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MEMORIA

作者: 子房良


























MEMORIA




 ひらひらと雪は落ちる

 君は何を見ているのだろう?

  この手から零れ落ちたら、

       どこに行くのか?

 今は分からない。先なら分かるのか?

 それすらも分からない。雪がいつ解けるのか…

〜〜〜

 秋の風は此処にも吹く。このキャンパスに吹く風はこの3年間変わっていないハズなのに・・・

「ハイ、そこ?ボォーッとしない。」

 バシィッ

 背後から思いっきり叩かれた…

 私は怪訝な表情を浮かべ、背後に振り返る。

 そこにいたのはこの数年で見知った顔だ。

「お疲れかな?美佐ちゃん♪」

 響香子、同じ学部の同級生でいつも人の輪の中心にいるような明るい子だ。

「うん、課題全然終わらないんだよね」

私は苦笑と微笑の間にありそうな笑いを浮かべながら、彼女に応える。

実際に終わってないことは確かなので、自然とそんな言葉が出せた。彼女も私も勉強というやつがあまり得意ではないのでこういった事になると容易に賛同を得られる。

「また〜(笑)。今度は何の教科?」

去年までの彼女なら迷いなくそう言っていただろう。しかし、響香子は、彼女は、

「そっか、大変だね。」

それだけ言うと彼女は黙って私の隣に腰を下ろした。私たちは開講の鐘が鳴るまでお互いに声をかけることなくただ夕暮れが早くなってきた青空を眺め続けていた。


 講義終わり、香子と二人であてもなく街中を歩いていると人ごみの向こうから見た姿が歩いてきた。

「お〜、香子に美佐じゃねぇか。」

そう言って近づいてきたのは、短髪の適度に日に焼けたいかにもな好青年であった。

「「尊?」」

私たちの声が重なった。

「ククク、上手くかぶったなw」

白い歯を見せて笑う彼の姿はまさに絵に描いた様なスポーツマンであった。

「うるさいなぁ。それよりどうしたの?今日、もう講義ないでしょ?」

香子が軽口をたたきながら尊に問うた。

「今から、ガイダンス受けてくるんだわ。」

そういう彼の格好は確かにコートの下にスーツがかいま見える。

「そっか、尊は企業狙いだからね。」

香子もそうじゃん・・・、と心中に留めた私は普段とは格好の違う彼の見新しい雰囲気に少し胸がモヤモヤする感じを覚えた。

私が二人の他愛ない話を黙って聞いていると、

「そういえば、二人はもう進路決めたのか?」

突然、話を振られた私は慌てて香子に目を向けた。目を向けられた彼女は笑顔で私を見た後に尊君に向き直ったが私は一瞬彼女が顔を強張らせたのを見てしまった。

二人が盛り上がって話しているのをよそに、私は彼女らの顔を見て話すこともできず、ただただ香子の背後で顔を伏せ、丸くなっているだけだった。

      〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 やはり、週のど真ん中である水曜日が休みであるというのはどうにもペースというものを崩してしまうらしい。たった1日の休みで残り2日間が想像以上に憂鬱になっている。テラスを横切ろうとすると、よく知った二人の背中がベンチで腰を並べていた。

なんてこった…。遠目から見るとどこかの恋愛小説の如き、見事な美男・美女である。

私は立ち止まったままそんな二人を眺めてしまった。

我がゼミ、いや我が大学の誇る美男・美女コンビが揃ってこちらに顔を向けた。

「「ああ、須藤(さん)か。」」

驚くべきことに二人はそれだけ言うと、再び目線を下げ、なにかの資料を読み始めた。

「・・・」

訂正。この二人を誇ったら、他の学生たちに失礼だ。この二人、見た目は美しいが、腹の内はもっと凄いのだ。別の意味で・・・。

「結構凹むんですけど、それ。」

実際には慣れているのでさして凹んではいないのだが、とりあえず声をかけてみる。

「ご愛嬌だ、須藤。君とは毎日のように会っているからな。」

「そうね、一日一回は須藤さんをいじめないと大学(ココ)に来ている気がしないもの。」

ああ、今日も絶好調だ。

「はぁ、私はあなた達の玩具じゃないの。」

呆れながら、二人の前に回ってみる二人の手元には大量の経済冊子が。

「ああ、これ?ちょっとした暇つぶしよ。須藤さんも読む?」

阿呆か、読めるわけない。二人の手元にある冊子のほとんどが英語あるいは、その他の言語で記載されたものだ。

そして、自慢じゃないが、私は外国語を2つ専攻したがどちらも及第点ギリギリで単位を取得しているのだ。

「私、あんまり外国語は…。」

「あら、そう。じゃあ、こっちは?」

そう言い、彼女―水無月小夜―はバッグの中から別の冊子を取り出した。どうやら今度は日本語で書かれているようだった。そのタイトルは

“経済的犯罪 稀少性経済から過剰性経済へ”

は?何コレ?読めるけど・・・いや、読めるけども。貴方たち、私と同じ文学部でしたよね?

「ねぇ、文学部で経済系の授業あったっけ?」

私は帰ってくる答えを知りながら確認のために小夜に聞く。しかし、答えたのは隣に腰かけている眼鏡青年だった。

「いや、うちの部には経済系の講義はないよ。まあ、他学部の講義を経済系、受けようと思えば受けれるけどさ。」

そう言いながら彼はトレードマークたるその眼鏡を押し上げる。彼の手にあるのは明らかに学生身分で安易に読めるような代物ではなさそうだった。

「これ、結城君に借りてたんだけど、やっぱ難しいわね。途中いくつか分からない理論展開があったわ。」

「おや、どれのことだい?・・・ああ、これかい?これはね…」

目の前で学生TO学生の会話とは思えない勉強会が始まった。しかし、ホントにこの人たちは頭がいい。特に男の子の方、結城亮丞は噂ではIQ180以上あるらしい。本当かどうかは定かではないが、間違いなく並の大学生と比べたら、雲泥の差がある。そりぁ、もう自分と同じ学部の人間とは思えない。

?っていうかなんで二人ともうちの大学入ったのよ…。″

謎の(?)経済学談義を繰り広げる目の前の二人を眺めながら私は胸の内でそう毒づいた。すると、当該パーフェクト星人たちは揃えて顔を向けた。

「まあ、通学しやすいからよね」

「うん、適当にやって、自分の好きなことが出来るからね。」

流石に優等生の言う事は違うな。なにせ、彼らの目の前にいる人物は最後まで机と向かい続け、ようやっと入学したという経歴を持っているのだ。というか、今の声に出てた?

