婚約者である王子に突然人生の意味を問いかけられました
「なあ、イザベラ」
「はい」
「人は何のために生きているのだろう?」
「……はい?」
ある麗らかな春の日の昼下がり、二人きりで優雅なお茶会を楽しむ憩いのひとときに、婚約者であるアラン王子殿下から唐突に哲学的な質問をされ戸惑ってしまいました。
「俺は健康な肉体に恵まれ、今まで病気一つしたことがない。この国の第一王子という立場にあるが故に、生まれながらにして将来の富と権力も約束されている。何より世界で一番美しく賢い、愛する婚約者が傍らにいてくれる……誰もが羨む幸せ者だ」
先程はどこかに頭でもぶつけてしまわれたのかと心配しましたが、アラン様なりの一風変わった愛の囁きだったのでしょうね。確かに見事な不意打ちを食らってしまい、頬がほんのりと熱を帯びています。
「だが、そのことに一体何の意味があるというのだ!」
「んん?」
気のせいでなければ生涯を添い遂げる大切な婚約者であるはずの私の存在を、たった今アラン様は全否定なさったようでしたが。ひょっとして無謀にも私に口喧嘩を売るおつもりなのかしら。
5歳の頃、研ぎ澄まされた弁舌によって、生意気な家庭教師を完膚なきまでに論破し、屈服させ、号泣するに至らしめたこの私に愚かにも舌戦を挑むとは、いい度胸ですね。
「たとえ今健康な肉体を持っていたとしても、老いに逆らうことなど出来ないし、いずれ病に冒されて死ぬことは免れない。如何なる財産や権力を以てしても死の前には無力だ……」
何だか勝手にヒートアップしていらっしゃるようですが。あれ……王子の目尻に光るものが……
「俺がどんなにイザベラのことを愛していても……いずれ必ず残酷な別れが訪れるというのならば……この人生に……一体どんな意味があるというのだ!!!」
成人男性が目の前でぽろぽろと涙を流す姿を見るのは生まれて二度目です。今回は私が泣かせた訳ではありませんが。でも、彼が情緒不安定過ぎるおかげで、私の怒りは自然と収まってしまいました。
「限りある人生だからこそ、その時間を大切にして、愛する人と共に過ごすというのも素敵なことではありませんか?」
私のロマンチックな反論にも、全く分かっていないと言わんばかりに首を横に振るアラン様。
「確かに愛は一般的に尊く価値あるものだとされている。だが、巷を頻繁に騒がせている婚約破棄騒動の原因も、同じ愛ではないか。少し前まで、血を分けた姉妹が真実の愛とやらのために骨肉の争いを繰り広げる事件が立て続けに起きて、国中の噂になっていたことは君もよく知っているだろう?」
最近はようやく落ち着いてきましたが、確かにアラン様の仰る通り、国中の姉妹が醜く罵りあい、家族まで巻き込んで婚約者を奪いあう謎の現象が起きていました。
「全ては愛という欲望によって、執着心が生まれてしまうことが原因だと俺は気が付いたんだ! 愛さえ持たなければあんな悲惨な出来事は起きなかっただろう!」
「いえいえ、ちょっとお待ち下さい。全人類から愛が失われてしまったら、痴情のもつれどころか、そのうち人間そのものが絶滅してしまうではありませんか?」
「ん? ……なるほど……確かにそうだな……それは非常によくない」
まさかとは思いますが、私の婚約者は単に思慮深そうなだけのおっちょこちょいなのでしょうか。
今気づきましたが、「おっちょこちょい」という言葉の響き、とても可愛らしいですね。
「何事も程度が肝要だと言うだけのことです。節度を持って愛を育めばよいでしょう」
「何を言ってるんだ! 君のように魅力的な女性を前にして、欲望の手綱を制御できる男なんてこの世にいるわけがないだろう! 俺だって普段からどれだけ苦労して堪えていると思っている!」
これだからこの無自覚女誑しは……何の脈略も計算もなくこんなことを言い出すのですから困ってしまいます。
「……その……まあ、多少愛が行き過ぎていたとしても、お互い一人の相手を大切に扱う分には問題ないのではありませんか?」
「俺は、今でも君に出来る限り他の男共を近づけたくないと思っている。独占欲がこのまま暴走してしまえば、そのうち誰かが君に一瞬触れただけでも処刑しようとしてしまうかもしれない……」
……病的に束縛が強すぎる未来のアラン様を想像して、ほんの少しだけ悪くないかもしれないと思ってしまったのは、誰にも秘密です。
「あるいは、何より大切な君のためならば、将来国の財産を使い込むような過ちを犯してしまうかもしれない。情けないことに、俺は君への愛に溺れない自信など微塵も持ち合わせていないんだ」
「……そうなってしまった時は私が妻として責任を持って諫めればいいでしょう。どんなことがあってもお互い支え合うのが伴侶というものです」
アラン様の容赦ない口撃になんとか耐えきった私はすかさず論駁します。さりげなく妻とか伴侶とか言ってしまい、少しだけ照れましたけれども。
「そうか……君は俺と違って、自分を律しつつ節度ある関係を保ち続ける自負があるということだな。それなら安心だよ……」
言葉とは裏腹に、どことなく寂しく悲しげに微笑むアラン様。
はあああ……何ですかこのクソ面倒臭いのに果てしなく母性本能を擽る生き物は。
こちらだって今すぐ抱き締めたい衝動を堪えるのに血が出るくらい歯を食いしばっているのですが。
普段は一分の隙も見せない文武両道で完璧な王太子候補のくせに、私にだけそういう弱く情けない面を見せるのは、いくら何でもズル過ぎるでしょう。既に手足をバタバタさせてもがきつつ、あなた様に溺れていく未来しか見えません。
……でも、こんな時こそ、どうしようもない困った婚約者を私が支えてあげなければ!
