関東大刑場跡地首塚ダンジョン 肆
母様の指示のもと、俺たちは前方にそびえ立つ古びた鳥居をくぐった。
視界が開け、俺たちは小さな宿場町のような場所に辿り着いた。
町の中心にはいくつかの古びた建物が並び、道沿いには瓦屋根の家々がぽつぽつと見える。
その全体の景色は、まるで時代に取り残されたかのようだった。
人影は見えないが、どこからともなく聞こえる物音が、不穏さをさらに掻き立てる。
その光景を見ると、静流婆さんと母様の表情が一変した。
二人は眉をひそめ、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「母様、ここって…」
刹那姉様が何かを言おうと口を開いたが、言葉を飲み込んだようだった。
「えぇ…。葵には少しきついかもしれないわね。」
母様は低い声で答えた。
その言葉に、俺の胸がざわめく。
この先に何があるのか、知らない方がいいのではないかという思いと、どうしても知りたいという好奇心が交錯する。
静流婆さんが俺の肩に手を置き、真剣な眼差しで言った。
「若…ここから先は少々きついぞ。心を強く持ち、感情に振り回されるでない。」
その声には、これまで以上に重みがあった。
俺はごくりと唾を飲み込み、静流婆さんの視線を追うようにして目の前の宿場町を見つめた。
「この先に何があるのですか?」
俺は震える声で問いかけた。気になって仕方がなかった。
「略奪じゃ。」
静流婆さんの言葉は、短く、しかし鋭く突き刺さった。
静流婆さんは肩に置いた手の力を強め、真剣な眼差しのまま続けた。
「若も気づいておるかもしれんが、此処は昔の出来事を再現しておる。それが嘘か誠かかは分からん…じゃが、ここで起きた滅びの原因を、儂らに再び突きつけてきおる。」
言葉の意味を飲み込むにつれ、背筋に冷たいものが走った。
この宿場町が持つ異様な空気は、ただの廃れた場所というだけではなかったのだ。
「若、気を引き締めるんじゃ。この先、お主の覚悟が試されるぞ。」
静流婆さんの言葉に、俺はただ頷くことしかできなかった。
胸の中では恐怖と不安が渦巻いていたが、足を止めるわけにはいかなかった。
母様、姉様たち、そして静流婆さんの背中を追い、俺は宿場町へと足を踏み出した。
宿場町に近づいた瞬間、四方八方から火矢が飛び交い始めた。
矢は轟音と共に町の建物に突き刺さり、次々と炎が上がる。
瞬く間に宿場町は火の海と化し、激しい熱気と煙が立ち込めていった。
「これは…!」
俺は思わず足を止め、その惨状に目を見開いた。
だが、その光景はまだ始まりに過ぎなかった。
燃え盛る町から、住人の幽鬼たちが悲鳴を上げながら逃げ出してくる。
しかし、その背後にはさらに恐ろしい光景が待ち受けていた。
野党の幽鬼たちが追いかけ、逃げる男性の幽鬼を無情にも襲いかかる。
数体の幽鬼が一斉に武器を振り下ろし、めった刺しにした。
血のような黒い霧が舞い上がり、男性幽鬼は力なくその場に崩れ落ちた。
俺はその残虐な行為に言葉を失い、震えが止まらなかった。
それだけでは終わらない。
野党の幽鬼の一体が女性の幽鬼の髪を荒々しく掴み、そのまま引きずるように町の奥へと消えていった。
女性幽鬼の悲痛な叫びが耳に残り、胸の奥がひどく痛んだ。
「母様、これは一体…!」
俺は半ば絶叫するように母様を振り返った。
しかし、母様の表情は硬く、静かに前を見据えていた。
「これが略奪の再現よ。目を逸らしては駄目よ。」
その言葉には厳しさと覚悟が滲んでいた。
その時だった。
残っていた野党の幽鬼たちが俺たちの存在に気づいたのだ。
一瞬の静寂の後、鋭い咆哮を上げながら、奴らは一斉にこちらへ襲いかかってきた。
「来るわよ!」
母様が鋭く指示を飛ばすと、刹那姉様が刃を抜き放ち、前に出た。
「葵、後ろに下がりなさい!」
刹那姉様の力強い声が響くが、俺の足はその場に釘付けになっていた。
恐怖と怒り、そして何か得体の知れない感情が胸の中で渦巻いていたのだ。
「葵様!」
沙耶が俺を守るように立ちはだかり、武器を構える。
その瞬間、俺は震える手で護身刀を握り直した。
「逃げてばかりじゃいられない…俺だって…!」
自分に言い聞かせるように呟き、俺もまた、野党の幽鬼たちに向かって駆け出した。
「葵、待ちなさい!」
母様の制止の声が背後から聞こえたが、振り返る余裕などなかった。
