5.天使、演奏を終える
二度も「エンジェル」の舞台に立てるだけでもすごいことなのに、ルミッコのサポートメンバーとして、というのも嬉しい。
朝からカンカン照りの7月29日土曜日、午後4時の開演から、会場の後ろのドリンクカウンター近くで出番を待った。ルミッコの演奏が3曲終わったところで、わたしたちはステージに向かう。
再び演奏できるとは思っていなかった「DNA」。ボーカル部分のアレンジはマイが担当して、原曲にはないコーラスパートをいれていた。ミカとわたしのハーモニーは、自分で言うのもなんだけれど、バッチリ決まった。演奏が終わって、わたしは後列のサイドボーカルの位置から、前列真ん中のミカのところに飛んで行って、ハグをした。
場内ほぼ全員が立ち上げり、拍手が高まった。背の高いお兄さまの姿はすぐにわかった。全員で揃って、お辞儀。拍手はしばらく鳴りやまなかった。
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終演後、片づけをしてから「反省会」へと向かうルミッコのメンバーを見送ると、5時半を過ぎていた。オレとミクッツ4人は、ライブカフェ「エンジェル」の入口にいた。
「みんな、改めておつかれさま。さて、私たちはあしたマークシート模試だから、まっすぐ帰ることにしよう」とマイさん。
「あ~あ、受験生の現実」とミカさん。
「アニキはヨッシーをお家まで送り届けること」と、さらりとタエコが言う。
「え?」とオレ。
「じゃ、そういうことで」とタエコが言い、「お疲れ~」と言いながらタエコ、マイさん、ミカさんがさっさと家路についた。
残された形のヨッシーとオレ。「エンジェル」を背にしばらく並んで無言でいた。
オレが彼女の方を向いて口を開く。
「今日はバン乗ってきてないんで、公共交通機関になるけど」
彼女もオレの方を向いて答える。
「ええ。今日はそのつもりだったんで、私はいいんですけれど...お兄さまはよろしいんですか?」
「オレは前期の試験も終わって、全然問題なし」
「じゃあ、喉が渇いたんで、少しお茶していきませんか?」とオレを見上げてヨッシーが言う。
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つくづく手の焼けるアニキだと思う。
今日のライブ後のことについては、マイとミカにも事前に根回ししておいた。
しっかりしてくれ、たのむぜ!
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6時少し過ぎ、わたしはお兄さまとJUJUにいた。
カウンターでポテトのLとMサイズのドリンクを注文。お兄さまはアイスコーヒー。わたしはオレンジジュース。
揚げたてのポテトを、ライブに来られたオーナーの半澤さんが運んでくださった。
「今日はお二人なんだ」
「他のみんなは、あした模試だからって帰っちゃいました」
「吉野さんは、余裕?」
「そんなことないですけど、ステージのあと、ちょっとクールダウンしたくて」
「いや、本当にいい演奏だったよ。タエコさんのお兄さんも、どうぞ、ごゆっくり」
しばらく今日のライブについて話す。
「ところで、あした模試ということだけれど」
「ええ」
「志望校を書かなきゃいけないよね」
「はい」
「差し支えなければ...でいいけど」
「第一志望は...国立天歌大学法学部、第二志望を県立T大学法文学部法学科にしようかな、と思ってます」
「そう。法律勉強することにしたんだ」
「はい。そしてできれば...弁護士になりたいな、と」
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「ヨッシーが弁護士志望になった」と聞いて、驚いたオレ。
「...本当に?」
「ええ」
「オレが...変なこと言っちゃったからじゃないよね?」
「天高文化祭のときのお話ですか?」
「うん、あれは本当に青二才の戯言だから」
「あのときのお話、とても印象に残っています。法律の世界に興味を持つきっかけになりました」とつぶらな瞳でヨッシーが言う。
彼女は彼女なりに法律の世界に進むことを考えてみた。法律専門職について幅広く調べてみた。弁護士はなかなかハードルが高い。けれど他の法律専門職は活動できるフィールドにいろいろと制約がある。どうせ目指すなら「オールマイティー」の弁護士を目指したい、という結論になったとのこと。
「わかった。ちゃんと考えてのことなんだね」とオレ。
「はい」
「応援する。是非オレの後輩になってほしい」
