若旦那
外出許可を取って、 晶麗館の前に立てば―― その外観の艶やかさに目がくらんだ。 艶やかさと言っても、 遊郭のような雰囲気とは違い稟とした雰囲気が感じられるものだけれど。 ここは格式高い料亭である。
入り口で、 細工師である事をあかし、 鷺の間のお客様のご依頼で来ましたと話せば仲居さんの幾人かが同情的な視線を寄こす。 年かさの、 仲居頭に窘められて、 彼女達はそそくさとその場を離れた。
「お待たせ致しました―― えぇ。 伺っております―― ささ。 こちらへどうぞ」
黒漆が塗られた階段を上り、 仲居さんに案内されて歩けば鷺の間の前へと辿り着く。
「若旦那―― お客様です」
「あぁ―― 入れてくれ」
仲居さんが、 障子を空けて中に入るようにと促してくる。 私はそっと礼を言うと、 中で煙管をくゆらせる男に一礼した後、 鷺の間の中に入った。 障子は仲居さんが閉めてくれたので、 そのまま失礼して小さな風呂敷に包んだ依頼品を捧げ持ち、 男の前に正座した。
「お待たせしたようで申し訳ありません。 晶技館―― 白袴のゆすらと申します。 この度は婚礼に必要な耳飾りをご所望との事―― まずは目出度い慶事の訪れに寿ぎ申し上げます」
指先を揃えて礼を取る。 言葉は慶事に良く選ばれる『巫女』 としての寿ぎだ。
「ご丁寧、 痛み入る―― だが、 硬い事はあまり好かない性質なんでね。 さっそく品物を見せてもらえるかな」
顔をあげるように促されて、 私は初めてこの男の顔を見た。 青みがかった―― ぬばたまの黒髪に、 海の底のような紺の色の瞳。 けれど、 その瞳に光は無く…… どこか倦んだような倦怠感が見てとれた。 顔だけ見れば人形かと思うほど表情が動かない男だ。 細身に見えるが、 ふと見える無骨な手から着痩せするだけでがっしりとした体型なのだろうと考えられた。
整った奇麗な顔をしているようにも思えるが、 厭世的で人形のように動かぬ表情がそれを台無しにしている。
―― この人は…… 本当に結婚するのだろうか。
とても、 これから結婚します―― という幸せそうな感じとは無縁である。 それともお金持ちや貴族に多い政略結婚で、 相手の事が気に入らないのだろうか。
最初は愛する人に贈る為の品を拘りたいのかと思っていたけれど、 もしかしたら違うのかもしれない。 結婚を先延ばしする為の方便にしているのかも……。 もしそうだったら余計に腹が立つ訳だけれど――。 私はその考えを振り払うように頭を振ると―― 風呂敷を取り払い、 出てきた桐の箱の蓋を取りった。 そして男に見やすいように向きを変えて差し出す。
「ふうん。 成程―― 君のは随分と荒々しいね。 他の者達は随分と煌びやかな物を作って来てくれたものだけど」
まるで、 気の無いように呟いて言われた言葉にカチンとくる。 その煌びやかな物を作る為に今までどれくらいの細工師が時間と労力を惜しんで作った事か。 それをあっさりと突き返したくせに!
