第八話
それから一時間程、美紗姫の着せ替え人形と化していた志乃が店外に置かれたベンチの隅に腰を下ろして息をついた。
「おつかれ」
ベンチの反対の隅に座っていた芯太が声を掛ける。
志乃は、ちらりと芯太の方を見たが、すぐに視線を前に戻して「うん、おつかれ」応える。
「大変だな、美紗姫のおもちゃにされて」
「でも、こういうの今まであんまり無かったから楽しいよ」
今度は、はっきりと芯太の方に向き直して笑顔を見せた後「ちょっと恥ずかしいけどね」と言葉を付け加えた。
「吉行さん、お帰り。飲み物いる?」
自販機から戻って来た要佑が小さなボペットトルのウーロン茶を差し出して言った。内容とサイズは要佑なりに女子に配慮している。
「ありがとう」
志乃はそれを受け取ってキャップを捻る。
「お待たせ~」
洋服の入った袋を手に持った美紗姫が店から出てきた。
「楽しかったね、志乃ちゃん!」
そう言って美紗姫は要佑から受け取ったウーロン茶のキャップを空けて口を付けた。
「うん。ちょっと疲れたけど」
志乃が返す。
「どう男子。堪能した?」
振り返り、反対側に座っている芯太と要佑の顔を覗き込みながら美紗姫は笑った。
「目の裏に焼き付けました」
「心の奥に焼き付けました」
敬礼しながら、それぞれが答えた。
要佑は、普段は少しクールっぽい感じでいる事が多いが、特に意識せずにその時々の話の流れや場の雰囲気に合わせて話題に乗る。ここではこうして欲しいと思うことを期待通りに実行する。要は場の空気を読むのが、ずば抜けて巧かった。
「もう、美紗姫ちゃん!」
そんな要佑の言葉をちょっと意外に思いながら、志乃は美紗姫の左腕をぺちりと叩く。それから話を逸らすように言った。敬称がいつからか、『さん』から『ちゃん』に変わっている。
「だいたい、何で私ばっかりなの? 美紗姫ちゃんの方がプロポーション良いのに」
そう言って、美紗姫の身体を一瞥する。確かに胸のボリューム、腰の括れ、お尻の張り具合等、志乃よりも優っているのが制服の上からでも見て取れた。
決して志乃のプロポーションが悪いわけでは無い。それどころか、どちらかというと魅力的な部類に入る。だが美紗姫はそれを一歩抜きんでていた。
「あはは、ありがと。でも全然そんな事ないよ~」
そんな志乃の言葉を美紗姫は笑って誤魔化す。
「大体、あたしの私服姿なんて普段から見せてるし、特に今更よねー?」
美紗姫はもう一度、芯太と要佑の方を向いて言った。
「そんな事無いぞ。エロい服なら是非拝みたい!」
芯太が答える。
「だよな」
要佑も両手を組んで、うんうんと頷いている。
「ほら、馬鹿な事言ってないでそろそろ帰るわよ」
二人の話を無視して美紗姫はベンチから立ち上がって言った。
「ああ、もうこんな時間か」
スマホで時間を確かめて芯太が言った。時間は夕方の六時を回っていた。
「急がないと暗くなっちゃうよ」
鞄を肩に掛け、ベンチに置いていた洋服の袋を掴む。
「お前、吉行さんにずっと試着させといて自分の分はちゃっかり買ってんのな」
芯太が立ち上がりながら呆れたように言った。
「ん? ああ、これ?」
袋を正面に持ち上げる。
「はい」
そう言って要佑に差し出した。
「僕?」
要佑は怪訝そうな顔をする。
「継美ちゃんに。今日一日お兄ちゃん取っちゃったから、そのお詫び」
普段であれば、学校の宿題を終えて翌日の授業のの忘れ物が無いか確認し、継美がテレビを見ている間に夕食の準備をする。そんな時間だ。
「いいのか?」
要佑が遠慮がちに尋ねる。
「あたしの趣味だから継美ちゃんが気に入るかは分からないけどね」
「ありがとう。きっと喜ぶよ」
要佑は袋を受け取りながら嬉しそうに笑った。
「じゃ、今日はここでお別れね。芯太、志乃ちゃんをよろしく!」
美紗姫は胸の下あたりで右手を左右にひらひらさせて言った。
「は?」
唐突の言葉を理解できず芯太は聞き返した。