どうやら意図せず、心の声が口をついて出ていたようだ。

「なにぶん、俺はやりたいことが割と多いからな。講義の比重が多い大学よりなるべく自由の利く大学を選んだ時、ここが一番その条件に適していたんだ。」

「まあ、私はホントに通いやすいって理由しかないわね。」

そう言うと亮丞と小夜は再び広げてある冊子に再び目を落とす。こうなると下手に声をかけると揃って睨まれそうなので、私は聞こえるかどうか微妙な音量で別れの挨拶をかける。聞こえているのかいないのか、二人がコチラを一瞥した気がしたが私自身既に後ろを向いていたので彼らが私に向けた意識の一端を感じ取る事すらできなかった。


              〜〜〜〜〜〜〜〜〜


そもそも、私が亮丞や小夜のようなタイプと友人関係を築けているのは偏に私、私たちが所属しているサークルが全ての中心である。元々、私は小・中・高と特に目立つこともなく至って、平均的な学生だった。それは当然、大学に入学してからも変わることなく、極々平凡に過ごしていた。そうこうしてる内に周りでは次々に仲良しグループができ始め、徐々に私は一人でいる事が多くなってた。そうしていた1年の5月末に彼と出会ったのだった。


『ねぇ、君、明日が楽しみ?』


都城海音、彼の第一声は私が言われたことのないような一言だった。

明らかに不審な彼を私は訝しみ、そそくさとその場を立ち去ろうとした。

しかし、立ち上がった私の行く先を阻むように彼は通路を防ぎに入ってきた。

続けて彼は、

「今が楽しいかい?君は。昨日はどうだった?」

彼は爽やかに私に聞いてきた。

しかしながら、これではまんま怪しげな宗教団体かなんかの勧誘みたいじゃないか。

後にこの時のことを彼自身に話した際に

『えっ、そんな馬鹿なことが。あんな友好的な声のかけ方なかなかないよ。それを宗教かなんかだと思うなんて君はひどいな。』

などと語っていた。彼について知り得る今ならその言葉が割と本気で言ってたという事が分かる。

しかし、当時話しかけられた当事者の私から見ればどうやっても勧誘にしか見えない。

道を塞いだ彼を回避して、改めてその場から逃走を図ろうとした。しかし、更に彼はその道を塞ぎ続ける。

その後も小さな攻防戦を数十秒に亘って繰り広げられた結果、根負けした私が再び腰を掛け、彼の話を聞く形になった。

彼の話は至って単純だった。

?ただ、友達になってほしい″

それは、私が普段口にできず、いや、しようとも思ってなかったその言葉を彼は何の迷いもなくその私自身に言い放ってみせた。

呆気にとられている私に対し、彼は言葉を続けることなく私の瞳を見つめ続けた。

しかし、私には返す言葉が思い浮かばず、初対面の男の子と思いもよらず見つめ合うことになってしまった。

恐らく十数秒から長くても三十秒足らずの時間だったのだろうが、その時の私には何時間にも感じられた。

その静寂を最初に打ち破ったのは第三者の声だった。

「都城君、あまり女性を困らせるものではありませんよ。」

と、そこに立っていたのはスラリと背の高い男性が立っていた。

工藤大海、私の所属する文学部の教授で講義は分かりやすく、評判は良いが纏う雰囲気が極めて冷たいことから学生からは内心恐れられている。

更に彼がかけている眼鏡のせいで鋭利さが際立っている。

「それに初対面でいきなり日々が楽しいかと聞かれ、あまつさえ急に友達になろうよなんて声をかけられたら誰しも不審に思うでしょ。」

と、流石は教授。私の心の内を見事なまでに読み取ってくれている。

「そ、そうですか?僕にとっては最大限友好と親しみを以って接したつもりなんですけど。」

工藤先生に窘められた彼は借りてきた猫のように大人しくなった。

「申し訳ないね。彼も悪気がある訳じゃないんだ。あまり人付き合いが得意な方ではないんでね。」

そういうと工藤先生は私の目の前に立ち、

「都城君は私の研究室の学生なんだが、いつも一人でいてね。どうにも、仲間が欲しいらしくてね。色んな処で勧誘して回っているようだ。」

sこで、私は一つの疑問に辿り着いた。

「でも、確か研究室、ゼミって夏休み明けの授業からじゃありませんでした?」

そうなのだ、我が大学では新入生は初めの半年で大学生活・授業体制に慣れ、その後初めて「ゼミ」というものに所属する事となるのだ。しかし、今さっき「研究室の学生」と工藤先生は言った。これは一体どういう事なのか。

「彼は一身上の都合から他の学生とは異なるカリキュラムを組んでいるんだ。そのため、一足早くゼミを採っているんだよ。まあ、私は元々ゼミの講義を持っていないから彼の所属すべきゼミを受け持っているんだがね。気にしないでくれたまえ。」

そう言う先生の瞳が一瞬翳った気がしたが、先生は一息つくと再び都城君に向き直り、

「さて、都城君。君もあまり人に迷惑かけるものではありませんよ。ほら、行きますよ。先日言ってた資料が図書館の方に入ったようですよ。」

都城君は何か言いたげにコチラを見たものの直ぐに目をそらし、二人はそのまま立ち去ろうとした。

「ま、…、待ってください。」

その瞬間何が私を突き動かしたのか、恐らく我が人生で最大の、否。今までの人生の分全ての勇気と覚悟を以って行きし二人の足を止めさせた。しかし、ここで一つの問題が発生してしまった。とりあえず、二人を止めたもののその先を全く一切考えていなかった。

私は次の言葉が紡げず、口をパクパクさせるだけでまるで淡水魚の様だ。

そんな私の様子を見てさすがの鉄仮面、工藤先生ですらコチラを訝しむ様子を見せる。その隣の都城君に至っては驚いた顔のままあんぐり口を開けている。

事ここに至り、私はとっさに思いついた事を口に出した。

「私もそのゼミに入らせてもらえませんか?」

口をついて出た言葉はそんなセリフが出た。そんな私の言葉に工藤先生は驚愕しているようでさすがに二の句を継げないようではあった。一方、都城君は沈んでいた顔をパアと明るくさせて素早く私の元に駆けてくる。そして、すかさず私の両手を握りブンブンと上下に振るように握手を交わしてきた。彼は満面の笑みのまま、工藤先生を振り返り、

