第二話
私立沓掛高等学校は、隣の市まで抜ける峠道に面した丘の上にある。
この辺りの地域では、そこそこ名の通った進学校。国公立大進学を目指す「特級スペシャリスト」クラス、難関私大進学目的の「アカデミック」クラス、特に指定無く大学の進学を目的とした「進級」コース、そしてスポーツ推薦の、「|スポーツ・スペシャリスト《SS》」コースの四コース、それぞれ一クラスずつの構成となっている。
なので、生徒の希望による一部入れ替えを除けば、高校三年間を通じて、ほぼクラスメイトが変わらないという環境だ。
また、その他特徴としては、スポーツ推薦枠があることから分かるように部活動にも力を入れており、特に剣道、ラグビー、野球は強豪として知れ渡っていた。
芯太達はその中で進級クラスに所属していた。
「はい皆さん。今日からこのクラスで一緒に学ぶ、新しいお友達を紹介します」
担任の若い女性の先生が手を叩きながら小学校の生徒の相手しているような口調で言った。
ナチュラルメイクに長めのストレートヘアをうなじ辺りで一本に縛っている。服装は濃い目のベージュのパンツに薄いクリーム色のシャツの上に紺のカーデガンを羽織るといった、小学校の先生と紹介しても誰も疑わないような姿格好。名前は絹山鈴子。一部生徒の間では親しみを込めて「鈴ちゃん」と呼ばれている。そんな容姿もあって男子生徒からの人気も高い。
もし小学生相手であれば、様になってるだろう場違いな立ち振る舞いを見て、クスクスと疎らな笑い声が聞こえる。
「それじゃあ入ってきてください」
教壇横の扉ががらりと開いて少女が教室に入って来る。学園ドラマなんかでよく見る光景だ。
「失礼します」
少女は澄んだ声で一礼した。一目だけこちら側を窺ったあと、前を向いて教壇まで歩き出す。真っすぐの長い髪が後ろに舞った。
白く透き通ったような肌。真っ直ぐで、すっと通った鼻筋。深く澄んだ切れ長の桃果眼。薄いが形の整った唇。どれも魅入ってしまいそうな程に魅力的だった。
「吉行志乃です」
少し気怠そうで鼻にかかったようなくすぐったい声でそう名乗った少女は、皆の方に向き直し挨拶をした。
腰まである絹のように細いストレート髪が肩の側面を滑った。
芯太はしばらくの間、見惚れていたが、不意に彼女と目が合った為、それを隠すように視線を逸らした。
志乃は微かに微笑んだように見えたが、すぐに表情を戻す。
「じゃあ席は――後ろから二列目の窓際の席が空いてるからそこね」
先生がそう声を掛け、着席を促した。
芯太の席の斜め右前だ。
「石応君、フォローしてあげてね」
先生が続ける。
「あーはい」
左隣の席の眼鏡の少年が答えた。
昼休みになり昼食後、志乃の周りは、クラスメイトの男女で賑わっていた。
質問責めに合い、少し困った顔で答えている。
「どうした芯太?」
志乃の背中をぼーっと見ていた芯太は、はっとして声の方に振り向いた。
「何だ? 悩み事か?」
佑樹が興味深そうに覗き込む。
「あーいや、何でも無い」と答えて、掌をひらひらさせた。
今朝何か変な夢を見たような気がしたが、どんな夢だったかあまり思い出せない。なんか昔の出来事だったような、別の世界での経験のような……
(まあ、思い出せない事を考えても仕方ないかな)
思い出せない事柄は大した内容じゃない。そう言い聞かせて、とりえずは深く考えるのは止める事にした。
「あの。土曜日はありがとうございました」
不意に右から声が掛かった。芯太は慌てて振り返る。転入生の吉行志乃がいつの間にか横に立っていた。
「?」
何の事か解らず聞き返そうとしたが、彼女の視線が、芯太の左前にいる要佑に向いている事に気付き思い止まった。
「いや別にお礼を言われる程の事してないよ。それより友達には会えた?」
「家には行けたけど、その日は会えませんでした」
「そっか。残念だったね」
志乃は静かに首を横に振った。
