鹿部村
注目を浴びるのは分かっては居たのだけれど、 黒狐に会うのも久しぶりだったので、 一花と二葉に少し話しても良いかと許可を求めた。
正直駄目だと言われるかと思ったのだけれど、 意外にも『『往来で無いのなら』』 と許可を貰えたので今、 巷で流行りだと言う純喫茶へと足を伸ばしている。
黒狐が案内してくれたそこは、 落ち着いた雰囲気の店だった。 一本裏の通りで入り口も分かり難い場所にある所為か、 素敵な雰囲気なのに女学生は一人も居ない。
カランとベルを鳴らして扉から入ると、 お客の何人かが訝しげな視線を向けて来た。 侍女を連れた高そうな着物を着た娘と、 人買いの組み合わせ―― 私でも、 不思議に思ってそちらを見るだろう。
黒狐は常連であるらしく、 マスタァに軽く手を上げるとさっさと奥の席へと陣取った。
奥のこの場所なら、 大きな声で話でもしない限り会話を聞かれる事も無さそうだった。
レコードが終わったらしく、 マスタァが別のレコードをかけた。 ゆっくりしたテンポの曲が店内に流れる。 この店の落ち着いた雰囲気に合った曲だ。
一花と二葉は立ったままで居ようとしたようなのだけれど、 只でさえ目立っているのにテーブルの横に居るのも他のお客さんが落ち着かないだろうなと思ったので、 二人にも座るように促した。
革張りのソファに三人、 私が真ん中に来るように座れば正面に黒狐が来る位置だ。
一花も二葉も、 同席する事に慣れていないのだろう、 少し困ったような顔をしていたけれど、 このお店の中では立っていても邪魔になると割り切ったようだった。
「それにしても、 さっき何をブツブツ言っていたの? 」
「ん? あぁ―― 縁ってのは面白いなぁと―― 本当は俺ぁお前さんのいた村には行く予定じゃあ無かったしな…… 」
出会いがしらに心ここにあらずといった様子で何をブツブツ言っていたのかと問えば、 黒狐は腕を組んだ後、 私の方を見て首を傾げた。
行く予定が無かったと言うのもその筈、 何と黒狐は私が居た村とは正反対の場所に行く予定だったのだと言う。 所が、 使おうと思っていた渡し船は数日前の雨で川が増水して渡して貰えず、 山道を通ろうと思えば崖崩れで通行止め。
「こりゃあ今回はそっちに行くなってぇお達しかなと、 気分を変えて逆方向に行ったのさ」
そうしたら暫く快晴続きで気分良く歩けたらしい。 そうして行く内に小さな村に辿りついた。 山間の村で陽は燦々と降り注ぐ―― 田畑は枯れかけて色は褪せ、 村人に話を聞けばここ数カ月ほとんど雨が無かったと言う。
「妙だなぁと思ったぜ? 山一つ違えば天気も変わるのは知っちゃあいたが、 それにしたって山一つ挟んだ向こうっかわが崖崩れが起きたり川が増水するほど雨に降られてるってのによ。 何て言うか…… そこだけポッカリと雨雲に嫌われたみたいだったんだ」
実際に、 その時も山向こうには雷雲が湧いてホロゴロと音がしていたのだと言う。 更に言うのなら、 この村は山間と言っても村を囲む山がそれ程高い訳でも無い。
今時期は雷雲が流れて来て雨が降るのが普通の筈なのだとか。 何かの理由で風の向きが変わったのかも…… と村人は話していたそうだ。
けれど口にしない言葉の中に黒狐は不安を感じ取った―― 例えば、 日照り神に好かれたとか、 或いは人外のモノの怒りを買ったのか―― と言うような。
現に、 燦々と陽が照っているのに、 何故か陰を感じる村だったそうだ。 今はまだ良いけれど、 この状態が続くのなら…… 何か良く無いモノに変質しそうな漠然とした不安感があったと。
「こっちに来たのは失敗だったか? 」 と思いながら黒狐は頭が痛くなったそう。
―― 六部と言う言葉がある。