「先生、是非彼女にウチに入ってもらいましょうよ?」

彼は私の手を引き、工藤先生の元へ連れて行かれると目の前に工藤先生の長身が立ちはだかっていた。普段、遠方から見る先生ですら若干腰が引けていたのに目の前にその人が居る現状、私は思わず戦慄いてしまう。そんな私をしばらく観察していた先生は一つ溜息をつくと、私と都城君を交互に見ながら、

「いいでしょう、分かりました。ただ、君はまだゼミに所属する事は出来ないから、あくまで空きコマに自主的にゼミに参加するという事でよろしいですね。」

ここで再び先生は溜息をつき、

「あとの事はよろしくお願いしますよ、都城君。」

そういうと背を向けその場を離れた。しかし、先生は数歩歩いた所で止まり、

「そういえば、君の名前を聞いてなかったね。」

振り向いた先生は鋭利以外を含んだ目で私を見つめ問うた。


その後は弾幕の流れるように時が過ぎた。どうやって説得(?)したのか、香子、尊、小夜、亮丞の4人を次々と連れてきた。まあ、香子の時はむしろ私も協力したのだが・・・。

そして、私たち5人は夏休み以前は有志として、休み明け以降は先生が大学側に交渉し、私たちのゼミ活動を正式な講義として認めてもらい、晴れて我々6人は『工藤ゼミ』生という事になった。


            〜〜〜〜〜〜〜


これ以降私たち6人はゼミの時間以外でも一緒にいるようになり、同じ時間を多く持つことになっていった。

とはいっても別々で行動することも多く、私がこれまで築いてきた友人関係というものに比べて一見すると希薄なように見えたが、当の私にしてみれば友人同士の在り方で最も理想的な形ではないかと思ってたりしている。

そんなこんなで私たちが出会ってから1年弱が過ぎた頃であった。突然都城君、海音が大学、ゼミにすら顔を出さなくなった。心配する私たちをよそに工藤先生は常通りに講義を続けていた。そんな先生の態度に私や尊をはじめ、普段クールな優等生コンビですら少し苛立ったようにして、とうとう皆で先生に詰め寄った。初めのうちはのらりくらりと私たちからの質問攻めをかわしていた先生も度重なる追究に遂に口をわるにまで至った。

先生が教えてくれたのはある一つの事実ととある場所の住所だった。


「やあ、久しぶりだね。」

そう言って海音は寝ていた体をそのベッドの上に起こした。久方ぶりにみた彼は心なしかやつれているように見えた。

『特発性間質性肺炎』

肺の間質組織部分を中心に炎症が起こり、呼吸不全や呼吸困難を引き起こす。さらにこれらを原因としての心不全に繋がり死に至ることもある病である。

それが彼の抱えるものであり、彼の?一身上の都合″であった。

それでも彼は以前私たちにしていたように暖かく微笑む。

「大丈夫だよ。この病気は前から持ってたものだし、今までも何回かこういう事もあったから、長くても1年くらいで戻れると思うよ。」

その言葉には私が想像もし得ないであろう彼の歩んできた道の険しさが僅かでも沁み出してくることはなかった。

私たちはそんな彼にかけるべき言葉を見つけることが出来ず、記憶に残らない様な当たり障りのない他愛無い話を続けた。しばらく話していると彼の担当医だという大塚という医師が「少し安静にしていた方がいいから、そろそろ終わりにできるかい?」というダンディな一声で私たちを退かせた。

その帰り際、私たちは互いに何を言うのでもなくただ黙って5人で病院から出てきた。既に空にはオレンジの光が射し東の地平線上には光を返す欠けた月が昇り始めていた。





 3年の秋、我が大学だけでなく全国各地で就職活動の狼煙が上がり始め、私たち工藤ゼミの5人はそれぞれが自分の夢に向かって少しずつ歩み始めていた。他のゼミ生4人を含む周りが徐々に浮き足立ち始める中で私は未だに将来の展望どころか「次に進む」準備や心構えすら持ち合わせていない。周りが活動すればする程に私自身、見えない圧力に押し出されているような感覚に襲われていく。しかし、だからと言って何か行動を起こそうという気も起らず、何をしてもいいのか分からない、そんな自分がいた。

そんなある日、久しぶりにゼミ以外の場で私たち5人が全員が揃って、街中の喫茶店で雑談を繰り広げていた。

近況や共通の講義の話題などこれまでと変わらぬ話をしていると、突然クマのような大柄な男が声をかけてきた。一瞬その場にいた全員が顔を強張らせたが、その男の人の顔を見ると一変して驚きの表情に変わった。

「桐生先輩、ご無沙汰です。どうなさったんですか。」

一番最初に立ち上がり彼に近寄ったのは体育会系・三島尊。この辺はさすがである。

「卒業した後、どっかに旅に出た、とかって聞いてたんですがお帰りになっていたんですか。」

驚きの表情を刹那の内に引っ込めた亮丞がいつも通りの落ち着いた声で彼に尋ねた。

   桐生大典

私たちの2期上の卒業生で、私たちの学年以外で唯一あの工藤先生がゼミを設けた際にそこのゼミ生だった人で私たちにとっては数少ない身近な先輩である。

風の噂では大学を卒業後に思い立ったように身一つで旅に出たと聞いた。その行き先が国外なのかどこなのかはハッキリしていない。

「いやぁ、いろんな所回ってきたけど、久々に故郷に帰ってきたわけだよ、諸君。」

そうニコニコ言いながら近くにあった空き椅子を手元に引き寄せ、腰掛けた。

「っていうか、どんな生活してるんです?」

興味があるのかないのか、小夜は手元のコーヒーを口につけた。

しかし、好漢・桐生大典。そんな小夜の態度を気にすることもなく、

「とりあえず、言った先々で手伝いや簡単な仕事をしてその土地の人たちと交流してたなぁ。」

そう言いながら、先輩はバックの中からデジカメを取り出すとこれまで行ってきた場所での画像であろう、様々な土地での写真を見せてくれた。

ソコに写る先輩は所々で様々な環境の中にいるもののそのどれもが楽しそうで充実しているようであり、周りの人たちも老若男女様座な人々ではあるが、誰一人顔が翳っている者はいない。

「ところで皆は調子どうだい?最近何かしてる?」

デジカメをバックに仕舞ながら私たちの顔を見回す。先輩の「調子」「何か」とは、就活や学生生活の事を聞いているのだろう。しかし、私は話すべきことが見つからず、口を紡んでしまった。そんな私に対して他の4人はそれぞれが聞きたい事を次々に聞いていった。そんな中、桐生先輩が当然に私の方を向き、話しかけてきた。

