今日も今日とてボコられる
「今日もまた、この地面と友達か…」
5歳になり、本格的な訓練が始まった俺は、摩耶と対峙していた。
摩耶は冷徹な目で俺を見つめ、微動だにしない。
彼女が相手となると、容赦などない。
俺もそれを理解しているから、全力で向かう。
「いくぞ!」
俺は全身に魔力を巡らせ、身体強化の限界まで力を高める。
視界が広がり、反射神経が研ぎ澄まされ、全てがゆっくりと動くように見える。
次の瞬間、俺は地を蹴り、ほとんど光速に近い速度で摩耶に向かって突進した。
しかし、摩耶は微笑み一つ浮かべず、淡々と俺を待ち構えているだけだ。
俺が右から一閃、木刀を振り下ろした瞬間、摩耶はわずかに身を捻り、その一撃を紙一重でかわす。
「っ、まだだ!」
今度は体の向きを変えて、左から逆手で斬り上げる。
さらに低い体勢から足元を狙い、次々と繰り出す連撃。
しかし、摩耶はまるで舞うように後ろに下がりながら、その全てを軽々と避けていく。
息を切らす俺に対して、彼女はまだ一度も息を乱していない。
「葵お坊ちゃま、力任せに振り回しても、ダメですよ。」
摩耶が言うと同時に、俺の視界から彼女が消えた。
次の瞬間、背後から圧倒的な気配が襲ってきた。
反射的に振り向きざまに木刀を構えるが、すでに遅い。摩耶の手刀が俺の腹に深く入ると同時に、全身に衝撃が走る。
「がっ…!」
強烈な一撃が俺を弾き飛ばし、地面に転がった。視界が揺れ、しばらくぼんやりとしてしまう。
「まだ立てるでしょう、葵お坊ちゃま。」
摩耶の冷たい声が響き、俺は気力を振り絞って立ち上がる。
腹の痛みをこらえ、もう一度魔力を限界まで高める。
今度は動きをしっかり見極めて、次の手に備えるんだ。
「はぁっ!」
再び突進しながら、摩耶の動きを注視する。
小さな仕草一つも見逃さず、次の一手を考える。
摩耶がわずかに足を動かすのを見た瞬間、俺は攻撃のタイミングを見計らって突きを放つ。
だが、その瞬間、摩耶の手が俺の腕を掴み、力強く捻られた。
そのままの勢いで俺の体は宙を舞い、再び地面に叩きつけられる。
気が付けば、俺はまた空を見上げていた。
「次は私が相手をいたします、葵様。」
沙耶が静かに一礼し、投擲用の短剣を手に取った。
彼女は身軽な身のこなしで距離を取り、静かに俺を見据える。
その目は冷静で鋭く、一切の甘さを許さない。
「防御訓練ですから、こちらも容赦いたしません。どうかお覚悟を。」
俺は再び魔力を体に巡らせ、集中力を最大限に高める。
沙耶が相手となると、回避と防御が全て。
彼女は高速で移動し、視覚だけでは捕らえられない精密な攻撃を仕掛けてくるからだ。
「では、参ります!」
その言葉と共に、沙耶の姿が一瞬で消える。
次の瞬間、右側から短剣が飛来するのが見えた。
俺は反射的に木刀で弾き返えそうとしたが、魔法で軌道を変えられた。
「っ、やっぱり速い…!」
かろうじて首を傾けてかわすが、別の方向からもう一本の短剣が放たれる。
空中を縫うように飛んでくるそれを、必死に体を捻って避けるが、間髪入れずに左側からも攻撃が飛んできた。
沙耶は俺の視界をかく乱するかのように、高速で周囲を駆け回り、次々と短剣やクナイを投げ込んでくる。
俺は必死に躱し木刀で弾くが、次々と飛んで来る短剣やクナイを捌ききれずに被弾していく。
沙耶が軽やかに跳躍し、空中で回転しながら三本同時にクナイを投げてくる。
俺は全身の感覚を研ぎ澄まし、一つ一つの軌道を瞬時に読み取り、体を反らせながら何とかかわした。
「まだまだです、葵様!」
地面に降りた沙耶は再び駆け回り、背後から低い角度でナイフを放ってくる。
その一撃を反射的に木刀で叩き落とそうとした瞬間、別の角度からも高速で飛んでくる攻撃に気づく。完全にタイミングをずらされ、俺は短剣が肩に当るのを避けきれず、衝撃で少し後退してしまった。
