第六十四歩 【伝わる覚悟】
俺の手から放たれたボトルはボスの目の前で炸裂した。
ボトルからは眩い光が発せられ、その光に呼応する様に地面がボスの身体に沿うように盛り上がっていった。
バインドボトル〈グランド〉
盛り上がった地面が突進する巨躯を押しとどめはしたものの、暴れるボスの力が強く長くは持ちそうにない。
「どうするつもり?」
「コタロウの鼻が確かなら、ボスは前に見た霊薬と同じような物を使われた可能性が高い!」
「霊薬って、あのメガロに会った時の?」
メガロに初めて会った湖での戦闘の際に元創薬協会のウェンドが番兵に使用した霊薬。
コタロウの鼻が確かならその霊薬とボスから漂ってくる臭いの一つがよく似ていると言うのだ。
俺の〝言葉の記憶〟では声の判別は出来なかったが、あの喋り方は確かにウェンドに似ていた。
それにあの何かを流し込むような音は霊薬をボスに使った音だろう。
よく考えればもっと早く気づくことができたかもしれないが、グラトニルという言葉の衝撃に流されてしまったか――
俺はそんなことを考えながら懐から小瓶を取り出す。
その中には小さな火種が入っていた。
「バーン、見えるか?」
『おう、よーく見えるよ。ずーっと服のしわを見つめてるのも退屈してたところだったのさ』
この火種はバーンの分見体をさらに小さくしたもので、こういった事件興味津々なバーンを留守番させる上で出された条件でもあった。
「話は聞いていたな? 何か分かるか?」
俺はバーンの種火に向かって話しかけるが帰ってきた答えは――
『端的に言えばだが、さっぱりわからんねこりゃ。元々ウェンドが研究していた霊薬は創薬協会も俺っちも奴の報告くらいでしか概要を知らねぇしな。こんな急速な成長と暴走を促すような霊薬は聞いたことがないぜ。だが――』
バーンの言葉を待たずに、辺りに轟音が響き渡る。
砂煙と共に、ボスを覆っていた地面が弾け飛んだのだ。
拘束から逃れたボスは怒号を上げ、近くでボスのニオイを嗅いでいたコタロウへと向かっていく。
「コタロウ、危ない!」
俺は〝レッグパワード〟を発動させると寸でのところでコタロウの元へ辿り着く。
「リン!」
目の前に迫る巨体を目にした俺は咄嗟にリンに向かってコタロウを放り投げた。
「ル、ルイさん!」
コタロウの声が俺の耳に届いたとき、俺の眼前にはボスの鼻先が迫っていた。
砂埃で周囲が煙る中、俺が目を開けるとそこはウルドさんが立っていた。
ウルドさんは右手一本でその巨躯を押し止めている。
「私が出ずとも済むかと思ったが、期待するだけ無駄だったようだ。君には|ボス〈彼〉を救う力は無い」
ウルドさんは首を横に振る。
「もういいだろう。これ以上彼が暴れればここだけでなく下の町にも被害が出る。その前に――」
「まぁ、待ちなよ。英雄さん!」
拳を構えるウルドさんを制止したのは小瓶の中にいるバーンだった。
『今回の一件は魔獣が魔物に変わっちまったっていう所がミソだ。恐らくだが、元の魔獣をコアに周囲の魔力を集めて魔物を作っているってところだろうな。つまりは周囲の魔力を固めている中心である魔獣本体の場所さえ見つけてしまえば、魔物の部分は霧散するかもしれないってことよ!』。
「やはり聞くだけ無駄だったようだ。これだけの巨体から中心を探すことなど――」
バーンの話を聞き終えるとウルドさんはボスへと向き直る。
拳を固く握りしめる彼に俺は立ち上がり、叫ぶ。
「俺がやって見せます!」
「君が? 何も力を持たない君がか?」
「確かに俺には戦える力は無いですが、こんな俺でも出来ることはある! でもそれにはあなたの協力が必要です!」
「君はまた、人の力に頼ろうというのか?」
俺は身体が震えたが、その悪寒をすぐに振り払う。
そこにリンとコタロウも降り立ち、俺たちのやり取りを見つめている。
