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転生した世界の現実は甘くなかった  作者: 蓮華
第二章 分水嶺 

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初心者ダンジョン④

エンペラーボアと向き合い、改めてその威圧感に圧倒される。


「でかい……」


その巨体はまるで10トンダンプだ。

それも、殺意を溢れさせた鋼鉄の猛獣。


僕はどう攻撃すればいいか頭を巡らせたが、すぐに思考を振り切った。

そんなことを考えている時間はない。

この魔物相手に全力で挑まなければ、僕は死ぬ。それだけの確信があった。


深く息を吸い込み、全身に魔力を巡らせて身体を強化する。

刀を握り締めながら腰を落とし、視線をエンペラーボアに固定した。


巨体の魔物はじっとこちらを睨んでいる。

獲物を観察しているのか、あるいはただ悠然としているのか分からない。



僕は縮地を使って一気に距離を詰めた。

空間を駆け抜ける感覚の中で、刀を抜き放つ。

目標は首筋。

これなら仕留められる――そう信じて振り抜いた一撃だった。


「――抜刀術、一閃!」


鋭い刃がエンペラーボアの首に届く

。しかし……


「硬い……っ!」


刀はわずかに傷をつけただけだった。


斬られたことに気づいていないのか、エンペラーボアはただ首を横に振った。

その動きに僕の身体は簡単に弾き飛ばされ、背中から近くの木に叩きつけられた。


「ガハッ……!」


肺から空気が押し出され、呼吸が詰まる。

かろうじて意識を保っていたが、視界には巨体が突進してくる様子が映っている。

その速度は想像以上に速く、地面が揺れるほどの迫力だ。


「まずい……!」


咄嗟に腕を顔の前に構えた次の瞬間、エンペラーボアの牙が僕の身体を捉えた。


ドゴォッ!


