「嗚呼……あの葉っぱが全て落ちる頃に、私は死んでしまうのね」系お姉さん
「本当の事をおっしゃって下さいな先生……」
「ですから、ただの過労です」
伏し目がちに言うその女性の視線が外へと向いた。
木枯らしに吹かれ、窓の傍にある大きな木の残り少ない葉が舞った。
「あの葉っぱが全て落ちたら……私は死んでしまうのね」
「ええ、その頃には退院出来ると思います」
ドレスのような寝間着を着た女性が、恨めしそうにこっちを見る。
「いつだってそう。貴方はウソで全てを塗り固める」
「ですから何でもないんですって」
女性が腕に繋がった点滴を眺めた。風邪の時とかに射れる普通のブドウ糖だ。
「もう生に未練なんかありませんわ。今すぐにでもこの点滴を引き抜いても構いませんことよ?」
「後10分で終わりますので看護師がくるまでは抜かないで下さい。仕事が増えますから」
そう言い残し、個室を出る。
ナースステーションへ向かい、適当な看護師に声をかけた。
「八木原さん」
「はい」
「個室の漆間さん。点滴終わったら帰していいよ」
「分かりました。あ、先生」
「ん?」
「今日……夜開いてますか?」
「あー」
突然のお誘い。胸ポケットから手帳を開く。今日の日付には『田中さん:大動脈解離心臓バイパス食道気管支瘻左上腹部内臓全摘横隔膜裂孔ヘルニア手術』と書かれていた。
「空いてるよ」
「やたっ! この前言ってたお寿司屋さん行きませんか!?」
「ああ。おごるよ」
「嬉しい! 必ずですよ!?」
八木原さんがウキウキとスキップをしながらナースステーションを出て行った。ポニーテールが左右に揺れ動き、見ていて飽きない。
「お、山本山本! ちょっといいか」
「なんだ?」
そして偶然通りかかった外科の山本に手招きをする。手には大量のファイルが抱えられていた。
「今夜の田中さん。執刀はお前が取れ」
「は?」
「とりあえず取っちゃえばいいから、な」
「『な』じゃねぇし。ふざけんなあんな死にかけ俺が出来るかよ」
「大丈夫。取り過ぎたらプリンでも繋いどけ。それじゃあな」
「──おい! 待て!! 後でなんか奢れよ!!」
後ろを向いたまま、山本に向かって手を振る。
さっさと仕事なんか片付けて、八木原さんと御デートに勤しむとしよう。
「先生。個室の漆間さん、退院拒否してますが」
終わり間際、実に嫌な電話を取ってしまった。
「放っておけ」
「ですが先生を呼べと騒いでおりまして……」
「居ないと伝えておいてくれないか?」
「来ないなら過去の──」
「漆間さんどうましたかぁぁ!!!!」
「あ、先生……」
ベッドから起き上がる女性に向かい、殺意を軽く向ける。全力で走ったから息切れが凄まじい……!
「もうそろそろお迎えが来るから、持ち物を整理していたの……」
「家族の方は来ませんよー。自力で帰って下さい」
引きつった笑顔で対応。写真を並べだした女性の手から、それらしい物を引き抜く。
「そうやってまた隠すのね……」
「いつの間に写真なんか……!」
懐かしい少年時代の写真だ。
痛くもないのに包帯を巻いたり、眼帯をして根暗を気取った実に子どもらしい過去の話だ。
女性が外へと目をやった。
木の葉は後、数枚で無くなりそうだった。
「わたし、助からないのでしょ?」
「もう助かってますお帰り下さい」
女性が静かに息を吐いた。
「何故?」
「暇ではないので」
「昔は『大丈夫!? 痛くない?』ってすぐに心配してくれたのに……」
「子どもの頃の話でしょう?」
「今は診てくれないの?」
「もう診ましたよ」
「ちょっと触っただけじゃない。あの時みたいに念入りに調べても良いのよ?」
「──なっ!」
思わず言葉に詰まる。
どうやらとことん調べないと帰らないつもりらしい。
「じゃあさっさと済ませて帰りますよ!?」
「そう。お願い」
「点数増えるから簡単にしか出来ませんからね?」
「ええ」
女性の腕を取り、脈を見る。
最初は普通だったが、急に脈が早くなった。
「鼓動が早いですね」
「病気です」
そのまま脈を見続ける。
ゆったりとした時間が流れた。
「顔が赤いですね」
「病気です」
女性が空いた右手が寝間着のボタンにかかった。
「服はそのままで良いですから」
「残念」
女性が窓の外へと目をやった。俺も自然と目がいった。
もう木の葉は一つも残ってなかった。
懐かしい気分がやってきた。
医者を目指そうと思った、あの時と同じ光景が目の前にある。
「時間ね……」
「……」
女性が手を引いた。
立ち上がり身支度を始める。
「お世話になりました」
「あ、ああ……」
妙な名残惜しい気持ちが湧いた。
会計ロビーまで見送ることにした。
「先生……ありがとう」
言葉が出なかった。
「あ、あの」
支払いを済ませた女性に、声をかけた。
自分でもアホくさいと思うが、仕方ないのだろう。
「元気でな」
「ありがと。今夜……暇?」
「手術」
「そ、残念」
「田中のじっちゃんの内蔵全部取る仕事が入ってる」
「忙しいのね。もし暇だったら家に招こうかと思ったんだけど……」
女性が寂しそうな笑顔で病院を後にした。
「せ、先生……」
振り返ると田中のじっちゃんの車椅子を押す家族が居た。
「おじいちゃんは治らないんですか……!?」
ヤバ、聞かれたか?