「美佐はどうだい?何かやりたいことがあるのかい?」

優しく微笑む桐生先輩が尋ねてくるが、私自身が何も見つけていない。私は何も言うことが出来ずに黙りこくってしまった。

しかし、先輩は私を問い詰めることもなく、再び暖かく微笑むと

「美佐、何も焦ることはないよ。自分のやりたいことが簡単に見つかる訳がないんだ。皆いろいろ悩んで答えを出すんだ。だから、迷えばいい。」

終始微笑んでた桐生先輩は今日一番大きく笑うと椅子を引いて立ち上がり、バックを背負うと、

「さて、俺はもう行くよ。今度はいつ会えるか分からんが、それまで元気でな?」

そんな一言をその場に残し、私たちの元を立ち去っていた。

彼の背中は私たちが知っていた思い出の中の大きな背中ではなく、更に何か大きなものを背負えそうな大きく、広いものに変わっていた。



           〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ある日、街の中で声をかけてきたのは小柄な愛らしい女性であった。

彼女の姿を認識した私はこれと同じような光景を前にも見たような気がした。


『あなたが須藤さん?』

2年生のは春、学年も上がり少し忙しかった時期も終わり、久々に海音のお見舞いに行った帰りだった。

声をかけてきたのは見慣れぬ女性だった。女性の平均くらいしかない私より背の低い可愛らしい女性だった。彼女は私の目を見つめ、

「突然ごめんなさい。あなたが須藤美佐さんよね?」

少し困ったような微笑を浮かべながら彼女は尋ねた。

私は恐る恐る答えると、

「初めまして。私、海音の母親で鈴音と言います。いつも息子がお世話になってます。」

深々と頭を下げる鈴音さん。

「えっ?」

私は冗談か何かと思った。この女性明らかに20代か30代初めくらいにしか見えない。いや、下手すると私たちと同年代と言われてもおかしくない。そんな女性が同級生の母親を名乗っている。どう考えてもおかしいだろう。

そんな私の心情を見抜いたかのように鈴音さんは続けた。

「こう見えても今年で43歳になるのよ。」

そう胸を張って言う鈴音さん。予想の遥か上を着た。冗談だろ。ウチの母親が45歳になるが、女性としてイロイロ終わっている。それに対し目の前の女性は正直、私の同級生たちの隣を歩いていても遜色ない。私が逡巡していると、

「立ち話もなんだからどこかに座りましょうか。」

そういうと鈴音さんは私の手を引き、近くにあった病院の付属の食堂に入っていった。

私は未だ彼女の素性が信じられず茫然としていたが、彼女はそんなこと関係なく話し始めた。

「ごめんなさいね、いきなり。」

鈴音さんは私に声をかけながら話を続けた。

「私ね、個々の病院で看護師してるの。勿論身内だから海音の担当にはならないけど。」

そう苦笑いすると、鈴音さんは立ち上がり、食堂に備え付けてある自販機に向かい、ボタンを2回押すと、缶を2つ持って戻ってきた。

「ブラックコーヒーと緑茶どっちがいい?」

可愛い仕草で両手の飲み物を差し出してくるとニッコっとして私に聞いてきた。

私は戸惑いつつ、

「じゃあ、緑茶で。」

「はい。」

私の答えを聞くや否や、鈴音さんは緑茶のペットボトルを私の手の中に収める。

鈴音さんは私の目の前の席に腰かけると手に持ってる缶コーヒーを開け、一口つける。

「あなたはいつも海音のお見舞いに来てくれてるわよね。」

鈴音さんの問いかけに私は黙ってうなずいた。未だに多少の混乱を残しつつも話を聞き続けている。

「あの子はね、海音はね昔から体が弱くて、それで更に高校生になった途端に今の病気に罹っちゃって、ずーっと病院と家の間を行き来する生活が続いてて、まともに『学校』ってやつに通った例がなくてさ。大学進学を前に今までにないくらい容体が安定してちゃんと『学校』に通えるようになったんだよねぇ。」

溜息をつく鈴音さんは一瞬少し寂しそうに遠くを見つめた。

私は手の中で弄んでいた緑茶のキャップを開け、喉を潤す。

「でも、あの子ずっと狭い世界しか知らなかったから友達ってやつをあんまり知らなくてね。私もイロイロ様子を聞くんだけどあの子、私を心配させまいと強がってね。」

そういう彼女の瞳には過去の事にも関わらず、深い悲しみが宿っているようだ。

しかし、次の瞬間彼女の顔が明るくなり、私の目を真直ぐに見つめてきた。

「でもね、ある時期から急に『友達』の話をよくするようになってね。本当にいつ振りくらいか。あの子がその日の出来事を楽しそうに話すの。私もそれが嬉しくて…。

ついつい、海音の身体の調子に油断してしまったのよね。」

そこまで言うと鈴音さんは黙り込んでしまった。

私は何を言うべきか。そんなことばかり考えていたが、彼女には何もかける言葉が存在しないことがなんとなしに感じてしまった。

それでも何か言わなくてはと思った。

「あのっ。私が知ってる海音…君はいっつもニコニコ笑っていて、何でも楽しそうにしてました。たかが1年くらいですけど、彼は凄く一生懸命生きてました。それで、私、あのなんて言ったら分からないんですが・・・。」

鈴音さんは私の言に少し驚いたように目を見開いたが、すぐに先程と同じような笑みを浮かべた。

「ありがとう。この一年あの子の傍にいたあなたがそう言ってくれるのなら、それが海音の真実なんだろうね。」

彼女の眼には女特有の勘に基づいた何かの確信を湛えていた。



「久しぶりね。元気にしてた?」

声をかけてきた鈴音さんは相変わらずだ。初めて会った時と何一つ変わらず、とても、40代半ばに差し掛かっている女性とは思えぬ愛らしさである。

彼女はいつか様に私の手を引き、近くの喫茶店に二人で連れ立って入っていった。

店の奥の席に腰かけると、彼女は目の前のコーヒーに一口つけてからおもむろに口を開いた。

「ホントにお久しぶりね。いつ以来かしら。」

そういう彼女は以前と何も変わらないようであった。しかし、僅かではあったあが彼女の顔には拭えない陰りがあるようだった。それは多分今日私に出会ってより濃くなっているのは気のせいではないだろう。

