7.天使の新生活
4月2日のマイのM大学の入学式に続いて、タエコ、わたしと入学式が相次ぐ。マイとタエコは3月25日に、一緒に東京へ向かうこととなった。
23日にマイとタエコの壮行会をやった。
ミクッツの4人に、最初はタエコのお兄さまが参加。
11時に天歌駅の改札前に集まって、城址公園に行って五分咲きの桜で花見をする。
それからJUJUに行き、バーガーセットを注文して席に着く。
「結局ミクッツ関連では東京3人、天歌2人になったね」とマイ。
転校したミクは。東京の私立K大学の教育学部に進学することになった。
「ギターとベースとドラムスの3人で、その気になれば東京でバンドやれるね」とわたし。
「私は、しばらく音楽から距離を置こうと思ってる。たまにひとりでギター弾くくらいかな」とマイ。
「私にはゲーム三昧の日々が待っているのだ」とタエコ。
「東京で3人でときどき会いたいね」とマイ。
「ミカは来年、東京の大学は受けないの?」とタエコ。
「私は、いずれにしてもこの近辺の大学を受験することになると思う。天大医学部も、医学科は前期日程しかないけど、その他の学科は後期日程があるし」とミカ。
1時間経ったころ、オーナーの半澤さんから「はなむけ」のミニチョコレートサンデーの差し入れ。
サンデーをみんな食べ終わった頃に、お兄さまが「4人だけで話したいこともあるだろうから」と言って、先にお帰りになった。
いろいろと思い出話をした後、ミカの「大事な人」の話になった。
「そう言えば、彼の親友でミカといっしょに医学科受けてた男子、どうだった?」とわたし。
「ああ、タイシくんね。受かったよ」
「予備校でいっしょだった人だよね」とマイ。
「うん」
「告別式で前のほうにいなかった?」とタエコ。
「そう、友人代表ということで。四十九日の法要もご親族以外ではタイシくんと私だけが参列した」
「彼にとって、ミカと並んで特別な人だったんだね」とわたし。
気がつくと3時を過ぎていた。
「名残はつきないけれど、この続きは、また夏休みにでも」とマイ。
「ミクも親戚のところに遊びに来るかもしれないしね」とわたし。
「マイもタエコも元気でね」とミカ。
「がんばりなよ、ミカ。なんて、がんばらない私が言うと変?」とタエコ。
「まあ、ほどほどに。ミカは真面目だから」とマイ。
「マイほどじゃないよ」とミカ。
JUJUの前で別れ際、タエコがわたしにささやいた。
「アニキのこと、よろしく」
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タエコが東京へ発つ日、ふだんは決して弱音を吐かないじいさんが、寂しげに言った。
「お前がいなくなったら...盆暮れには必ず帰るのだぞ」
「わかりました、おじいさま。必ず帰りますので、ご息災でお過ごしください」とタエコ
「お前も達者でな」
家の前で家族揃って見送る。入学式には、両親が前日から一泊二日で参列する予定。
駅までオレが見送りに行く。必要なものはあらかた引っ越し荷物として送ってしまったから、タエコの手持ちはキャリーバッグひとつ。バンに乗り込んで北東方向、マイさんの家へと向かう。マイさんも身の回りのものは旅行カバンひとつだが、ギターを2本、自分で持って行く。
マイさんのお父さまに見送られて、川沿いを北に向かってしばらく行くと、東京へ向かう新幹線の駅。
短い停車時間に、座席がある車両の入口デッキのところに立った二人を、扉が閉まるまで見送る。
中学のときのタエコのことを思い出す。ルミ女でミクッツのみんなと出会って、彼女もすっかり変わった。ぶっきらぼうは変わらないけれど、仲間と一緒に過ごす時を楽しむことができるようになった。東京でもきっと大丈夫。マイさんも、ミクさんもいる。
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新幹線のホームに立ったアニキの姿は、すぐに見えなくなった。
アニキとヨッシーは、天歌でどんな物語を紡いでいくのだろう。二人の関係は、どんなふうに「あたたまって」いくのだろう。
わたしは遠く、東京から見守る。
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あっと言う間に4ヶ月が経って、8月になった。
夏休みに入ってすぐ帰ってきたタエコと、帰った日の翌日にJUJUで二人で会った。
灼熱の屋外から店内に入って、冷たいドリンクでほっと一息つく。
「入学式から、あっという間だった気がする」とタエコ。
「東京はどう? やっぱり慌ただしさが違う?」とわたし。
「東京という街自体の慌ただしさもあるけれど、大学と夜間のゲーム専門学校の掛け持ちは、やっぱ忙しいわ」
