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グラナド侯爵家の日常

 天蓋付きのベッドの中で虚空を見つめる。

絹のシーツに指を滑らせるたびに、頭の奥が(うず)く。


 ──夢だった、はずなのに。フランス人形の消失、そして場違いな音楽……。


あれが現実だったとするなら、私はもうあの世界にはいない。


 ふと顔を向けると、小綺麗なメイド服に身を包んだ侍女が、

控えめに微笑んでいた。年はまだ若く、私とさほど変わらないようにも見える。

「……あなたは?」


「まあ、お忘れですか? エマですよ。お嬢様専属の侍女です」


 そう言って、彼女は水差しと洗顔布を差し出す。

その一連の動作は慣れたものだったが、微かな戸惑いがあった。


 この体は異世界の貴族令嬢──マリーネ・ド・グラナド。

名門グラナド侯爵家の一人娘だ。


 父は軍務を司る中央貴族であり、王国の防衛を担う要職にある。

かつて書き溜めたホラー小説の舞台に出てきそうな洋館とは違い、

この屋敷は落ち着いた石造りで、壁には古戦場を描いたタペストリーが飾られている。

まるで、異世界に“生きている”ことを改めて思い知らされるようだった。


 

 朝食の席には、すでに父と思われる人が座っていた。

背筋を伸ばし、銀のカップを傾ける姿はどこか軍人のような厳格さを漂わせている。

名はエルネスト・ド・グラナド侯爵。

年齢は五十代前半。口数は少ないが、国王からの信頼は厚い。


「おはようございます、父上」

(でいいのかな?)

 挨拶すると、彼は僅かに頷くだけだった。それでも彼なりの歓迎なのだろう。


「身体の調子はどうだ。……無理はするな」


「ええ、だいぶ楽になりました」


 父の言葉は素っ気なくも、どこか気遣いの滲むものだった。

それだけで胸の奥が少し温かくなる。前世では親とまともに話すことすらなかった。

その記憶がふとよぎり、胸が詰まる。


「……まあ、あの事故のあと、目覚めてくれてよかったわ」


 ふわりと香水の香りが漂った。

(高貴な香りだ。前世の安物香水とは偉い違いだな・・)


そこへ現れたのは、マリーネの母、レティシア侯爵夫人。

豊かな金髪を巻き上げた優雅な女性で、華やかな衣装がよく似合う。

だが、その瞳には、心底ホッとしたような安堵が浮かんでいた。


「お母様……」

(あれ?)


 口にした瞬間、自分でも驚いた。

まだ慣れない呼び名だったのに、自然と出た言葉。

レティシアは微笑み、マリーネの隣に腰掛ける。


「転倒の原因はまだ分かっていないの。侍女たちは昨日の夜、あなたの部屋で

物音がしたから心配になって見にいったそうよ」


「そうなんですね。ご心配おかけしてごめんなさい」


 そう答えると、父はカップを置き、私をじっと見つめた。


 侍女が朝食の支度を終え部屋に運ぶ。

ふっくら焼きあがったトースト、苺のジャム、バター、目玉焼き、ソーセージ、紅茶。

(前世で友人とたまにしか行かないホテルの食事だ)

 慣れない手つきでナイフとフォークを使う。


「まあ!マリーネ、ずいぶん雑な使い方ね。昨日まではあんなに上手に

フォークを扱ってたじゃないの?」

母のレティシアが素っ頓狂な声を上げた。


「ごめ・・あっ 失礼しました。気を付けます」


二人は顔を見合わせ驚いた表情を見せる。


「お前・・・・昨日から様子がどこかおかしいが

昨日あの時何か感じたりしなかったか?」


 一瞬ためらいながらも、視線を外さず頷く。


「ほんの少し。……でも、怖いものじゃないと思います」


彼の瞳が僅かに細められた。

戦場で鍛えられた目だ。


「そうか。……で少し提案なんだが魔術学院も少し休んだらどうだ

? 昨日倒れてから顔色が優れないように見えるぞ」


「お気遣いありがとうございます。それではお言葉に甘えて」


「そんなにかしこまらなくてもいいんだ。

ところで、婚約者のエドアルド王太子とはうまくいっているか?」


「あ、はい、療養後に魔術学院の四阿でお話を致します」


「そうか、それは良かった。とにかく失礼のないようにな」

 

 マリーネの記憶によれば、婚約者はエドアルド・セリオスという王家を継ぐ方とのこと。

 今回の婚約はいわゆる政略結婚である。


食卓に落ちた沈黙は、重いものではなかった。

 父のわずかに微笑む姿にほっとする。

 

 その日の午後、エマと共に屋敷の回廊を歩いた。

彼女の手に導かれ、かつて“私”が愛用していた日記帳や文具、

魔術の教本が並ぶ書斎を案内された。

 新しい生活。新しい自分。そして──過去に縛られた霊の記憶。


「……私、ちゃんとやっていけるのか・・」


 思わずこぼした呟きに、エマは立ち止まり苦笑していた。



「大丈夫です、お嬢様。マリーネ様はいつだって凛としていましたから。言葉遣いとか少し変わったように見えても……私は、いまのマリーネ様も好きですよ」


「ありがとう、エマ」

 これほど心に沁みるとは思わなかった。


 (でも言葉遣いはいわゆるお嬢様っぽい語尾にしないとな。)


 夜、再び“あの声”が耳元でささやいた。

『まだ……気づいていないのね。わたしのこと』


 冷たい風が首筋を撫でる。窓は閉じているはずなのに──。


  マリーネは思わず振り返る。だが、そこには誰もいなかった。

 霊はまだ、この世界にいる。

 マリーネが引き継いだ過去の記憶とともに。

 その謎を解かなければ、ここでの日々もまた──幻になってしまうのかもしれない。


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