6.天使に授業する
今のわたしの夢は、天大法学部に合格すること。
でもその前に、夢のようなことが始まった。
天大法学部生でいらっしゃるタエコのお兄さまに、苦手科目のカテキョーをしていただける。
毎週水曜と土曜。夜7時から2時間、JUJUで教えていただくことになった。
土曜日については、タエコからおじいさまに取り成していただいて、お家の仕事は6時かっきりで上がらせてもらえるようになったらしい。
何から何まで、タエコには頭が上がらない。
最初の授業は9月6日の水曜日。
当日少し早めに行ってオーナーの半澤さんに事情を話した。ドリンクで2時間授業して、その後にバーガーセットのお食事。
「吉野さんのいいようにしてくれたら大丈夫。気にしなくていいよ」と半澤さん。
7時少し前にお兄さまがいらっしゃった。
カウンターに行ってドリンクを注文する。例によってアイスコーヒーとオレンジジュース。
「さて...どちらかというと政経のほうが苦手なんだって?」
「ええ。前にも言いましたが、法学部志望なのに恥ずかしいくらい...」
「どんな科目でもそうだけれど、考え方の軸が1つできれば、みるみるわかるようになる」
「はい」
「じゃあ、政経で、よくわからなくて気になっているところを質問してみて」とお兄さま。
「それじゃあ...」と言ってわたしは教科書を取り出して、最初のほうのページを開く。
「...『法の支配」と『法治主義』のちがいが、いまひとつピンと来なくて...」
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
恥ずかしそうに発したヨッシーの最初の質問は「『法の支配」と『法治主義』のちがい」について。
「なるほど。着眼点としては悪くない。このテーマを深く掘り下げていけば、日本国憲法や政治機構のところが一気に頭に入ってくるよ」
そういうと、オレは語り始めた。
ギリシャ時代の思想から説き起こして、中国春秋戦国時代の法家にも触れて、マグナ・カルタ以来のイギリスの歴史、アメリカ合衆国、そして英米法と大陸法の違い...、途中ヨッシーがついてきているか確認しながら説明して、最後に「大日本帝国憲法下の日本は『狭い意味での法治主義』、戦後の日本国憲法下の日本は『法の支配』になったというのが通説」ということで締めくくった。
「どうかな? オレの説明、わかりにくかった?」
「いえ、そんなことないです。内容が濃くて、私のほうが、キーワードメモするので精一杯でした」
「家に帰ったら、キーワード見ながら思い出してみて。そして気になったところを政経の教科書、あと世界史の教科書とかも読んで、自分なりに再構成してみるといいよ」
「でも、政経って、世界史とほんとつながりが深いんですね」と目を輝かせながらヨッシー。
「特に関係が深いところを、いっしょに整理して頭にいれると定着しやすいんじゃないかな」
「世界史ですけど、お兄さまはどうやって勉強されました?」
「自分で年表を作ること、かな?」
「年表って、教科書にもついてますよね」
「まずは教科書とか参考書の年表を、余白を持たせて書き写す。紙を何枚も貼り合わせて、巻物みたいなのが出来上がったら、教科書や参考書読んで気になったことを書き込む。それを繰り返すと、自然に流れが頭に入る。細かい用語や年号の暗記は、そのあとでOK」
「わかりました。さっそくやってみます!」とヨッシー。
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
「どう、アニキ? ヨッシーのカテキョーは?」と2回目の土曜日の授業のあとに聞いてみた。
「うん。彼女はさすがに蓄積があって、呑み込みが早い」
「で、どんな話ししてんの?」
「政経と世界史の、勉強の話だけど」
「少しは駄弁ったりとかしないの? 好きなゲームの話とか」
「オレも彼女もゲームやらねーし」
「じゃあ、テレビとか映画の話とか」
「今日は『男はつらいよ』の話をした」
「それって、寅さんの映画の話?」
「ああ。ヨッシーに政経の『需要曲線と供給曲線』について質問受けたんで、説明の導入部分で、寅さんの啖呵売の話をした」
こんなアニキ...、辛抱強く見守ってやろう。
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
9月下旬の日曜日に、4人は伝統ある全国統一模試を受けた。
水曜日に、どうだったかヨッシーに聞いてみる。
「模試自体は全然ダメだったです。でも、地歴公民は、いままでよりも問題に取り組みやすくなったように思います」
「実力がついてきてるんじゃないかな」
「他の科目は?」
「そうですね。センター試験ですけど数学がどうも...」
「オレ、数学は割と得意だったので力になれると思う。よかったら少し時間延長して見てあげようか?」
「え、でもそれじゃあ..」
「謝礼は...単品のフィッシュバーガー追加、でどうかな?」
「じゃあ...お願いします!」
その日のうちから、30分延長して数学の授業を始めた。