主に巡礼僧の事を現わすのだけれど、 旅人の事も指した。 また外からの客人を稀人とも呼び、 外から来た霊的なもの或いは神の来訪であると歓待する風習が昔は何処の農村にもあったのだけれど、 逆にそれを悪用した六部殺しと言う怖ろしい話もあった。
お金を持っている旅人を歓待する風を見せて油断させ、 殺して金品を奪うと言うものだ。 何故今そんな話をするかと言えば何の事は無い―― 私がかつて両親の死後、 引き取られ暮らしていた村の名が鹿部村と言ったから。 本来は六部と書いたと言うその村で、 何があったのかは分からない。
私は知らなかったのだけれど、 六部達が旅を諦め村を作ったと言う話もあれば、 六部を殺す側だったと言う話もあるそうで黒狐は両方じゃないかと言っていた。
黒狐は帝都の方に使いをやって降雨の儀を頼んではどうかと言ってみたようだけれど、 村人の反応は芳しくはなかったよう…… 降雨の儀は、 帝都中央にある陰陽寮の陰陽師が司る事が多いのだけれど、 事前に揃えなければならない物が多く、 寒村では賄えないのだと言う。 皆で金を出し合えば良いのだろうけど、 何軒かの家が首を縦に振らないと……。
どうしようも無いので隣村にいる祈祷師を呼んで雨乞いをして貰う予定なのだと言う。 もしそれで駄目だったら…… その後村人は口を噤んだそうだ。
「おそらくは、 娘を売るか―― 神様に嫁を宛がうしか無いと思ったんだろうがな…… 」
生きて行く為の作物が採れないのなら、 食べ物を買うしか無い。 その食べ物を買うのには勿論お金が必要になる。 ましてや冬になれば食料はもっと手に入り難くなるから、 餓死しないようにしたいのなら娘を売るしか方法は無い。
神様に嫁を―― と言うのも、 村から離れた所にある滝に娘を捧げて雨を乞うと言う事だろう。 あそこの滝には水神様として蛇の神様が祀られていた筈だから。
この国の成り立ちは黄龍神王が祖ではあるけれど、 自然の中には八百万神々(やおろずのかみがみ)が御座すと言う民間信仰も混在している。 そう言った神々は、 岩であったり元は動物であったものが神霊化しており、 雲の上の存在である黄龍神王よりも農村では身近な存在でもあった。
「最近―― ふと気になって、 お前さんの故郷に行ったんだけどな―― 」
村は無くなっていたそうだ。 朽ちた家が多かったけれど、 亡骸は無かったからどうにも雨が降らずに村を捨てたのだろうと言うのが黒狐の見解だった。
けれど、 私の暮らしていた家だけはほとんど更地なっていたらしい。 庭木が裂けて黒焦げになっていた事から、 落雷があったのだろうと言うのだけれど、 遠縁の叔父夫婦と子供が今何処にいるのかは知りようも無かった。 薄情かもしれないけれど、 下ばかり向いていた所為か顔も碌に思い出せない人達だったので気にはなったけれど心は痛まなかった。
「ただ、 可笑しなものでな? 陰がまったく無くなっていたんだ。 廃村になった状態が正常に見えるというか―― だから、 あれは本当にナニカの障りがあったのかもなぁ」
「「確かに、 障り或いは穢れがあったのでしょう」」
黒狐の言葉に今まで黙っていた一花と二葉がそう呟いた。
「黒狐様は、 お仕事の割には清浄な気をお持ちです―― 」
「黒狐様は、 お仕事はあれですが峻烈な気をお持ちです―― 」
「「例えば、 浄化の炎―― 或いは神剣のような―― 」」
だからこそ、 その村にある穢れに対して本能的に反応したのだろうとそう言って一花と二葉はじっと黒狐を見つめた。 対して黒狐は一瞬身体を強張らせた後、 困ったような顔をした。
仕事の事を言われたからだろうか――? とも思ったのだけれど、 常日頃から人買いをする自分を「畜生の商売」 をしてると言っている黒狐の事だから、 そこに何か思う事は無いと思うのだけれども。
