関東大刑場跡地首塚ダンジョン 参
結局、俺はあの後何もできなかった。
探索者に憧れ、ダンジョンに夢を見て、「俺TUEEEE」なんて自分を過信していた。
それが今となっては馬鹿らしくて恥ずかしい。
あの瞬間の自分の弱さ、恐怖、そして無力さを痛感し、胸に重くのしかかる。
泣き崩れる俺を、母様は優しく抱きしめ、そっと諭してくれた。
その温もりは安心を与えてくれる一方で、情けなさをさらに浮き彫りにした。
そんな中、刹那姉様が戻ってきて母様に声をかける。
「母さん、戻ったわよ。」
どうやら俺が手を止めた後の幽鬼たちの後始末――いや、「残り」を刹那姉様や千鶴姉様、それに雪菜が片付けてくれていたらしい。
その報告を聞きながら、俺は地面を見つめ、拳を握り締める。
自分では何もできず、結局姉様たちに頼る形になったことが悔しい。
あれだけ大口を叩いていたのに、現実はあまりにも遠かった。
でも、母様はそんな俺を責めることも、見下すこともせず、ただ静かに抱きしめてくれていた。
その優しさが嬉しくもあり、胸を締め付けるように苦しかった。
その後は姉様達の後を追うように、俺は俯いたまま黙ってその背中を追いかけていた。
しばらくすると、道は村を抜けて山へと続く参道へと変わり、遠くには村人の幽鬼たちが山を登っていくのが見えた。
その背中を見ながら、俺は思わず呟いた。
「姉様たちは本当にすごいですよね……強くてかっこいいです。」
その言葉に刹那姉様が振り返り、少し微笑みながら答えてくれた。
「私たちも最初はそうだったよ。」
そう言うと、彼女は俺をじっと見て、ぽつりぽつりと話し始めた。
「初めから強かったわけじゃない。最初は、葵と同じで探索者に憧れて、ダンジョンに夢を見てた。ただ強くなりたい、母さんみたいにかっこよくなりたいって、それだけだった。」
その言葉に意外な気持ちを抱きながら、俺は姉様の話を聞き続けた。
「でもね、ダンジョンに通い始めてしばらくして、私、襲われたの。当時は8歳だったかな。ダンジョンの帰り道、大人の探索者たちに囲まれて金品を要求されたの。」
刹那姉様は少し苦笑いを浮かべながら続ける。
「当然、拒否して抵抗もしたわ。でも……何もできなかった。あの時、大人たちは笑いながら私を殴り、蹴り、弄んで笑ってたわ、それが本当に悔しかったし、情けなかった。」
その言葉には、彼女が乗り越えてきた辛さや悔しさが滲んでいて、俺は言葉を失った。
「もう駄目だと思ったその時、雪菜が駆けつけてくれたの。」
刹那姉様は、ふっと微笑む。
「雪菜が次々とその大人たちを倒していく姿を見て、本当にすごいと思った。でも同時に……嫉妬した。たった二歳しか違わないのに、なんでこんなに強いんだろうって。なんで戦えるんだろうって。私はただ泣きじゃくることしかできなくて、その悔しさを今でも覚えてるわ。」
姉様は自分の手を見つめ、少し遠い目をしながら話を続ける。
「その出来事が母さんの耳に入って……気づいたらここに放り込まれてた。それが私の始まりよ。」
そう言って刹那姉様は少し苦笑いを浮かべながら、ふっと空を見上げた。
彼女の話を聞いて、姉様たちもまた、過去の辛い経験や葛藤を抱え、それを乗り越えたからこそ、今の強さがあるんだと分かった。
でも、それでも俺は今の自分の弱さに、ただ悔しくて、情けなくて、足元を見つめることしかできなかった。
山の中腹に辿り着いた俺たちは、再び目を背けたくなるような光景を目の当たりにした。
眼下には、一つの祭壇が置かれ、その上には一人の女性が静かに横たわっている。
祭壇の前では儀式が執り行われており、周囲には村人たちの幽鬼が集まっていた。
彼らは頭上で手を合わせ、拝むように頭を垂れ、祈りを捧げているかのようだった。
しばらくすると、儀式を執り行っていた幽鬼がゆっくりと短剣を取り出し、それを頭上に掲げた。
そして次の瞬間、短剣を一気に振り下ろし、祭壇で横たわる女性幽鬼の胸を貫いた。
その瞬間、祭壇を覆うような異様な雰囲気が広がり、周囲の空気が一変する。
儀式が終わったのだろうか。
村人たちの幽鬼は黒い霞となり、静かにその場から消えていった。
残されたのは、儀式を執り行っていた幽鬼ただ一人だった。
その幽鬼はゆっくりとこちらを振り返ると、ニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
そして両手を高く掲げると、祭壇の周囲に十数体もの女性幽鬼を呼び出した。
現れた女性幽鬼たちは、全員の胸に短剣が深々と刺さっており、目元には血の涙を流した痕がくっきりと残っている。
彼女たちの顔には、深い苦悶の表情が刻まれており皆、一様に怨念の塊のような視線をこちらに向けていた。
その姿は、ただの幽鬼ではない。
強烈な恨みと痛みが滲み出ており、見るだけで心を蝕まれるような圧迫感が全身を包み込む。
俺はその威圧感に飲み込まれそうになり、足が震えるのを感じた。
