2 フルタイム復帰
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!
2話目は表題のお話を投稿する! と感想で宣言していたのですが…違う話になってしまいました。
三歳になった龍太郎は、認定こども園に通うことになった。認定こども園とは、保育園の機能を併せ持つ幼稚園である。
自分の子供が通うことになって初めて、七海は保育園と幼稚園の違いを具体的に知った。
幼稚園は学校教育法に基づく施設で、保育園は児童福祉法に基づく施設―――なんだそうだ。つまり幼稚園は小さな子供に教育を受けさせることが目的で、保育園は働いているなどして子育てが難しい状況の親を助けるために子供の世話をすることが目的の施設であるらしい。
年の離れた弟の翔太が保育園に通っていたが、その頃幼稚園は長い時間子供を預かってくれる所ではなかったため、両親共働きの江島家では保育園一択だった。だが近年できたこども園では、長い時間子供を預かってくれる上幼稚園なみの教育をしてくれるのである。便利な世の中になったものだなぁ、と思う。
本音を言えば、七海は龍太郎が楽しく通えるならどちらでも良かった。だが事前の下見で受けた印象では、園の雰囲気も先生方の印象もとても良く、更に通いやすい距離にあったので、できればここに通わせたいと考えていた。だから入園の許可が出た時はホッとしたのだった。
産休取得後一年間ほど育児休暇を取得した七海は、その後時短勤務で職場に復帰した。そして今回龍太郎の幼稚園入学に伴い、フルタイム勤務に復帰する予定だった。
時短勤務の現在は、長期休業中の玲子が龍太郎の世話をしてくれている。
しかし当初、玲子にほぼ丸投げ状態になることに罪悪感があった。実家ならともかく、夫の母親に息子の世話を押し付けるのである。
しかも自分は平凡な事務員。正社員であるから世間的にそれほど悪い時給ではないとはいえ、世界を股にかけて活躍するジャズピアニストが稼ぐ金額と一体いくら違うのか見当もつかない。しかも七海自身それほどこの仕事に情熱を傾けているわけではない。
もちろんできる限り精一杯頑張っているし、仕事に手を抜くつもりもない。けれども大勢のファンが心待ちにしている玲子のピアノの時間を奪ってまで、やるようなことなのか……と、しばらく頭を抱えてモンモンと懊悩したのだった。
懸念についてやんわり尋ねると、玲子には「大丈夫よぉ! 任せなさい!!」と笑って流された。しかし、いまだに割り切れない気持ちが胸の奥にわだかまっているのである。
ある時珍しく普通の時間帯に帰ってきた夫である黛に、寝室でその気持ちを打ち明けた。するとクローゼットで明日の準備を整えながら、こともなげにこう返す。
「玲子がやりたいって言うんだから、やらせれば良いだろ?」
「でも……本来なら、親の役割でしょう? 子育ては。それに玲子さんを待っているファンの人たちにも申し訳ないって言うか。玲子さんは気にするなって言ってくれるけど、本当にこれで良いのかなって」
小さなベッドに収まる龍太郎のぷくぷくした頬を眺めつつ、七海は溜息を吐いた。
一歳を過ぎてしばらくすると龍太郎はすっかり寝つきが良くなり、朝までぐっすり眠っていられるようになった。授乳しながらの寝かしつけが定番となってから、ずっと広いベッドの上に親子三人川の字で寝ていたのだが、このため二歳の誕生日を期に彼専用のベッドを用意することとなったのだ。これは、アメリカ帰りの玲子の提案であった。
欧米では乳幼児から寝室を分けるのが普通らしい。そこまでするのは親として寂しいかもしれないが、自立心を育てるために選択肢を与えるのは良いのではないか? と言ってくれたのだ。
そんな龍太郎が眠るのは、アニメ映画で活躍する車のキャラクターを模した小ぶりなベッドである。まるで『白雪姫』に出てくる七人の小人が寝ていたような小さなベッドで、大人が無理やり眠ろうものなら足がはみ出してしまうことだろう。これを夫婦二人の寝室に置いており、龍太郎は気分によって使い分けている。自立心が多めの時は自分のベッドに寝転び、親に甘えたい時は大きなベッドにもぐり込む、といった寸法だ。
