或る意味似た者同士
ゆららが席を外したのを見計らったかのように、 隣室の僕の部屋から執事の呉緒に呼び掛けられた。 彼が珍しい音の呼び名であるのは、 呉緒が異国の人間の血を引いているからだ――。
確か祖母が難破船に乗っていて、 助けた呉緒の祖父と結婚したと教えてもらいましたね。
ふた親はすでに無く、 代々我が家に仕える家系で執事のような役回りをしていた赤羽家に婿養子に入ったのを期に、 僕に仕えてくれるようになったんですが―― 客前で無ければ意外と気さくに話してくれる―― そうですね…… 兄のような存在かもしれません。
左の目に片眼鏡をかけた呉緒は、 茶色の髪に右目が薄茶で左目が緑と言う珍しい金目銀目の持ち主だ。 片眼鏡をかけているのは、 そちらの目だと幽霊のようなものが見えてしまうからだと昔話してくれた事があるのを思い出す。
片眼鏡をつけると、 不思議とそれらは見えなくなると言っていましたっけ。
「若様―― 御屋形様と御方様がお越しです」
「帰ってもらって下さい」
「―― 無理ですよ。 何言ってるんです? 」
呉緒の言葉に間髪いれずにそう返したら、 呆れたような声で返事が来た。 そう言われるとは思ってましたけどね。
分かりました―― そう言って席を立つ。 ここで、 僕の為に装ってくれるゆららを待つつもりでいたのに…… 朝っぱらから何をしに来たんだか。 まぁ、 ―― 大方の予想はつきますが。
継護を腰に差し、 朱依に留守番を頼んだ。 もし、 ゆららが来たら、 ここで待つように言づける。
「おはようございます。 父上、 母上―― 朝の挨拶も済みましたし、 お引き取りを」
寝室から自分の部屋に入り、 開口一番に挨拶をしてから笑顔でそう言った。
主に―― 父にだ。
無精ひげを生やした―― 蒼龍院家の当主とは思えないだらしない格好をした父上とその横で、 困った顔をした母上と―― その後ろに控えるのは、 母上の侍女が二人。
「おはよう。 息子。 ちょっとそれは酷いんじゃないか? 折角来たのに」
ボリボリと肌蹴た胸元を掻きながら、 生欠伸を噛み殺して父上が言う。
背の高い呉緒よりも頭一つ分は高い父上を、 朝から見上げなければならないのにも腹が立つ。 齢十九にもなれば僕の成長期も終わり…… 父程の身長に至れなかった事を散々からかわれた過去が蘇ってきましたし?
父上が、 ニヤニヤと笑いながら僕の頭を撫でようとしたので、 一歩下がって避ける。 成人男子を幼い子供のように扱うのは止めて頂きたい。
「新婚の息子の部屋に朝っぱらから突撃かますような父親は嫌ですが」
苛立ちを隠さずにそう言えば、 母上が慌てた様子で口を挟んだ。 どうやら、 僕が怒っているのでどうにかしなければと気を遣わせてしまったらしい。
母上、 僕が苛々しているのは貴女の所為じゃありません。 主に父上の存在自体が苛々の元です―― それを言えば、 母上が哀しそうな顔をするのが分かっているので言いませんが。
「伊周さん―― ごめんなさい…… 私なの…… ちょっとお嫁さんどんな子かしらって言ってしまったから…… 」
眉尻を下げて言う母上は、 小さな肩を更に小さくして僕に謝る。 小柄な母上は父上の腹の辺りまでしか身長が無い。 とは言え、 母上が小さすぎるのではなく、 父上が大きすぎるのですけどね。
「母上は止めて下さったんでしょう? 分かってます。 父上がどうせ面白がって来たんでしょうに」
呆れた口調でそう言えば、 後ろで控えていた二人が艶やかに笑顔を浮かべた。
「流石です。 若様」
「その通りです。 若様」
着物の上にエプロンを付けた二人の侍女は、 ほとんど同時にそう言ってからクスクスと笑う。
「小雨、 三雲―― お前たちなら止められただろう? 」
「そうですねぇ。 けど、 私たちもお嫁様が気になってましたので」
「ふふ。 若様ったら独り占めはいけませんわ」
