黒猫のゆりかごの夜
リジーが宿屋「黒猫のゆりかご」に滞在し始めて数日が経った。
彼女は日中、ギルドで依頼を受けて軽い魔物退治や採取をソロでこなし、夜は酒場の片隅でリュートを奏でる――そんな日々を過ごしていた。
夜になると、冒険を終えた者たちが宿に集まり、店内は大いに賑わう。
肉が焼ける香ばしい匂い、酒の注がれる音、冒険者たちの笑い声。
「よっ、リジー! 今日も弾いてくれるのか?」
そう声をかけたのは、常連の冒険者チーム「翼のチーム」の剣士、ガイルだった。
軽口を叩きながら、いつもリジーを口説いてくる男だ。
「どうする? おれたちの武勇伝を歌にしてくれてもいいぜ?」
リジーは呆れたように肩をすくめ、軽く弦を弾く。
「では……聞かせてもらえますか?」
「おっ、それは嬉しいな! なあ、みんな! 俺たちの話をリジーに聞かせてやろうぜ!」
すると、隣に座っていた大剣使いのバロックが「またかよ」とため息をついた。
彼は筋骨隆々で見た目はいかついが、意外と冷静な男だ。
「昨日も同じ話してただろ……。あんまりしつこくすると、またリジーに無視されるぞ」
「ちっ、バロック、野暮なこと言うなよ!」
ガイルは肩をすくめながらも、リジーの正面に座ると得意げに語り始めた。
――巨大なオーガとの戦い。
――遺跡の探索。
――雪山での過酷な戦闘。
彼らの冒険譚は、時に勇ましく、時に滑稽なものもあった。
リジーは黙って話を聞きながら、時折、リュートの弦を優しく弾く。
店内の冒険者たちも、いつしか彼女の演奏に耳を傾け始めていた。
――これは、ただのBGMではない。
彼女の奏でる旋律には、不思議な力があった。
リジーの音楽を聞いていると、誰もが自然と心を開き、語りたくなる。なにより、そう__安らげるのだ。
「……でな、あの時は本当に死ぬかと思ったぜ」
ガイルが話を終えると、リジーは静かに微笑んだ。
「あなたたちの物語は、壮大ですね」
「だろ? だから、もっとすごい冒険をしたら、今度こそ歌にしてくれよ!」
ガイルが冗談めかして言うと、リジーは少しだけ考えるふりをした後、微笑んだ。
「……いいですよ。もし、心から歌いたくなるような冒険を見せてくれたら」
「おお、マジか! じゃあ、張り切らないとな!」
店内が笑いに包まれた。
その時だった。
「店主、 酒をもらえるか」
カウンターの奥で料理を作っていた店主が、面倒くさそうに顔を上げる。
「いま手が離せねぇんだよ」
「わかった。ならば取りに行こう」
その声の主は、隅の席で一人酒を飲んでいた冒険者だった。
男は立ち上がり、カウンターへと近づき、店主が置いた酒を手にする。リジーはふと、彼に視線を向けた。
男は、リジーと同じように一人でいることを好んでいるように見えた。
だが、彼女の演奏が始まってからというもの、ずっと黙って聞いていた。
カウンターに横並びになった男と目が合うと、男は少しだけ杯を掲げ、低い声で言った。
「……いい音だな」
「ありがとうございます」
「……お前、戦場でも弾くのか?」
「はい。リュートは、私の武器の一つでもありますから」
「なるほど……面白い」
それだけ言うと、男はまた静かに酒を飲み始めた。
リジーは少し考えた後、静かに弦を弾く。
次の曲は、静かに心に染み入る旋律だった。
店内の賑やかな雰囲気が、徐々に穏やかな空気に変わっていく。
冒険者たちは酒を飲みながら、各々の戦いを思い出しているようだった。
「黒猫のゆりかご」 の夜は、今日もこうして更けていく――。