「ええ、そうなれれば嬉しいんですけど」
「でも、当初の予定では、今頃は受験勉強に専念してるはずだったんだよね」
「そうなんです。8月のライブは、嬉しくて仕方ないんですけど、勉強が...」
「まあ、ヨッシーはずっと頑張ってきた蓄積があるから、大丈夫だよ」
「ええ...がんばる、としか言えないです」
「それにひきかえタエコは...いまごろ家でゲームだぜ」
「彼女は天才ですから」
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ライブ演奏で高まった気分を落ち着けるには...やはりゲームに限る。
ということで8時過ぎにアニキが帰ってきたとき、わたしはRPGをやっていた。
「ただいま」
「おかえり、アニキ。ちゃんとエスコートした?」とゲームをしながらタエコ。
「JUJUへ行って、帰りはバス乗って家まで送って行った」
「ふうん。で、なんの話ししたの?」
「最初はライブの話。それから大学受験について」
「そういえば、彼女、法学部目指すとか言ってたけど、アニキ、何か変なこと言ったんじゃね?」
「以前に、なんでオレが弁護士志望かって聞かれたんで、ちょっと話はしたんだけれど」
タエコは一瞬オレの方に目をやる。
「純粋なヨッシーを、変な道に連れこんじゃいけないぜ」
「いや、話を聞いたら、彼女なりにしっかりと考えてのことらしい」
「それならいいけど」
「ところで、あした模試で勉強しなくていいのか?」
「下手に勉強したら、真の実力が測れないんじゃん」とゲームのモニターを凝視しながらタエコ。
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付属病院ホールでのライブの前日、「ソヌス」で最後のリハーサル。よちよち歩きの頃から見守ってくださったオーナーの戸松さんは、少し涙ぐんでおられた。
「リハーサル後の反省会」も最後。もう反省することもないので、雑談になる。
そして8月11日。最後のライブの日。例によって、午前中からお兄さまがメンバーと楽器をバンで拾って行ってくださる。車内でコンビニのおにぎりとペットボトルで軽く昼食。うだるような暑さの中、12時半頃に会場入りする。
2時開演。「エンジェル」のライブのときと同じオーダーで演奏する。1曲1曲、それぞれに思い出がある。特に最初の頃に取り組んだ曲は、悪戦苦闘しながら練習を重ねた日々のことを、懐かしく思い出させる。
マイの弾き語り。「エンジェル」のときからさらに迫力が増したパフォーマンス。
5曲目、ミカ作詞のバラードが終わると、最後のメンバー紹介。ミカ、わたし、タエコの順で、ステージネームでマイが紹介し、最後にわたしがリーダーのマイを紹介する。
6曲目が終わり、マイの最後のMCののち、正真正銘最後の曲。ミカとの掛け合いも最後かと思うと、涙が流れそうになるのを我慢して演奏し続ける。最後の一音までの「タメ」を普段よりも長くとった。そして終わり。
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タエコのお達しで、ライブ後のJUJUに同席する。
今日もみんなバーガーセット。「エンジェル」ライブのときと同じメニューだが、オレだけクラシックバーガーに単品のフィッシュバーガーをつけた。
「なんか昼、食べそびれちゃって、腹ペコなんだ」
気がつくと自然にヨッシーと向かい合わせになっていた。
マイさんがリーダーとして挨拶。それが終わると、みんなバーガーに取りかかる。
バンドの思い出話。
「最初の頃は、わたしは左右指1本ずつで演奏してたんですよ」とヨッシー。
「『YOU MAY DREAM』を最初に選んだひとつの理由は、キーボード指一本でもそれなりに形になるから」とマイさん。
「1年7月の校内ライブはダメダメだったよね」とヨッシー。
「ミクのベース、落ちそうになった」とタエコ。
「『1/2』に取り組む頃から、バンドとして形になってきたように思う」とマイさん。
「そして救世主登場」とタエコ。
「今から思うと、いきなり譜面をもらって2週間必死で練習したのが、とっても楽しかったわ」とミカさん。
「ミカの透明感の中に艶と張りがある個性的な声は、すっかりミクッツの看板になったね」とマイさん。
1時間半ほどした頃に、オーナーの半澤さんが「ご褒美」のミニチョコレートサンデーをもって登場。
「おつかれ。最後に最高の演奏聞かせてもらった。JUJUはこれからも続くんで、ご贔屓にしてくださいね」