「最後にあったのが確かアレ以来だから…、大体1年くらいかしら。随分経つのね。」

それだけ言うと彼女は黙り込んでしまった。私も口を開くことが出来ず、場には沈黙のみが広がり、続く言葉が見つからない。

どれほどその沈黙が続いたのか。鈴音さんは沈んでいた顔をおもむろにあげて笑顔を見せる。

「でも、美佐ちゃん元気そうでよかった。学校どう?」

彼女の笑みが私の心を刺激する。何がそうさせるのか分からないが。

「いえ、相変わらずですよ。三年生になって授業量は少し減りましたけどほとんど毎日のように大学に行ってます。」

そう聞くと鈴音さんは何か得たように一瞬強く微笑むとまた先ほどの笑みに戻った。

「そう。ところで、最近いい人いないの?」

悪戯っぽい笑みを浮かべ、手元のコーヒーに手をつける。

私の手元のカプチーノはその量をほとんど減らしていないことに気付く。

「いえ、特にこれと言っては。私は香子みたいに明るく楽しい性格じゃないし、小夜みたいに賢くて美人じゃないし、特にこれと言って何か持ってるわけじゃないので…。」

私は少し冷めたカプチーノを喉に通すと、溜息をつく。特に意図したわけではなく自然と出てしまったようだ。

そんな私の様子を見た鈴音さんが少し怒ったように、

「そんなことないよ。美佐ちゃん充分カワイイし、すごく優しい子だもの。絶対近くに好きでいてくれる子がいるって。」

私の周りには実際それほど関わった男の子というものは居ないのだが、彼女の言いたいことはそういう事ではないだろう。そんな事を理解しながらも、私は何故か彼女の言葉に反抗してしまった。

「だっていつも一人だし、声かけられた事もないし。」

そんな事を言ってると、彼女の顔は怒りの色から一変して戸惑い、困惑した様子に変わっていった。

「美佐ちゃん、これは私の独りよがりな考え方なんだけど、あなたがまだあの子の事で次に進めないなら気にしないで。あなたはあなたの人生を生きなきゃ。」

そこまで言われると私の中ではじけるものがあった。私は鈴音さんの目を見ることが出来ないまま、

「そんなことはないです?わたしは、私はもう大丈夫です。」

それだけ言うと思わず私は彼女から逃げるようにその場を立ち去ってしまった。

彼女はそんな私の後姿を見て何を思うただろうか。彼女の抱えたものが未だ癒えていないだろうことを理解していた私は早歩きで歩きながら、自分自身を許せずにいた。



海音が体調を崩し、入院する事になる2ヶ月ほど前。私は人生で初めて家族以外の『大切な人』を得ることになった。キッカケはゼミのメンバーで近くの町に合宿に行った際、私は思い立ったように彼に想いを伝えたのだった。未だに自分がどうしてあんなことに及んだのか分からないが、とても楽しい1日だった事は覚えている。それこそ、人生の中で一番楽しかったともいえる1日だった。そんな日だったからであろう。

彼は少し困った風に笑い、

『僕は誰かを幸せにすることは出来ないよ。それにきっと僕は君を悲しませる。』

そんな風に彼は苦笑を浮かべ私の想いを受けたのだった。

そこで引き下がればいいものを何故か当時の私は意固地になり、それでも構わない、と彼に言い寄った。彼はその度に私の傍に入れないと頑なに私を拒んだ。

しかし、私が徹底的に詰め寄るととうとう彼は溜息を一つつくと、

『分かったよ。でも一つだけいいかな。約束して欲しいんだ、もし僕が、僕がね…』



その日は放課後に3年生対象の就活ガイダンスが行われていた。就職活動が本格化し始める寸前であるからか、講堂には溢れんばかりの人で埋め尽くされていた。勿論、私も香子や小夜たちと共にその人ごみに紛れていたわけであった。ガイダンスの内容は就活への意気込みや心構え、企業の選び方など就職のイントロ部分を解説していた。私は話半分聞きながら、手元の資料をいじくっていたのでほとんど内容は聞き流してしまっていた。

