第六十九歩 【三英雄 イフ・レガード】
「なぁ……そろそろ出てきたらどうだ?」
「うぅ、まだ心の準備が――」
俺はドアの影から顔だけを覗かせるリンに語り掛けるが、彼女は出てこない。
聞けば、いつもの服はメイドに洗濯されており、今はレイラさんが用意した服を着ているそうだが、そんなに恥ずかしいのか?
「今流行りのドレスを用意したのだけど、あまり気に入らなかったかしら?」
「いえ……すごく奇麗だとは思うんですけど、あまりこういう類いの服は着たことが無くて。その、慣れてないというか――」
横目で俺たちの方を見るリンにレイラさんは少し頷くと俺たちの方に戻って来た。
「まぁ、彼女が無事だと分かって貰えただけでもいいでしょう。それより、ルイ君に一つ言伝があったの。まぁ、伝言っていうかお招きね。要件はあってからにするって教えて貰えなかったし――」
「お招き……一体、誰からですか?」
俺がそう質問すると、彼女は少し困ったような表情を見せてからその名を告げた。
「三英雄の一人、イフ――」
イフ――しかも、三英雄って!?
なんで俺ばっかりそんなビッグネームからお呼びがかかるんだよ!
共和国に入ってから緊張しっぱなしでもうガタガタなんですけど――
しかもウルドさんではなくイフという別の三英雄からのお誘いか。
レイラさんによるとイフという人物は三英雄の最初の一人らしく名前以外、共和国議会でも出自は不明らしい。
「三英雄の中でも跳び抜けた力を持つと言われているわ。共和国建国時からこの国にいたという噂もある。私も彼が何を考えているか全く想像がつかない。そんな彼が会いたいと言っている以上、こちらとしては是非あなたに会いに行ってもらいたいのだけど?」
つまり断るという選択肢はないということだな。
それに、いろいろと動く前にそれだけの大物から睨まれるのも得策ではない。
俺はそれを承諾し、指定された場所に赴くことにした。
「彼女の事は私に任せてちょうだい」
とか最後に行っていたが――大丈夫だろうか?
そんな心配を胸に俺は、用意してあった馬車でレイラさんの屋敷を出発した。
議会場の奥にある小高い丘。
その頂点にそびえる神殿の様な荘厳華麗なお屋敷。
レイラさんのお屋敷もかなり立派だったが、ここは力の入れようがもう一段階上の様な気がする。
「ルイ様ですね? 三英雄様方がお待ちです。さぁ、中へどうぞ」
中に通された俺は大きな扉の前で使用人と別れ、一人で入るように言われた。
『あぁ、来てくれたのですね。どうぞ、中にお入りください!』
優しく透き通った声が扉越しではなく、直接鼓膜に響いたように感じた。
ドアが誰の手にも触れられずに一人でに開き、眩い光に晒された様に目が眩む。
俺が再び目を開くと、煌びやかな部屋に玉座の様な椅子が三つ置かれている。
左手の椅子には誰も腰かけておらず、右手の椅子の傍には壁にもたれかかるウルドさんの姿、そして正面の椅子には――
「疲れているところご足労願い申し訳ありませんね」
俺に一番に声をかけて来た青年はこの部屋の煌びやかさに負けないくらいのイケメン。
それでいてボロボロでこそないが、平民と同じような麻布の様なもので作った衣服を身に纏っている。
ハッキリ言ってこれ以上ないほどのアンバランスだ。
しかし、彼が正面の席に座っていたという事は彼が――
「私はイフ・レガード。レイラさんから聞いていると思いますが、共和国を守護する三英雄の一人を任されています! お目にかかれて光栄です!」
丁寧な物腰に礼節を弁えた立ち振る舞い。
俺の方が身分は圧倒的に下なのに、全く不遜な態度を取らない彼に俺は慌てて挨拶をより深いお辞儀と共に行う。
「申し訳ありませんね。この客間には用心のために不要なものは持ち込めないことになっていまして……立ち話になってしまいますが」
なんて俺の心配をするイフさんに戸惑うばかりだが――
「ルイ君、無事に共和国に入れたようで何よりだ」
それまで黙っていたウルドさんが口を開き、俺はウルドさんの方へと視線を移す。
なんだか、不機嫌そうな様子だ。
「は、はい。ウルドさんのおかげですありがとうございます!」
俺がそう返すとウルドさんは少し頷き、また黙ってしまう。
「彼はこの部屋が嫌いだというのです。お気になさらず」
ウルドさんの様子を気にする俺にイフさんはまた優しく声をかけた。
「ところで――私を招いた理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「あぁ、そうでしたね! あなたに一つ、お願いしたいことがあります」
「お願いしたいこと? 私にですか?」
イフさんが椅子にある紋章に手をかざすと紋章が光り、部屋の中央の床がせりあがってきた。
檻の様な格子が見えて来たかと思えば、その中にはドロドロとしたタールの塊のような動くものがあった。
「これは……一体?」
動揺する俺にイフさんが椅子から降りてきて説明する。
「これは――魔族の成れの果てですよ」
「魔族!?」
「そう、魔族は魔王が倒されてから急速に力を失っていきました。その中でも彼らの住処に比べ魔力が乏しい人間界では形も保てぬほどにね。これは捕縛された魔王軍の生き残りです」
以前に聞いたフェルの過去話にも魔王と魔族は出て来ていたが、今までの旅の中では一切その痕跡に触れられなかった。
しかし、こうして目の前にすると成れの果てでも人間の数倍の魔力を有していることは俺でも感じ取れる。
たぶんコタロウがいたら鼻を抑えて悶絶するほどだろう――
「あなたにはこの魔族との対話に協力して欲しいのです」
「対話?」
「そう。私たちは魔族の事を何も知りません。それ故に多くの人命が奪われ、破滅の危機に瀕した歴史があります。再びその歴史を繰り返さないためにも彼らの情報が必要なのです。それに――」
イフさんはそこで言葉を詰まらせ、ふぅっと息を吐く。
「それに、対話ができれば彼らとの共存の道も模索できるかもしれませんしね」
俺だけに聞こえるようにとも取れるほど小さな声でそう呟く彼に俺は大きく頷いた。
「分かりました。やってみます」
俺はそう答えると、魔族の前へと進み出る。
イフさんたちにも聞こえるようにしたかったが、この神殿は特殊な術式が組まれていて外からのスキルや魔法の類を無効化してしまうらしく、コタロウの〝共有〟も届かない。
とりあえず、会話が可能かどうか確かめないとな――
「初めまして。私は異界人のルイと申します。少し、あなたとお話しさせていただけませんか?」
俺が言葉を発すると魔族の身体がビクンと反応した。
暫くして、まるで沼の底から聞こえてくるような深く暗い声が俺の耳に響く。
「何故、人間風情が我らの言葉を? 異界人――そうか、あの女の人形というわけか」
魔族のその言葉を聞いた瞬間、俺の目の前は真っ赤に染まった。