泣き黒子がある方が小雨―― 艶ボクロ…… 口元に黒子がある方が三雲と言う。 小雨は年を経た蛇が人型に変じた蛇精という妖であり、 三雲は人が土蜘蛛へ変じた妖だ。 この二人は性格が良く似ていて気も合ったらしく、 義姉妹の契を交わしている。
怒らせれば面倒この上ない相手だけれども、 味方にすれば頼もしい―― そんな二人ではありますが…… さて、 今回はどうだろう。
じっと二人を観察すれば―― ゆららに興味はあるけれど、 僕の不興を買うまででは無い―― と言った所だろうか……。
「どうせ、 抱き潰してないのなら、 今日会っても問題無かろうが」
面倒そうに言い放つ父上に、 母上が両手で顔を覆った。
この人は―― どうしていつも、 いつもこうなのか…… デリカシィと言うものが無い。 まったくもって欠如している…… 母上に文句は言えないが、 どうしてこの人が僕の父親なんですかね。
呉緒が、 僕の心情を思ってか…… 片手で顔を覆って嘆息しているのが見えますが。
「――…… 貴方は―― どうしてそういう事を明け透けに―― で、 何故ソレを知ってるんです? 小雨ですか? それとも三雲? 」
冷たい笑みを浮かべて二人を見れば、 顔を見合わせた後に慌てた様子で首を振られた。
「いやですわ。 私たちじゃありません」
「一花と二葉でもありませんわよ」
そもそも、 一花と二葉を疑ってはいないんですけどね。 この二人と同様、 一花と二葉も主をからかったり、 試したりするのは好きなようですが、 父上に情報を売るとは思ってませんし。
だとすれば――
「秀魔お前か」
僕は、 天井に向かってそう問い質した。 天井裏にいるはずの男に向かって、 だ。
『申し訳ありません若様。 私です―― ちょっ! 継護を抜かないで頂きたいのですがね?! 覗いて無いです。 覗いて無いですから。 ただ、 コトの有無だけ確認しようと―― まぁ聞き耳を立てましたが―― って! あっぶな―― 掠ったじゃないですか!! 御屋形様の指示ですよ。 私が好きでやった訳じゃありませんて』
チャキリと継護に手をかけて鯉口を切れば、 慌てたような声が響いた。 話を暫く聞いた後―― 僕は問答無用で継護を抜き去り、 天井に突き刺す。 継護の切れ味にかかれば、 天井の板なんて紙に等しい。 抵抗感無く天井を突き抜けると、 その先で何かに掠めた感触がした。
少しだけ手ごたえを感じたのはどうやら、 秀魔の身体の一部だったようですが…… 残念ですね。 少しくらい深手を与えても良いと思ったんですけど。
「あ! 秀魔!! 手前ェ! 主を裏切るとはどういう事だ? 」
『話すなとは仰らなかったでしょうが! 貴方のせいで娘の前で死ぬのはごめんですよ』
予想はついていたけれども、 やはり父上が指示した事らしい。 どうりで良いタイミングで朝から来たはずだ。
覗き見された訳では無くとも、 聞き耳を立ててやり取りを聞かれていたのかと思えば、 良い気はしない。 ゆららとの会話を記憶から消去させる事が出来ないのなら、 秀魔の息の根を止めても良いような気がするんですけど、 どうでしょうか。 僕は、 父上を睨みつけた後、 嘆息して天井に再び呼び掛ける……。
「魔那も来ているのか? 」
『はい。 ここに。 嫁ぎたては事故が起こりやすいもの―― まぁ、 現状を鑑みれば確率は低いと申し上げておきますが、 念のため。 今日からお嫁様付きに任ぜられました…… 宜しくお願い致します』
「そうか、 妖等の障りは朱依がいればどうにかなるけれど―― 物理的な事はどうにもならないからね。 宜しく頼むよ」
秀魔も魔那も、 我が家に仕える忍びの者だ。 情報収集から、 護衛までまぁ色々と任せているのですが。 今回は魔那がゆららの護衛についてくれるらようですね。
何故護衛が必要なのか? 嫁は『ゆらら』 でなければならないと言うのに、 事情を知りもせず、 横槍を入れて来るものがいるからです。