「では、 これも突っ返されるって事ですね。 あぁ、 それに文句が言いたいんじゃありません。 お客様―― お客様は細工師をバカにされてるのかもしれませんが、 細工師とて感情を持った人間です。 もし、 よろしければ、 次の方とは事前に会ってどういう意匠が良いか話し合いをしながら作る事をお勧めします。 何の協力もしないで『気に入らない』 と投げ返すような事はご遠慮頂きたいですね」
我慢しないと決めてから、 どうも私は短気なようで。 後から冷静に考えたならお客相手にここまで食ってかかるなんて、 大分恥ずかしい事をしたものだと思う。 元々一言いってやろうなんて考えていたのが拙かった。 でも弁解するならば、 もう少し穏やかな口調でやんわりと伝える気でいたのだけれど。
「君らの師匠様方からはそんな文句は出なかったけどね? そもそも君は、 僕が何故そんな対応をしたのか理解しているのかな? 」
男は少し驚いた顔をした後、 不機嫌そうにそう話した。
「…… どういう事でしょうか? 」
男ばかりを責めてしまったけれど、 その物言いからは細工師側にも落ち度があったのだと言う事を伺わせた。 考えてみれば、 私は一方の意見―― 細工師側からみた意見しか聞いていなかったのだと気がついて、 公平ではなかったと少し後悔する。
「その様子じゃ、 そちらでの僕は大変な悪者らしい。 ―― 君ぐらいだよ。 真面目に細工師として仕事をしてきたのは。 僕は―― 石に何が込められているのか分かる性質でね。 今までの者たちは、 仕事を頼んだはずなのに、 石に込められていた思いは僕の愛人になりたいだの妾にして欲しいだの酷いものだった。 だから突っ返したんだよ。 こういう形で耳飾りを頼むのなら、 それは結婚するって事だろう? それなのに、 夫婦の幸せを祈るんじゃなくて自分の欲望を込めるんだから始末が悪い―― そんな物を差し出されたとして、 君は伴侶の耳に飾りたいと思うのか? まぁけれど次はないよ―― 君のは気に入ったからね」
そう告げられれば、 青褪めるしかない。 細工師たるものが目先の欲に負けて呪いを込めて売ろうとしたようなものだからだ。 そんな物を与えられれば、 酷ければ夫婦の間に亀裂が入る事だってありうる。 それにしてもお姉さま達は、 依頼品を持って行く前に、 浄化を行わなかったのだろうか……。
通常、 浄化を行えば、 悪い想念だけを取り払ってくれるはず。
「申し訳―― ありません! 」
「構わないさ。 確かに傍から見れば、 僕の行動は異常だろうし―― 君としても同胞が貶められているようで腹に据えかねたのだろう? ―― 本来ならね、 何の問題もないような石だったんだ―― ただ、 僕は人より過敏でね。 邪念を浄化された物だとしても、 まるでシツコイささくれのように感じて不快になる」
その言葉に、 お姉さま方が悪かったのでも、 この男が悪かった訳でも無かったのだと赤面する。
双方の意見を聞かずに、 思い込んで突っ走った結果がコレなのだから嫌になる。
「本当に申し訳ありません。 さぞご不快にさせた事と存じます―― 」
「確かに、 頭ごなしに言われたのは少し業腹だったけどね。 君は潔く―― 心から謝罪してくれた訳だし、 僕はこの事に関して根に持つ気も無い―― 何より君が作ってくれた物は十二分に僕の好みには合っているしね。 まぁ女性からすれば無骨なものだけれど、 この石の姿はコレが相応しい。 なんたって闘いの石だからね」
薄く笑みを浮かべて言われた言葉に思わず私は聞き返した。
「闘いの―― 石? 」
「おや―― 誰かから聞かなかったのかい? けど失敗したと思う必要は無い。 それこそ我が家には相応しい石だからね―― むしろ知らずにこの石を選んだのなら本当に大したものだ。 君はさぞかしこの石に好かれているんだろうね…… 『次のゆらら』 」
ずいっと近寄って、 耳元で囁かれた言葉に私は戦慄した―― どうしてこの人が知っているの。