「治りますよ」
爽やかな笑顔で切り抜ける。
「いま、全部取るって……!」
聞かれてたー(笑)
「悪い所を全部取るって意味ですよ。大丈夫です」
「良かった……先生が執刀なら安心です。おじいちゃんをお願いします!」
「ええ、お任せ下さい」
うん、罪悪感がパない!!
「山本」
「あ? お前バックれたんじゃ……?」
車椅子を押しながら控え室へと向かった俺は、山本に声をかけた。
「すまん、俺の代わりに八木原さんとお寿司を食べてくれ」
「は? 何その仕事。お前俺に手術押し付けてそんな美味しい往診行くつもりだったのかよ」
「だからお前に変わって欲しいんだよ。勿論食事代は俺持ちだ。カード持ってけ」
「フォォォォッッ!!!!」
山本が突如発狂。
白衣を投げ捨てガッツポーズしながら夜の病院を全力疾走して消えた。
宜しくやれよ、山本。
「あ、プリン使うか?」
「しまっとけ」
ひょっこり現れた山本が再び鼻歌全開で去って行く。
「ふが、ふがふがぶが……!」
田中の爺さんが何か言ってるが、俺にはよく分からない。
「大丈夫だ。絶対助けてやる。老衰以外の受け付けてねぇから安心して死ねるからな」
結構臓器取っちゃったけど、なんとか田中の爺さんは無事手術を終えた。
「すっかり遅くなったな……」
スマホの時計は日付をまたいでいた。
カードの支払い通知を見ると『58,560円』となっていた。
今度、山本の腹にプリンを移植してやろう。
見慣れた我が家に到着した。
誰も居ない家は真っ暗だ。
「……ふぅ」
隣の家の一室に、小さな明かりが見えた。
「起きてるのか?」
自然と足が向いた。
表札から玄関まで慣れた足取り。
ドアノブに手をかけると、すんなりとドアは開いた。
「不用心にも程があるぞ」
鍵をかけ、靴を脱ぐ。
静かに二階へと昇り、奥の部屋の前で息を整えた。
真っ暗な廊下だが何事も無く辿り着けた。
「動かないで」
不意に首に鋭い感覚が押し付けられた。
「誰かしら?」
「医者だ」
「悪いお医者さんかしら?」
「まだ、普通の医者だ」
首から鋭い感覚が離れた。
部屋のドアを開け、そのまま押されるように俺は部屋へと入れられた。
小さな豆電球だけが部屋を照らしている。
「こんなか弱い患者の家に、それもこんな夜中に押し入ってどうするつもりかしら?」
意地の悪い笑みが見えた。
「その……なんだ。一言御礼を言いたくてな」
「えっ?」
「俺は最初、プリンを入れるつもりだった。けど、あの時の気持ちを思い出して、初心に返ったというか……その」
「何を言ってるのかさっぱり分からないわ」
彼女がテーブルに何かを置いた。
そっとしがみ付くように、手が回された。
「診て……くれるのかしら?」
「俺で良ければ」
何も変わらない、あの時の続きが今、始まった──