第3話 多数の後悔
その日は夢を見た。
昨日変な夢を見た影響か、大切な人を失った影響か、はたまたその両方か、正確に判断することはできない。
その光景は結婚式のようだ。一也にあんな事言われたから意識してしまったのだろう。
花嫁は昨日夢に出てきた少女と同一人物か。花婿の顔はよくわからない。周囲を見渡すとオレの両親がいて、いとこの一也と由紀もいる。更に伯父夫妻もいる。生きている伯母にまた涙腺が緩みかかる。所詮は夢とは言え、大切な人に再会できた事に嬉しくなる。
しかし誰だかわからない二人の結婚式にオレの親族が出席しているのがよくわからない。普通なら主役のどちらかが親族であると考えるのが自然だが誰かわからない。
そんな事を考えている内に結婚式は進んでいたらしい、既に指輪交換を終えて主役のどちらかの友人らしき女性から
『ユウキおめでとう!!』
と声がかかり、その声に続けて次々と祝福の声がかけられる。それに対して嬉しそうな幸せそうな笑顔を向ける主役の二人。とりわけ花嫁の方が嬉しそうだ。
にしてもまた"ユウキ"?という事は花嫁の名前はまたユウキ?昨日に引き続き深層心理で女性化願望があるのかと苦笑してしまうが、この幸せな空気にずっと浸っていたいとも思う。
しかし、そんな思いとは裏腹に幸せながらも空虚な空間は現実世界のスマートフォンが発し始めた電子音により終焉を迎える。
ある程度意識が覚醒した時点で重い瞼を強引に開き、アラームを止める。
見慣れた天井に見慣れたカーテン。ただし過去形だ。
昨晩は親戚三人のご好意で高校時代居候させてもらっていた部屋に泊めてもらった。実家まで車で15分程度で泊まる必要は無いのだが
「久しぶりに懐かしい部屋に泊まったらどうだ?」
という好意を受けさせてもらった形だ。人生でおそらく一番多感な時期を過ごした部屋だ。もちろん当時の家具などはほとんど無いが、懐かしさや思い入れは強く感慨深い。
しかし、意識がハッキリしてくるにつれて昨日の事が現実だという事実に寝起きから気持ちが重くなる。
昨日目一杯泣いた後は冷静にいられる事ができ、お通夜までは弔問客を迎える立場として振舞えたのではないかと思っている。そしてその役目はまだもう少し続いていく事になる。
昨日のお通夜には彩が来てくれた。連絡してなかったにもかかわらず来てくれたのは翔太から連絡を入れてくれたからのようだった。正直最初は口から心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。
お清めの会場にオレが行くまで残っていてくれたが、強引に連絡先を交換するなり、その後は言うだけ言ってさっさと帰ってしまった。ホッとした気持ち半分、残念な気持ち半分といった複雑な心境だ。しかし、昨日まで感じていた気まずさが大分和らいだことも感じていて、案ずるより生むがやすしと言うことなのかもしれない。これを機に関係が改善できればいいな、と思ってしまったオレは不謹慎だろうか。
葬儀は、この日も恙なく進んでいく。告別式には翔太も顔を出してくれた。
「営業が近かったからついでだ」
とは本人の弁だが、こんな田舎にタイミングよく営業が発生する事は考えづらい。仕事に調整を付けて駆け付けてくれたのだろう。オレと同じく東京に出て就職しているので、ほぼ1日休んでくれたのかもしれない。本当にこういう所はよく気が回る。周囲からの人望が厚いのもこういったところだと思う。
夕方、納骨まで終わったところで今回の予定はすべて終了した。これから更に四十九日、初盆、一回忌と続いていくが、それらはもうしばらく先の事だ。
オレ含めて回りの人はある程度気持ちの整理をつけただろうが、伯父、一也、由紀の3人はホスト側だった為、忙しくてそれどころではなく、これから少しづつ実感しつつ気持ちに整理をつけていくのだろう。
オレ達親子も、いとこの家からお暇する。
今でも玄関から入っていくと
『あら、悠ちゃん、おかえり』
と伯母が出迎えてくれそうな錯覚を覚える。二度とない事とは頭ではわかっていながら、気持ちの面では整理が付いているつもりで実際には受け入れきれていないのかもしれない。
帰り際、一也から
「悠、次の正月は久しぶりにみんなで集まろうな」
と声がかかる。
「うん、そうだね。みんなで思い出話でもしようか」
「そうね~、お母さん、みんなで集まったときはいつも楽しそうにしてたから」
またしても由紀が涙ぐむ。
「それじゃ、カズくんもユキちゃんも体に気をつけて。ユキちゃんは早く子供の顔がみたいな~」
と湿っぽい空気が嫌でわざと茶化した言い方をする。
「もう!悠ちゃん、それセクハラよ~?」
「ハハハ、そう言う悠はさっさと相手見つけろよ!」
そんなやり取りをしていとこの家を後にした。
明日まで休みを取っていたので、今日は実家に泊まって明日帰る予定だ。
実家に戻っても空気が重い。伯母はオレの父親の兄嫁なので我が家は誰一人として血の繋がりはない。それにもかかわらずこれだけの悲しみを残すのは人徳のなせる業なのだろうか。
夕食後、お茶を飲みながら家族で少し話をしていた時に母親がぽろっと零した。
「段々みんないなくなるわねぇ」
去年の冬に父方、母方の祖母が相次いで亡くなっていた。その後少し遠いが両親のいとこが数人亡くなっているらしい。"冠婚葬祭で一族が集まると見かけるよく知らないおじさん、おばさん"そんな認識の人達だからオレとしてはあまり認識していないが、そういった所からきた母親の言葉なのだと思う。両親共に還暦が近い。そうなると当然自分より年上の人はいつ亡くなってもおかしくなく、徐々に周りから人がいなくなっていくのは自然の摂理なのだろう。しかし、それに感情が付いていくのかというと、もちろんそんな訳もなく寂しさを感じてしまっての言葉かもしれない。
その時、不意に想った。想ってしまった。
”あの頃に戻りたい”
現状に明確な不満がある訳ではない。しかし、今失ってしまったもので、確かにあの頃にはあったものが存在するのも事実。
あの頃は、みんな生きていた。
あの頃は、彩とも少しギクシャクはしていたが、今みたいに拗れてはいなかった。なにより初恋もまだ終わっていなかった。
あの頃は、将来の夢を見る事が許されていて今のようにやりたくない仕事をやらなくても良いように努力する事ができた。
絶対に叶う事のない願い。みんな大なり小なり同じような後悔を抱きながら現状を精一杯生きるしかない。そんな事は百も承知の上だが想わずにはいられない、そんな気持ちなのが今日という日だった。
明後日からまた仕事も復帰して通常の毎日が始まる。今日くらいはこんなネガティブな気持ちも許されるだろうと考えながらも一日の終わりを迎えるのだった。
ベッドに入って少しウトウトした頃にスマートフォンに何かメッセージが入ったようだが、半ば夢の世界に旅立った頭で明日でいいかと考えてそのまま眠りについた。
もしこの時そのメッセージを見ていたなら、その後の人生は大きく変わっていたかもしれない事にも気付かずに。