私の好きな彼女の小説
SNSにかわいい自分の動画を投稿する女性を『馬鹿女』と否定する記述がありますが、あくまで私ではなく主人公『森本』による主観です
「見ろよ、この娘、かわいいなぁ」
「うっわ! すげーかわいい! フォローしたい!」
短い動画を投稿するスタイルのSNSを話題に同僚が盛り上がっている横で、私は醒めていた。どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ。スマートフォンのアプリケーションで加工してかわいく化けている女によくそんなに夢中になれるものだな。
「森本さんはこういうの興味ない?」
話しかけて来た。私とて社会人である。愛想笑いを浮かべて軽く首を横に振るにとどめた。わざわざ気を悪くさせる態度を取り、事を荒立てる必要はない。
「やめとけ、やめとけ。森本は朴念仁だからよ」
「女に興味ないの? それでよく男やってるよねえ」
私を小馬鹿にしたつもりのようだ。しかし朴念仁の使い方が間違っている。どうやら彼らは『色に興味を示さない変人』のような意味で使っているようだが、正しくは『素朴で考え深い人』、つまりはたとえ女性に興味があろうとも上品で、そして何よりインテリゲンチャであるところの人格を指す言葉なのだ。と、私は認識している。
彼らは己の目で物事を見ない。自分の頭で考えない。ただ皆の言うことに同調し、流行りのものに流されるだけだ。自分を加工してかわいく見せ人気を得ようとする馬鹿女に夢中になり、いとも簡単に洗脳される馬鹿者どもだ。恐らくはまともに活字の本など読んだこともないだろう。
まともな本というのはもちろん大衆娯楽小説などではなく、文学書や哲学書などのことである。私はそれらを多く読み、峻厳な山を登るように己の精神を鍛えて来た。ゆえに俗世間の誤謬に満ちた世界認識から自由になり、『己』というものを体得している。
私は自分の目で物事を見、自分の頭で考える。彼らとは違う。一緒になってただ自分をかわいく見せたいだけの女の話をしようとは思わない。もちろん、私とて女性に対する興味はあるが、私が惹かれるのはかわいく作った外見などではない。私が惹かれるのは──
今日も私はスマートフォンで『小説家になりお』を開く。
素人が小説を投稿できる、俗な精神の充満するくだらぬサイトである。たまに純文学かぶれの一見まともな作者もいるが、そのほとんどはただかぶれているに過ぎない。己の頭で物を考えてはいないのだ。文学とは言葉を難しげにこねくり回し、見た目をそれらしく見せるものだと思っているようだ。そんなもの、アプリで加工してかわいく見せている馬鹿女とどう違うというのだ。
私はこのサイトに主にエッセイを投稿している。文学論と言ってもいいだろう。べつに馬鹿どもに理解されると思って書いているのではない。ただ己の思想を明確にするための覚え書きのようなものだ。
それに、極僅かではあるが、まともな者もいたのである。
和束ヒカリ──
年齢はわからないが、女性の作家である。純文学ジャンルの短編小説ばかりを投稿されている。彼女が週に一作ぐらいのペースで上げる新作小説を、私は楽しみにしていた。
私は彼女のファンを自認していた。彼女の書く小説には人生がある。人間の本質が描かれ、安易に俗な同調を押しつけない、社会的な結びつきを強めるような作品とは真逆の、不条理に基づく個人的な小説である。
私は彼女と交流をもっていた。数少ない私の相互お気に入りユーザーであった。
「モリモトさん、いつもありがとうございますー。読んで感想くれるのモリモトさんぐらいだから嬉しいです(^o^)」
彼女は小説とチャットでは人格が違うようだった。彼女の使う安易な顔文字に辟易することが多かった。
しかし私にはわかっていた。これが和束さんの処世の術なのだ。私が同僚からくだらぬ会話に入るよう促されても、内心相手のことを馬鹿にしながら笑顔でただ首を振るだけのように、軽い口調で軽薄な顔文字を使いながらも、彼女の心の中には小説の通りの高潔な魂があるのだ。
「今回の小説も素晴らしかったです」
私は彼女とのウェブ上での会話を楽しんだ。
「和束さんの魂が込められていました」
「嬉しいですー(*^^*)魂ってなんだかよくわからないけど(^o^;」
彼女は軽薄に……いや軽やかにメッセージを返す。
いつの間にか私はそれに慣れていた。重厚で、生身の人間を描く彼女の小説と、小説以外のところでのその軽やかなトークのギャップさえ彼女の魅力だと思うようになっていた。
私は頭の中に和束ヒカリさんの姿をイメージしていた。和服だ、和服が似合う。髪の色は天然の黒で、目元は吉岡里帆のように涼しげで……いや、容姿などどうでもいいのだ! 私は彼女の魂にこそ惹かれているのだ。たとえ幽霊のようにガリガリで、病院服が似合うような不健康そうな女性でもいい。ボーヴォワールのごとく神経質そうで意地悪そうな目つきをしていても構わない。ポテトチップスばかり食べていて肉風船のように膨らんでいたら……それはなんだか嫌だが、見た目ではない。私が惹かれるのは、俗を離れて高潔な魂をもつ、内面の美しい女性であるのだ!