さらにしばらくして「そろそろ帰ろうか」ということになった。オレがパーキングからバンを回してくる。
戻ってくると、ミカさんの暗い顔。
「...あまり思いつめないで。またいろいろと話しして」とマイさん。
今日も来ていた、闘病中の「大事な人」のことだろうか。
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天歌市に、本格的に受験生生活を送る女子が、新たに4人誕生した。
いや、正確には3人か。わたしは相変わらずだから。
見かねた両親によって、予備校に放り込まれた。マイやミカと同じく、天歌駅前の大手予備校のサテライト校。わたしとしては、東京に出てゲームの専門学校に通いたい。けれどじいさんや両親から「それなりの学校で学士号だけは取っておけ」と言われたので、昼間は大学に行って、夜間にゲームの学校に通うことにした。志望校として恵務お兄さまと同じ大学の理工学部と言ったら、理系の最難関校コースになった。
平日夜間と土曜の昼間が予備校に取られることになって、ますます「自宅で勉強」どころではなくなった。
メンバーのみんなの平日の睡眠時間は、マイとヨッシーが4~5時間、ミカが6時間くらいらしい。わたしは、睡眠時間は絶対に譲らない。1日最低8時間。
でもどうなんだろう。わたしの睡眠時間を少しヨッシーにあげることができたら、彼女とアニキが会う時間を作ることができるんだろうか。
相変わらず二人は「あたためますか」「お願いします」の関係が続いているらしい。
脱シスコンを目指す兄をもつ妹として、そしてバンドの仲間として、受験という環境下で何か二人にしてあげられることは...?
そうか、ひょっとして、あの手が...!
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ルミッコのフェアウェルライブの翌日に受けたマークシート模試の結果が、9月1日の二学期始業式の日、ウェブで確認できるようになった。
ミクッツの4人で、放課後カフェテリアに集まって確認する。
「全然ダメだった」とわたし
「正答率、天大法学部の合格ラインに全然足りてない。県立T大にも足りてない」
「ヨッシーは国公立一本だからなあ」とマイ。
「あ~どうしよう。さすがに浪人して予備校通う余裕ないし」
「みんなはどうだったの?」
「私は、国立のほうが、まだ少し足りない」とマイ。
「私は、第一志望が、まだまだ」とミカ。
「みんなはいいよ。予備校でしっかり対策できるから」
「苦手科目は?」とタエコ。
「世界史Bと政経。特に政経が厳しい」とヨッシー。
「ちょっと待って」と言うとタエコはLINEを始めた。
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タエコから「兄上」で始まるLINE着信。
「つかぬことを伺いますが、兄上の塾講師の指導科目は?」
すぐに返信する。
「世界史と政経」
「日頃わたしがお世話になっている受験生の方が、世界史と政経で苦戦しておられます。兄上のご厚情をもってご支援いただけませんでしょうか」
「じいさんに許しもらってくれるなら、いいけど」
「週2回。1回2時間で、謝礼は毎回JUJUのクラシックバーガーセット、ではいかがでしょう」
ははあ、なるほど。
「ひょっとして、それってヨッシーのこと」
「ご明察」
「なら、べつに謝礼はいらんけど」
「いえ、タダでは彼女が気兼ねするかと」
「了解。ヨッシーさえよければ、オレは構わないよ」
(「熱烈感謝」のスタンプ)
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「ヨッシーのカテキョー候補。世界史と政経の指導経験あり」とわたし。
「それって、ひょっとして?」とミカ。
「そう、アニキ」
「でも、天大生の相場の謝礼なんて、とても払えないし...」とヨッシー。
「週2回。1回2時間。毎回JUJUのクラシックバーガーセットでOK」
「ええ? 本当に?」
「関係者特別割引」
「でも、それじゃあ...」と申し訳なさそうにヨッシー。
「遠慮無用だよ」とわたし。
「とてもいいお話しじゃない」とミカ。
「そうだよ。せっかくお兄さまが、いいっておっしゃってるんだから」とニコニコしながらマイ。
「JUJUのクラシックバーガー、アニキの大好物」
「ありがとう、タエコ。本当に...じゃあご厚意に甘えて」
ヨッシーの顔に笑みが広がった。
よし。これで最低週4時間は、二人きりの時間が確保された。