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厄年の恋

作者: 杉町猶太

今回、悲恋物の怪談に挑戦してみました。商家を継いだ40男が叶わぬ恋のためになりふり構わず持てる力をつぎ込みます。結ばれぬ恋の成就のために破滅に向かい、突き進んでいく話です。


 こんな夢を見た。暗い部屋の中で、蝋燭の光に照らされて着物姿の男が目の前に座っていた。少し、間を置いて、男が私の方を向き、語り始めた。

 「なぜこうなったのか。私にもわかりません。ほんとにどうしてこうなったんでしょうね。私はねえ、これでも元商家の旦那でした。名は阿波屋三衛門と言いました。店は私で3代目。だから三衛門というわけです。まあ、結果からいえば『唐様と売り家で書く三代目』の諺通りになりましてなあ。まあ、お話を、だめな人間の打ち明け話という題で話をさせていただきましょう。

 私はもともと家を継ぐ人間ではありませんでした。というのも、私には一人2歳離れた弟がおりました。この弟は商売の才能があり、早くから先代、つまり、私の父親ですが、に付き従って商売の勉強を実地でやっておりました。始めは丁稚奉公から、やがて手代になり、番頭のまねごとを経て、ついには店を継ぎ、いっぱしの商人になりました。方や、私はというと、商売には興味が全くなく、その方面の才覚もなく、好きな戯作を書いては、それを知りあいや同好の士の集まりの際にそれを発表して、好きなことをして趣味の世界に生きておりました。今から思えば、あの頃が私にとっても、そして店の者にとっても一番幸せな時期だったと思います。

 転機が訪れたのは、私が40になったばかりの事でございます。40というのは、昔から言われているように厄の始まり。すなわち“前厄”の歳でございます。人によって厄の訪れは様々でございましょうが、私の場合は、この歳に弟が死にました。私にとっては、それほど仲が良くなく、特に父の死後には、便りの一つも寄越さなかった弟ではございましたが、それでも、弟は父の亡き後も、本来ならば私が継がねばならない店を継ぎ、店を切り盛りしながら、このふがいない兄に毎月の生活の費用を送り続けてくれたありがたい弟でございました。この者によって私は、父亡き後も、何の取り柄もなかった私は、好きな戯作を書き続けて暮らしていくことが出来たのでした。

 その弟が死んだのですから、私の生活は一変しました。店では弟亡き後、番頭に嫁を迎えて、そのまま店を継がせるか、それとも遠縁の者を呼び寄せて、養子として迎え、店を継がせるかということで紛糾し、結局は店一番の古株の長老格の番頭の意見を入れて、先先代の息子であり、先代の兄である私を主人として迎えて、番頭や店の者たちで支えながら店を切り盛りしていくということで一致しました。図らずも、私は一度出た生家で商家の旦那として生きることになったのでした。

 正直、私には商いの才覚など、まるでございませんでした。それでも、店を潰しては先先代や先代に申し訳なく、また、せっかく自分を拾い上げてくれた店の者たちにも顔向けできないと思い、自分を殺して番頭や店の者たちの言うがままに仕事をこなしていきました。正直申せば、私にとっては、楽しみなどほとんどなく、ただ、義務感だけで仕事をこなしていきました。

 一年が慌ただしく過ぎ、ようやく商人としての生活にも慣れ始めた頃、ちょうど“本厄”の歳になりました。暑い夏の盛りであったことを今でもはっきりと覚えております。季節は夏祭りの頃、店の仕事も終わり、祭りに出かけることにしました。その時、私にとっては、「“本厄”が訪れた』とでも言うべきことが起こったのでした。

 私は、恋に落ちたのです。と言っても私がただ単に一目惚れしたというだけの事ではございましたが、祭りからの帰りに人ごみの中をかき分けて帰宅の途に就いた時に、偶然、目の先にあの娘がいたのでございます。色艶の良い黒髪をきれいに結い、大きな黒目勝ちの瞳に高く通った鼻筋、やや面長の顔のやや赤みがかった着物姿のすらりとした背の高い娘の姿は私を虜にしました。魂を抜かれるというのはこのことを言うだと思います。私は、それ以降、何をするにも手に就かず、ただただ溜息をつき茫然と日々を過ごすのみ。そんな日が2、3日は続きました。