彼女の書く小説はいつも素晴らしかった。
加工した自分の顔をSNSに自慢げに晒す若いだけの馬鹿女には決して書けぬ逸品であった。
今回の新作は、役にハマらない声優が、日本中の原作ファンを敵に回しながら、やがて役を自分のものとして行くという、壮大かつ内省的な、アニメ業界という俗な世界の中に『己』を実現する過程を描いたドラマであった。一見通俗小説のように見えて、その底には明らかな毒が潜んでいる。人間の本質と、それが社会の中で生きることの不条理が、つまりは自然が描かれている。これはカフカに匹敵する素晴らしい小説であると感じた。
どんな女性なのだろう。
こんな小説を書くのは、一体、どんな女性であるのだろう?
そんな興味を唆られ続けていた私は、ついに前から頭にはあった提案を、持ちかけてしまった。
「お住まいは関東なんですよね? よろしければですが、今度の日曜日にでも、お会いしませんか? あなたと直接お話がしてみたい」
「えー!?」
彼女はひどく喜んだ。
「それはお父さんも喜ぶと思います!\(^o^)/」
「お父さん?」
私は意味がわからず、苦笑してしまった。
「お父さんは関係ないでしょ?」
「あっ。そうですね! すみません(*^^*)」
自分を恥じているのが顔文字で伝わってきた。
「いいですよ! 日曜ヒマだし。どこで? あたしパフェとか食べたい!ლ(´ڡ`ლ)」
都心から離れた町の駅で待ち合わせることになった。
ドキドキした。38歳にもなって青春に戻ったような心地がした。
時刻は夕暮れ時で、女性がもっとも美しく見える時間帯だ。彼女はどのように現れるのだろう?
駅前のベンチに座ってスマートフォンで『小説家になりお』を見ていると、出口のほうから一人の女性が小走りに駆け寄ってきた。
いや、あれではないだろう──そう思いながら再びスマートフォンに目を落とすと、声をかけられた。
「モリモトさんですかぁー?」
軽薄な声だった。
「作務衣に赤いマフラーだから、モリモトさんですよねー?」
びっくりして再度、彼女の顔を確認した。
自分の認識を疑った。目の前の彼女は、SNSから飛び出してきたような、ただしそれから加工を剥ぎ取って、ニキビと派手なアイメイクを足したような、いかにも馬鹿女といった容姿だったのだ。
私は思わず聞いてしまっていた。
「だ……、誰?」
「やだなー、冗談ですかぁ? それ」
彼女はケラケラと馬鹿のように笑った。
「あたしが和束ヒカリですよー? パフェおごってくれるって約束ですよ。行きましょ!」
喫茶店で向き合って座りながら、私は彼女の年齢を推測した。ニキビの浮き出た肌、独特の牛乳臭さ──いかにも高校生といった感じのダボッとしたかわいいファッションといい、どう考えても彼女は17歳ぐらいのように思えた。
これがあの素晴らしい小説を書く和束ヒカリさんだとは、到底思えなかった。騙りではないのか?