訳の分からない不安が沸き起こる。 まるで、 あけてはならない箱でも開けてしまったしまったかのような―― 知らずに狼の尾を踏んでしまっていたかのような。
「な―― んで? 」
呟きは、 男の指に止められた。 面白そうに笑う男が―― 初めて呼吸する人間に見えて…… まるで、 人形が人になる様を見たような気持ちになって混乱する。
「最初のゆららには会ったんだろう? なら、 いずれ理解できるさ―― 代金だ。 じゃあね次のゆらら―― また今度」
男はそう言って、 私を部屋から追い出すと―― 手を振りながら長く細く紫煙を吐いた。
※※※
「蒼龍院の家より、 総領に嫁ぐ娘が決まったとお言葉を頂いた」
その言葉が告げられたのは、 あれから三日たった午後。 『初陽の儀』 が終わった後の事だった。
ざわざわと、 その場がざわめく。 蒼龍院の総領―― つまり次代の当主の妻になる、 新たな緋炎袴が決まった訳だ。 ざわめきが強いのは当然、 緋袴のお姉さま達の所だ。
皆が、 どの緋袴のお姉さまが嫁ぐのだろうと好奇心いっぱいに目をこらす。 能力に優れた方たちだから、 誰が選らばれても不思議は無い。 私はその中で、 雛菊姉さまの事を見つめた。
雛菊姉さまは、 確か緋炎袴を目指していたはずだ。 元々、 貴族階級の出で家が没落したために苦界に身を落としたと聞く。 それでも元の身分を笠に着る事も無く、 優しい雛菊姉さまが選ばれれば良いなとそう思ったのだ。
雛菊姉さまは、 胸の前で手を組んで期待と不安の混じった目線を壇上の師匠方に向ける。
「ゆすら―― 前においで」
そんな中―― 蓬様が口を開いた。 聞こえた名前にわが耳を疑う。 他の皆もそうだったのだろう。 祭殿の中は一瞬静まり返った後、 ざわめきが増す。
「は? あ、 えぇ? 」
私を知るものは驚きを露わにし、 知らないものは誰なのかと私を探す。 私は混乱し、 青褪めながら助けを求めるように周囲を見渡した。 野茨と皐月はどうして良いか分からずにオロオロとしている。
目が合った夕顔お姉さまは、 面白そうに見ているだけだ。
雛菊姉さま―― 雛菊姉さまと目が合った時、 私の心は裂けるような痛みを覚えた。
美しい顔からは血の気が引き、 噛みしめた唇だけが異常に赤い。 組んだ手はブルブルと震え力が入ってるせいで白く感じられた。 その目から感じられたのは、 戸惑いと憎悪―― そしてそんな自分を恥じいるかのように慌てて私から目を逸らす。
「お待ちください! お師匠様! あの娘は白袴ではありませんか! 」
「そうです! 選ばれるのなら緋袴の娘の中からではないのですか?! 」
誰かから、 白袴の私がゆすらであると聞いたのだろう。 緋袴のお姉さま達の中から不満の声が上がった。 当たり前だ。 白袴の娘が四方院の家の一つに嫁ぐだなんて前例がない。
そもそも緋炎袴になる為に血反吐を吐くほどに頑張ってきたお姉さま方を差し置いて、 私がなっていいはずがない。 私は拒否するように後じさると、 イヤイヤと首を振った。 師匠方が目で私に壇上に登るように促す。 無理だ―― そんな事。
「緋袴の中にも浅葱袴の娘の中にもいなかったとおおせだ。 ゆすら、 彼女に会ったね。 それが証だよ。 お前が拒む事は許されない―― 」
師匠のその言葉に、 私は息を飲んだ。 『彼女』 が誰だか理解したからだ。 緋袴のお姉さまのそこかしこから悲鳴が上がる。 壇上に登る事を拒否する私に師匠達は業を煮やしたのか次々と下段し私の前までやってきた。 知らず、 私と師匠を囲むように輪ができる。 最上級の紫袴が私の足元に膝をついた。
「蒼龍の次代をお産み下さいませ―― ゆすら様」
緋炎袴でも四方院家の子を産む者は特別な存在である。 貴族と同様の地位を与えられ、 そのように遇される。 私はこの日、 多くの友を失った。
注文品を作り終えたと思ったら―― いきなり面倒事の中心に。 ゆらら的には本気で有難迷惑だった事でしょう。 けど、 こうならないとお話も進まないので諦めて欲しい。