交差する視線
黒猫のゆりかご の食堂には、夕食時の活気が満ちていた。
冒険を終えた者たちが、それぞれの席に座り、酒を酌み交わし、食事を楽しんでいる。
リジーはカウンターの端に座り、静かに湯気の立つスープを口に運んでいた。
目の前には、焼きたてのパンとサラダ、そして肉のグリル。
香ばしく焼き上げられた肉をナイフで切り、ひと口食べると、じわりと旨味が広がる。
ひと仕事終えた後の、ささやかな夕食。
それは彼女にとって、いつもの時間だった――少なくとも、アッシュが近づいてくるまでは。
「よぉ、隣、いいか?」
不意に掛けられた声に、リジーは顔を上げる。
そこにいたのは、「夜明けの盾」 のリーダー、アッシュ。
「……ええ、どうぞ」
彼女が軽く頷くと、アッシュは隣に腰を下ろした。
手にしたマグを軽く傾けながら、彼は興味深げにリジーを見た。
「今日の戦い、改めて見事だったよ」
「……そう?」
「特に、あの魔歌の効果。魔物を好きに操れるとはな。」
アッシュがそう言った瞬間――
「なんだ?リジーは精神支配ができる、ってことか?」
すぐ近くのテーブルにいた 「翼のチーム」 の剣士、ガイル が反応した。
酒を片手に、彼はリジーへと視線を向ける。
その目には、どこか警戒の色が滲んでいた。
「敵でも魔物でも支配して戦わせることができるのか?そりゃすげー、って思う反面、なんだか、ちょっと……怖い、な」
その一言に、食堂の空気が少しだけ変わった。
リジーはその視線に慣れていた。
今まで、何度も同じ反応をされてきた。
自分の魔歌が、「自分も操られてしまうのではないか」 と恐れられたこともある。
だが――
彼女はふっと小さく微笑んだ。
「……隠していたわけではないのだけど」
そう呟くと、リジーはリュートを背から外し、膝の上に乗せる。
そして、静かに弦を弾いた。
「《癒しの音》」
穏やかな旋律が、食堂の空気を包み込む。
微細な魔力が空間に広がり、そこにいる者たちの身体を優しく癒していく。
「……あ?」
ガイルが思わず自分の手を見る。
軽い打撲や擦り傷が、心なしか和らいでいくのを感じた。
それだけではない。
食堂にいた他の冒険者たちも、魔歌の効果を受けていた。
「な、なんだこれ……すげぇ、身体が軽くなった」
「まさか、こんな使い方もできるのか?」
リジーの魔歌に、恐れではなく、感嘆の声 が広がる。
ガイルもそれを見て、バツが悪そうに目を伏せた。
「……さっきの言い方は、悪かったな」
ぽつりと呟く。
リジーは、彼をじっと見た後――
「気にしてないわ」と言うように、ほんの少し微笑んだ。
アッシュは、そんなやり取りを見ながら静かに息をついた。
「……俺も悪かったな」
リジーが傷つくような言い方をしてしまったことに、彼は気づいていた。
だからこそ、一度、きちんと伝えなければならないことがある。
「リジー、お前の力を貸してほしい」
リジーはリュートの弦をなぞっていた指を止め、アッシュを見つめる。
「一度、俺たちとパーティーを組んで、ダンジョンに行ってみないか?」
その誘いに、二人の近くに座っていた冒険者の数人が軽くざわめく。
「……」
リジーはアッシュの顔を見つめたまま、言葉を選ぶように口を閉じた。
その返答がすぐに返ることはなかった。
「……少し、考えさせて」
静かにそう言うと、リジーは席を立った。
アッシュは、それ以上は何も言わなかった。
ただ、彼女が部屋へと戻る背中を見送るだけだった。
食堂には、いつもの喧騒が戻る。
しかし、その中で――
ガイルだけが、一人後悔したように酒を煽っていた。
「……あー、やっちまったな」
ロキが苦笑しながら、彼の隣に座る。
「お前、リジーに対してやらかしたって自覚はあるか?」
「うるせぇ」
ガイルはむすっとした顔でカップを置いた。
「……だが、正直、驚いたんだよ」
「何が?」
「敵を操るなんて、普通じゃ考えられねぇだろ。俺たちも、魔物と戦ってきた身だ。
だが、精神支配ってのはよ……」
ガイルは眉間に皺を寄せながら、リジーがいた席をちらりと見る。
だが、彼女の姿はもう、そこにはなかった。
そんな中、食堂の隅で静かに酒を飲む一人の男がいた。
フードを深く被り、その表情は見えない。
ただ、ゆっくりと酒を口に運びながら、先ほどのやり取りをじっと聞いていた。
――リジー・アークライト。
彼女の魔歌。
彼女の力。
そして、彼女が「戦い方」で向けられる視線。
男は、興味深げに微かに口元を持ち上げると、再び酒を飲んだ。
次回の9話は2025/2/26/19:00に予約投稿となってます。
宜しくお願いします。