野党幽鬼の一体がこちらに向けて獰猛な視線を送りながら、武器を構え直したのが見える。
俺はその懐に飛び込むように踏み込むと、全力で護身刀を振り抜いた。
ザッシュ――。
刃が肉を切り裂く、鈍い音が響いた。
しかし、振り抜いたはずの護身刀は幽鬼の腹半ばで止まっていた。
硬い…。
刃が深く入らない――それどころか、俺の手が痺れるほどの抵抗を感じた。
俺に斬られた野党幽鬼は、腹に刺さった刃を掴むと、凄まじい雄たけびを上げた。
その咆哮は耳を裂くようで、恐怖が体を貫く。
その瞬間、幽鬼は握りしめていた刀を振りかざし、俺に向けて容赦なく振り下ろしてきた。
目の前に迫る刃。
俺は、動けなかった。
体が硬直し、足元が地面に縫い付けられたかのようだった。
ただ、目の前に迫りくる一撃が、なぜかスローモーションのように見えた。
「あ…」
言葉にならない声が漏れる。
――俺はここで死ぬのか。
そう思った。
意識の中で刃がすぐそこまで迫り、逃れる術も、反撃する手段も浮かばなかった。
死の恐怖と後悔が一瞬にして押し寄せ、俺の中にすべてを覆い尽くす暗い絶望が広がった。
ザシュ――。
鈍く重い衝撃と共に、鋭い痛みが全身を貫いた。
野党幽鬼の刃が、俺の右肩から左の腹下まで深く斬り裂いていた。
その瞬間、全てがスローモーションになったように感じた。
「これで…俺の人生は…終わりなのか…」
意識の中で、その言葉がふと浮かぶ。
崩れ落ちるように膝をつきながら、視界がぼやけ始めるのを感じた。
――周りの全てが遅く見える。
母様の姿が目に入った。
必死にこちらへ駆け寄ってくるその表情には、計り知れないほどの焦りと恐怖が浮かんでいた。
「あぁ…ごめんなさい…」
声にはならなかった。
それでも、心の中で何度も呟いた。
ごめんなさい――
ごめんなさい――
ごめんなさい――
冷たい感覚がじわじわと体を蝕んでいく。
視界がますます暗くなり、母様の泣きそうな表情が滲むように消えていった。
「俺は…ここで…終わるんだ…」
その思いが、意識の最後を支配した。
暗闇が果てしなく続く。
底の見えない深い闇の中に、俺はゆっくりと沈み込んでいく感覚に囚われていた。
何も見えない。
何も感じない。
ただ、全てが終わり、全てを失い、ただ落ちていくだけの虚無。
結局、何もできなかった――あの時も。
誰も救えなかった。何も守れなかった。
自分を奮い立たせ、強くなったつもりだったのに、ただ同じ失敗を繰り返すだけだった。
胸に湧き上がるのは、際限のない自己嫌悪と後悔の波。
偉くなりたかったのは、人の役に立つためだった。
強くなりたかったのは、人を守るためだった。
それなのに――殺した。
「殺した…殺した……俺が殺した。」
声にならない呟きが、闇の中で反響する。
守るべきものも、愛するべきものも、全て自分の手で壊してしまった。
誰が?――俺が?
なぜ?――それが分からない。
「あぁ……そうだ、こんな風になるのが嫌で、賢くあろうとしたのに……」
心の奥底から何かが壊れていく音がした。
失敗の記憶、守れなかった思い、愛する人々の笑顔――全てが胸を締め付ける。
それらが再び目の前に浮かび上がり、俺を責め立てる。
「何故だ…なぜ救えなかった…なぜ守れなかった…?」
自分自身を責める言葉が、心の中で繰り返される。
その度に、闇の中で強烈な憎しみが渦巻き、俺自身を引き裂いていく。
「憎い……自分が憎い……」
自分の弱さが憎い。無力な自分が憎い。
この世界が、全てが、何もかもが憎い。
「いらない……何もいらない……」
気づけば、胸の中で抑えきれない感情が膨れ上がっていた。
その感情は怒りと憎しみの塊となり、俺の中で爆発しようとしていた。
「……もう全て滅んでしまえ。」
その言葉が口をついて出た瞬間、闇がさらに深まり、俺自身を飲み込んでいった。
感覚も思考も消えゆく中、ただ一つだけ確かなのは、俺の中に燃え上がる憎悪の炎だった。
気がつけば、辺り一面が真っ赤に染まっていた。
血の匂いが鼻を突き、温かさすら感じる赤黒い大地が、どこまでも広がっている。
足元に目を向けると、そこには倒れ伏した母様がいた。
その隣には、刹那姉様、千鶴姉様――沙耶、摩耶、雪菜、静流婆さん――みんな。
それぞれが無惨な姿で横たわり、もう二度と動かない。
「……死んでる……みんな……死んでる……」
震える声で呟く。
どうしてこうなった?何が起きた?