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
受験生としてのルーティーンは、10月に模試2回、11月に1回、そしてわたしは、日曜以外は予備校に通わさせられている。
10月になってしばらくして、ミカが医学部に志望を変更した。闘病中の「大事な人」のことがあってのことだろう。一浪覚悟で臨むらしい。
そして11月に入ると、入院しているミカの「大事な人」が、近親者以外面会謝絶となった。
ミカにLINEで確認してから、アニキに言った。
「ミカの『大事な人』が、余命幾ばくもなくなったらしい」
「そうか...ひょっとしたら、と思ってはいたけど」
顔を曇らせて、アニキが続ける。
「お前たちは知らされていたの?」
「わたしたちは3月の付属病院のライブのあとにミカから聞かされた。ミカはもっと前に本人から知らされていた」
「ミカさん、ただでさえ大変な時期に、つらいだろうな...ミカさんの気持ちを支えて欲しい、と言うことしかできない」
「うん。何か特別にできるわけじゃないけれど...」
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
学校で、LINEで、わたしたちは、加えてマイとタエコは予備校で、「近親者扱い」のミカに声をかけた。ミカのほうから「大事な人」のことについて話すことは滅多になかった。受験生でありながら、ミカは可能な限りの時間をその人のために捧げ、最期の日々を支えていた。わたしたちの言葉がどれだけミカの支えになったかは、心許ない。
12月23日の天皇誕生日、5時をちょっと回った頃にタエコからLINEが入った。
最後の追い込みで、この日から29日まで毎日お兄さまが授業してくださることになっていた。6時からとなった授業の冒頭、タエコから話を聞いたお兄さまが言った。
「いよいよ...なんだってね」
「ええ...今日、明日が山場とか」
翌24日、授業の最中、7時を過ぎた頃にミカからLINEが入った。お兄さまに告げた。
「お祈りしよう」とお兄さま。
ふたりで目を閉じて祈った。
26日の告別式に、ルミ女軽音部として4人で参列した。マイ、タエコ、わたし、それから同級生の軽音部前部長。
ミカは、最前列、家族の位置で参列していた。
ルミ女の冬服はクリーム色のワンピースで、葬儀には相応しくないかと思ってミカに確認したが、故人はミカにルミ女の制服姿で参列するよう頼んでいたとのこと。わたしたちもミカに倣った。
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
正月三日、ミクッツはメンバー揃って天歌天満宮に初詣するのが恒例になっていた。
今年は、ミカさんが「大事な人」のために喪に服す形になったので、参加しなかった。
タエコがオレに一緒に行くように言った。
3人はルミ女の制服の上にコートを羽織った姿、そしてオレはグレーのセーターとデニムの上下に濃紺のダウンを羽織った姿で、4人並んで天満宮にお詣りした。
よく晴れて風はないが、張りつめたような寒さの中を20分ほど歩いて、4人でJUJUに行く。冷えきった体をホットドリンクで温めても、みんな言葉少なだった。ミカさんのことがあってだろう、受験勉強の進み具合などについてポツリ、ポツリと話す。
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
1月13日と14日の土日はセンター試験。
わたしの第一志望の私立SH大学理工学部は、入試にセンター試験は使われない。けれど滑り止めで受ける大学でセンター利用があるので、受験した。
2日目の試験が終わって6時過ぎ、会場の天大の正門のところで4人待ち合わせして、JUJUへ向かう。
これまで模試のたびに「だめだった~」を連発していたヨッシーが「つかれた~」を連発している。たぶん手ごたえがあったのだろう。マイもまずまずの感じ。わたしは...まあ「そんなところ」かな。
JUJUでいつものとおりオーダーする。
ミカが元気がない。「大事な人」のこと、そして試験も思うにまかせなかったみたい。「足切りにあったらどうしよう」を連発していた。
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
センター試験は、思った以上にうまくいったみたい。予備校の解答速報で自己採点すると、得点率で天大法学部の合格圏内に入ってきた。本当にタエコのお兄さまの授業のおかげ。
センター試験の後から2月の初めまで、お兄さまが大学の後期の試験の期間となる。わたしはちょうどその期間、3人が通う予備校の直前講習だけを受講することになったので、お兄さまの授業はいったんお休み。
予備校の受講を終えて、天大法学部の前期入試まで、再びお兄さまの授業を受けた。日曜以外の毎日ほぼ3時間。授業の中身もそうだけれど、こうして親身になって教えてくれる人が存在する安心感の中で、最後の準備をできることが嬉しかった。
前期試験の前日、タエコから「第一志望のSH大学理工学部に合格した」とLINEが入った。よかった!