「俺は今までも皆の力に頼ってきました。それを恥じたこともあります。でも、誰かを救うために皆の力を借りることは恥ずべきことではないことも皆が教えてくれました。だから俺は俺の全てをかけて、皆を守ると誓っています!」
リンとコタロウはそれを聞き、大きく頷く。
これは龍の里で皆と誓った約束であり、俺の覚悟だ。
この覚悟を俺は全力でウルドさんへとぶつける。
「俺は|ダリアたち〈彼ら〉を救いたい! 力を貸してください!」
「他者を……しかも他種族の魔獣を救うために命を懸けるというのだな?」
「それこそ俺がこの世界でやるべきことだ!」
ウルドさんはその言葉を聞くと、フッと息を吐く。
「良い答えだ!」
ウルドさんは押さえている鼻先を地面に叩きつけ、完全にボスの動きを抑え込む。
「さぁ、やってみろ! 君にしかできないことを私に見せてくれ!」
ウルドさんが叫び、俺はリンと共にボスの巨躯へと飛び乗る。
「どうするの?」
「さっきはボスの声がわずかに聞こえていたんだ! 近くならその声がする場所が分かるはずだ」
俺がボスの背に触れ、意識を集中させる。
耳にはくぐもった轟音が響くだけで声は聞こえてこない。
魔物へと完全に変化してしまったのか――
そんな焦りが俺を襲うのと同時にダリアの不安げな顏が頭を過った。
「っ! 答えてくれ! ダリアたちがあんたの帰りを待ってるんだ! 俺に、あんたの声を聞かせてくれぇ!」
俺は力の限り叫ぶ。
『ワ、ワタシハ……ミナヲ』
俺の叫びに反応してか、鉱石のように固い皮膚の奥から小さいが確かな声が聞こえた。
〝言語理解〟はその強い意志を俺へと届けてくれる。
「そこか!」
声を追った先は背中にある大きな結晶。
俺はそこへニーズから譲り受けた刀身を突き立てる。
苦しいのか一層に暴れ狂うボスに押さえつけていたウルドさんも一瞬怯む。
その隙をついてボスは一気に走り出した。
「離れろ!」
俺が促すと咄嗟に飛び退くリン。
リンが俺も連れて行こうとするが、今ここから離れることはできない。
俺は突き立てた刀身を頼りに身体を支えた。
「リン! 俺が合図したら結晶を砕け!」
ボスと並行して飛ぶリンへそう告げると俺はより深く刀身を結晶へ差し込む。
一度声を聴いた俺にはボス本体がどこにいるかが的確に分かっている。
この結晶をボスを傷つけないように破壊できれば――
「よし、ここまで来れば!」
俺がそう叫んだ時、ボスが大きく尻尾を振り、天井と壁を崩落させる。
リンは飛んでくる岩を避け、ボスから引き離されてしまった。
「くっ!」
俺の力ではこの結晶は破壊できない。
何より、ボスを結晶の中から助け出してもこの暴走を止められなければダリアたちに被害が出てしまう。
「君の覚悟に応じて、私が協力しよう」
俺が振り返ると、そこにはウルドさんが立っていた。
彼は先程の殺気立ったものとは違い、穏やかで情熱的な印象が感じられる。
「お願いします! この結晶を!」
「了解した!」
ウルドさんが腕に魔力を集中させ、結晶に向かって拳を叩き込むと刀身を中心に結晶がドンドンとひび割れていく。
結晶が割れると、その中からは大きなクォーツリザードが出てくる。
「どうやら成功したようだな。後は私の仕事だ! 離れていたまえ!」
ウルドさんはそう言うと、ボスを抱えた俺を後方へと放り投げる。
後方から付いて来ていたリンが俺とボスを受け止め、地面へと降り立つ。
俺がボスの抜け出た魔物に目をやると尻尾や爪の先端から魔力の霧散が始まっているが――
「マズい! このままではダリアたちの元へ!」
俺はそう叫んだが、それがすぐに杞憂であることを知る。
魔獣の頭上にはウルドさんの姿があり、その周りには高密度の魔力が凝縮されていたのだ。
魔力を纏う拳は先程のものとは違い、輝きを放ち振り下ろされる。
眩い閃光と共に魔獣の身体は拳の先へと収束しながら消えていった。