第16話 目指すもの
結局、最初に医師が見立てた通り一週間入院する羽目になった。最初の方こそ痛みがあり退屈を感じる余裕があまりなかったものの、快方に向かうに連れて徐々に暇を潰す事の方が苦痛に感じるようになった。
入院など過去にした事がなかったことを思えば良い経験になったと良い方に考える事にした。
そして迎えた待望の退院の日。
「やぁ、桜井さん、ついに退院だね。おめでとう」
「お世話になりました、先生」
この日は非番であるにもかかわらず、重病人でもないオレの退院に合わせて顔を出してくれる担当医。本当にマメ、というよりも少し異常な気がする。
「非番の日にまで出勤してきて退院する患者に顔出すのって普通なんですか?」
「いやぁ、そんな事ないよ。セクハラ恐れずに言えば桜井さんみたいに可愛い子だからかな」
喜ぶところか怒るところか判断に迷う。しかし、可愛い云々は置いておくとしても、わざわざ自分のためだけに時間を空けてくれた事は素直に嬉しく思うのは事実だ。
「セクハラ恐れずにって、ホントにセクハラですよソレ」
「ははは、半分冗談だよ。ゆっくりと話がしてみたいと思ったのもあるけど、ちょっと来なきゃいけない用もあったから偶々だよ」
「先生ロリコンだったんですか?」
「…一応妻子持ちだし、そういう話ではないんだけどな」
「ふふ、冗談です」
「ふう…君もなかなかに神経太いね」
「でもお医者さんって結構忙しいイメージあるから、ここまでしてくれるのは意外な感じです」
「まぁ、ボクの場合は精神的なケアまでできる限りやりたいと思っているけど、そこまでする医者は少ないかもしれないね」
確かに一日に一回か二回は必ず様子を見に来ていた。全員をこの医師が担当していたわけではないだろうが担当している患者を同じように定期的に様子を診るだけでも相当な時間を要するはずだ。しかも今日のように病院内では非番の日もあるだろうし、手術で時間が取りづらい日もあるはずなのだ。
そういった状況であるにもかかわらず、これだけケアができるというのは実はかなりすごい事のような気がしてならない。
「それってかなり大変じゃないですか?」
「大変なのかもしれないね。ボクの場合はやりがいは感じるけど苦にはしてないから気にならないけど」
元の世界にいる時のオレは仕事に対してこういった情熱を持つ事ができなかった。そしてこの医師が純粋にうらやましく思う。
「いいですね、そういうの」
「そんな事ばっかりやってるから医者のくせに貧乏だけどね」
笑いながら言っているが、真実なのだろう。勤務医は大して儲からないと聞いたことがあるし、副業もしていなければ稼ぎの良い営業職等よりも所得は低いのかもしれない。
「おっと、中学生相手にするような話じゃなかったね。お母さんもお迎えに来たようだし、ここまでだね」
話している間に母親が来て、気を利かせて待っていてくれたようだ。
「はい、本当にありがとうございました」
感謝しているのは事実なので頭を下げてお礼をする。
「戻ってこない事を祈ってるよ」
再発がない限りは恐らくこの医師に診てもらうことはないだろうから、そういった意味を込めての言葉だろう。それだけ言って病室から出て行った。
「出る準備できた?」
「うん、大丈夫」
「そう。それじゃ行こっか」
母親に連れられ、病院を後にして1週間に亘る入院生活は終わりを告げた。
しかし、今回の一件は将来のことを深く考えさせられる貴重な時間になったと思えた。そしてそれはそろそろ答えを出さなければならない問題に対しても影響を与える出来事になるような、そんな気がしていた。
暑さのピークは過ぎたものの、まだまだ強烈な暑さが残る8月の下旬。オレの部屋に集まって恒例の勉強会を行っていたときの事だ。何気ない翔太の言葉からそれは始まった。
「そういえばさ、二人は将来何の仕事したいとか考えてんの?」
正直なところ、少し耳が痛い話だ。元の世界で中学生の頃なんて何も考えていなかった。彩はもちろんだが翔太ともそういった話はした事が無く、この時点で何を考えていたのかは結局知らないままだ。
「あたしは、ぼんやりだけど弁護士やってみたいなぁって思ってる」
