第1話 大切な人の死
プロローグ的な部分3話まで今日投稿して、明日分から本格的にストーリーが動きます。
"久美子伯母さんが亡くなりました。お父さんとお母さんは二人で葬儀に出てきます。悠樹は無理はしなくてもいいけど、告別式と火葬だけはできるだけ来てね"
母親から、そんなメッセージが届いたのは秋が深まり始める10月も下旬に差し掛かったとある日の夜の事だった。
社会人にもなると、三等親の親族の葬儀には声が掛からない事も少なくない。相手を気遣っての事もあるのだろうし、一部の身内だけでひっそりと済ませてしまうなんて事も増えてきている。
だが、今回は違う。理由は二つ。一つは伯父の意向で家族葬にはならなかった事。もう一つは、オレにとってこの人は第二の母親のような存在だったという事だ。
高校入学の直前、突然父親の海外赴任が決まったが一緒に付いていく事を断固拒否したオレの身元を引受けてくれたのだ。もちろん食費等込みで謝礼は両親から受け取ってはいたのだろうが、居候させてくれて我の子のように扱ってくれた事は感謝してもしきれない。
そんな事情もあり葬儀に出ないという選択は端からなかった。すぐに上司に連絡を入れ、事情を説明する。
『おう、わかった。そういう事なら不在は任せとけ』
「ご迷惑おかけして、すみません」
『冠婚葬祭、特に葬式はどうしようもないからな、気にすんな。西が死ぬ気で頑張ってくれるさ、ガハハ』
「ありがとうございます、それではよろしくお願いします」
『おう、気を付けて行ってこいな』
わりと豪気で気の良い上司は、すんなり許可を出してくれた。こちらにも感謝だ。更におかげで少し地獄を見る事になる同僚にもSNSで謝罪のメッセージを入れておく。
”貸し1。でも遠野課長が死ぬ気で頑張ってくれるハズ!!”
と、すぐに軽い反応が返ってくる。
オレの仕事を押し付けあうな!とは思ってしまったが、先ほどの上司といい、人にも恵まれ職場環境は良い。
とは言え、満足しているのは職場環境だけで、仕事そのものには満足できていない。仕事の難易度だとかやり甲斐だとかそういった点で不満がある訳ではないのだが、どうしても本気になれない。なんとなく働かされている。そしてわりと簡単に代えも利く。そんな風に考えてしまい、いまひとつ本気になれない。
そんな人間は勿論オレ一人だけではなく無数にいるのだろうが、そんな人達はプライベートを充実させるため、家族を養うため、生活の糧を得るため、強引に自分を納得させて社会の歯車になっているのだろう。それが悪い事とは思わないし、社会的にも必要な事で、もし嫌なら苦労してでも理想の仕事を探し求める努力をするか、それすら嫌ならニートかホームレスにでもなるしかない。
割り切っているつもりでも、たまにそんな事を考えてしまう。結婚して子どもでもできれば違うのだろうか…。
そんな事を漠然と考えながら、母親には明日朝実家に帰るとメッセージを入れておき、手早く明日の準備を整えた所で早めにベッドに潜り込んだ。目を閉じるとあれこれ考える暇もなく意識は闇に溶け込んでいった。
その日は夢を見た。
外からの強い陽射し、額に汗の滲む暑さ、蝉の声、回る扇風機、そして高校時代居候させてもらった親戚の家の自分の部屋。そこに一人座っている高校生くらいの見知らぬ少女。
キャミソールに短パンと、いかにも部屋着という出で立ちから客とは思えないが、従姉妹でもなければ当然の事ながら当時交際していた彼女でもない。それでも不思議と他人とは思えなかった。
『ユウキ』
と誰のものとも認識できない声に少女が振り返ったところで、見ていた光景が掻き消える。
それと同時に何か電子音の音楽のようなものが聞こえきて徐々に意識が浮上する。電子音がスマートフォンのアラームだと気付くのに少しの時間を要したが外が明るくなっている事で少しづつ意識が覚醒してくる。
いつもの一人暮らし1DKの自分の部屋。就職と同時に入居して約3年、見慣れすぎたマイルーム。あまり余裕を持ってアラームをかけていなかった事を思い出し、布団のぬくもりに未練を感じつつも起きだす事にする。