私たち3人はガイダンスが終わると連れ添って、食堂に向かった。

「はあ〜、憂鬱だよね〜。これからドンドンこういうの増えていくんだよねぇ。」

香子は机に突っ伏して、愚痴を吐く。小夜は突っ伏す香子を横目にペットボトルの紅茶を手に自分の携帯をいじっている。まあ、どちらの光景もいつも通りなので放っておく。

「それにしても、どうしようかなぁ。ねえ、小夜はどんな業種にしようか決めてる〜?」

話を聞いているのかいないのか小夜は携帯の画面を見ながら、

「これと言って決めてないけど、やっぱり公務員が安定じゃないかしら。」

「でも、今は公務員でも安定しないって話だし、民間でもブラックなところも多いって言うし。なかなか難しいよねぇ~。」

そう言いながらも香子も自分の携帯を持ち出す。それぞれ携帯をいじりながらも会話は成立する。

「そういう香子は民間にするの?」

今度は小夜が香子に尋ねた。

「う〜ん、そうだなぁ、まだハッキリ決めてないけど公務員はなぁ…。事務職とかなら何とかなりそうだけど。」

そんなとりもない話をしていると足りなかった声が聞こえてきた。

「事務職だって侮れない仕事だよ。あんまり甘く見てると痛い目に遭いますよ。」

振り返ると長身が二つ並んでいた。尊と亮丞が連れ立ってそこに居た。

二人は私たちの座るテーブルに着席する。

「でも、確かに今やどんな仕事も厳しいところあるからな。」

そういう尊は今日もスーツ姿だ。ガイダンスの服装は自由なのだが、この辺ホントに尊は真面目だ。

「難しいところだな。偏に公務員と言ってもイロイロ種類があるが、どの分野に行こうとも大変なものだろうな。」

そう言う亮丞はいつの間に取り出したのか、手の中には缶コーヒーが握られている。

「とはいっても、亮丞はある程度公務員の見通しがもうたってるんだろ?」

尊が質問すると亮丞は表情を変えず、

「まあ、国家?種を受けようとは思っているよ。」

さらっと凄いことを言い出し始めた。相変わらず凄い自信だなぁ。まあ、彼の実力なら不可能なことではないが。

「小夜も国家?種か?」

「一応視野に入れてるわ。基本的には国家?種を中心に受けてみようと思うわ。」

彼女が足を組み替える。女性の私から見ても非常に艶かしい様子である。

「いいよねぇ、亮丞と小夜は。選べる幅が多いからなぁ〜。羨ましい限りだよ。」

二人の話を聞いた香子は駄々をこねる子供のように机の上で頬を膨らまし、不服そうにする。

「それに尊も部活でいいところまでいってるから、面接の時とか有利だよね〜。」

それを聞いた尊は弾かれたように話す。

「いや、所詮は東北大会止まりだし。そんなこと言ってる香子だって1年からずーっと同じところでバイトしてるだろ?そういうのって結構就活では重要だぜ。」

すると香子は照れたように顔をそらすと、話を変えるように、

「そうだ。美佐はどうするの?やっぱり民間?」

黙って話を聞いていた私は皆の視線が私に集まるのを感じると顔に熱がさす。

それでもこのいつものメンバーなので私はとりあえず答えることが出来る。

「私は、…、まだどうしようか、何も決めてない。特にやりたいこともないし。香子とか尊は何かやりたいことないの?」

「確かに何をやりたいのかっていうのは活動する上で大事なことだな。」

珍しく亮丞が私の意見に賛同する。

すると尊は前のめりに、

「だったら俺は住宅メーカーで家の建築に携わってみたいな。」

それを聞くと香子も恥ずかしそうにではあるが口を開く。

「それなら、私は服とか鞄とか販売する職業に就きたいかも。アパレル系ってやつかな?」

話している内に徐々に香子の顔が明るくなっていく。それに合わせるように次第に他の面子も各々、自分のやりたいことを話していく。

そんな彼らの様子を見ながら、私は彼らの話に加わるように笑みを作っていくが、その実私自身の内面では一人どこか立ち竦んで動けないでいる、そんな既視感に苛まれながらも私はその場に居座り続けるのである。



 窓の外を見ると今にも立ち込めている雲の中から雪の白が落ちてきそうな様子である。

この病室というものもホトホト殺風景なものであるのに加えるとなんとも心切なさを感じてしまう。

「どうしたの、美佐?なんか今にも死にそうな顔してるよ。」

病人にそんな事を言われた。いや、マジで冗談にならない。しかし、そう言っている本人は至って普通に笑っている。

「ううん、何でもない。雪が降りそうだなぁって思っただけ。」

私は買ってきてあったペットボトルのお茶を2本ビニール袋から取り出し、一本を海音に手渡す。

お茶を手渡すと海音はおもむろに近くの棚からコップを二つ取出し、代わりに自分のお茶を棚に置く。

彼は私の元に空のコップを差し出すと、

「注いでくれる?」

そう笑顔で言われた。私はキャップを開けると彼の持つコップにお茶を注ぐ。

すると、彼は今お茶の注がれたコップを私に押し付け、私の持つペットボトルを奪い取る。そして、奪い取ったお茶をもう片方のコップに注ぎ、フタを持ったままの私にペットボトルの口を私に向ける。私は最初それが何を意味するか分からなかったが、はい、ともう一度ペットボトルを私に近づける。そこで初めてフタを締めてくれるように催促しているのだと分かった。

私は手に持っていたフタを彼の持っているペットボトルに締めると、彼はそのままペットボトルを棚に置いた。

「いただきます。」

そう言うと海音は手に持ったコップを口へと傾ける。一つ喉を潤すと彼は静かに口を開いた。

「ねぇ、美佐。君はいつも僕のところに来てくれるのはとても嬉しいんだ。

でもね、それじゃあ君の人生が欠けてしまうよ?」

彼は私の顔を見ずに、窓の外のどんよりした空を眺めていた。

私は彼のそんな言葉に不快感を覚え、

「そんな事はないよ。私は好きで海音に会いに来てるし、それで自分の人生を損したとは思ってないわ。」

少し怒ったように私が答えると、彼はいつも私に微笑むように、

「今ね。でも君は君自身が気付かないところできっと摩耗していく。いや、停滞していく。僕はそんな君に苦しんで欲しくない。君はね、自分では知らないかもしれないけど、誰よりも優しくて深い愛情を持ってる人だ。僕はそれがとても魅力的で素晴らしいところだと感じている。

でも、それが君自身をいつか追い立てる。」

そこまで言うと再びコップのお茶に口を付ける。

私は何も言えずに、手に持つコップを強く握る。

そして、彼は目線を私に移し話し始めた。窓の外にはいつの間にか雪が舞っていた。

「雪が降ってきたね。そろそろ寒くなるから帰った方がいいよ。」

それだけ言うと彼は再び私から視線を外し、窓の外を眺めた。

私は何も言い出せず、また来るとだけ言い残し、病室を立ち去ろうとした。その背中に彼の声がかかる。

「美佐、あの約束を覚えてる?もし、もし僕に何かあったら…」

その日は、その年度初の積雪を記録した。


     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今日は朝から天気が悪かった。それには重く雲が垂れこんでいる。天気予報では本格的な冬ももう間近だという。秋になり、急に冷え込む日々が続き始めてから1か月以上経ち、そんな日々も日常となり、生活の一部となっていた。

先ごろから私たちの就職活動も解禁となり、周囲の学生は早く身を落ちつけたいと躍起になっている者が多い。

例によって私の友人一同もそれぞれに自分のやりたいことを見出し始めたようで、皆励んでいるようだ。

しかし、私は相変わらず何もやりたいことが見いだせず、かといって何かを探そうともしてない。つまりは、何一つ行っていないという事だった。一応、形の上では大学のガイダンスや合同説明会などには参加している。しかし、話も半分も真面目に聞かない私はまともに就活に集中できるわけもなく、全く進まないのも当然であったのだ。

そんな日々の中、今日は私たち「工藤ゼミ」のゼミ生は全員一緒に行動する特別な日だったのだ。

私たちは全員スーツ姿で市街地にあるとある墓地に来ていた。

私たちの他にも何組か人影があったが私たちのようにスーツ姿の団体というものは見つからない。

しかし、私たちはそんなことも気にせず、慣れた道筋を辿り一か所の目的地を目指す。

私たちの前に現れたのは一つの小さな墓石だった。

″都城家ノ墓?