大昔には、 『ゆらら』 を殺してしまえば、 自分の娘が嫁げると勘違いした大馬鹿ものが暗殺者を雇い、 蒼龍院家に喧嘩を売って来るような事もあったと聞いてます―― 無知とは怖ろしいものですね。
そう言う輩は、 もちろん代々の蒼龍院家の当主に、 家ごと滅ぼされましたが。
『は。 』
僕の言葉に魔那が簡素に答えた。 そのやり取りを見ていた父上が、 何やらニヤニヤとしているのが気に食わない。 と言うか、 嫌な予感しかしないんですけど黙らせた方がいいですかね。
「ほほう。 伊周クンは『ゆらら』ちゃんが随分とお気に召したと見える」
案の定、 人の神経を逆撫でするような一言を頂いた。 本当に父上という人は学習をしないので困る。
「あなたっ! 」
母上が眦を釣り上げて父上を叱るものの、 へらへらと笑っている様子を見ればあまり効果はないようだ。 本当に、 懲りない。 と言うか完全に母上が怒ってるのも楽しんでますしね。
「母上を泣かせるのは本意ではありませんが、 あの世に逝っておきますか? 父上」
「家族なんだし、 諱を呼ぶの位いいだろうが。 心狭いなお前―― 誰に似たんだろ」
鯉口を鳴らしてそう凄めば、 父上が呆れた口調でそう言った。 腹立たしい事に家族なのには違い無いけれど、 父上に今すぐ『ゆらら』 と呼ぶ事をを許せるような気にもなれない。
尊敬できるような父親であれば、 また違ったかもしれないとは思いますがね?
『父親そっくりですよねー 若様』
秀魔がそんな風に口を挟んできた。 『結婚したての御屋形様と御隠居が同じようなやり取りしてましたよ』 と要らぬ事まで話されて頭が痛くなってくるような気持ちになった。
「似て無い!! このちゃらんぽらんなのと一緒にしないでもらえますか? 」
唸るように言って天井を睨めば、 秀魔め―― 完全に気配を消したな…… 僕にまた切りつけられては敵わないと思ったのだろう。
「ちゃらんぽらんとか失礼だなぁ。 俺の子種から出来たのに」
空気を読まない一言に、 一瞬部屋の中に静寂が訪れる。 本当に―― 本当に僕は何でコレの息子なのか……。
僕が怒りの声を上げるのよりも先にゆらりとした怒気を滲ませた母上が、 流れるような動作で右手で父の手首を掴むと捻りあげた。
「あ な た ? 」
「―― スミマセンデシタ。 …… 怒るなよ。 『俺のゆらら』」
いい加減にして下さいと笑顔で怒る母上に、 苦笑した父上が謝っている…… 母上を宥めるように言った『俺のゆらら』 という言葉に思わず閉口してしまった。
秀魔の『父親そっくりですよねー 若様』 が脳内で流れるのを、 諦めの気持ちで聞き流す。
「そんな顔してもだめです! あなたがそうやってからかうから、 伊周さんを怒らせてしまうのじゃないの」
「だって、 かーいーじゃないか。 怒ると目ぇキラキラさせてよ」
もう! と怒る母上の言葉の後に、 父上が締まりの無い笑みを浮かべて言ったので思わず継護を抜いて切りかかってしまった。 それを見た母上が諦めたように嘆息して父上を見る。
小雨と三雲は苦笑している状態だ。 呉緒はこの状態からそっと目を逸らすと窓の方を見ているようですね……。
「――…… だから、 無言でいきなり抜くなよ。 父様が死んだらどうすんの」
きっちりと煙管で継護を受け止めておいて何を言うのか。 そんな風に言う父上に笑顔を浮かべて体重をかける。
煙管に使われている鉄火木と呼ばれる化石化した木の結晶は、 金属並みに硬く細くとも刀を受け止める位の強度はあるのだけれど。 本当に―― 残念な事に、 鉄火木は継護相手でも受け止める事ができるらしい。
「僕が新しい当主として、 立派に跡を継ぎますよ? 」
「なんでこうなったんだろうなァ? 昔は、 父さま―― 父さま―― 行っちゃやだー とか言って後ついてきて離れなかったのに」
安心してあの世に行って下さいと言えば、 心底不思議そうな顔をして父上がそんな事を嘯いた。 いつの話ですかそれ? 物凄く小さな頃の話ですよね―― 父上?
