幽恋な誘い
隔日で投稿予定
1話のみ少し長め
重そうな空の下、窓辺に冴えない顔を浮かべながらも確かな感触を得ていた。
ホラーオタクかつ投稿サイトの常連とはいえ、さすがに気が重いが。
よりによって、これまでで最も遠方かつ曰くつきの取材先だ。
今まさに都内から四国へ新幹線と在来線を乗り継ぎ、高知の山あいにあるという、
かつて栄えた古い洋館風屋敷まで向かっている。
新幹線のアナウンスが「まもなく静岡です」と告げたころ、
ふと横を見ると、編集の佐伯さんがリクライニング全開で熟睡していた。
私の名は綾瀬真夜。
佐伯さんとは高校時代に同じ文芸部だった関係で、
趣味で書いた私の原稿を辛抱強く読んでくれる数少ない先輩だった。
今でも関係が続いているのは奇跡かもしれない。
——起こすのも悪いし、暇なので、今回取材に至るまでを思い出したい——。
曇天の午後のある日のこと。
「綾瀬、ネタに困ってるんでしょ?」
向かいに座る女子アナボブ風の彼女が背筋をぴんとして話しかける。
都内は八王子にあるなんちゃらカフェ。
「まあ……新人賞の方、三つ連続で落ちたし……」
「言い方が暗いって。うん、でもさ、逆にいいチャンスがあるのよ」
来た。来た。
私も背筋がぴんと伸びる。
佐伯さんが鞄から取り出したのは、黄ばんだ手書きの地図。
地図の中央には、赤い丸印がついていた。
「これ、知り合いのライターが残したんだけど
……この空き家、ちょっとした都市伝説になってるの。見に行ってみない?」
「それ、どっかの怪談掲示板で見たことあるかも……」
とぼけて見せつつもこれは千載一遇のチャンスだと思った。
行かないという選択は既にない。
「ふふ、やっぱり。都市伝説マニアのアンテナは伊達じゃないわね」
佐伯さんは口に運んでいたティーカップを上品にソーサーに戻す。
会うのは久しぶりだけど。私より二つ年上だから29歳か。
改めて佐伯さんの顔を見る。
今風の女子アナ風のボブカット。
あの自然なストレート感は、きっと縮毛矯正の恩恵だ。
メイクは薄目。隠れ気味のピアス。もちろん爪までケアが行き届いている。
——なるほど。飾り気がないように見せて——だ。
きっと大学もいいところを出たのだろう。
そして卒業後は老舗出版社に就職して・・・。
まさに生まれながらの勝ち組だ。
私とは大差だ。大学時代はもやしラーメンが好物で恋人もいなかった。
就職もうまくいかず今はフリーター。
実家暮らしで、家族とは「おはよう」「ご飯いらない」だけのミニマル会話。
今日は地味な黒髪に寝ぐせを誤魔化すためのひっつめ髪だ。
スキンケアは軽くすまして服は無印とGUの合わせ技。
靴は履き慣れたパンプス。もちろんノーブランドで。
休みの日はホラー映画か都市伝説を漁っていて、それが唯一のライフワーク。
意地っぱり。おまけにたいてい損をするタイプ。
あと、百合というほどじゃないけど、
佐伯さんみたいな美人が横だとちょっとだけドキドキするのは内緒。
少し間を空けて佐伯さんが続ける。
「ちなみに、どのくらい知ってるの?」
「噂で聴いたことがあります。四国のどこかの県、たしか高知だったかな、
古い洋館で人形の幽霊がでるとか」
佐伯さんはどうやらそこまで私が知っていることを驚いてないらしい。
佐伯さんの話から洋館の歴史をまとめておくと
明治時代に高知の外国人宣教師が建てたもので、戦後しばらくは観光施設だった。
その後は管理されずに放置されて、今では立ち入り禁止の空き家扱い。
佐伯さんは右手の人差し指を立てた後そっと口に近づけ
ひそひそと話し始めた。
「屋根裏には血のついたフランス人形があって、
夜になると笑う声が聞こえる……そんな噂まで立っているとか」
そこまでは聞いたことがあるが
佐伯さんは独自取材で得た情報を話し始めた。
「10年前に解体業者が入ろうとしたけど、最初に入った人が失踪して…
角部屋で、血のついた人形が椅子に座ってたって話」
「フランス人形にその・・血がついてたっていうのは?」
「管理人さんの話ではフランス人形には
かつて心中した貴族夫妻の娘の霊が宿っているという噂よ」
一瞬背筋を冷たいものが流れた。
そうか、だから一旦空き家にするしかなかったのだ。
説明が必要なことはまだ山ほどあるけど。
恐る恐る、佐伯さんの顔を覗きながら
「で、そのフランス人形が撤去されたかどうか真相は分からない?と」
佐伯さんはあまり間をおかずに答えた。
「うん、そう。真相は闇の中」
テーブルの周りの気温が下がったような感覚になる。
佐伯さんの動じない態度を見ていると私よりも
肝が据わってそうだがまだあの洋館の恐ろしさを知らないだけかもしれない。
「ね、興味あるでしょ?フランス人形の話、前々から綾瀬書いてみたいって言ってたじゃない?