スマートフォンを弄りながら、朝食を取りつつも夢に出てきた光景を思い出す。
あの懐かしい場面が夢に出てきたのは伯母が亡くなったという話があったせいだろうが、見知らぬ少女は本当に誰だったのだろうかと考える。とは言え、所詮は夢だ。そんなに意味のある物とも思えないし、夢なんて曖昧で意味のわからない事なんて当たり前のようにある。
それでもあの少女の事が無性に気になってしまう。"ユウキ"と呼ばれていたから実は女性化願望があって、あれは自分だったのだろうかと自分でも笑ってしまうような妄想をしてしまったが「まぁ夢だしね」と考えるのをやめる。
実家までは東京の郊外にあるオレのマンションから車で2時間といったところだ。いとこの家は、そこから更に15分ほどの場所にある。
いとこの家に着くと従姉妹の由紀が出迎えてくれた。
「こんにちは」
「あぁ、悠ちゃん、来てくれてありがとね」
「いやいや、伯母さんには散々お世話になったから当然だよ」
「そうだね、そうだったよね」
と由紀は昔を思い出したのか少し目元が潤む。そこに従兄弟の一也も顔を出す。
「おう、悠、忙しい所悪いな」
「ううん、オレは出なきゃ罰が当たるよ」
「そっか、なんにしてもありがとう」
「うん」
の一也と妹の由紀。オレからするとかなり歳の離れたいとこで一也は9歳上、由紀は7歳上で、お互いに"悠"または"悠ちゃん"、"カズくん"、"ユキちゃん"と呼び合い小さい頃は家が近かったこともあって随分と遊んでもらったり可愛がってもらったものだ。特に由紀とは居候の時、一つ屋根の下で生活してた事もあり、姉のような存在だ。
伯父夫婦含めて、正直のところ親戚というよりは既に家族という認識のほうが正しいと言えた。
「悠ちゃん、まずはお母さんに会ってあげて」
「あぁ、そうだったな。悠、案内するよ」
「うん、お願い」
そうやり取りして、伯母の眠る場所へ案内してもらう。
顔に白い布を被せられて横たわる人が最初は別の誰かに思えた。しかし一也の手で白い布が取り除かれその顔が顕わになると伯母その人と認めざるを得なかった。苦しんだようもなく穏やかな表情だ。最後に3年前に親戚で集まって会った時とほとんど変わらない。しかし血液の循環の止まった顔は青白く、明らかに生きている人間のそれではなかった。亡くなった人の顔を"今にも目を開けて起き上がりそうな"と形容する事があるが、そんなものは有り得ないのだとこの時認識した。
(伯母さん、本当にいなくなってしまったんだ)
不意にそう思った瞬間に目頭が熱くなり、喉の奥をゴツゴツした感触が襲い、唇が震えてくる。溢れ出しそうなものを必死に抑えて落ち着こうと試みているところに一也の言葉ががその努力を台無しにしてくれる。
「こんな時に言うのもあれなんだけど、お袋な、悠の結婚楽しみにしてたんだ」
「兄さん!今そんな話…」
由紀の言葉は最後まで続かなかった。代わりにしゃくり上げる声と鼻を啜る音だけが聞こえてきた。
「俺たち兄妹のは見届けてもらったけど、お前のだけ見届けられなかったのが心残りだったんじゃないかと思うんだ」
もう限界だった。これ以上感情を抑えておく事なんてできるわけがなかった
「うっ…うぐ…うぐっ…うぅっ…うぅぅ」
大の男がみっともなく嗚咽を漏らしている事に抵抗を感じるが、もう止められなかった。そこに一也が更に続ける。
「だから……こんなことになっちまったけど、お袋も悠の結婚式には呼んでくれないかな」
(もちろん呼ぶよ。席も準備するし料理も出すよ。だから晴れ姿見に来てね)
声にならない声で急にいなくなってしまった伯母に話しかけながら、一也の問いには無言で頷く事しかできなかった。
「ありがとう、悠…」
伯母が我が子のように思っていてくれた嬉しさもあったが、この時だけはそれ以上に母のような存在を失ってしまった事による悲しみを気が済むまで吐き出し続けたのだった。