3.告白現場
ヴェンデッタ・アークディオン
それが、魔王と呼ばれる女の名前であった。
その名を知らぬ者は居らず、人々からは恐れられ、その名を耳にすれば思わず震えてしまう。
その名は、そういうものであった。
だから、自分が討つべき存在はそういうものであると勇者は疑っていなかった。
故に、魔王が待つ城へ足を踏み入れ──死闘の果てに。
実力が及ばず、後一歩というところで魔王相手に膝をついた時に。
「使えん勇者だ」
そういった魔王が、己に背を向け去っていったことに途方に暮れた。理解が及ばず、去っていく魔王に「いっそ殺せ」と叫んだ勇者に、魔王は冷たい視線を向けて一言告げた。
「何も知らん力もない勇者を、殺す価値などないな」
魔王の告げる言葉が理解できず、一人取り残された勇者は魔王の城から一時撤退をしながら、言葉の真意を一生懸命探した。
何故、殺されなかったのか。
何故、自分は生きているのか。
何故、何も知らないと言われたのか。
魔王は悪い存在。勇者は唯一魔王を倒せる存在。だから、勇者は魔王を倒さないといけない。
そんな常識が、覆されるような出来事だった。
悩みに悩み、考えた勇者は。一つ、結論を出した。
知らない、と言われたのなら知れば良い。
理解が出来ないのならば、理解をすれば良い。
傷を癒し、考えを改めた勇者はもう一度魔王の城を訪れる。
今度は戦う為ではなく、理解するために。
話をするために。
──それが、魔王と勇者のはじまりだ。
*****
王子というあだ名で親しまれ、人気のある篠本という男は人が良い。
頼まれれば断ることは早々ないし、人が困って居ればさりげなく手伝おうとする。
大勢の女子に囲まれて困っても、酷い対応をすることはなくできるだけ向き合おうとしている。まあ、それが更に囲まれる結果に繋がったりもするのだが。人が良い事に違いはない。
そんな篠本自体には、少なからず好意を持っている。その本質が、勇者の魂を持っていたとしても。篠本という人間自体には別に悪い所はない。
教師に頼まれてノートを運んでいたところを助けてくれた。
自販機の前で十円が足りなくて困っていたら、貸してくれたこともある。
何てことない、小さな積み重ねではあるが。頼まれてやるのではなく、自ら言い出してくれるその姿はそう悪い物ではない。
悪い物ではないのだが。
(来年は、違うクラスだと良いな)
──見れば見る程、思い出してしまう。勇者にそっくりな容貌を持つ篠本を見れば。芋づる式に、前世の事を。
それは良くない傾向だと分かっているのに。
「……早く席替えしてくれないだろうか……」
放課後、篠本に返してもらった消しゴムを手の中で弄んで息を吐く。お礼に明日は菓子を持ってくると言ってくれたが、正直言って接触をしないでもらえた方が助かる。
だが、"勇者"と違って篠本は何もしていないため、接触を拒むのも何処か申し訳が無い。唇を軽く噛んで、ため息を吐いて帰る支度を進めた。
奈子は部活だし、奈子以外の友人は自分には居ない。まあ、一人で帰る方が気楽なので、問題は無いが人ごみは余り好きではなかった。結果、少し時間を置いてから下駄箱を出るのが習慣となっていたのだが。
「好きです、付き合ってください!」
下駄箱を出て、裏門近く。響いた甲高い声に、額を抑えて深々とため息を吐いた。
すぐ傍の壁に背を預け、盗み聞きをするような立ち位置に少し申し訳なくもなる。
が、まだ生徒の出入りがある裏門の傍で告白をする方が悪い、と思い直しその場に待機をする。
正門から帰っても良いのだが、それだと少し遠回りになる。流石に場所をわきまえない女子生徒相手に、其処までやってやる義務はないだろう、告白が終わるのを待っていれば。告白された方であろう男が口を開いた。
「悪いけど、付き合えないな」
篠本の、迷いのない声だ。告白されているのはアイツか、と姿を思い浮かべれば更にため息が出た。
「どうして!? 篠本くん、彼女居ないんでしょう!?」
「居ないけど、関係ないだろう?」
「だったら、付き合ってみても良いじゃない」
聞いている限り随分と強気な女だ。それに対して、人の良い篠本が珍しく強気に返している。どうでも良いから早く終わらせてくれないだろうか、なんて欠伸を噛み殺していれば。強気な女に、負けじと篠本が更に強く返した。
「君には運命を感じないんだ。君とは、付き合えない」
──何を言い出したんだ、こいつ。
盗み聞きに若干の申し訳なさを抱いていたことも忘れて、思わず壁の向こうへと視線をやった。
女の方はまるっきり見覚えが無い。が、自分と同じネクタイの色を見る限りどうやら同級生だ。遠目から見ても、愛らしいという表現が当てはまるように見える。
其れに対して、篠本は眉を潜めて強い眼差しでそう告げた。それに、女は茫然として目を何度か瞬いた後、顔を真っ赤にした。
「何それ! 馬鹿にしてるの!?」
いや、それはまあ。そうだな。だがまあ、直ぐに引かなかった女も悪いんじゃないか?
そんな風に思っていれば、ぱちんと平手を一つ篠本の頬に浴びせて。女は大股で、裏門から去っていった。
──随分と過激な告白現場だった。結局がっつりと告白現場を見てしまった事に申し訳なさを抱き、後一分ぐらいしたら裏門を通って帰ろう。そんな風に決めた時。
此方を見た篠本と、目が合った。
「……」
「……み、見てた?」
見ていなかったと言える雰囲気ではなかった。顔を赤くして、青くした篠本に少しだけ目を逸らしながら頷けば彼は深々とため息を吐いた。