元の世界と同じとは限らないが、驚くべき事にこの時点で既に弁護士の道を志していた事になる。
「そういう、翔太はどうなのよ?」
「う~ん、漠然とだけど、このままテニスで食っていければ一番かなぁ」
元の世界では高校卒業と同時にすっぱりそっちは諦めていたが、その辺は高校時代に少しづつ考えるようになったところもあり、中学時代にはそこまで考えていなかったのだろう。それはこちらの世界でも一緒であれば通じるところがある。
実際日本国内ですらトップ層になれないようであれば、それだけで生活していくにはなかなか厳しいものがあるだろう。しかし、元の世界の中学生の頃を振り返ると、オレはそんなところまでは考えも想像も及ばなかった事を思えば、翔太のそれも年相応なものの見方ともみる事もできる。良くも悪くも世の中の現実を知らないのだ。
そんな思いから言わなくていい事、むしろ元の世界での結果を知っているだけに言ってはいけない言葉が漏れてしまう。
「なかなか狭き門だよね」
「う~ん、やっぱりそうかなぁ」
「で、でもさ、やってみないことにはわからないよね?」
本来であれば本人の決断に対して影響を及ぼすであろう発言は避けるべきだったかもしれないが、それが本当に影響を与えたかは実際にその時になってみないとわからない。あくまで一般論はという体でその場はお茶を濁す。
「まぁ、やれるだけやってみてダメだったらその時考える!」
こちらの世界でも元の世界の翔太と同じ事を言う翔太に少しホッとする。少し自分の発言がNG気味だったと思ったが、そこまで影響はなかったかもしれない。
「ここまで聞き手に回ってたゆうきはどうなのよ?」
「わたしはハッキリは考えてないけど、テクニカルでやりがいのある仕事がいいかな」
あくまでオレとしての意見であって、ゆうきの意見ではない。その辺は彩なら汲み取ってくれるだろう。
「曖昧だな。なんかのエンジニアとかか?」
「そこまで限定的じゃないけど、考え方はそういう事」
実は医者も面白そうだと思っている。夏休み入って早々に入院した時に会った担当医の影響が大きいが、これくらいの時期に目指す理由としてはそんなものかとも思うのだ。
「例えばで挙げられるものってあるの?」
彩も意外と興味津々のようで、少し食い付き気味に聞いてくる。
「医者とか?」
「弁護士に医者とか、お前らどんだけ目標高いんだよ!?」
「いやいや!プロのアスリート目指してる翔太の方がハードル高いからね、普通!?」
「うぐ、それもそうか…」
翔太にそうは言ったものの、オレの医者という仮の目標も相当にハードルが高い。
我が家は父親が単独で働いていて、母親は専業主婦だ。それだけ父親の収入があって生活出来ているという事は、父親がそれなりの高給取りなのだろう。しかし今後俺や弟が進学していった時に余裕があるかと言われれば、そこまで収入があるとは思えない。
そんな中で、ただでさえ学費の高い医学部のそれも私立大学に出す余裕があるとは思えない。頼み込めは母親が働きに出てでも行かせてくれるような気はするが、一度社会に出た事のある身としてはそこまで負担を掛けたくない。
そうなると必然的に国公立大学の医学部となるが、それは必要な学力という意味ではかなりハードルが高い。
「ゆうきがお医者さんとか想像しづらいけど、昔の冷たい目で『もう手遅れです』とか言われたら立ち直れないわよね」
「俺なら自殺するな」
「あははは、本当は病気じゃなくても具合悪くなりそうね」
「小児科なんてやったら子どもが寄り付かなくて潰れるな」
「もうやめて。あはははは」
二人して大笑いしているが酷い言われようだ。
「二人して笑いすぎ!そんな事しないし!」
何がそんなに面白いのか、相変わらず二人して大笑いして目には涙まで浮かべている。元のユウキのそんな視線はそこまで強烈だったのだろうか。見てないオレにはわからないが、目にしてきた二人にしてみれば当時は笑い事ではなかったものも過去の事として割り切れているのだろうか。
しかし、ここまで考えたところで翔太にはオレが元のユウキである事を明かしていない事に少しの罪悪感を感じる。二人でいてもきまずさがなくなってきた今、本当のことを話すことも考えたほうがいいかもしれない。それで関係が壊れるのが怖いが、本当のことを隠し通すのも心苦しい。