良く自分の事を外道と呼ぶ黒狐だけれど、 黒狐に買われた娘達は概ね黒狐に好意的だった。 他の人買いが買った女子供に義務的、 暴力的に接するのに対して黒狐は自分がその女子供の兄であるかのように接した。
もう一つ言えば、 本当に困窮していている家―― もはや一家心中しか残されていないと言うような所から買う事が多いようだった。
人買いという職業が褒められたものじゃ無いのは分かっている。 けれど、 黒狐がその仕事をする―― その根本には「救いたい」 と言う思いがあるように感じていた。 現に毎回、 黒狐が女子供を売りに行く試金館はこの辺りで一番真っ当な店だ。
無体を強いられる事も無く、 体調を崩せば手厚く看病もしてくれる。 私みたいに晶技館に回されれば、 なお良い。 現にあのまま村に居れば私は死ぬしか無かったろうし、 今こうして居られる事には感謝していた。
「そんな、 素晴らしい人間じゃあねんだがね…… まぁ、 だからそのままトンボ返りして村を出ようと思ってたんだよなぁ…… 」
「そうなの? じゃあ何で奥の方にある私が住んでた所まで来たの? 」
「ん? あぁ―― だからそれが縁てもんかなと。 まぁ、 今思えば呼ばれたって事なんだろうが…… 」
私の疑問に黒狐が苦笑して鼻を掻いた。
曰く、 帰ろうとしたら突然天気雨が降ったのだと言う。 ザッと来たその雨に一番近そうだった家の軒下に逃げ込んで、 そこがどうやら私が住んでいた家だったと……。
あの時、 雨なんて降っただろうか…… 雨宿りしたくなる程の雨音がした記憶が無いのだけれど…… とそう言ったら、 黒狐が「だよなぁ…… 」 とそう言って口をへの字に曲げた。
「多分、 幻視の類だな」
「―― 幻視?? 」
「家主が帰ってきたら止んだしな―― しかも、 地面が濡れて無かった」
そう黒狐に言い切られて私は沈黙した。 そんな話―― 初めて聞いた……。 だから「呼ばれた」 なのだろう…… そう理解できても、 私がもちろん黒狐を呼んだ筈も無く―― じゃあ 誰が? と思わずにはいられなかった。
「「あぁそれは―― よく或る事です」」
「石が呼ぶともいいますし」
「「その地の神霊が、 この国の祖神に連なる娘を連れて行かせるとも言いますね」」
少し考えるようにした、 一花と二葉に微笑みながら言われて私は思わず天井を見上げた。 クスクスと笑う二人に「「そうでも無ければ、 お家が絶えてしまいますわ」」 と言われて、 まぁ確かにと溜息を吐いた。
「黒狐様は、 運び手に指名されたのですね」
「黒狐様は、 その地の神霊に気に入られたのですね」
「「きっと、 若様に縁のある方―― と神霊に理解されたのだと思います」」
一花と二葉が、 にこやかにそう言えば運ばれてきていた珈琲を飲もうとしていた黒狐が噎せた。
…… 若様に縁がある方――? 黒狐は継直さまを知っているのだろうか? 今の一花と二葉の言い方だとまるで親しく親交があったかのようにも聞こえた。
「あら、 失礼いたしました。 私達が仕える主家に縁のある方―― ですね」
「えぇ、 失礼いたしました。 私達が仕える主家に関わりがある方―― ですね」
あからさまに、 言いなおされた言葉に私が思わず二人を見ると満面の笑顔で見返されてしまった。 どうやら説明する気は無いらしい。
黒狐が一花と二葉から視線を逸らせて口元を袖で拭っているのを見て、 あれもしかして知り合い? とそんな考えが浮かんだけれど、 どうにも問い質せるような空気で無いのは確かだった。
少し緊張した空気に耐えかねて、 暫く近況を語り合った後、 黒狐とは別れた。 慌ただしいような感じになってしまったけれど、 久しぶりに話せて良かったと思う。
立ち去る時、 一花と二葉から逃げるような様子だったのが印象的だったので、 やはり知り合いなのだろう。 どの時点で一花と二葉がそれに気付いたのかは分からないのだけれどね。