「本当に親切にありがとうございました」
志乃はもう一度お礼を言った。
「気にすること無いよー」
そう言いながら美紗姫がこちらにやって来て続ける。
「要佑はお節介焼くのが趣味なだけだから」
「あたしは阿方美紗姫。こいつの事は、知ってるんだよね?」
志乃は要佑指さしながら彼女に微笑みかけた。
「いえ名前は聞いてませんでした」
志乃が答える。
「マジでー! 通りすがりの親切な紳士。カッコいー」
美紗姫は茶化して笑った。
「だって、名乗る程でもないだろ」
そう不満そうに答える。
「現実で初めて聞いたそのセリフ」
「こいつは前原要佑で、俺は湯築芯太」
お腹を押さえて笑い転げている美紗姫の代わり芯太が答えながら志乃の方に視線を移した。
ふと目が合ったが、すぐに志乃は目を逸らした。
「うん。よろしく」
そう言って志乃は目を伏せたまま軽く会釈した。
「転入生の吉行さん、なんか芯太の事意識してるよね」
放課後グランドのベンチで、要佑は唐突にそう言った。
「? ……何だよそれ」
芯太は飲んでいた紙パック飲料のストローから口を離して聞き返す。
「だって、昼休みに話してた時、ずっとお前の方見てたぞ」
要佑は紙パックのウーロン茶を吸いながら言葉を返す。
「まじで?」
「おー、芯太にもついに春が来たかー」
美紗姫はそう言って、肘で芯太の脇腹を小突いた。
「でも、俺が見た時、すぐ目を逸らしてたぞ?」
芯太は昼休みの事を思い出して言った。
「んー……それは、好かれてるか嫌われてるか、無関心かの、どれかじゃない?」
「いや、まあ、そりゃどれかだろ」
美紗姫の言葉に芯太はすかさずツッコむ。
「でも要佑ってよく見てるわね、私は全然気付かなかったわよ」
「お前は笑い転げてたからじゃないのか?」
美紗姫の言葉にさらにツッコミを入れる。
「うるさい。要佑が笑わせるからよ」
「いや、別に笑わせてないぞ」
要佑の受け答えを無視して、美紗姫は会話を続けた。
「で、吉行さん、その時どんな感じだったの?」
「うーん……なんか困ってるような、迷ってるような……何ていうか、そんな感じだった」
と、要佑が答える。
「それって、逆に嫌われてるんじゃないの? 芯太、授業中後ろから変な視線突き刺したりしてない?」
美紗姫は疑いの眼差しで芯太を見つめた。
(そういえば、さっき考え事してた時、あの娘の背中、ずっと見てたかも)
芯太は思い当たたる節があり、頬を掻いた。そして、誤魔化すように話す。
「まあ、それはともかくとしてだな、要佑はそういうところ、結構鋭いよな」
要佑は他人の感情に敏感で、悩みや秘めた恋愛におせっかいで突っ込んで、仲介して解決させたことが何度もあり、一部の生徒の間では結構有名人だ。先輩後輩問わず相談事を持ち掛ける生徒は多い。また、そんな性格と長身、整ったルックスもあり、非常にモテる。ほぼ毎週何人ものペースで女子生徒から告白されるが、断り続けている。
「じゃあ、ちょっと用事があるんでこれで……」
腕に巻いた時計を見て立ち上がった。
「また告白タイム?」
美紗姫が尋ねた。
「うーん。まあ」
乗り気無さげに答える。
「やっぱり振っちゃうの?」
「振るっていうか、諦めてもらう。ちゃんと説明したら結構みんな解ってくれるよ」
小さくため息を吐くと、優生は、顔の高さに右掌を上げ、グランドの先の武道館の方に向かった。
「なあ、要佑って告白された相手にどう言って断ってると思う?」
彼の背中を見送りながら、美紗姫は芯太に尋ねた。
「さあ? 要佑のさっきの答えだと『話せばわかる』とか言ってるんじゃないの?」
芯太は答える。
「あんたと違って、そういう適当キャラじゃないわよ」
美紗姫がツッコむ。
「でも、まあ……」
「きっと俺たちには想像もできないようなイケメンな返ししてるんじゃない?」
芯太は両手を頭の後ろに組みながら、興味なさそうに答えた。