ものすごい衝撃が走り、僕の身体は空中に打ち上げられた。

背中から地面に叩きつけられ、再び転がる。


全身が痛む。

体の中で何が壊れたのかすら分からない。

息もまともに吸えず、視界がぼやけていく。


「……まだ、終わらない……」


歯を食いしばり、震える身体に力を込めようとする。

だけど、エンペラーボアは余裕すら感じさせる動きでこちらに迫ってきていた――まるで、僕を完全に遊んでいるかのように。


母様たちはまだ動かない。

僕を信じて見守っているのだろうか。

それとも、僕の限界を見定めているのだろうか。


「……ここで終わるわけには……いかないんだ……」


僕は再び刀を握り締め、ゆっくりと立ち上がった。






少し離れた場所で、葵がエンペラーボアと必死に戦っている様子を、茜と摩耶、沙耶が見守っていた。


「よろしいのですか?茜様。」


戦闘を見つめながら、摩耶が茜に話しかける。

その声は冷静でありながらも、わずかに懸念が含まれている。


「何が?」


茜は視線を戦場から外さずに答えた。


「今の葵お坊ちゃまには荷が重いかと。」


摩耶の言葉に、茜はようやく目を動かし、じっと摩耶の顔を見つめた。


「あなたはそう思うのね……」


その言葉に摩耶が口を閉じると、茜は再び戦場へと目を戻し、淡々と語り始めた。


「私はそうは思わないは。本来のあの子なら、エンペラーボア程度、瞬殺とはいかなくても楽に倒せるはずなのよ。」


「……それは。」


摩耶が言葉を濁す。

茜が語る事実に、彼女自身も気づいていたからだ。


「あなたも気づいているんでしょう?あのスペックで、何故この程度の魔物を倒せないのかと。」


「…はい。」


茜は深く息をつくと、言葉を続けた。


「あの時、葵に何があったのかは分からないは。でも、あの子はあれ以来、戦うことを恐れている。全力を出せていないのがその証拠ね。」


茜の視線は、何度もエンペラーボアに跳ね飛ばされながらも立ち上がり、必死に立ち向かっていく葵の背中を追っていた。

葵の攻撃はエンペラーボアに軽い傷をつける程度で、決定的な一撃には届いていない。


「沙耶も覚えておきなさい。」


茜はふと、息を飲むようにして見守る沙耶に向かって言葉を投げた。


「今の葵には、探索者として致命的な弱点があるわ。それは――恐怖よ。」


「恐怖……ですか。」


沙耶は心配そうな顔で戦場を見つめる。


「ええ。命のやり取りを恐れている。探索者にとって、それは最も危険な感情なの。ごっこ遊びでは済まないのよ。」


茜の声は厳しかったが、その目はどこか哀しげだった。

彼女の心の中には、葵の過去の苦しみと、それをどうにかして乗り越えさせたいという思いが渦巻いていた。


その間も、葵の戦闘は続いている。

立ち上がり、斬りかかり、また跳ね飛ばされる。

それでも、彼は必死に戦い続けていた。

茜はそれをただ黙って見つめ続けた。


「葵……」


彼の姿は茜の目に、希望にも絶望にも見える。

そのどちらに転ぶかは、葵自身の手に委ねられているのだ――。






あれから、どれほどの時間が経ったのだろう。


僕の刃は、あの巨体にほんのかすり傷をつける程度で、魔法も決定打にはならなかった。

何度も立ち上がり、何度も跳ね飛ばされて、あの手この手で挑んだけれど、どれも通用しない。


母様も、摩耶も、沙耶も――誰も助けてくれない。


「見捨てられたのかな……」


心の中で呟きながら、僕は再び跳ね飛ばされた。

体中に痛みが走り、思考はどんどん鈍っていく。

それでも何とか木に背を預け、もたれかかるようにして座り込んだ。


ぼやけた視界の先、エンペラーボアがゆっくりとこちらに向かってくる。

その巨体が揺れるたび、地面がわずかに振動するのを感じる。


「あぁ……もっとみんなと一緒に過ごしたかったな……」


心の中で、これまでの日々を思い返す。

母様と一緒に笑った時間、摩耶や沙耶にからかわれた時間……。


「学校にも行ってみたかった。友達や仲間を作って、いろんなところに冒険してみたかった……」


頭の中で、叶わない願いがぽつりぽつりと浮かぶ。


「ごめんね、母様……」


ちらりと母様の方に視線を向けた瞬間――


ドゴォーン!


突然、ものすごい衝撃音が響いた。


視界がぐるぐると回り、体が宙を舞う感覚。

地面に叩きつけられ、そのまま何度も転がった僕は、ようやく地面に放り出された。


かろうじて意識はあったけれど、体中の痛みが酷く、ほとんど動けない。


「……もう……こっちに来ないでくれ……」


ぼやけた視界の中、こちらに向かってくるエンペラーボアの姿が映る。

まるで悪夢のような光景。


そんな中、僕は何気なく――本当に無意識のうちに――魔法を発動していた。


ズドォーン!


轟音が響き、強烈な振動が地面を伝ってきた。


頭がぼんやりとしながらも、僕は何が起こったのか分からなかった。

ただ、視界がさらにぼやけて、やがて意識が遠のいていく。


――どれくらい眠っていたのだろうか。


「はっ!」


突然目が覚めた僕は、反射的に周囲を見回した

。エンペラーボアはどうなったのだろう?


視界はまだぼんやりしていたけれど、近くに巨大な背中が見える。


「……あれは……エンペラーボア……?」


僕の思考が一瞬止まった。


再び視線を巡らせると、どうやらエンペラーボアは……落とし穴に頭から落ちていた。


巨大な体が穴にはまり込み、必死に動こうとしているのか、地面がわずかに揺れている。

その様子は滑稽に見えるはずなのに、僕はただ呆然とその光景を見つめることしかできなかった。


「……どうして……?」


自分が何をしたのか――それすらもよく分からない。

ただ、魔法を放った時、偶然にも地形が崩れたか、運良く罠のように作用したのだろうか。


僕はその場で息を整えながら、かろうじて動く体を起こそうとした。


――勝てた? 本当に……?


