくる」


「頼む」


 ひとり取り残されたラーズは、酒を一口含んでから岩に背を預けるのだった。



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