「…これが祟り場の本質ってわけね。」
千鶴姉様が低い声で呟き、武器を構える。
その鋭い眼差しは、既に次の戦いへの準備を整えていた。
呼び出された幽鬼たちは、胸に刺さった短刀を握りしめていた。
その姿を見て、彼女たちが自らの命を奪われた末に、この場所へ怨念によって縛り付けられているのだと気付いた瞬間、俺の中に再びあの震えが蘇る。
足元から這い上がるような恐怖が、体を硬直させた。
「葵、これはあなたの試練よ。」
母様の静かな声が響く。
振り返った俺の目に映ったのは、迷いのない母様の瞳だった。
それは、俺を信じる意志を示すものであると同時に、逃げる道を断つ宣告でもあった。
「摩耶、沙耶、葵をサポートしなさい。」
母様が指示を出すと、摩耶と沙耶が俺の隣に立つ。
その姿にほんの少しだけ安心感を覚えた。
「葵お坊ちゃま、大丈夫です。私たちがついています。」
摩耶が優しく微笑む。沙耶も無言で小さく頷き、その目で励ましてくれた。
俺は震える手を無理やり握りしめ、護身刀を抜いた。銀色の刃が月光を受けて鈍い輝きを放つ。
それを見つめながら、深く息を吸い、意識を集中させる。
「…斬らなきゃ。祓って、浄化して、解放するんだ。」
自分自身に言い聞かせるように呟くと、足を一歩前に踏み出した。
その瞬間、恐怖が波のように押し寄せてきたが、足を止めるわけにはいかなかった。
目の前の女性幽鬼がゆっくりとこちらに手を伸ばしてくる。
彼女の苦悶の表情が、まるで俺に訴えかけてくるように思えた。
俺は目を見開き、その手を振り払うように渾身の力で刃を振り下ろした。
――その後の記憶は、ほとんどない。
ただ無我夢中で護身刀を振り続けた。迫りくる幽鬼たちに向かい、斬って斬って斬り続けた。
涙が頬を伝い、叫び声が喉を擦り切らせたことに気づいたのは、すべてが終わった後だった。
最後に儀式を執り行っていた幽鬼の胸を貫いたとき、視界は涙でぼやけており、声は掠れてまともに出せなかった。
終わったという実感が胸に重くのしかかると、俺はその場に膝をつき、震えながら刃を握りしめたまま泣き続けていた。
儀式を執り行っていた幽鬼が黒い霞となって消え去ると、辺りの空気は一瞬にして静寂に包まれた。
先ほどまでの圧迫感、怨念に満ちた視線――それらはすべて消え去り、ただの山の静けさが戻ってきた。
それなのに、俺の胸の中はまるで空虚だった。
何かを成し遂げたはずなのに、喜びや安堵はなく、ただ重く沈んだ感情だけが残っていた。
「葵お坊ちゃま、大丈夫ですか?」
摩耶がそっと肩に手を置き、優しい声で話しかけてくれる。
その温もりは確かに感じられるのに、返事をする気力が湧かなかった。
ただ、膝をついたまま荒い息を吐き続ける。
心の中に押し寄せるのは、言葉にしがたい虚しさと後悔だった。
幽鬼たちが見せた苦しげな表情、怨念を湛えた視線――それらが脳裏に焼き付き、離れなかった。
「葵様…」
沙耶が俺の前に跪き、静かに護身刀を受け取ろうと手を差し伸べてくる。
その仕草は丁寧で優しさに溢れていて、まるで俺の痛みを分かっているかのようだった。
俺は震える手で護身刀を差し出しながら、無力感に押しつぶされそうになり、唇を噛みしめた。
沙耶が護身刀を受け取りながら、穏やかな笑みを浮かべる。
「もう大丈夫ですよ。よくやりました。」
その一言は、労いと優しさに満ちていた。
しかし、俺の胸には重すぎた。
よくやった――そう言われても、俺の中には達成感どころか、ただ悔しさとやりきれなさが渦巻いていた。
そのとき、静流婆さんがふいに俺に声をかけた。
「若や…今は悩め。そして苦しめ。」
その言葉に、俺は顔を上げることもできず、ただ聞き入った。
静流婆さんの声は低く、しかし深い響きがあり、心の奥底に届くようだった。
「悩み、苦しみ、考えよ。決してそこには答えなどない。しかしのう、悩み苦しむことで、人は考えることをやめん。それが大事なんじゃ。考えることをやめたとき、そこに立っておるのは、もはや若ではないかもしれんぞ。」
その言葉は重く、それでいてどこか救いのようでもあった。
俺の心の中にある混乱や葛藤をすべて見透かしたかのようなその言葉は、深い時間と経験を感じさせた。
俺は静流婆さんの言葉を胸の中で反芻しながら、荒い息を整えようと努めた。
悩むこと、苦しむこと、考えること――それが、今の俺にできる唯一のことだと分かった。
まだ遠い未来のことなんて分からない。
それでも、今のこの瞬間に向き合うしかないのだと思った。
静かに目を閉じ、深呼吸をする。
少しだけ、胸の中の重さが薄れた気がした。
静流婆さんの言葉は、俺の中に小さな灯火をともしてくれたようだった。
だがこの後、さらなる地獄が待ち受けているとは誰もが予測していなかった。
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