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毎日、平凡な地方公務員として、自分なりに一生懸命やれていることも、お給料をいただいて、つつましくも好きな本を読むことが出来ていることも、28歳の神山遥は、幸せだと素直に感謝できるようになって10年が経っている。
その、小さな幸せの灯火を、心に灯すことが出来た日は、翔が、俳優として、その世界に産声を上げた日でもあった。
今から28年前、東京近郊の造り酒屋の後継ぎだった父と、見合い結婚だったけど、仲の良い夫婦だったらしい母との間に、私は待望の子供として生まれた。
でも、母は、私を産んですぐ亡くなってしまった。父は、相当落胆し、寂しい思いをしていたと伯母から聞いたことがあった。
私?私は、母のいる生活を知らないで育っていたから、母が、そして兄弟がいないことを、寂しいなんて感じたことなかったんじゃないかな。だって、それが私の当たり前だったから。
それが5歳の時、弟ができた。3歳のかわいい弟。カックン。
父の蔵元の酒は結構評価が高く、醸造した酒を、銀座の高級な飲食店に直に卸していた。そんな関係で、高級クラブの雇われママをしていた女性と知り合ったようだ。
その結婚は、親戚中に反対されていたから、父は家を出ると言う形でその女性と結婚した。すぐに生活に困ったらしい。父のような特殊な仕事をしていた人間には、中途採用はなかなか難しかったようだ。弟と私と父と義母の生活は、結局、義母がもう一度銀座で働くことでなんとかなっていたようだ。
大人の都合など、子供には関係がない。私は、弟ができてうれしかった。「ネータン」「ネータン」と言って、慕ってくれる。
蔵元で働いていた、父も祖父も、そして働き手だった母の代わりに忙しくなった祖母。私は、家事を任されたお手伝いさんに、たまに相手をしてもらいながら、広い座敷で一人、『あまり手のかからない良い子』として育っていたから、父たちは、家族らしい関り(かかわり)をどこかに置いてきてしまっていたのかもしれない。そんな私に、初めて、家族ができたのだから、寝るときも遊ぶ時も、5歳の私は、一生懸命に弟を守っていた。いつも一緒にいた愛しい弟。
「カックン、一緒だよ。いつも一緒だよ。」
「ネータン。一緒だよ。」
一緒にいられることの呪文のように、何度も繰り返していた。何時か、でも、近い将来離れることの不安を、子供心に感じていたのかもしれない。
夕方になり、義母がきれいな格好で出かけて行くと、父は台所から酒瓶を出してきて、あおるように飲んでは、ぶつぶつと独り言を言う。そんな状況はまだましで、おなかをすかせた私たちにはまったく関心がないくせに、母がポットに入れておいてくれたお湯でカップメンを私が作って、弟と音をたてないように台所の隅で食べていることには腹を立てて、怒鳴り散らすことがあった。ラーメンがすっかり伸びて、スープは無くなりふやけてカップの中で固まってしまっても、その怒鳴り声が止まらない日は最悪だった。
父が働くことが出来ず、義母をまた水商売の世界に戻してしまったと言う、その時の状況に、父はいたたまれずにいたことは、自分が大人になってくると少しは理解できたが、その当時の私は、父に怒鳴られることが嫌で、飲み疲れて寝てしまうのを、近所の神社で、弟と膝を抱えて待つことしかできなかった。それでも、次の日の朝、帰りが遅いと言って母と度々、喧嘩になって、結局、結婚生活は、2年とたたずに破たんした。
「ネータン! ネータン、なんで、行っちゃうの。」
「カックンと、一緒にいたいよー。」
あの日、弟と私は抱き合って泣いていた。子供の力が大人に敵うはずはない。無理やり引き離されて、そして私は、この世の中で一番大切なものを無くした。
7歳の私は、父と祖父母の家に戻った。
すぐに、父は再婚し、継母とその子供たちと暮らすようになって、弟のことを、だんだんと考えないようなっていた。寂しすぎたから、思い出すことを無意識に拒否したのだと思う。