色々有益な情報が得られそうよ」
一旦そこで言葉を切り
「勿論交通費や宿泊代はこちら持ち。水入らずでお話しましょ」
なんかいつの間にか笑顔になってるんだけど・・・。
既に行く決心はしてるけど今の状況を頭で整理してみる。
ここ最近はいつもの空き家ネタばかりで新規性がないし、
かといってミステリーも応募レベルに達してない。
ここで勝負するのもアリかもしれない。
「まあ佐伯さんがそこまで言うなら・・・」
「じゃ、決まりね。ところでプライベートの方はどうなの?」
「はい?あっそうですね。相変わらずで都市伝説とかを漁ってますが」
佐伯さんは少し前傾姿勢で伺うような目を向けた。
「そうじゃなくってさ。いい人とかいないのかな~と思って」
すぐに話を切り替えられて面を食らう。
「なんというか、この通りですけど」
「はー、もったいないなあ。その黒縁メガネだって外せばけっこういけてるのに」
(まあこの人に喪女の気持ちなど分からないだろう)
その後は空気を察したのか軽い世間話をした後、
会計は佐伯さんがしてくれた。
——と、まあ打ち合わせはこんな感じだった——。
車内アナウンスも「まもなく岡山です」と聞こえてきた。
「佐伯さん、そろそろ乗り換えですよ」
「ふぁーい」
間の抜けた声が返ってきたその瞬間、佐伯さんの肩がちょっと触れた。
ラベンダーかな・・・、少し変な気分になってしまう・・
ああ、だめだ、だめだ・・
新大阪で特急に乗り換えて高知県へ。
その後太平洋が一望できる「御影岬」のホテルまで移動した。
結局、この日は疲れてしまったので一泊して明日の夕方に
曰くつきの館、「ベラローセ館」に赴くことになった。
「佐伯さん、やっぱり行くの夕方ですか?」
「真夜ちゃんやっぱり怖い? 夕方じゃないと雰囲気でないじゃーん」
確かにそれはその通りなんだけど。
霊感が多少ある私はいつもの取材より嫌な予感がしていた。
最も何か起こるとは想像もできなかったが。
翌日、安定の曇天、岬の潮は高く波しぶきを上げている。
午前中はホテル近くを散策し、いよいよ夕方向かうことになった。
つるバラの門から伸びた細い小道の向こうに鬱蒼と佇む洋館。
佐伯さんはスマホを取り出しどこかに電話をかけ始めた。
すると中から白髪の混じった初老の男性が出てきた。
背は低く顔にもしわが刻まれている。
案内人の尾崎さんだ。
建物は3階建てでシンメトリーな造り。
吹き抜けの応接間に通された。
尾崎さんに聞いてみる。
「あの、フランス人形の霊が出ると噂で聞いたのですが」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、いかにもじゃな、3階の左側奥の部屋じゃよ」
いよいよか。胸の高鳴りと同時に脈も速くなる。
佐伯さんは昨日の空元気はどこに行ったのか、既に青ざめていた。
「少し顔色が悪そうじゃのう。そこの椅子で少し休憩するのが良かろう」
尾崎さんのアドバイス通り少し休憩を取った。
辺りはまだ夕方だというのに室内は真っ暗だ。
佐伯さんはどうもまだ体調がすぐれないらしく
「真夜ちゃん申し訳ない。一人で行けるかな?」
「分かりました。その代わり何かおごってくださいね」
「ごめーん」
尾崎さんが付け加える。
「わしは大丈夫じゃよ」
(うん、だと思った)
結局二人でその部屋まで行くことになった。
深紅の重厚な絨毯が敷かれた階段をゆっくり上がっていく。
その度にミシッと音がする。天井の明かりは弱くチカチカと点滅していた。
やっと3階まで上がり左側の通路に折れる。
左側は窓だろうか。びっしりと水滴が見える。
奥の方は明かりが届かずさらに暗い。ゆっくり進みようやく
一番奥の部屋にたどり着いた。
角部屋だったからかありかろうじて室内を見渡せた。
重い空気。湿ったような冷気がひんやりと肌にまとわりつく。
右手には古びたピアノがひとつ。
部屋の正面には大きな鏡台があり、
そのかすれた金色の縁取りが闇の中で鈍く光を反射していた。
そして鏡台に備え付けられたテーブルの上。
ダークブルーのドレスを着せられたフランス人形だった。
青白い顔に描かれた瞳は、どこを見ているのか分からない
――が、こちらをじっと見ている気がする。
そして口元には、何かついていた。
乾いて、こびりついたような。まるで、笑っているかのような口元に。
髪の毛もところどころ乱れ、あたかも人間の髪のように見えた。
「え!!!!?」
背筋が粟立つのを感じた瞬間、
ドーン!と地響きのような音が聞こえた後
どこからか遊園地のメリーゴーランドのような音が聞こえてきた。
ん?幻聴?
タラ・ラララー、タラ・リララー、タラリラ・リー・ラッタッター
タラ・ラララー、タラ・リララー、タラリラ・リー・ラッタッター
不気味なほど軽快で、場違いな音楽。
意識が遠のいていくのと同時に何か体に吸い込まれていく。
案内人の尾崎さんの声も聞こえなかったが
「・・・・がなくなっておる・・」
と口の形だけ見ると言っているようだ。
◆
(ん?まだかすかにメリーゴーランドの音が・・・)
(ここはどこなの?)
「はっ、お、尾崎さん!」
「マリーネお嬢様、目をお覚ましになりましたか!?」
(マリーネ?)
目を開けるとメイド服を着た女中が見下ろす形で立っている。
あたりは見たことのない、きらびやかな内装。高級な調度品とカーテン。
自分の手を見れば、肌は透き通るように白く、指は細い。
「令嬢……?」
思わず声に出して、自分の声に驚く。
高くて、上品で、まるで誰か別人のようだった。
これは、夢?
いや、違う。
私、綾瀬真夜は——どこか異世界の“侯爵令嬢”に転生してしまったのだ。