そこにはかつて我々の中にあった日常が眠っていた。

一年前、ここに彼が眠った。彼の死は突然だった。その年は例年より早く初雪が観測され、十二月も中頃になると週に数回雪が降る日があった。


その日は珍しく雪も降らず、日が射してとても暖かい日だった。私は朝から講義があり、憂鬱な気分で三時限目の講義に出ている時だった。

携帯電話が鞄の中で震え始めた。私はまたくだらないメルマガだと思いつつ、携帯の画面を見る。メールは工藤先生からだった。

『緊急の報告アリ。至急研究室に集合の由』

私は同じようにメールを見た隣に座る香子と顔を見合わせると、急いで荷物をまとめ、講堂を抜け出す。早歩きで研究室に向かう私たちはお互い言葉を交わすことなく学内を横切る。私は嫌な感覚に襲われながら歩いた。それは隣を歩く香子も同じだったと思う。

工藤先生の研究室に入ると既に尊・亮丞・小夜の三人の姿があった。私たち五人が先生の周りに揃うとおもむろに工藤先生が口を開く。

「先ほど連絡があり、都城君が先ほど亡くなったそうだ。」

その瞬間、研究室の中の時間が止まった、ような気がした。

普段、滅多に動揺しない亮丞の顔にすら驚愕の色を隠せないようだった。しかし、私はそんな変化にも気づけず、足場を失ったようにその場に崩れ落ちた。隣に立っていた尊がそんな私を支える。

「先生、それは本当なの?」

そういう小夜は口元を手で覆い、顔をしかめている。

「ああ、間違いない。お昼過ぎだったそうだ。急に呼吸困難に陥り、結果として心不全で亡くなったそうだ。」

工藤先生は淡々を背中でそう語ると、窓際に一歩寄った。

それから先の研究室の中での会話をほとんど覚えていない。私の肩を香子が支えていた気がした。尊が先生に詰め寄ったいた気がした。亮丞と小夜は落ち着きを取り戻していたのか?ただ、私はその場に崩れ落ちたまま、何もない虚空を見つめ続けていた。

私たち5人は工藤先生に連れられ、海音の居る病院まで向かった。

彼の病室に入ると白衣をきたあの大塚という医師と何度か顔を合わせたことのある看護師さん、そして同じように白衣を着る鈴音さんが彼のベッドを囲んでいた。

私たちが入ってきたことに気付くと大塚氏と看護師は鈴音さんと一言二言交わすと私たちと入れ違いに部屋から出て行った。鈴音さんは私たちが近づくといつもの優しい笑顔を浮かべ、その場に立ち尽くしていた。

私たちは5人でそのベッドを囲んだ。それまでベッドの周りにあった機械類は一様に撤収され、今は彼の横たわるソレしか置かれていない。

ベッドに眠る海音はその顔に生気はなく、まるで完成された人形のような美しさを孕んでいた。それが逆に現実味を帯びていないために私の理解を超えるような感覚を与えていた。するとどこからかすすり泣くような声が響く。見ると隣で香子が顔を伏せてその顔からは雨のように滴が落ちていた。彼女の隣、ベッドの足元では尊が天井を見上げてワンワン泣いている。私たちの向かいにいる小夜や亮丞もその眼に涙を浮かべて、それは頬を流れている。私たちの後ろではそれをずっと見守っていた鈴音さんもハンカチで顔を抑えている。その肩は小刻みに震え、下手をすればその場に倒れ込みそうな状態だ。

しかし、そんな部屋の中で私一人はただただ立ち尽くしていただけであった。


彼の墓の前で私たち5人が献花をしていると、後ろから鈴のような綺麗な声がかけられた。私たちが振り向くと黒い服装に身を包んだ鈴音さんが花束を持って立っていた。

「あら、こんにちは。」

鈴音さんの笑顔はいつでも変わらなかった。

私たちは一通りの挨拶を済ませると、鈴音さんは私たちに変わり、墓石の前に立ち献花を始める。その姿を5人は見守り、その後ろで彼女の献花が終わるのを待つ。

鈴音さんは献花が終わると大きく身を翻し、私たちの元に近寄ると、

「ちょっとお茶しない?」

そう彼女に勧められると私たちは顔を見合わせ、同行の意思を伝えると共に近所にある神主の邸宅にお邪魔する事にした。どうやら、神主さんと鈴音さんの知人らしい。

私たちが広間に通されると、奥からそこで見るはずのない人物が顔を出した。

「これは珍しい客だな。」

そう出てきたのは工藤先生だった。

「どうしてここにいるんですか?」

「ここは私の実家だよ。」

もう驚きだった。普段が普段だけにまさか寺の息子だとは思わなかった。

「とはいっても、後継ぎは兄がいるからその兄が今はここで和尚しているよ。」

という事はさっきの優しそうな和尚さんが先生のお兄さん?同じ血縁とは思えない。

先生は私たちと同じテーブルに腰かけると、私たちにお茶を入れてくれた。

そこからは私たち学生が先生と鈴音さんに就活や生活の悩みについて話し始めた。

しばらく、話していたが私は徐々に居心地が悪くなっていた。それは私自身も理由が分からないがどうしてもその場にいるのが嫌になっていた。

とうとう私はトイレに行くと言ってその場から立ち去ってしまった。

実際は全くトイレにも行く気になれず、私は静かに玄関から外に出て庭先にある桜の木を見上げた。勿論、気には花どころか、葉一つ付いていない。そんな桜の木をどれだけ眺めていたのか、後ろに足音を感じた私は振り返り、その正体を見た。そこに居たのはいつもの無愛想な顔を携えた工藤先生だった。

「須藤さん、こんなところに居たら風邪をひきますよ。」

本当に心配しているのかどうか分からない顔をしているが、この人はあまり建前というのが得意ではない。

「大丈夫ですよ。この下結構着込んでるんで。」

私は上着を摘み、プラプラさせると笑顔で答えた。

そこで私と先生はお互いにかける言葉もなく黙って同じく桜を見た。

そこで私は何故か口を開いた。

「先生、私まだ何がしたいか分からないんです。香子たちは皆やりたいことがあるみたいだし、就活に対してちゃんと取り組んでいるですけど、私は何をしようか。就活だけじゃなくて、どうしようか何も決めてないんです。でも、私何をしたらわからなくて。」

私は桜を見上げながら、そんなことを言った。しかし、工藤先生は何も答えず、静かに私に近くによると一枚の紙を差し出した。いや、それはただの紙ではなく封筒だった。

先生は黙ってその封筒を渡すと母屋に戻ってしまった。

手渡された封筒の裏を見ると、懐かしい字が書かれていた。

【都城海音】

私は驚きで封筒を取り落しそうになったが、一度落ち着き封筒を開くと中から1枚の便箋が出てきた。私は大きく呼吸をし、その便箋に目を通した。


美佐へ

 君がこの手紙を読んでいるという事は僕が居なくなってしまったという事だろう。

 こんなありきたりな始まりになってしまったけど、きっと君は許してくれるだろう。

 こんな風に君に言葉を伝えるのは心苦しい限りだが、まあ、今の君に伝えるにはこれ以外に方法がなかったもので許してほしい。

 さて、君は今どういう心持でいるかな?きっと君は止まってしまっているだろう。

 初めて見た時から君は感情を殺しているように見えた。でも君はそんな中でとても深い感受性を持っている。それで君は誰よりも深い愛情を持っていると思った。

 でも、その愛情が僕に向いてしまった時、僕はそれを拒もうと思った。でも、僕の想像以上に君の愛情は強かった。だから、僕は君と約束した。覚えてるかな?