その後、 市を見て回り果物や野菜―― 鮮度の良さそうな物を手にとって実際に買ってみたりもした。 さてそろそろ戻ろうとして、 帰り際に見つけたのが飴細工の屋台。
熱い飴を曲げては伸ばし、 鋏を入れて形を作る―― あっと言う間に兎や馬が出来上がるその様子はとても楽しいものだった。
※※※
「街は楽しかったようだね」
「はい。 飴細工のお店が出ていて―― 継直さまがこういうのお嫌いじゃ無いと良いのですが、 お土産です」
そう言って楽しそうに僕のゆららが差し出したのは蜥蜴のようなものだった。 実際の蜥蜴と違うのは羽が生えていると言う所か……。
有難く受け取りしげしげと眺めていたら、 ゆららが嬉しそうに口を開いた。
「外国の竜なのだそうです。 私の中で龍といえば、 蛇みたいに細長い印象だったので吃驚して…… 」
「あぁ! 成程「ドラゴン」ですか―― 残念ながら僕は見た事が無いけれど、 種類によるようですが小山のような大きさのがいるそうですよ」
火も吹くらしいとそう告げれば、 ゆららはとても驚いた顔をした。 こんなに可愛らしいのが火を吹くんですか? と聞くので、 実際は此処まで可愛く無いと思うと言うととても残念そうな顔をする。 その顔がとても可愛らしい。
『『若様へのお土産を選んでるお嫁様はそれはそれは可愛らしくていらっしゃいましたよ』』
不意に、 帰って直ぐに聞かされた一花と二葉の言葉が蘇ってきた。
『『飴細工職人の手仕事に』』
『目をキラキラさせてらっしゃいましたわ』
『本当に、 目が零れんばかりの様子でしたわ』
『『可愛らしくて、 思わず全部買いますと言いたくなってしまいました』』
ゆららは大げさだと苦笑していたけれど、 僕としては面白かろう筈も無い。 明らかに一花と二葉が僕をからかうつもりで言っているのだから当然ですけどね。
そして実際、 そのゆららを見れなかった事を残念に思う自分が居るのだから不思議なものだ。
出会って間もない僕の妻―― 今はまだ恋情は無いと告げたのに一花と二葉の言葉に苛立ちを感じたのは、 恋情は無くても独占欲はあると言う事かと自分の勝手さに少し自己嫌悪に。
今日の仕事であった妖魔退治―― 刀の錆びにした相手があまり快い代物では無かったお陰で、 どうにも自分も街にゆららと行っていたら物凄く楽しかったろうな…… とついつい考えてしまう訳で。
「そう言えば、 昔馴染みに会ったとか」
そう問えば、 ゆららは一瞬不思議そうな顔をした後、 笑顔を零して頷いた。 その相手との邂逅が余程楽しかったのだろうか…… 魔那からの報告で、 ゆららを買って試金館に連れていった男らしいと聞いてはいたのだけれど、 普通、 売られた娘と言うものは、 人買いの事を嫌うのでは無いのかと思って不思議だった。
一瞬、 言い交わした仲だったのでは? と疑うような気持ちにもなったのだけれど、 ゆららの様子を見れば引き裂かれた恋人に会った風でも無し、 相手の男も人買いをする位なのだから花街の娘と夫婦になるには請け出すのに莫大な金がかかる事位知っているだろうと、 下衆の勘ぐりめいた考えを振りほどく。 どうにも女々しくていけない。
『久しぶりに会った兄妹のようでありました』 と魔那から言われたにも関わらず、 どうしても不快感が拭えない。
血の為せる本能だとしても、 こんな言いがかりのような考えは持つべきでは無いと思うし、 ゆららにもその男にも失礼な話だ―― と思うんですけどね。
不定期かつ遅い投稿なのに読んで下さり有難うございます(滝汗)
今回はゆららが暮らしていた村の話が主体になってしまいました。 糖度が皆無です。
継直サマが若干嫉妬気味ですが、 ゆららにはもちろん伝わっておりませぬ。
次回は、 継直サマとの会話の続き―― ゆらら視点です。