「そんな幼けな僕を、 妖が出るとかいう山に忘れて帰ったからじゃないですかね? 」
思い出すのも忌々しい。 あれは三歳の頃だろうか…… 僕が離れたがらないからと、 妖退治に行くのに父上が珍しく連れて行ってくれた事がある―― 『いずれは、 お前も俺の後を継ぐんだしな―― 父さまの格好良い所を見せてやろう』 とか何とか…… そんな軽い感じでだ。
父上に背負われ行った薄暗い山の中、 僕は父上の活躍を心躍らせながら見ていたはずだ。 そこまでは良い。 幼い子供に何てものを見せてるんだ―― と言う事を置けば、 問題無い話のはずだろう。
ただし、 妖狩りに夢中になって、 父上が僕を山の中に落して行くまでは…… ですがね。 落ちた事に吃驚して茫然としている僕を置いて、 父上は目を瞠る早さで居なくなりましたとも。
「ちゃんと迎えに行っただろう? 」
「母上に指摘されるまで気付かなかったんでしょうが! 」
妖の残骸の中でポツンと一人―― 夜まで放置されましたよね? 近辺の妖はほぼ父上が退治して行ったようで、 僕が襲われるような事は無かったですが。 良く心的外傷を負わなかったものです。
下手したら、 妖と戦えない跡取りになっていたと思うんですけどね。
父上は意気揚々と家路について、 迎えに出た母上に指摘されて僕が居ない事に気が着いたって聞きましたよ。 えぇもうしっかり覚えてます。
「そうだっけ? 」
怖ろしい事に、 父上が本気で覚えて無いようなのですが。 大丈夫だろうかこの人―― この年で呆けるのは勘弁して頂きたいんですけれど。 母上が苦労する様子しか想像できませんねぇ……。
「そうですよ。 とにかく、 『僕のゆらら』 は繊細なので帰って下さい。 あんたみたいに空気が読めない人間に、 朝から会わせたら心痛で寝込みます」
実際は心痛で寝込む事は無いとは思いますけどね……。 これ位は言っておかないと、 いつか会わせる時にゆららに何を言うか分かったものじゃない。
少なくとも、 先程のような事を言えば引かれる事は必至だろうと思うけれど…… 父上がゆららに引かれるのはどうでも良いですが、 その発言でゆららが不快に思うような状況はできれば避けたいので。
「ケチ」
「煩い帰れ」
良い年をした大人がむくれないで下さい。 子供じゃあるまいし。 間髪入れずに言い返したら、 小雨と三雲がクスクスと笑う声が聞こえて来た。
「―― 若様はこう言う御屋形様とのやり取りを、 お嫁様に見られたくないのじゃありません? お互い子供みたいになってしまうようですし」
「―― 御屋形様の事も本気で嫌がってますから、 見せたく無いのかもしれませんよ。 若様の反抗期も随分長いですわね」
おかしい―― 何で僕まで子供のようだと判じられているのかが理解できない。 そんな考えを読んだかのように呉緒に、 若様は御屋形様が相手だとムキになりますからねと言い切られた。
それだと、 父上と同程度だと言い切られたようなものだ。 この世の終わりのような心持になる。 いいや、 僕はここまで酷くは無いはずだ。
「何だ、 なら早くそう言えよ。 自分の嫁には格好付けたいもんな! 」
父上が、 片目を瞑って親指をグッと上にあげた。 サムズアップと言うやつですか…… 何処で覚えて来たかは知りませんが、 それ国によっては侮辱表現ですよ、 父上。
まぁ、 父上がどこの誰に顰蹙を買おうと知った事ではないので黙っておきますが。
「――…… 当分来ないで下さいね。 母上、 母上には落ち着いたら紹介しますから」