彼の言葉を飲み込みながら、私は病床の彼の顔を思い出す。

『いいかい、美佐。この約束だけは忘れないでほしい。僕に何かあった時は。その時は、』

そう言う彼の顔は窓から射す西日で良く見えない。

「次の雪の季節になったら、ちゃんと次に進んで欲しい。」


そう、約束したね。

次の雪の季節には先に進むって、雪が大地を覆い、真っ白な白銀の世界が始まる時、君自身も白紙に戻り、先に進んで欲しい。立ち止まらずに、ただ先へ。きっと、その雪の上には次々と深い跡が付いていくだろう。それでも何度でも進んで欲しい。立ち止まってもいい。けど、立すくさないで欲しい。

どんな未来にも君がいるから。僕はもう進めないけど、君には進める。迷ってもいい、間違えてもいい。ただ、いつまでも捉われないで。終わらせていいから、だから…


私の便箋を握る手には徐々に力が入っていた。彼のつづった言葉が私の胸に降る。

便箋の上には数滴の結晶が落ちていた。


       だから、もう泣いてもいいよ。


そこで、彼の手紙は終わっていた。手紙は私が握りしめたせいか、端々はクシャクシャになり、インクは落ちていた水滴で所々滲んでいた。

私の頬に冷たいモノが当たった。目の前の桜の木を見ると私は目を見開いた。

そこにあったの散り行く桜吹雪だった。その中で海音が笑う。その口が何かの言葉を紡ぐ。しかしそれは私の耳に届くことなかった。何度も彼の名を呼んだが彼は聞こえているのかいないのか、その姿は相変わらずのあの微笑のまま、そのカゲは薄くなっていく。

気付くと目の前には枯れたままの桜の木が居座っていた。

そして、私の頬にあったのは冷たい水滴と生暖かい水滴だった。

手紙を読んでる最中からであろう、雲が垂れ込めた空からは白い。真っ白い大きな雪の粒が落ちてきていた。その雪は桜の木の間からも落ちていた・

そして、私は気付く。手紙と頬を濡らしていたのは雪だけではなく私の瞳から落ちるナミダだった。それがいつから流れ出していたのかは分からない。ただ、私は止めることが出来ない。むしろ、そのナミダを自覚してからはより激しい感情の波となり、その場に崩れ落ちた。両の手は彼の便箋を握りしめたままだ。

その時、初めて私はあることに気付いた。私はその泣き顔のまま天を仰ぐ。降る雪が容赦なく泣きっ面に降り注いでくる。しかし、そんなこと関係なく私は涙を落とし続けた。



この日、私は人生で初めて号泣した。嗚咽した。慟哭した。




「あの子の手紙を渡したのね。」

外にいる教え子の声を聴きながら、久しぶりの一服をしていた彼に声をかけたのはかつて生涯を共に、と誓い合った相手だった。

「ああ、それがあの子の最初で最後の頼みごとだったからな。」

彼は口に咥えてたタバコを投げ捨て、足で踏み消す。彼女がこの煙を嫌っていることを知っている彼は、彼女と一緒になってからタバコを止めた。別れた後もその癖が抜けず、タバコを持ち歩かないようになった。

「彼女、一回も泣いてなかったのよね。あの子が死んだ日も葬儀の日も発棺の時も。ずっと自分の中で止めてたのね。」

そう言いながら、取り出したポケットティッシュに彼の捨てたタバコを包む。

「ご家族の話じゃ、家でも至って気丈に振舞っていたようだ。」

「でも、ずっと一人で背負っていたのね。」

女は、跪き泣き続ける少女を悼むように見つめる。

「背負っていた、というよりは抱き抱え伏せ続けていた、というべきだろう。彼女は今それを置いて、歩き始めようとしている。」

「私たちに出来る事はないわ。これはあの子と彼女の問題だから。止まってた美佐ちゃんの時間を始めるのに外野は不要よ。」

そう言うと彼女は建物の奥に消えていく。

「止まっていた時間か。それは私たちも同じじゃないのか鈴音。」

小さくつぶやく男の声は誰の耳にも届くことなく、乾いた冬の風に流れていった。



ここに来るのも1年ぶりだった。この1年、最後まで就活をしていた私が次の行先を決めたのは先月の頭だった。香子や尊もそれぞれ希望の職業の世界に早々に進むことが決まり。夏が明けて始まった公務員の試験でも、亮丞、小夜は危なげなく希望する試験に合格していた。彼らは最後まであがき続けた私を支え続けてくれた。

年が明けてから、私は自分の道を定めた。

その道を決めるのに一年足らずというのは厳しい期間だったが、同ゼミ生や周りの大人の人たちの支えもあって、なんとか一歩進むことが出来た。

そんな中で自分自身に自身も持ち始めた私は、

「変わったな」

そう言われるようになった。私自身でも気付くところはあったが周りの反応は想像以上だった。

今年もいつもの5人で黒装束に身を包み、ここに立っていた。

私たちはそれぞれ、一輪ずつ花を献花していく。

「海音、俺らももう卒業だぜ。」

尊が献花する。

「私たち皆、卒業後の行先決まったよ。」

次に香子献花する。

「毎年、命日くらいには全員で顔を出そうと思う。」

続いて亮丞が献花する。

「あなたの分まで長生きしてあげるわ。」

小夜も献花し、戻ってくる。

そして、全員が私を見つめる。それは前までの困惑した目線ではなく、何か確証を得た強い目線だった。

私はカレの前に立つと、献花する。

「私、ちゃんと次に進むよ。だから見てて、最後までしっかり進んでみせるから。」

私は強く笑うと勢いよく振り返り、仲間の顔を見渡す。そのどれもが何かを抱えているのに強い微笑みを湛えてる。それは決して無理をしている訳でない。

「また、先生の実家(ところ)でお茶飲んでいこうか?」

私がそういうと、皆が笑顔で答える。

立ち去る私の背中にフッと風が吹いた気がした。

それには雲が垂れ込めている。そろそろ、次の雪の季節が来そうだ。

それでも、まだ今日だけは雪は降らないだろう。



                                Fin

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