探索者協会臨時出張支部 御剣家前
プレハブ小屋の扉を開けて中に入ると、想像以上に簡素な作りだった。
床には薄い木の板が敷かれただけで、壁もペンキが雑に塗られたような仕上がり。
中央にはぽつんとカウンターが置いてあるだけで、装飾の一つも見当たらない。
天井からは裸電球が一つぶら下がり、風もないのに微妙に揺れているのが不気味だった。
俺が目をやったカウンターの向こうには、二人の女性がうなだれるようにして身を屈めているのが見える。
俺たちが入ってくるのを確認したのか、二人は同時に「カバッ」と立ち上がった。
「いらっしゃいませ!探索協会臨時出張支部・御剣家前へようこそ!」
二人とも声を張り上げ、無理やりの笑顔を浮かべて出迎えてくれた。
しかし、その笑顔の裏には明らかに疲労が滲んでいる。
彼女たちは若く見えるが、どちらも髪は乱れ、ぼさぼさに絡まっていた。
そして化粧もひどく崩れており、目の周りのアイラインが滲んでパンダのようになっている。
おそらく、寝不足とストレスのせいなのだろう。
本来なら美人と言える顔立ちなのに、その疲労感が全てを台無しにしていた。
「……あの、大丈夫ですか?」
思わず俺が声をかけると、二人はハッとした表情で顔を見合わせた後、ぎこちなく微笑んだ。
「だ、大丈夫です!今日は特別な任務ですので、やる気は十分ですよ!」
片方の女性が力強くそう言ったが、その声にはどこか自信が欠けている。
「……特別な任務って……」
俺は改めてプレハブ小屋の中を見回した。どう見ても特別な準備がされているようには思えない。
それどころか、場末の出張所といった雰囲気しか感じられなかった。
母様はそんな状況にも全く動じることなく、満足げに二人に微笑みかける。
「お疲れ様。準備を整えてくれてありがとう。葵にとって初めての一歩なの。しっかり頼むわね。」
母様の言葉を聞いた二人の女性は、さらに気を引き締めるように背筋を伸ばした。
「は、はい!もちろんです!」
そう返事をしたものの、二人の目にはほんの少しの不安が見え隠れしていた。
受付の二人は、慌ただしくも笑顔を浮かべながら応対を始めた。
「ほ…本日は、どういったご用で――」
一人の女性が話し出したその瞬間、隣の女性が「バカッ!!」と鋭い声を上げ、その頭を思いっきり叩いた。
「いったぁぁ!何するのよ!」叩かれた女性は頭を押さえて抗議するが、叩いた方はため息をつきながら冷静に言い返す。
「何するも何も、御剣家の人が来たって分かってるでしょ!普通の応対してどうするのよ!」
「あぁ~…そうだった…」
叩かれた女性は苦笑いを浮かべながら肩をすくめ、照れ隠しなのか無理やり咳払いをして仕切り直した。
「で…では!」と急に改まると、声を少し高めて言葉を続けた。
「御剣蒼様の探索者特別登録を行いますね!」
叩いた女性も大きく頷きながら、慌ててカウンターの引き出しを開け、何やら書類の束と端末を取り出した。
「では、こちらに基本情報を入力いただきます。それから、魔力適性と身体測定を行いますので、こちらの魔力検知器に手をかざしてください。」
受付の女性たちはどことなくぎこちない動きで手続きを進めていった。
俺は状況に若干の戸惑いを感じつつも、言われるがままに端末を受け取って必要事項を入力し始めた。
その横で母様は終始穏やかな笑みを浮かべ、二人をじっと見守っている。
姉様たちは相変わらず後ろで静かに控えているものの、どこか面白がっているような視線を俺に向けていた。
「初めての登録だから、何か面倒なことにならなければいいけど…」
そんなことを思いながら、俺は与えられた手続きを淡々と進めていった。
結局、何事もなく、手続きは淡々と終わってしまった。
登録が終わり、「さぁ、葵、次はダンジョンに行くわよ!」と、母様は意気揚々とプレハブ小屋から出ようとした。
俺はその言葉に驚き、思わず立ち止まってしまう。「え?ちょっと待って…終わり?」と、母様を引き止めた。
「終わりよ。」と、母様はにこやかに笑って言った。
その瞬間、俺はふと振り返り、姉様たちの顔を見るが、全員が目を逸らし、まるで他人事のように無関心な素振りを見せる。
受付の女性たちも、俺の困惑を感じ取ったのか、首をブンブンと横に振っていた。
「母様、こういう時って何かあるよね?」
「え?何もないわよ。」
俺は思わず、心の中で深いため息をついた。
母様の天然がここにきて炸裂したのだ。
見た目は真面目でおとなしい女性だけれど、行動で示すタイプの人で、時々すごく大きな爆弾を仕込んでくる。
「あのね、母様、こういったサプライズ的なことをする時って、何か準備しておくもんなんだよ。」
「そうなの?」母様が少し驚いた表情を浮かべた。