父上はどうでも良いけれど、 母上には是非会って貰いたい。 なので、 父上を無視して笑顔で母上にそう言った。
「えぇ…… 分かったわ。 もう。 あなたったら、 からかいすぎるからこうなるのよ。 お馬鹿さんねぇ」
ズルイぞ! とか差別だとか言っている父上に、 母上が困ったような顔をして小首を傾げた。
「若様、 私達も御方様と一緒にお嫁様に会わせて頂けます? 」
「父上に協力しないのなら良いですよ」
三雲に聞かれたのでそう答えたら、 二人して手を合わせて喜ばれましたが……。 珍しい動物を見に来たのでもあるまいし…… 『僕のゆらら』 は見世物では無いのですけどね。 まぁ、 いいです。
「息子が俺に冷たい」
ついに床に胡坐をかいて座り込んで拗ねる父上に、 呆れたような声が天井から降ってきた。
『自業自得でしょうが。 からかい過ぎなんですよ、 御屋形様』
秀魔もたまには良い事を言いますね。 何ならもっと言ってもいいですよ。 そろそろ父上にも学習能力と言うものを身につけて貰いたいですし。
あぁ、 そうだ―― 魔那もゆららに紹介しないといけないか……。 丁度良い。 この後紹介してしまおう。
「秀魔、 魔那―― お前たちは残れよ? 一応、 紹介するから」
「ちょっと待て、 魔那はともかく、 何で秀魔? 父様より先に何で会わせんだよ! 」
いじけていた父上が上半身を勢いよく起こし、 天井を指差しながら吠えましたね。 本当に子供ですか―― まったく。
「秀魔にも何か頼みごとがあるかもしれませんからね。 けど、 父上に僕が頼みごとをする事は多分ないので」
「ぐわーっ! 可愛くないなっ! 」
笑顔で言い切れば、 頭をガシガシと掻きむしるようにして父上が更に吠えた。 可愛く無くて結構です。 成人男子に可愛いとか必要ないですし。
『はぁ。 自業自得だ継清―― 諦めろ』
今まで黙っていた継護が呆れた声でそう言った。 継清と言うのは父上の『名乗り』 だ。
この家に於いて、 継の字がつく者は家を継ぐ総領息子という意味がある。 父はこれでも三兄弟の長男坊。 僕は母上が身体が弱いので一人息子ですが。
「継護―― お前も伊周の味方なのか?! 」
『我が今、 誰の刀か分かっているだろうに。 お前はもう少し大人にならんか。 大体なぁ―― お前は子供のころから…… 』
おや? 継護のお説教がはじまりそうですね。 父上は確か御祖父様が剣を握れない身体になった為に、 史上最年少で継護を受け継いだと聞いていますが…… 付き合いが長い分、 弱みも握られているようなもの―― ここは一つ、 僕も拝聴して父上の弱みを握っておくべきかもしれない。
「よし。 帰るか」
継護が話し始めてすぐ、 父上は心底面倒くさそうな顔をした後、 母上の手を取った。
先程まで文句を言っていたのが嘘のように、 あっさりと立ち上がって帰ろうとする。 弱みを握れないのは残念ですけれど、 帰ってくれる方が喜ばしいのでそのまま笑顔で見送りますが。
『継清――? おいコラ―― 』
「助かりましたよ。 継護」
継護の、 話を最後まで聞け―― と言う言葉も聞こえたかどうか。
父上と母上の後を、 僕に会釈をした小雨と三雲が続く。 母上は、 完全に呆れ顔だ。 何はともあれ、 面倒な父上が帰ってくれたのは有難い。
開きっぱなしの扉を、 苦笑した呉緒がそっと閉めた。
『はぁ。 助け船を出した訳でもないんだがね』
継護の疲れたような声が部屋に響いた――。
※※※
着替えさせて貰った後に、 私は再び寝室へと向かう。
朝食は継直さまの部屋でと言われたから、 個人的には一旦廊下に出て―― そちらから継直さまの部屋に行きたい所だったのだけれど、 寝室の方に通された。
