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嘘吐きと妄想屋の間

 ――読了。

 椿はディスプレイのスクロールを終え、ファイルを閉じる。

「自分大好きのすんごいナルシストだわ」

「致死量の睡眠薬っていくらあれば買えるかな?」

 足の踏み場もない部屋の中で、二人は顔を見合わせて笑った。

「ねえ、自伝フィクションって言ってたけど、これって全部本当のことなのかしら」

「私にとってはね。でも自伝小説にしちゃったから、全部フィクションよ。椿嬢は妖艶だし」

 コーヒーの入ったカップが椿のそばに置かれた。弓子の分はブラックだが、椿のはさりげなくミルクと砂糖多めにされていた。ズズ、とそれを啜る。

「そう。私たち高校のときまで一緒に暮らして、大学は別で、でもこうして弓ちゃんは紙一重の小説家で私は担当の編集者になった」

「うん」

 あっけらかんと弓子は言う。

「それでどうして、こういうこと言ってくれなかったのよ」

「やー、詳しく聞かれなかったし」

 呆れた椿はため息をつき、肩をすくめた。

「まあいいわ。『アマネオ』を早く書いてくれれば、編集者としては何の意見もないし。それにしても、弓ちゃんはそんなにフィクションを見誤ってるようには見えないわよ。小説家なんてフィクションを作る側だし、自分が夢に浸ってるわけにはいかない分野の最たるものだと思うのだけど」

 椿が読んでいる間、弓子はアイデアノートに伏線をどこに入れるか計算して、物語が最終的にどうなるかまで書き込んでいた。時間経過の表まで作って、参考にした本やキャラクターも書かれている。

「一応、仕事になっちゃったからね。締め切りは守れないことが多いけど」

 彼女はバツが悪そうに笑った。笑うとその大きな胸が自重せずに揺れ、椿の口元がピク、と歪んだ。

「……良かった、弓ちゃんはもう大丈夫なのね。もうちゃんと小説を書けるようになったし。私、ホントは弓ちゃんが『小説を書いたときに誰かに読んで欲しい』って思って作られた幻覚オオカミだったのよ」

 彼女の表情が石のように固まった。手に持ったコーヒーの湯気だけが絶え間なく動き、空気に絡まりながら溶けていく。

「痛みのあるほうに現実があるって、誠くんじゃなくても、アニメで言ってたわ。現実。弓ちゃんは、ホントは小説家なんかじゃない、ただの幻覚編集者と話してるひきこもりの人よ。現実には友達なんかいない人」

「そう」弓ちゃんは悟りきった表情でメガネをかけなおし、落ち着いた声で答える。「それでも仕方ないんじゃないの。全部フィクションで幻覚と現実が等価値なら、私は彼氏と友達を持ったリア充。現実にはここが名呑公園でダンボールハウスでお金がなくて職がなくてお腹が空いて病気で死にかけてても、たとえ逆に私が椿嬢の幻覚オオカミだったとしても――椿嬢や誠と関係があるってことは幸せだと思う」

 椿は口を開けて何か言おうとしたが、結局何も言わずに息を吸い込んだ。

「『あなたが神か!』ってくらい悟ってるわね。もう、嘘よ嘘! 少し意地悪しただけ。弓ちゃんはちゃんと小説家で、私は中学校からの友達。もちろん編集者で、『アマネオ』の続きを早く書いてもらえないから困ってる。そういうのも弓ちゃんにとっての『痛み』でしょ」

 椿はまくしたてるように言い、コーヒーを飲む。

「本当に……すいません。すぐ書きますんで」

「いいのよ別に。嘘だけど。それで、誠くんは存在しているの」

 弓子は当然のように頷いた。てかてかした長い髪が一部カップに入っているが、二人は気づかなかった。

「でも、おかしくないかしら。現実世界に誠がいると思うなら、彼がいることで弓ちゃんに何らかの痛みも発生しないと」

「時々、いまだに右腕に包帯を巻いて来るときがあるんだよね。冗談っていうか嫌がらせのために。もうお互い三十過ぎてるんだからいい加減にしてほしい。まあ、それがイタいかな。普段は働いたり遊んだり、それなりに大人なのに」

 屈託のない笑顔。それを見た椿は眉間に皺を寄せ、口元にグッと力を込めた。視線をそらした先の窓には、モコモコした入道雲が浮かんでいた。

 もう夏が近い。

「さて、じゃあそろそろ行くわ」

 椿は『アマネオ』を書くように念を押して、部屋を出た。歩きながらキリンさんのパジャマを思い出し、それをいつも着るセンスについて考えをめぐらせた。

 階段を降りていると、背の高いスーツ姿の男とぶつかった。

「あ、すいません」

「いえいえこっちもよそ見してたもんで」

 優しそうな雰囲気で、雑誌のモデルにでもなりそうなくらい顔がいい。黒い短髪が爽やかで、白いシャツに映える。椿が見惚れている間に、彼はさっさと歩いていった。

 一階に着き、もう一度見ておこうと椿が振り返ると彼は弓子の部屋の前にいた。お互いに目があって、軽く会釈する。

 椿は車に乗って、ため息を吐く。

 ――さっき、彼のスーツの袖口からチラリと白い布らしきものが見えた。あれは右腕だったし、包帯じゃないのか。

「どういうことだろ」

 ハンドルに頭をもたれかけて逡巡したあと、椿はおもむろにエンジンをかけた。

「ま、自伝とはいえ所詮小説だし、弓ちゃんは嘘つきと妄想屋の間だし。何一つ解決にはなってないけど、それしかないか」

 アクセルを踏み込むと、元気よくブオンと車が走り出す。

「それにしても弓ちゃんめ」


 ――ムチャクチャかっこいい彼じゃないか……!

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