「……ルールを定めれば良いのではないでしょうか?」
「ルール?」
オウム返しをして無邪気に小首を傾げ、私を悩殺しようとする彼の姿は、心頭滅却し全力でスルーします。
「ええ。国が定めた法律とはまた異なる、より良い人生を送るための決まり事とでもいいましょうか。自分自身を律するのは難しくても、誰かとそのルールを共有し、仲間と一緒に守る努力をしていくのなら少しは実現できそうな気がしませんか?」
「……具体的にはどんな風に?」
「例えば、『愛する者のために誰かを傷つけてはならない』ですとか『愛する者のために他人の財産を奪ってはならない』というような決まりを作ってしまえばいいのです。法律と同様大まかな原則や細則に分けて制定していくことになるでしょうけれど」
「……確かに、そのような決め事に従い、互いに支え、律しつつ、愛し合うことが仮に可能ならば、イザベラといつまでも平穏に仲睦まじく暮らせるかもしれない。……だが、それでもいつか訪れる死による別離だけは絶対に避けられないじゃないか!」
またそうやってすぐ目を潤ませて……全く困った御方です。やはり私がついていないとアラン様は駄目みたいですね。
「それはそうですが……王国には古くから転生という概念がございますよね?」
「ああ。死んだ後に魂だけは残り、また人間や動物として再び世界に生を受けるという考え方だな」
「ええ、その通りです。転生説を信じるならば、私達にとってこの人生の終わりが永遠の別れという訳ではないじゃありませんか」
「そんなことを言ったって、転生して必ずまた君と出会えるとは限らないじゃないか! 人間である保証もないのだし、ひょっとしたら別々の世界に生まれてしまうかもしれないだろ!」
「あら……そんなに自信が無いのですか? アラン様の愛情というのは所詮その程度なのですね。ちょっとがっかりしました。私は、たとえ記憶が無くなったとしても、人間でなくなっても、どんなに遠く離れた異なる世界に生まれたとしても、きっとあなた様を見つけてみせますわ」
「なっ……」
「生まれ変わってもこの魂に深く刻まれたあなた様への想いは決して消えないと断言できます」
今までの仕返しとばかりに少々意地悪くアラン様に微笑みかけます。みるみるうちに顔が真っ赤になってしまわれました。
「ば、馬鹿を言うな!!! 絶対に俺の方が先に君を見つけ出すぞ!!!」
「ふふ……ではどちらが先か勝負ですね」
じっと顔を見合わせて数秒後、お互いに吹き出してしまいました。
「……ああ、やはりイザベラは賢いうえに頼りになる最高の婚約者だよ。今まで俺の心に立ち込めていた靄が全て綺麗に晴れたようだ! ……よし、折角だから君の素晴らしい教えを国中に広めることにしよう!」
「……はい?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
生活を律して戒めるものとして『戒律』と名付けられたルールを守ることで、より良い人生を送ることができる。また、たとえ死によって肉体が滅びたとしても、どのように生きたかという証は魂に刻まれ、それに応じて転生先が決まる。このシンプルな教えは王国だけに留まらず、世界中に広まっていきました。
『イザベラ教』という名前で。
人生に悩んでいる婚約者のため、相談に乗っていただけなのに、なぜこうなってしまったのでしょう。最近は、街行く人々から『聖母様』と呼ばれ崇められるようになってしまいました。
頭を抱えていると、アラン様が真剣な顔をして近づいてきました。また新たな悩み事でもお有りなのでしょうか。
「……なあ、イザベラ。風紀の乱れを防ぐためとはいえ、日中のキスは一日30回までという戒律は、いささか厳しすぎるのではないだろうか?」
「……はあ……まあ……そうですね…………上限をもう少し引き上げるよう検討しておきます」
彼に頼まれるといくらでも戒律を捻じ曲げてしまいそうなので、そろそろ直訴禁止というルールを作らなければならないようです。