取りあえずは、 テーブルと椅子の所に居ればいいだろうか……。 寝室にいると、 さっきの事を思い出してしまって、 色々と恥ずかしいような気持ちになるので落ち着かない。
「あ、 朱依―― さま。 継直さまは、 どうされたんですか」
人では無く―― 護り刀となって在り方は変わったとしても、 この人は継直さまのご先祖にあたる方だ。 『さま』 をつけて呼ぶのが良いだろう。 そう考えてそう聞いた。
『あら、 可愛いじゃないの。 ゆらら―― じゃなかった、 ゆすらの方が好いかしらね? どうせしばらくは継直が煩そうだし。 継直は隣よ。 ちょっと来客中なの。 少しだけ待ってなさい。 あぁ、 それから私の定位置は着物の時は帯に携帯して頂戴ね。 洋装の時は、 スカァトの下―― 太ももに着ける帯剣用の皮ベルトがあるからそれで携帯して頂戴な』
私が今着ているのは白い小袖。 紅白の梅の木と南天が絵描かれたものだ。 小袖だけみれば、 生地は良くとも娘らしさに欠けるものではあるけれど、 半襟と帯が華やかなものなので全体を見れば可愛らしい装いとなっていた。
「分かりました…… 今日は着物ですから、 帯に挟みますね。 とは言え洋装だと―― 太ももですか……」
そう言いながら、 朱依さまを手に取り帯に挟む。 最初から洋装じゃなくて良かった。 いきなり太ももに装着するのは流石に気が引けてしまうもの。
『女同士だし気にしないでも平気よ? そもそも、 ゆすらが裸で歩いていたとしても気にならないわ。 この身体になってから、 本当にそう言う感覚が鈍いのよねぇ』
私の気持ちを察したのか、 朱依さまがそんな事を言ってきた。 女同士だからと言うのはまぁ理解できなくはないけれど、 私が裸で歩いていると言うのは例としての表現だとしてもどうなんだろうか。
「――…… 分かりました…… 理解はしましたけど、 私が裸で歩くと言う例えはちょっと…… 嫌です」
例えだと言う事は理解していても、 ねぇ。 裸で歩くような奇抜な趣味は持ち合わせていないですし。
そんな事を話していたら、 継直さまが隣室から戻ってらっしゃった…… 良かった。 今なら先刻の話は聞かれていないはず。 聞かれていたら何を言われるか――
「随分魅力的な話をしてますね。 僕の前でだけなら、 別に許可してもいいですが? 」
「っ! 何で聞こえてるんですかっ!! 全身全霊を持ってお断り致します」
にっこりと笑った継直さまにそう言われて、 私は赤面しながらそう唸った。 聞こえているし! 継直さまの前で裸になるとか無理ですから。 これが地獄耳と言うやつなのかしら。
「それは残念」
継直さまに、 にこにこと笑顔でそう言われて、 またからかわれたのだと理解する。
思わず睨んでしまった。 けれども余計に楽しそうな顔になったので、 溜息を吐いて目を逸らす。 これは―― 何を言っても面白がられるに違いない。 黙った方が良いだろう。
「大方の予想はつきますが、 随分お早くお済になられたんですね」
「大方の予想はつきますけれど、 若様がお困りになられているのが、 目に浮かぶようでした」
「どんな予想を立てられたか理解できるので、 返す言葉も無いですがね…… 帰って貰うのに苦労しましたが、 継護のお陰で助かりました」
一花が楽しそうに首を傾げ、 二葉が面白そうにクスクスと笑う。
継直さまが困る―― ここに来てから、 継直さまに困らされてばかりいる私からすれば予想ができない状況だ。
そんなに凄いお客様だったのかしら?