大学に入って、タエコは俄然勉強するようになったという。
「LINEにも書いたけど、大学のどの科目も面白いんだ。高校までと違って。専門学校では、昼間ゲーム制作会社でバイトしながら通ってる男子と、クラス一、二を争ってる」
「楽しそうだね」
「おかげでこのタエコ様が、睡眠時間を削る破目になった。平日は6時間とれればいいほう。その分土日に取り戻してるけどね」
「ヨッシーは?」と、一通り東京生活について話し終わったタエコが聞く。
「やっぱりあっという間だった。学校も授業が結構びっしりだし、バイトもまた増やしたし」
「司法試験の受験資金作り?」
「それもある」
「アニキと一緒に司法試験のサークルに入ったんだよね」
「うん、司法試験受験研究会。でも2年生より上の人たちばかりで、話を聞いてもちんぷんかんぷん」
「で、そのサークル以外は?」
「そうね。ケイさんとは...」
同じ大学生になって、タエコも東京に行って、さすがに「お兄さま」はないだろう、ということで、わたしはタエコのお兄さまのことを「ケイさん」と呼ぶようになっていた。
「サークルが毎週水曜日で、その他の平日はケイさんがずっとバイトでしょ。わたしもバイトが入る。週末はわたしが日曜にバイト。土曜日の夕方から「勉強会」ということで毎週JUJUで会ってる。ケイさんと遊びにでかけるのは月に2日、たいてい土曜日の昼間ね」
タエコの取り成しで、お兄さまは週末のうち月2回は、お家の仕事から解放されるようになっていた。
「で、映画に行ったり、ショッピングしたり?」と確かめるような口調でタエコ。
「『エンジェル』に2回行った。ルミッコのフェアウェルライブと、あと1つ」
「ふうん。そこそこ充実してる?」
「優しくしてくれるし、紳士なんだけど...なんか、ちょっとね」
司法試験のサークルは天大のサークルだけれど、ルミナス女子大生で司法試験を目指している人も何人か参加している。そのうちのひとりが、やたらとお兄さまに馴れ馴れしくする。
「3年生でルミ女出身の人らしいから、先輩にあたるんだけれど...」
「そんな気遣い無用じゃね?」
「というか、ケイさんって、根っから優しい人でしょ? だからその人がいろいろと質問したり、議論をしてくるのに、いちいち丁寧に応じているの。それもわたしの目の前で、にこにこしながら」
「悪気はないんだろうけど...しょうがないなあ」
「わたしには、手を繋いでもくれないのに」
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3年生になって司法試験予備試験の短答式試験を5月に受験した。さすがにいまの実力では受からなかった。
今年の後半以降に本格的にとりかかる受験勉強の資金を積み上げるため、オレは8月の平日はほぼ毎日、昼間のバイトに入ることにした。父親に紹介してもらった水産加工会社の現場作業。1年、2年のときも週3日ほど働いた会社で、仕事を覚えるまでみっちりとしごかれた。
タエコ、マイさんのミクッツ東京組が、8月に入って相次いで天歌に戻ってきた。ミクさんも親戚の家に1週間の予定で遊びに来た。
第1日曜日に、ミクッツ5人とオレ、それにミカさんの「大事な人」の同級生で、親友だった男子の7人で海に行った。彼は「タイシくん」と呼ばれている。
天歌駅改札に集合で、タエコをバンに乗せたオレが迎えに行き、南に向かう。
海岸に着く。ところどころぽかりと浮かんだ雲が見える他は、よく晴れた青空。
ミクさんが海の家からレンタルしてきたビーチバレーセットを、みんなで組み立てる。マイさん・ヨッシー・オレのチームとミクさん・ミカさん・タイシくんチームの対抗戦。タエコは審判。1セット21点で1勝1敗になったところで、みんなギブアップ。
まばゆい光の中、波打ち際ではしゃぐミクさん、マイさん、タエコの3人を、砂浜の少し奥から座って眺める。ヨッシーとオレが並び、間をおいてミカさんとタイシくんが並ぶ。タイシくんは医学部医学科の1年生だという。
「バイトどうですか?」と波打ち際を見ながらヨッシー。
「そうだね。きついけど、『労働してる』って実感があるね。コンビニとはまた違った感じで」
ヨッシーのほうへ顔を向けて続ける。
「ヨッシーはどんな具合?」
オレの足の先のほうに視線をやってヨッシーが答える。
「前言ってた、1ヶ月まるまるホームステイする子の穴を埋める形で、JUJUのバイトは8月はふだんの倍になりそうかな」
「そうすると週20時間くらい?」
「ええ。それから空いた時間で、勉強を始めてる」とオレのほうを向いてヨッシー。