いよいよ2月25日の本番。天大の大教室で受験した。英語、国語、政経の記述3科目は、やはり相当ハードだった。
正門のところで医学部を受験したミカと落ち合う。おとなしい雰囲気の男子といっしょにやってきた。
「ヨッシー、おつかれさま。どうだった?」とミカ。
「うん。持てる力は出し切ったって感じかな? ミカは?」
「もう、ダメダメ。まあ、覚悟はしてたけど」
それから、ミカと一緒の男子を紹介してもらった。「大事な人」の天高の同級生で親友の、中村大志さん。ミカと同じ医学部を受験。
「ミカたちは、もう一日あるんだよね」
「うん。気が重いよ~」
「がんばってね」
3人並んで天歌駅の方向に歩き、天高の角のところで右に曲がる2人と別れた。
東京郊外の国立H大学を受けているマイも、もう試験が終わっているだろう。
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
妹4人の大学入試を見守るような気持ちで過ごした。
一番最初に進学先が決まったのがタエコ。国公立の前期試験の前日、SH大学理工学部の合格発表があった。
マイさんは、国立H大学の前期試験を受験した翌日に、東京都内の私立M大学文学部の合格が発表された。図書館司書志望の彼女は、私立M大学への進学を決めた。
我が教え子ヨッシーは、前期の天大法学部、中期の県立T大学法文学部、後期の天大法学部に出願。前期試験のあと1日休養日をとってから、中期、後期の小論文対策の授業を始めた。
ミカさんは、今年は天大医学部のみを受験。心配していた「足切り」は免れたけれど、2次試験の結果は芳しくなかったらしい。
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
3月1日の木曜日。卒業式の日。3年間通った学び舎に別れを告げる日。
私立への進学を決めた生徒は晴れやかな表情。一方、国公立の結果を待っている生徒はどこか複雑な表情。
ミクッツでは、マイとわたしが東京の私立への進学を決めている。ミカとヨッシーが地元の国公立。ヨッシーは前期試験もある程度手ごたえを感じているようだけれど、ミカは早くも来年に向けて気持ちを切り替えようとしているみたい。
いずれにしても東京へ出ることを決めていたわたしは、恵務お兄さまにお願いして、東京での部屋の手配を進めていた。SH大の合格発表直後にお兄さまの付き添いで東京に行き、一泊二日の速攻で、部屋の契約と夜間に通うゲームの専門学校の入学手続きをすませた。
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
卒業式の余韻に浸っている暇もなく、わたしは中期、後期に備えた勉強を進めた。
天大医学部医学科専願だったミカは、後期はないので受験は終わり。結果発表を待っていた。
「99.99%ダメだと思うけれど、やはり落ち着かないな」とLINEでミカ。
タエコは東京生活の準備を合格発表直後から着々と進めている。マイは卒業式直後から準備を始めた。
そして本当にあっという間に中期試験当日。県立T大の試験が終わったお昼過ぎに、WEB上で天大前期試験の結果が確認できた。
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
中期試験当日の昼過ぎにヨッシーから電話が入った。
「もしもし...」
「ああ、お疲れさま...どう?」
その日は天大前期試験の合格発表日でもあった。
「...あの、えーと...」
すぐに言葉が出てこないということは...
「...ご、合格でした!...嬉しいです」
「おめでとう! いや、ほんとによかった」
「本当に、ありがとうございます。お兄さまのおかげです」
「いや、キミのがんばりがすべてだよ。いまT大だよね。真っすぐ帰ってまずはご家族に報告だね」
「そうします」
「よかったら...あしたJUJUで『卒業式』やろうか」
「ええ。嬉しいです。ぜひ」
--------- ◇ ------------------ ◇ ---------
マイ、ヨッシー、わたしの大学受験は、「念願かなって」という結果になった。ヨッシーの天大法学部現役合格は、いろんな意味で本当によかったと思う。
けれど「念願」の結果が「残念」となる人もいる。
ミカは唯一受けた天大医学部に不合格。浪人生活を送ることが決まった。
「まあ、想定していた展開だから」とサバサバしたように言っていたけれど、「大事な人」のことも思うと心中察して余りある。
天大の合格発表の翌日、アニキが誘ってヨッシーと二人でJUJUで会ったらしい。『卒業式』とかもったいぶっているけれど...まあ、いいか。