私は彼女を試してみることにした。夢中で馬鹿のようにパフェを貪る彼女に、彼女の小説の話題を振ってみた。
「今回の新作、『鏡に映らない声』ですが……、書かれたきっかけはどんなものだったんですか?」
「あー、あれねー」
和束ヒカリは答えた。
「型にはまって自分のイメージしか正解としない大衆に対して、キャラと声の主導権の逆転現象を起こして、価値の転換を図るというかー、集団の中の自己を描きたかったんです」
「主人公が唯一の理解者だったヒロイン役の声優と結ばれますが、あそこは少し甘くはないですか?」
「由衣ちゃんねー」
彼女は即答した。
「長いこと一緒に同じ作品のアフレコ務めてきたんですよー? ああなることに必然性はあると思いますけどー?」
そう言って、最後にエヘッとウィンクをしながら舌を出した。
その通りだ、と思った。
私もじつは甘いなどとは本当は思っていなかった。必然性があると思っていた。カマをかけたのだ。これに対する返答で本物の和束ヒカリさんであるか、そうでないかがわかると思っていた。答えは出た。彼女は本物だ。
しかし……、しかしである。
最後の『エヘッ』はいらない! いかにもなSNSで加工した自分を自慢する類いの馬鹿女ではないか!
もしかして私を試しているのだろうか? エッセイでそういう馬鹿女を見下す内容を書いた覚えがある。あるいはこれはドッキリではないのか? 何のためだかはわからないが、ほんとうの姿は隠し、私が見下すような馬鹿女を演じて……
「あっ、そうだ。これ見てくださいよー」
ヒカリさんが自分のスマートフォンを私に見せてきた。
「これ、あたしがやってるんですけどー……」
見ると短い動画を投稿するスタイルのSNSだった。
どう見ても加工されて肌ツルツル、目鼻立ちCGのような彼女がそこに映っていて、大衆の劣情を刺激するようなくだらぬ音楽に合わせて口を動かし、最後に「エヘッ」と舌を出した。
「よかったらフォローしてください」
「するかー!!」
私は思わず立ち上がり、客のたくさんいる喫茶店の中で叫んでしまった。
「どうしたんですかー!?」
彼女にもびっくりさせて叫ばせてしまった。
「き……、君が和束ヒカリさんなわけがないっ!」
指さしてしまった。
「き……! ききき! 君みたいな、俗を絵に描いたような……! くだらない人種が……! 私の好きな小説を書く……! あの和束ヒカリさんなわけがないっ!」
すると私の後ろから、中年男性の落ち着いた声が、言った。
「すみませんが……モリモトさん。私の娘を侮らないでくださいますか?」
振り向くと、後ろの席の中年男性がこちらを振り返っていた。
色の黒い、髭も黒々とした、武士のような顔つきの人だった。チェックの長袖シャツを着ており、その袖が両方とも振袖のように揺れていた。腕が、両方ともなかったのだ。
「む……、娘? ……あなたは?」
「申し遅れました」
中年男性はぺこりと頭を下げた。
「私が和束ヒカリです」
すべてが判明した。
あの小説を書いていたのは、彼女の父親だったのだ。
両腕がない父親が口頭で言葉を伝え、娘がそれをそのままスマートフォンに打ち込んだ小説を投稿しているらしかった。
娘も実際に執筆に関わっているので、作品内容に関して詳しかったわけだ。
「ネカマのようなことをしているのが恥ずかしかった。娘を『和束ヒカリ』だということで通したかった。……それで私は隠れ、盗み聞きのようなことをしていたのです。その失礼についてはお詫びします」
和束さんは頭を下げながらも、表情は険しかった。
「しかし娘のことを『くだらない人種』と言ったことについては、あなたにも謝罪をしていただきたい」
「いいよー、お父さん」
娘が追加注文したパンケーキに楽しそうにバターを塗りながら言う。
「くだらないやつなの本当だしー」
「暴言、申し訳ありませんでした」
私は和束さんに頭を下げ返した。
「あなたが和束さんなのなら、納得が行きます」
正直、和束ヒカリさんがネカマだったのはショックではあったが、自分の認識の正しさは守られたと感じ、安心していた。この馬鹿女にあれが書けるはずはないのだ。私の目が狂っているわけではなかったのだと、心から安心した。
「娘はくだらない人間ではありません」