「ぐっ…、くそ、まだ…!」
沙耶は冷静に俺の動きを観察しながら、距離を詰めることなく淡々と攻撃を続けてくる。
その手際と動きに無駄は一切なく、俺の防御をどこまでも試し、追い詰めるように攻撃の手を緩めない。
視界がぼやけ、体が疲れを訴えてきたが、ここで諦めるわけにはいかない。
「葵様、そろそろ限界ですか?」
沙耶がわずかに微笑を浮かべた。
その挑発的な言葉に、俺は息を整えながら反撃のタイミングを模索する。
だが次の瞬間、彼女はさらにスピードを上げ、目の前に姿を現したかと思うと、一気に短剣を振り下ろしてくる。
「ぐっ…!」
辛うじて木刀で受け止めるが、衝撃で足が地面にめり込むほどの威力だ。
沙耶はその勢いを活かしてもう一度跳躍し、上空から連続して短剣を投げつけてくる。
俺は必死に防御と回避を繰り返しながら、最後には体力が尽き、地面に膝をついた。
息が上がり、体中に小さな傷が無数についていたが、それでも俺は立ち上がろうとする。
「ここまでですね。葵様。」
沙耶の冷静で毅然とした声が、俺の耳に響く。
「では、今日の最後の訓練は、私ね。」
刹那姉さまが微笑を浮かべ、腰に帯びた愛刀を静かに抜き放った。
その動作ひとつひとつが、美しくも恐ろしく、全身から溢れる威圧感が自然と周囲の空気を張り詰めさせる。
正直言って、この人だけは無理だ。
摩耶も沙耶も容赦なく俺を鍛えてくるが、刹那姉さまのそれは別格だ。
彼女の動きはまるで次元が違う。
立ち居振る舞いに一切の無駄がなく、鋭い気配だけで体が動きを拒絶しようとするほどの圧倒的な力を感じさせる。
「見ててね、葵。これが私の抜刀術。」
彼女は言葉を終えると、微かに身を沈め、無造作に剣を構えた。
だが、俺の目にはその姿勢がもう恐怖そのものだった。
次の瞬間、刹那姉さまの体が霞のように揺らめき、一瞬で姿が消える。
「っ…!?」
視界の端で何かが一閃したのは分かった。
だが、それが何なのか全く理解できない。
ほんの一瞬、風が肌をかすめ、鋭い音が耳を切り裂くように響いたと思った時、姉さまの姿は再び元の位置に戻っていた。
「どうかな?見えた?」
彼女はあどけない笑顔を浮かべながら俺に尋ねるが、正直何も分からなかった。
ただ、風が過ぎ去った感覚と、わずかに頬をかすめる冷たい感触が残っているだけだ。
「す、すごい…けど、正直何も見えなかったよ…」
「ふふ、まだ早かったかな。でもこれが『縮地』の応用技よ。瞬間的に間合いを詰め、一閃で敵を仕留める技術なの。相手に何もさせないうちに勝負を決めることができるのよ。」
俺はぼんやりと刹那姉さまの言葉を聞きながら、あの一瞬の速度を再び思い返す。
しかし、どう考えても常人には無理な動きだ。
彼女の天性の才能と、圧倒的な経験がなければ、到底できないものだろう。
「じゃあ、今度は少し速度を落として見せるから、よく見ててね。」
そう言いながら、彼女は再び剣を構えた。
息を呑むような緊張感が再び走り、全身の筋肉が硬直する。
「いくわよ、葵。」
刹那姉さまはほんの僅かに体を傾けたかと思うと、瞬間的に間合いを詰め、剣が空気を切り裂く音が耳元で響いた。
目で追うのに必死だったが、それでも動きの全てを捉えきれない。
それでも、かろうじて刃の軌跡が視界に残り、姉さまの体が一瞬で移動するその技術が僅かに理解できた。
「見えたかな?」
彼女が元の位置に戻り、俺に微笑みかける。
少しだけ、その動きの一端を見たことに興奮を覚えながら、俺は頷いた。
「うん…なんとか。でも、まだまだ全然…」
「大丈夫よ、葵。焦らなくていいの。この技はとても難しいけれど、いつか貴方も覚えることができるようになるわ。」
刹那姉さまの言葉には、優しさと確信が込められていた。
だが同時に理解させられる…
無理じゃね?
こうして日々の訓練が過ぎていくのであった。