これは一人部屋を持つまでの暫定措置で、独り寝の訓練にもなるし気分転換にもなるしと、本人にとっても親である七海達にとっても、なかなか具合が良い。
しかし黛家のマンションの個室が大きいから出来ることだ、と七海は思う。標準的な中古マンションに祖母・両親・四人兄弟を詰め込んでいた江島家では、到底無理な話である。
スヤスヤと眠る頬はプリプリしていて、爪楊枝でつついたら風船に入った羊羹みたいにぷちっとはじけそうだ。
ベビーベットを覗き込みながら、割り切れない気持ちを弄んでいると、明日の出勤準備を整え終わった黛がクローゼットからこちらへ歩み寄り、七海の背後にピタリと体をかぶせるように抱き込んだのだった。
不意に詰まった距離に、ドキリとする。
一緒に暮らしていても、夜寝入る時間帯が被らないことが多い。ただでさえ会える時間が限られているのに、出産以来彼女にとってずっと龍太郎が一番だったから、こういう距離感になる機会は格段に減っていた。
しかし距離を詰めて来た黛の方は特に気にしていないのか、普通に話を続ける。
「玲子も俺の子育ては、そんなにしてないぞ?」
だがその台詞を聞いて、七海は慌てた。
「いやいやいや……!」
育てて貰った本人が、なんということを言うのだ……! と、母となった七海は少々ムッとしながら、背中から抱き込まれた態勢のまま反論する。
「それって小学生の時でしょ? 黛君の記憶に残っていない小さい頃はずっと掛かり切りだったんじゃない? だって玲子さん、とっても子供の世話、慣れてるもの」
「けど俺、本田家に住んでたぞ。一時期、本気で本田家の子供だと思ってたくらいだし」
「え?」
七海は、ここに至り衝撃的な事実を述べる夫に言葉を失う。そして何を言うべきか分からず、黛の腕にとらわれたままグリンと勢いよく振り返った。
七海を解放する気はない黛が腕の拘束を緩めないので、自然と正面に向き合って抱き締められる形になってしまう。
向かい合って目と目を合わせると、かつて七海が不思議に思っていたことが思い出された。
そういえば……やけに本田家での黛の態度がでかいと感じていたのだ。夕飯も当然のように食べて行くし、他人の家だと言うのに遠慮する様子がまるで無かった。子供のころから遊びに行っていたから、とか黛の性格が特殊だから―――などと、あの頃は心の中で勝手に結論付けていたが。まさか実際にあの家に住んでいた時期があったとは……!
「ええと……どういうこと? 龍之介は本田家に住んでいたって……子供のころ一人でってこと? それとも玲子さんも……? それとも、その時もう玲子さんアメリカにいたって言うこと? えーと、えーと……でもお義父さんは? まさか、お義父さんも、もしかして本田家に一緒に住んでいたってこと……?!」
ここで七海はハッと口をつぐんだ。
思わず最後の方で声が高くなってしまったからだ。おそるおそる首だけ振り返ると、龍太郎が全く起きる気配も見せず天使のような寝顔を維持していたため、安堵する。興奮してはいけない、静かにせねば。親としては子供の眠りを妨げないよう、そろそろ電気を消して寝てしまうべきである。と言うより、ここで龍太郎が目を覚ましたら、寝かしつけるのが大変だ。
だが、今の情報をこのままスルーしてしまうのは如何なものか。
そう思った七海は、いったん黛と距離を取ろうとする。だが彼女を囲う腕の力は思った以上にしっかりとしていて、どうにも体を離すことができない。このため距離を取るのはいったん諦め、ジトっと黛を睨み上げつつ、赤子を起こさない程度に声を潜める。
「……それ、聞いてないんだけど?」
「そうだっけ?」
はぐらかすような、とぼけた返答に七海は若干イラっとする。
が、一方の黛は上機嫌にニヤついていた。ムゥッと眉をひそめて、七海は改めて問いただそうとした。
「ねぇ、その話詳しく……ひゃっ」
七海を囲うように背中に回っていた大きな掌が片方腰に降りていた。そして、その先の曲線に這わされつつある。
呼応するように、ざわざわと背筋に震えが来る。七海は慌てた。
「ちょ……」
抗議の声に、腰のあたりからスッと温かみが撤退する。
そして腰から離れたその手は、今度は頬を緩く撫でた―――かと思うと、がっちりと頤を固定する。そのまま黛は、七海の唇にガブリと噛みついた……!