「―― 何だかお疲れですか? 朝からお客様だなんて、 継直さまはお忙しいんですね…… 」
継直さまの目が一瞬虚ろになった事に気がついて、 私はついそう聞いていた。 少しの間に何だかとても疲れているように見える……。
正直に言えば、 来客が来るのには少し早すぎる時間だ。 現に私達だって朝食も済んでいない訳だし。
きっと余程の用事だったか、 急ぎの用があった方なんだろう。 と―― そう考えていたのだけれど……。 継直さまが私に教えてくれた来客相手は想定外の方達でしたよ。
「あぁ。 両親が好奇心で来ただけですからね」
「え?! 私、 ご挨拶した方が良かったのじゃあないですか? 」
緊張していて忘れていたのだけれど、 嫁いだのなら、 継直さまのお父さまとお母さまに挨拶はすべきですよね……? 普通は。 それからお祖父さまとかお祖母さまとかも居るのなら、 そちらにも挨拶すべきですよね??
思わず、 何で呼んで貰えなかったのかと思ってしまった。 未熟で至らない嫁だから、 まだ紹介出来ないとか――? ありえそうだ。
嫁ぐ事を回避しようとしていた昨日とは違い、 継直さまの妻となった証の耳飾りをつけて―― しかも、 嫁ぐ娘が『ゆらら』 でなくてはならない蒼龍院家の事情を知った今、 諦めの境地でもって「逃げようがない」 事は受け入れてはいる。
そうであれば、 最初の挨拶とかが肝心だと思うのだ。 嫁としては。
「ただでさえ、 この状況に慣れてないのにですか? 自ら苦労を背負い込むのは止めておいた方が賢明ですよ。 母上はまだしも、 父上が―― 面倒なので」
まだ必要無いと言い切られて、 私は困ったような顔をしたのだと思う。 継直さまが大きく溜息を吐くと「分かりました。 一週間後に顔合わせの席を設けます。 ―― 本当は披露目の儀の前日でも構わなかったんですからね」 と嫌そうに言われてしまった。 継直さまはお父さまと仲が悪いのだろうか……?