「ちょっとした笑い話なんだから、そんな怒らないでよ」
「え?怒ってないよ?」
「あれ?むすっとしてたから怒ったのかと思ったわ」
少し考え事をしている間に難しい顔をしていたのか、それを怒ったと勘違いされたようだ。翔太などはあからさまにホッとした顔をしている。
「で、翔太はなんでそんなにホッとしてんの?」
「だってよ、ゆうき怒らすとマジで怖いし」
学年の中でも一目置かれる翔太まで怯えさせる元のユウキとはどれだけ怖かったのか。一回会った感じではそこまでのイメージはなかったが、怒らせるとまた違ったのかもしれない。
「笑い話くらいでそこまでしないよ!」
笑ってそう答えるが、さすがに仲の良い相手にそこまで冷たい対応を取るとも考えづらい。しかし、いじめによる影響は元のユウキ自身だけでなく、周囲の親しい人達にも少なくない影響を及ぼしていたという事なのだろう。
「さて、そろそろスクールの時間だから今日は帰るわ」
勉強会の終わる時間頃になると雑談を始めるのは大抵翔太だ。そして、少し雑談をしてから帰るというのがいつものパターンとなっていた。例に漏れず今日も同じで雑談が一段落ついた所で翔太が帰りを切り出す。
「ん、そんな時間か。それじゃお開きにしようか」
「そうね、少し疲れたからあたしは少し休んでから帰るわ」
「それじゃ、また明後日な」
「一人でもちゃんと勉強するのよ」
「お前は俺のお袋か!」
そう言って笑いながら翔太が帰っていった。
翔太が帰った後、彩が少しお喋りをしていくのもいつものパターンだ。
思いついたのもいい機会だし、翔太には話していないオレ自身の事について相談してみる事にした。
「ねぇ、彩」
「ん?」
「わたしの中身が違うって話、そろそろ翔太にした方がいいかな?」
「ゆうきがこっちの世界に来た時よりアイツも落ち着いてきたし、話したいと思うなら話してもいいと思うよ」
「やっぱりそう思う?」
「うん。何か不安でもあるの?」
「隠してた事に怒らないかなってのと、今の関係が壊れるかもって思うと少し怖い」
「なんだ、そんな事。それならどっちも大丈夫よ」
「どうしてわかるの?」
「隠してた事怒るのはお門違いだし、あんたがあたしに打ち明けた後関係変わった?」
「変わってない…と思う」
「でしょ?そういう事よ」
どういう事なのか。理解ができず頭の上にはてなを浮かべていると、彩がさらに続ける。
「中身どうこうあっても、いじめにあう前のゆうきと大差なかったから。もちろん最初はショックだったけど、あたしはむしろ好意的に受け止めてるのよ」
別人として受け入れるのではなく、むしろ以前のように戻ったと好意的に受け止めているという事なのだろうか。
「元のゆうきがどこに行っちゃったのか心配ではあったけど、あんたのいた世界でよろしくやってるんでしょ?少し寂しいけど、あの子がその方が幸せならそれでいいわ」
オレにとって元の世界で翔太がそうであったように、元のユウキにとって彩は本当に良い親友だったのだろう。自分の寂しさを押し殺しても親友の幸せを願うその姿につくづくそう思わされる。
「そっか、少し安心した」
自分の頬がかなり緩んでいるのを自覚する。彩からみると満面の笑みを浮かべているように見えることだろう。
「あんた、なんでそんなに嬉しそうなのよ…」
「それはもう、そこまでわたしの事想っててくれたと思うと嬉しいしー?」
自分で言った言葉がストレート過ぎた事が恥ずかしくなってきたのだろうか、彩の顔が少しづつ赤くなる。
「な、なんなのよもう!」
怒ったような言葉を言っても顔が薄っすら赤く説得力がない。
「そこまで恥ずかしがらなくてもいいのに」
「誰のせいだと思ってるのよ!もう帰る!」
からかい過ぎて本当に機嫌を損ねてしまったようだから、少しフォローをしておく。
「ごめんって。でも嬉しかったのは本当だよ?」
「もうわかったから!この話はおしまい!」
「でも相談してよかった。タイミングみて翔太には話してみる」
彩は「そう」と返事をして、話題を変える。相当恥ずかしかったのか話の変え方が露骨だったが、その後はいつものように雑談をしていると時間が過ぎていくのだった。