しかし和束氏は言い張った。
「私は腕があった時から小説を書いていました。小説は私の生き甲斐だった。しかし交通事故で両腕を失い、小説を書くことが出来なくなってしまった。音声入力アプリを使っても誤変換だらけの上、最終的には手を使って編集投稿しなければなりません。足を使ってはみたが、慣れない上、苛々してしまってまったく書き進められませんでした」
娘も隣でパンケーキを食べる手を止めて、しみじみと父親の話を聞いていた。
「そんな私に、自分から言い出してくれたのです。『あたしが書くよ、お父さん』……。年頃の、遊びたい盛りの高校生の娘が」
なるほど──と、私は思った。
なかなか出来ることではないだろう。父親の趣味というか生き甲斐のために、介護をするように、自分の時間と労力を投げ出せる年頃の娘というのは。
和束氏はそのことに感謝して、くだらない娘をくだらなくない人間と言い張っているのだ。ちょっと同意出来ない、甘すぎる話だなと思った。
まぁ、娘のことはどうでもいい。本物の和束さんとだけお話がしたい──そう思って私が娘を無視しようとした、その時だった。
「しかし最近では、ほぼ娘が書いているんですよ」
和束さんが意外なことを言い出した。
「最新の『鏡に映らない声』なんて、元々の構想をしたのこそ父の私ですが、娘の意見を大幅に取り入れています。若い感性というのは素晴らしいものです。作品は私が思っていたものよりも、ずっと多重奏的で、奥行きのあるものに仕上がりました」
私は信じられない思いで娘を見た。
私の視線に気づいてまた『エヘッ』と舌を出した。どう見ても馬鹿だ。私が馬鹿にしている、くだらない人種だった。
「娘はこの通り、見た目はチャラチャラしていますが……」
和束氏が言った。
「人の中身はとても複雑で、他人に決めつけることなど出来ないものです。あなたがくだらないと思う世間と同じようなことをしていても、その精神の奥にあるものは誰にも簡単には計り知れません。和束ヒカリは今まで私のことでしたが、今に娘に取って代わられる気がしています。私から見て、娘は天才です」
そう言ってから、照れ臭そうに頭を掻いた。
「親の欲目かもしれませんがね……」
なん……だと?
私の感服したあの小説は、正真正銘、この、目の前の馬鹿女が書いていたというのか?
私の認識が、間違っていたというのか?
私はこの世にはくだらない人間とくだらなくない人間がいると思っていた。そうではなかったのか?
最もくだらないと認識していた、SNSに加工してかわいくした自分の顔を投稿するような馬鹿女が、私の好きなあの小説を書いたというのか!
私は自分の目の曇りを拭うつもりで娘を見た。
「お父さんが『和束ヒカリ』で、あたしは『和束バカリ』でーす」
そう言ってウィンクをし、ピースサインをこちらに見せながら「きゅぴーん」と言った。
それから少し後、私は和束さんこと山本さんの家へ赴き、お父さんに頭を下げ、娘を嫁にもらった。
「ねー、ねーカズキくん」
和束バカリこと旧姓山本晴夏が私の下の名前を呼ぶ。
「またブンガクの話してよ、カズキくん」
元々は悔しかったからだった。彼女と結婚したのは自分の認識を磨くためだった。
彼女を愛することが出来なければ私は世界に敗北するような気がしたのだ。
彼女を手元に置いて、彼女のことをよく知れば、新しい認識が得られるような気がしていた。彼女を愛しているのではなく、彼女を愛せるようになるための結婚だったのだ。
そして今、私は彼女のことを溺愛している。
「ハルカちゃん、そんなにボクのブンガク論、聞きたい?」
「聞きたい、聞きたーい」
彼女はSNSの馬鹿女そのものの踊りを踊りながら、甲高い声をあげてうなずく。
「だってカズキくん、それしか取り柄ないんだもんー」
「言ったな、コイツう〜」
「エヘッ★ デコピンされちった!」
彼女と結婚してから、私は人生が楽しくなった。
「この娘かわいいな!」
「うおっ、たまんねーな! フォローしよっと」
会社の同僚がまたSNSで加工されたかわいい女の子を見つけて騒いでいる。
「森本さんも見てよ。すっげーかわいいぜ」
私は投稿された動画を見て、心からの笑顔で答えた。
「かわいいですね! でも、ウチの嫁はもっとかわいいですよ!」