頭の中でその疑問が何度も繰り返される。

それでも、ほんの少しだけ安堵の感覚が心に広がっていた。


痛む身体を無理やり起こし、僕はエンペラーボアの方へ足を引きずりながら向かった。


目の前で巨大な体を震わせ、落とし穴から抜け出そうともがくエンペラーボア。

その姿を見つめながら、僕は刀を地面に突き刺して支えにし、震える手を前に出す。


残ったありったけの魔力を集めて水に変換した。


手をかざし、穴の中に向かって水を注ぎ込む。

大量の水が勢いよく流れ込み、落とし穴を一気に満たしていった。


ブギーブギー!


エンペラーボアは足をバタつかせ、巨大な体を激しく揺らして鳴き声を上げる。

その動きは次第に弱まり、もがく力も失われていった。


「……あと少し……!」


魔力を絞り出すように水を注ぎ続ける。

やがて、エンペラーボアの動きは完全に止まり、静寂が訪れた。


穴の中で静かになったエンペラーボアの巨体。

その姿を見て、僕はようやく魔法の発動をやめた。


「……やった……のか……?」


声に出した言葉は、自分自身に問いかけるようなものだった。


しかし、その瞬間、全身の力が抜けるように脱力した。

意識が朦朧とする。目の前の景色が揺れ、重力に引かれるように体が前に傾いた。


「……これで……終わり……」


そう呟いた瞬間、僕の視界は暗転し、意識が途切れた。





びちゃびちゃびちゃ……。

何かが顔にかかる感触で、意識が徐々に戻ってきた。

ゆっくりと目を開けると、目の前に母様の顔があった。


「あら、ようやく起きたのね、葵。」


母様は優しく微笑みながら、僕を見下ろしていた。

どうやら膝枕をされているらしい。


隣では摩耶が回復薬をかけてくれている。

冷たい液体が肌に染み込む感覚と、身体が少しずつ楽になっていく感覚が伝わってきた。


「……僕、あれからどうなりましたか?」


あまりに力の入らない声で、ようやくそれだけを尋ねる。


「エンペラーボアはどうなりましたか?」


母様は微笑みながら顔を横に向け、指差した。


「あそこよ。」


その指の先には、なんとも間抜けな姿のエンペラーボアがいた。

巨大な体を逆さまにして、頭から落とし穴にはまり込んでいる。


「あなたが倒したのよ、葵。よく頑張ったわね。」


母様はそう言いながら、僕の頭を優しく撫でてくれた。

その言葉と母様の温かい手のひらが、少しだけ僕の心に安堵をもたらした。


「やっぱり葵様はレアドロップなんですね!」


沙耶が興奮気味に声を上げる。


「そうかもしれないわね。」


母様は沙耶に答えながら、僕の髪を撫でる手を止めなかった。


「どういうことですか?」


僕は気になって尋ねた。

すると、摩耶が少しだけ嬉しそうに、詳しい説明をしてくれた。


「本来、このダンジョンのような下級ダンジョンでは、一匹の魔物が丸々ドロップすることはほとんどありません。上級ダンジョンでは珍しくない現象ですが、下級ダンジョンでは魔力濃度が薄いため、魔物の魔力体が形成を維持しにくいと言われています。したがって、ここでのドロップ自体が非常に珍しいのです。」


摩耶はそう言いながら、僕が倒したエンペラーボアをスムーズに収納していった。


「あれが全部入るんだ……」


呆然としながら、摩耶の行動を見ている僕の耳に、母様の声が届いた。


「もう少し休憩したら、最後のウルフを倒しに行きましょう。沙耶、葵のお守り(・・・)をお願いね。摩耶もいいかしら?」


「はい。」


「了解しました。」


二人の返事に母様は満足そうに頷き、にっこりと微笑んだ。

その笑顔には、少しの疲れと、寂しさがあった。


「さぁ、帰ったら飲むわよ!久しぶりのエンペラーボアなんだから!摩耶、帰ったら解体をお願いね。」


嬉しそうに声を弾ませる母様に、僕は少しだけ胸を撫で下ろした。



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