「うむぅ!」
ガブリガブリと―――まるで食べられるかのようだ。
飢えた獣がかぶりつくように、黛は七海に食らいついている。
そうじゃなくて! 今は話が聞きたいのに!! と、七海の理性は叫んだが、懐かしい感覚に絡めとられて徐々に思考が鈍る。
龍太郎が生まれてからこっち、キスやハグなど軽いものは日常茶飯事だったが、本当の男女の触れ合いはまれになっていた。妊娠するまではそういう事に常にマイペースに積極的だった黛だが、意外にもそういう雰囲気を醸し出すことはほとんどなく、回数に不満を示すこともない。本当に理性的な良いパパであったのだ。
龍太郎を生んだばかりの時は、黛からの連絡が途絶えてしまって(と言うのは誤解だったのだが)気持ちが不安定な時期のせいか泣いてしまった七海だが、子育てや仕事に奔走している内に、すっかり黛のことはそっちのけになってしまった。まさに自分のことは棚に上げて、と言う状態である。
そういえば、前回そういうことになったのは二か月以上前のことだ。七海は、何だか申し訳ない気持ちになってしまう……
抱き込んでいる妻の体から、ふっと強張りが消えた。
その隙を見逃す黛ではない。ニッコリとほほ笑むと両腕で七海を再びがっしりと囲い込み、縦抱きで力強く抱え上げた。それから器用に子供用ベッドを囲う間仕切りようのカーテンを閉める。
そのまま彼女は、イソイソとベッドに運ばれてしまったのである。
―――朝が来たらしい。
疲れ切っていつ眠ってしまったか覚えていない七海は、寝ぼけ眼でうつらうつらしていた。すると、すっかり出勤の支度を整えた黛が、艶々した笑顔で見下ろしている。朝日を浴びるその顔が、何だかキラキラしていた。
ボンヤリした頭で改めて七海は思う。すごいニコニコしたイケメンがいる、と。
ええと何だっけ……そうだ。このイケメン、今は私の夫だったんだ。
「んん……おはよう」
「朝は勝手に食べるから、もう少し寝てな」
「んー……でもお弁当作りたい……」
「コンビニで買えるから」
噛んで含めるような優しい声が、耳に心地良い。宥めるように頭を撫でられると、抗えない眠気に足を引っ張られた。
再び眠りに入る直前、ちゅっと額に吸い付かれた気がする。
まるで魔法にかかったように、それを合図に七海の意識はは再び混沌の中へ落ちていったのだった。
七海が起きたのは、黛が出勤したずっと後、昼も近くなった頃だった。
遅刻か? と一瞬慌てたが、そういえばその日は休日で、彼女の仕事は休みなのだと気づく。子供用のベッドに目をやると、すでに空だ。どうやら龍太郎は自分で起きて部屋を出て行ったらしい。すごい、子供って成長するんだ!……と改めて感動する。日に日に手が掛からなくなっていくのが、嬉しいような、なんだか寂しいような。ちょっと前まで私と彼は一心同体だったのに。
かつて七海は龍太郎の保護者で、移動手段で、携帯食料で、世話係だった。
身支度を整えて居間に行くと、彼は玲子と歌いながら遊んでいた。食事はすでに済ませたらしい。
謝罪とお礼を言うと、キレイなウインクで返された。
心にわだかまる気まずさが、シュワシュワと溶けて行く。こうして人に気まずい思いをさせないのも、ある意味天賦の才かもしれない、と七海は感心した。今日もまた、改めて玲子のファンになる。
寝坊した嫁を気にすることもなく、孫と心から楽し気に遊ぶ玲子を眺めながら、ふと昨日黛に尋ねようとしたことを思い出した。が―――何となく尋ねるのは、今じゃない気がする。
そう、無理に尋ねなくてもきっと、そのうち聞く機会はいくらでもあるだろう。
これからまだまだずっと家族として暮らして行くのだから、と。
結論:つけ入る隙を逃さない黛、と言うお話でした。
*****
↓以下、言い訳です。読み飛ばしても支障ありません。
本当は表題になる玲子の話を書こうとしていたのですが、その前提の説明をしていた場面で、黛が予定にない行動をとってしまい。長くなってしまったので、お話を分けることになりました…!
あと、一応龍太郎は昼の間すごく元気で朝までぐっすりと言う設定なのですが、見直しの時、こういう時に子供と同室って微妙かも、と思いカーテンを追加。客室があるのでそっちに行くべきか? と悩んだのですが、一人部屋に置いていくのも怖い。という訳でこのような流れになりました。
設定を、不快に思ったかたはすみませんm(_ _)m
一応二人とも子供を起こさないように気を付けているのですが…って、本当になんの言い訳でしょうか(汗)
*****
新年から言い訳ばかりで申し訳ありません!
お読みいただき、有難うございましたm(_ _)m
そんなこんなで、今年もよろしくお願いします!(^^)/~