「その方がよろしいかと。 小雨さまも―― 」
「そうですわね。 三雲さまも―― 」
「「怒らせると、 面倒ですしね」」
クスクスと笑いながら一花と二葉が笑う。
小雨さまと三雲さまと言うのが、 ご両親の名前かしらと思ったら侍女さんの名前だと朱依さまが教えてくれた。
「一週間位であれば、 辛抱してくれますわ」
「一週間位であれば、 我慢してくれますわ」
『ふふぅ。 それは確かに違いないないわ。 あの子らは、 一花と二葉と同様―― 一癖も二癖もあるからねぇ』
にこやかに笑う双子に、 朱依さまがそう告げる。 もし、 肉体があったのなら、 きっとからかうように笑っているのだろうと思わせる声だ。
そう朱依さまに言われて、 一花と二葉は瞬きしながら顔を見合わせた後に少し頬を膨らませて文句を言った。
「失礼ですわ。 朱依さまったら」
「失礼ですわ。 私たち、 あそこまで酷くはありません! 」
『どちらも、 大差なかろう』
そう言う二人に、 継護さまが一言。 どちらも五十歩百歩だと言い切った。
あそこまで酷く―― どんな方達なのだろうか。 けれど、 大差無いと言われるのなら、 一花と二葉と似たような性格をしているのかもしれない。
「「まぁ! 」」
一花を二葉は、 そう言うと可愛らしい目を半眼にして継護さまを睨んだ。
どうやら、 二人にとっては継護さまの言葉が不本意であったみたい。 そんなやり取りをしていると、 隣室からノックの音が聞こえる。 それに継直さまが返事をすると、 扉が開いて礼を取った洋装の男性が現れた。
「失礼致します。 お食事の準備ができました」
こう言うのを透き通るような声―― と言うのだろうか。 あまり見ない色の髪が陽に透けてキラキラと光っていて奇麗だ。
見た事が無い色だからと、 あまり見つめているのも失礼なので、 私は継直さまの方へと向き直る。
「御苦労。 あぁ、 ゆすら、 執事の呉緒だ」
そう紹介されて、 軽く会釈をした。 おそらくは三十代位であろうと見当をつけたものの、 この彫りの深い顔立ちではその見当も覚束ない。
「お初にお目にかかります。 お嫁様―― 若様にお仕えさせて頂いております、 呉緒、 と申します。 侍女の一花、 二葉と共に―― 私もお嫁様にお仕えする事となるかと。 以後お見知りおき下さいませ」
丁寧に礼を取られて、 思わず私も頭を下げた。 それを見た継直様がクスクスと笑っているので、 多分これは正解では無かったのだろうと思う。
と言っても、 貴族様のやり取りなんて分かりはしないのだから仕方がないと思うのだけど。 今後の事を考えるのなら、 誰かに教えて貰わないと……。
「…… ゆすらです。 宜しくお願いします。 呉緒さん―― じゃなくて、 呉緒―― ですね」
さん付けで呼びそうになって、 慌てて言い直した。 どうやらそれで良かったみたいだ。
私の顔を無言で見ていた呉緒が、 笑顔を浮かべたので。
「はい。 そのようにお呼び下さい。 それでは、 隣室に―― 」
それで、 正解ですよ―― と声が聞こえてきそうだった。
継直さまと一緒に、 呉緒に案内されて隣室へと向かった。 私のすぐあとに一花と二葉が続いて来る…… 継直さまの私室だと思うと少しだけ緊張してしまった。
そんな私の緊張を見透かしたように、 継直さまが私の左手を取った。 そっと重ね合わせるような状態で、 私の胸の高さ位まで持ち上げると、 まるで先導するように部屋へと入って行く……。
凛と伸びた背筋はどこか美しい。 継直さまの横顔を間近で見る事になってしまい、 心臓がトクトクと早くなる。 睫毛―― 長いなぁ……。
この人が、 私の旦那さま―― その感覚に慣れるまで、 何度も何度も確認しないといけない気がしてしまう。
継直さまには私なんて、 不釣り合いで申し訳がないけれど…… こうやって手を取られて連れて行って貰えるのは面映ゆく、 そして少しだけ嬉しかった。
視線に気がついた継直さまが、 目を細めて伺うように私を見る。 見惚れていた事を見透かされた気がして、 私は慌てて視線を逸らせた。
と言う事で、 継直さまが苦手なのは父親でした。
見た目も、 性格も似て無い親子ですが、 自分達の『ゆらら』 に対する行動は似ているようです。
予想以上にお父さんが色々してくれたので、 継直さまとのやり取りが長くなりましたが……。
後は、 さんざん悩みましたが両親の呼び方(仕えてる人達の)は御屋形様と御方様に。 ちなみにゆすらはお披露目の儀が終わった後に『若奥様』と呼ばれる事になると思います。
次回は秀魔と魔那をゆすらに紹介するのと、 『鍛冶師』と『先生』が出て来る予定です。