目の前の光景を否定したいのに、心の中で冷たい確信が広がる。
ふと、自分の手を見ると、それは真っ赤に染まり、まだ血が滴っていた。
血みどろの護身刀を握る自分の手――その刃先には見覚えのある者たちの血がこびりついている。
「あぁ……俺が……俺が……殺したのか……」
声が震え、喉が詰まりそうになる。
目の前の真実に耐えられず、震える膝を抱えて崩れ落ちる。
だが、次の瞬間、心の中に渦巻く感情が弾け飛んだ。
自分がやった――その確信が胸を締め付ける。
「フフフ……」
最初は静かな笑いだった。
だが、それは次第に膨れ上がり、抑えられないものとなった。
「ハハハ……ハァーハハハハハハ!」
笑い声が、血まみれの大地に虚しく響き渡る。
何かが壊れる音が、頭の奥で鳴り続けていた。
「なんだよ……なんだってんだよ……」
呟きながら、血の海の中に一人座り込む。
赤黒く染まった空は重く、何の慰めもなくただ俺を見下ろしているように思えた。
「みんな……いなくなったんだ……」
家族も、仲間も、守りたかった全てが、もうどこにもいない。
周囲を見渡すと、彼らの冷たい瞳が俺を責めるように見つめている気がした。
「俺が……こんなことを……」
両手の震えが止まらない。
自分が何をしてしまったのか、その重さに耐えきれず、吐き気が込み上げる。
「虚しい……何もかもが……虚しい……」
膝を抱えて頭を伏せる。
だが、頭の中ではあの時の光景が次々と蘇り、消えてはまた浮かび上がる。
刃を振り下ろした感触、血飛沫の温かさ、聞きたくないはずの断末魔――。
「もう……何もいらない……何もかも……滅んでしまえ……」
握りしめた護身刀の刃が、自分の胸元に向かって静かに動き始める。
この苦しみから逃れるには、それしかない。
この手が奪った命に報いるには、自分の命で償うしかない――そう思った、その時だった。
「……葵……」
微かな声が耳元に響いた。
目を閉じていた俺は、はっとして顔を上げる。
「誰だ……?」
静まり返る周囲の中、またその声が聞こえる。
「葵……」
同時に、どこからともなく不気味な音が耳に届く。
――ズリズリ……ズリズリ……。
何かが地面を這うような音。
背筋に冷たいものが走る。
恐る恐る周囲を見回した俺の目に飛び込んできたのは――。
「……母様……?姉様……?」
そこには、母様と姉様たちがいた。
だが、その姿は俺が知る温かい家族のものではなかった。
全員が血まみれで、傷だらけの身体を引きずりながら這い寄ってくる。
「どうして……?」
声にならない声が喉の奥から漏れる。
だが、彼女たちはまるで聞こえていないかのように、無表情のまま俺に手を伸ばしてくる。
「葵……」
その声は次第に大きく、重たく響き始めた。
「どうして……どうして……私たちを殺したの?」
母様が、血の滲んだ瞳で俺を見つめながらそう呟いた。
姉様たちも同じように、恨めしそうな目で俺を見つめる。
「待ってくれ……違う……俺は……!」
咄嗟に手を伸ばしたが、何も掴むことができない。
目の前の家族たちは、まるで怨霊のような気配を纏いながら、なおも這い寄ってくる。
「葵……どうして……私たちを……」
その言葉は、俺の心を切り裂くように響いた。
自分の手を見ると、そこには血まみれの護身刀がある。
「ああ……俺が……俺がやったのか……?」
思考がぐちゃぐちゃになり、頭の中で言葉が渦を巻く。
罪悪感と恐怖、そして自分への憎悪が入り混じり、俺はその場に座り込むしかなかった。
「違う……俺は……俺はそんなこと……!」
涙が頬を伝う。
だが、這い寄る彼女たちは止まらない。
「葵……」
その声が耳に張り付くように離れない。
俺は護身刀を握りしめたまま、どうすることもできずにその場で震え続けた。
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