「だから、志乃ちゃん送ってあげないと。もう日も落ちてるのに女の子を家まで一人で帰らせる気?」
「皆で送ればいいだろ?」
「寂しく兄の帰りを待ってる妹をこれ以上待たせるわけ?」
要佑の方を向いてそう言う美紗姫に芯太は少し怯む。
「じゃあ、美紗姫が一緒に来るのは?」
「嫌よ。この時間、ターミナル方面のバスってあんまり無いじゃない」
「じゃあ、送った後、バスを待ちぼうけか歩いて帰れと?」
「走ってもいいわよ」
「あの、やっぱり私独りで帰れるから大丈夫だよ」
二人の話を聞いていた志乃が言った。
「ほらー、志乃ちゃん気遣ってるじゃない。大丈夫よ、こいつ照れてるだけだから」
「そんなんじゃないけど……まあ、分かったよ」
芯太は、ばつが悪そうに目を逸らした。
「というわけで、また明日……と、その前に」
そう言いかけた美紗姫だったが、ふと思い出して言葉を止めた。
「志乃ちゃん、SNSのアドレス聞いてなかったね。教えて」
「うん、いいよ」
四人はお互いスマホを取り出してアドレスを交換する。
「じゃあ、今度こそ――あ、そうそう」
美紗姫が言葉を続けた。
「もし芯太に何かされたらすぐに言ってね。包丁持ってこいつの部屋まで乗り込むんで」
「言い方が怖えーよ」
身震いする真似をしながら芯太はそう言った。
バスは帰宅途中のサラリーマンや学生でそこそこ賑わっていた。
芯太は来た時と同じく一番後ろの5人掛けの席の席に向かった。そして窓際の席に座る。志乃は反対側の窓際の席に腰を下ろした。
「放っておいて良かったの?」
しばらく窓の外に視線を向けたまま、志乃が口を開いた。
「何が?」
同じように反対側の窓を見ていた芯太は何が、そのままの姿勢で答えた。視線は窓に映る志乃の姿を追っている。
「何がって、美紗姫ちゃんを送らなくて良かったのかって事」
「あー、美紗姫の事は何だかんだ言って要佑が送ってるから心配要らいよ」
「そうじゃなくて」
バスが停留所に停まり、二人の子供が乗り込んできた。そしてその後ろからレジ袋を手に下げた女性が付いてくる。
子供は車内を見回した後、一番後ろに空いている席を見つけ、そちらに向かっていく。
「あ、良かったら、ここどうぞ」
志乃は立ち上がって、窓際の席を譲った。そして芯太の隣に詰めて座る。なびいた髪が少し芯太の耳あたりに掛かり、何とも言えない良い香りが鼻孔を擽った。
「それで、さっきの話の続きだけど」
志乃が芯太の顔を覗き込んで言った。
距離が近い為に、少し上目遣い気味になった志乃の表情に、鼓動が高くなるのを感じる。
「聞いてる?」
「何だっけ?」
はっと我に返って聞き返した。
志乃は小さくため息をつくと、もう一度芯太を見上げて言った。
「美紗姫ちゃん、前原君の事好きなんでしょ? キミとしてはそれでいいのかって事」
「吉行さん気付いてたんだ」
芯太は意外そうに目を丸くした。
「そりゃまあ、態度見てたら何となくね」
自分の後ろ髪を触りながら志乃が答える。
「ふーん……で、何が『いいのか』なの?」
「キミも美紗姫ちゃんの事好きなんじゃないの?」
芯太はその言葉に、座席からずり落ちそうになる。
「いや、ねーよ。つーか考えた事も無い。どっちかってとあれ、兄妹みたいなもんだ!」
ちょっと嫌そうな表情を作って芯太は答えた。
「ふーん。前もそんな事言ってたわね。でも、エロい服装は見たいんでしょ?」
先程の会話を思い出し、疑がわし気な目で芯太を見る。
「あはは……まあ、可愛いことは可愛いと思うけど、好きとかそういうのとは何か違うんだよな」
と、苦笑しながら窓の方を向こうとした芯太の頬を両手で掴み強引にこちらに向ける。
「じゃあ、誰か他に好きな子とかいるの?」
さらに詰め寄る志乃に、芯太は目だけを逸らして答えた。
「さしずめ今気になってるのは、隣に座っている美少女かな」
「……ばか」
はぐらかすようにそう言った芯太に、少し間を置いて志乃は呟いた。