以前に「夏休みに憲法と民法の勉強を集中的にしようかと考えている」と彼女が言っていたので、オレから「家族法は後回しにして、代わりに刑法の総論を集中的にやるといいかもしれない。細切れだとなかなか頭に入らない部分だから」とアドバイスしていた。
波打ち際から3人が戻ってきたところで、天歌漁港に歩いて移動して、フィッシャマンズワーフのシーフードレストランで昼食。
食後は、灯台をモチーフにした展望台に上って眺望を楽しむ。展望台は高さ約40mで、実は天歌市で一番の高層建築物。最上階の円形の360度の展望室からは、昼は海側の雄大な眺めが、そして夜は山側の市街地の夜景が楽しめる。
「大事な人と二人でこなくっちゃだね」とミクさん。
展望台から山側に見えていた入道雲が、地上に下りた頃には見る見る高くなって、空も暗くなってきた。
「これはひと雨くるかもしれないね。退散するとしようか」とオレが言うと、みんな足早に駐車場へ向かい、バンに乗り込む。
発進してしばらくすると、ぽつぽつと大粒の雨が落ちてきた。みんなを家までバンで送っていくことにして、最初に自宅に寄ってタエコを降ろすと、市内を東から西に向かう形で順番に降ろして行って、最後にヨッシーを送り届けた。
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大学に入って3度目の夏休み。
わたしは、ときどきルミ大同級生の「彼氏イナイ仲間」と遊びに出かける。
その他は、図書館にこもって司法試験予備試験に向けた勉強に励む。
今年も5月の短答式は不合格だった。いよいよ来年は4年生。なんとか現役で予備試験を突破したい。
そういえば5月の試験の直後に、天大法学部の3年生の男子が1年生の女子と同じタイミングで、司法試験受験研究会に入ってきた。2年から入るのがふつうだから、男子は1年遅れて入ってきたことになるけれど、なかなか見どころのある人物と見た。「弁が立つ」というタイプではないが、適切なタームを用いてロジカルに話すことができる人。
「パートナー候補」かな? ウチダくん。
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8月下旬のある日、午前中からマイ、タエコ、わたしで県庁所在地のT市へ映画を観に行った。ミカにも声をかけたけれど、そこは受験生。「気乗りしない...やめとくわ」との返答。
マイが好きな作家の小説が原作のアニメ映画で、小学生の男の子が主人公、彼の通う歯科医院のスタッフのお姉さんがヒロイン。SFジュブナイルというのらしい。ハラハラドキドキ、おかしかったり、驚かされたかと思うと、最後はほろりとせつなくさせる作品で、あまり映画を観ないわたしも心行くまで楽しんだ。
観終わって、T駅の駅ビル内のオムライスの店でお昼を食べた。マイとわたしにはちょっと多すぎる、ボリューム満点のオムライスを食べながら、マイがアニメと原作の小説について、あれやこれやと語った。いわく、原作にはないシーンを最後に挿入することで、せつなさの中に未来への希望をより大きく感じさせたのがよかった。いわく...いわく...。
「マイは本当にこの作品が好きなんだね」とタエコ。
「原作者の作品の中で、私としてはピカイチかな」とマイ。
9月に入ると、マイもタエコも東京に戻る。
残暑という言葉もそろそろ聞き飽きた9月初旬、お兄さまのバンに乗って、マイとタエコを新幹線の駅に見送りに行った。
タエコはキャリーバッグひとつ。マイは旅行カバンに、こちらに1本だけ持ってきていたアコースティックギターのケース。
ホームで列車が着くのを待つ。お兄さまが飲み物の差し入れを買いに行ったので、しばらく3人だけになる。
「次は冬休みだね」とわたし。
「そうだね。みんなで天満宮に初詣に行かなくっちゃ」とマイ。
「ヨッシー、アニキのこと頼んだよ」とタエコ。
「なんか自信なくなってきた...」とうなだれ気味になるわたしに、タエコがしっかりとした口調で言う。
「大丈夫、ヨッシーなら」
「まずは、手を繋ぐところからかな」とマイ。
「うん。わかった」とわたし。
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「お待たせ」と言いながら、買ってきた飲み物をマイさんとタエコに渡す。
「タエコのことよろしくお願いしますね」とマイさんに言う。
「こちらこそ、タエコがいてくれるんで心強いです」とマイさん
「タエコも元気で」
「うん。アニキもね」
列車が到着してドアが開くと、マイさん、タエコの順に乗り込む。
ベルが鳴り終わって列車が発車する。
昼下がりの陽ざしを浴びながら、ヨッシーとオレは、列車が見えなくなるまで見送る。