「例えば、協会に無理を言って豪華な装備を準備させたり、一般では出回らないような危険な装備を準備したりするんだよ。」
俺がそう説明しながら母様に言うと、他の姉様たちは「うんうん」と、頷きながらそれに同調していた。
「母様…どうしてこの出張支部を用意させたの?」
俺がそう尋ねると、母様はニコニコと笑いながら「葵のためよ」と言った。
「でも、僕、探索協会の本部ビルに行ってみたかったんだよ?」
その言葉に、母様の顔が少し曇り、「ダメよ、あそこは人が多くて大騒ぎになるし、危険だもの」と、心配そうな声で言い返してきた。
「だったら、手続きは家で済ませることもできたよね?」
母様が困惑した顔で口を開くも、しばらく言葉が出てこない。
そして、しどろもどろに「そ、そう!葵が、探索協会に行ってみたいって言ったからよ!」と、明らかにタジタジになりながら言い訳を口にした。
「うん、確かに言ったよ。でも行きたいって言ったのは、大きな本部ビルのほうでさ。探索協会の周りにある店や、ビルの中の色んな店も見て回りたかったんだ。母様や姉様たちに案内してもらいながらね」
俺がそう言うと、母様の顔は引きつり、まるで壊れたロボットのようにギギギ…と首を周りに回していた。
姉様たちは母様から視線を逸らし、受付の女性たちは気まずそうに顔をそむけ、なぜか下手な口笛を吹き始めた。
その後、俺は母様を端に引っ張り出して説教を開始した。
「母様、いくら僕のためとはいえ、こういう場を設けるなら、ちゃんと考えておくべきじゃない? 探索協会の人たちがどれだけ頑張って準備してくれたか、少しは気を使ってあげてよ!」
母様は最初は困惑した表情をしていたが、やがて申し訳なさそうに小さく頷いた。
「ごめんなさい、葵。少しでも特別な場を用意したかったの。でも、次からはちゃんと考えるわ。」
一方で、プレハブ小屋の受付にいた二人に対して、俺はひたすら頭を下げた。
「本当にすみません。母様が無理を言ってこんな形になってしまいました。でも、こうして対応してくれたことには本当に感謝しています。」
二人は困惑しつつも、気を遣ったような笑顔で答えた。
「いえいえ、御剣家の方のためなら全力を尽くすのが私たちの役目ですから! それに、蒼様が初めて登録する場に立ち会えたのは光栄です!」
それでも俺の気が済まなかったので、せめてものお詫びとして、二人に探索者カードの裏に署名してもらうことにした。
「支店長と副支店長として、僕の登録を手伝ってくれた証として、名前を記入してもらえませんか? 本部に行ったときには、ぜひまたよろしくお願いします。」
彼女たちは驚きつつも、誇らしげに名前を書き込んでくれた。
その表情を見て、ようやく少しだけ胸のつかえが取れた気がする。
その後、俺は姉様たちや摩耶を捕まえて説教タイムを敢行。
「姉様たちも、黙って見てるんじゃなくて、何か言ってくれたらよかったのに! 終始無関心な顔してたけど、これじゃ僕が全部悪者みたいじゃないか!」
姉様たちは「だって母様のことだし……」「面白そうだったし」とそれぞれ言い訳をしたが、俺はそれを許さず、最後までみっちりとお灸を据えた。
摩耶にも、「こうなる事は分かってたよね?」と皮肉を交えながら注意したが、彼女は静かに頷きつつも少し不満そうな顔を浮かべていた。
いや、母様の世話係なんだからちゃんとしてよ…
何だかんだで、無事に?探索者登録を終え、少しだけ反省ムードの漂う御剣家一行がプレハブ小屋を後にしたのだった。
ついでに補足として、今回の探索者特別登録について少し説明しておこう。
これは男性に課される義務的なもので、レベル20まで上げなければならないという法律が背景にある。だからこそ、全ての男性は必ず登録しなければならない。
そのため、他の通常の探索者登録とは区別されており、特別枠として「Nランク」が設けられている。いわゆる「ニュービー」、新規特別登録者用の初心者ランクだ。
普通の探索者は、S〜Fランクのような、いかにもRPG的なランク付けがなされているが、Nランクは別枠扱い。
また、注意書きとして「以降の活動や成長は全て自己責任で行うこと」と一言添えられるのが常だ。
まぁ、わざわざ言葉にするまでもなく、説明しなくても分かるだろう。
よくある設定だ。
ただ、それを「男性が必ず通る道」として事務的に処理するのが、この特別登録の少しだけ味気ないところだと思う。
こうして俺も、何の波乱もないままNランク探索者として登録されたわけだが、本登録をするためには、レベルを20にあげてから、もう一度探索者協会で本登録を行わなければならない。
ちなみに、本登録を行う男性はほぼいないらしい。
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