運命の日から三日目に、番頭から半ば、問い詰められるような格好で、とうとう私は全てを他人に打ち明けてしまいました。苦しい胸の内を語りつくし、どうしてもあの娘と添い遂げたいという想いを話しました。番頭が、店の若衆を使って調べ、私にあの娘の素性を知らせたのが五日後の事でした。

娘は、二町ほど離れた貧乏長屋に母親と共に住む貧しい職人の娘で、父親は深酒が祟ってかなり前に死んでおり、以来、母親が商家への女中奉公や行商などをして何とか食いつないでいるありさまでした。 さっそく私は番頭に命じて、贈り物を支度させ、盛装に着かえて娘のところに行き、妾にしたい旨を申し出ました。本当は正妻にしたかったのですが、恥ずかしながら、店を継いで間もなく、力も勇気もそれほどなかったため、「妾として欲しい」としか話せませんでした。

その代わり、母娘で住むことが出来る別宅を用意し、手当も弾むなど、好条件を出したつもりでした。目の前に小判数十枚を現物で置き、話したのが効を奏したのか、母親の方はすぐに飛びついてきましたが、娘の方は軽蔑の色を目の奥に浮かべ、「私は、あるお方とのお約束が有る身。せっかくではございますが、お断りさせていただきます」と声色ひとつ変えずに淡々と冷淡な口調で断りました。

汚らわしいものでも見るかのような娘の目つきに、私は失望と怒りを覚えました。今まで生きてきて受けたことのないほどの侮蔑を受け、悔しさと屈辱で全身の血が逆流していくのを強く感じました。そして、それ以上に私は、この娘を何としても我が物にすると心に誓いました。老いらくの恋は厄介だと申しますが、私にとっては、ただの情欲だけではなくなりました。これほどまでの屈辱を与えた目の前にいる小娘の生意気な性根を完膚なきまでに叩きのめして屈服させてやろう。そう考えたのでした。

半分は愛情から、そしてもう半分は憎悪から私はあの娘を手に入れてやろうと固く決意したのでありました。まずは、娘の言う想い人、私にとっては憎い恋敵でありましたが、その男について調べさせました。その男というのは、絵師でございました。と言っても何々一門だとか、そういう有名な絵師ではなく、この場合は少しばかり腕の立つ画工と言った方がいいのかもしれません。この男は、現在長崎に絵の修業に出ているということでした。もちろん、この男を使っている親方が金を出しているというわけではなく、それまでの蓄えや借金をして作った金での留学でした。

私はここに付け込みました。まず、長崎に人をやって男の動向を調べさせると同時に、男がこの街にいた頃の手紙や証文などを元に男の筆跡を真似た手紙を偽造を生業としている者を雇って何枚も何枚も書かせました。これは娘に男の置かれている状況がいかに悪く救いがたいものとなっているかを目に入れるためでした。同時に、男が借金をした者たちから、借金の証文を買い取り、金の貸し主になりました。そして、金を返せと日夜あの母娘に迫りました。今、思えば、自分でもなぜ、あのようなあくどい事を平然と出来たのか不思議に思うほどですが、しかし、あの時の私も必死だったのです。どうしてもあの娘の鼻を明かしてやりたかった。そして、私を愛してほしかった。ただただそれだけだったのです。

その後、長崎から男、私の恋敵についての消息が手紙で届きました。男はとうの昔に死んでいました。酒を飲んでの喧嘩によるものだったそうです。手紙は、男の死因については、それ以上のことは語ってはいませんでした。ただ、これは利用できる。私は手紙を読んでいるうちにそう思いました。お話ししたように私は元々、戯作を書くことを趣味として生きてきた人間です。何らかの事件に着想を得て話を膨らませることは得意でした。

私は書きました。男が娘と分かれた後、長崎に留学したものの、我が身の才のなさに気づき、筆を自ら折り、自堕落な日々を送り、金のないことへの嘆きを切々と綴った日記とあの娘宛の『出されなかった手紙』を。

これらを書き上げ、すぐに男の筆跡を真似て日記と手紙を偽造し、娘に見せました。それも一度に見せるのではなく、娘の元へ行く度ごとに持っていきました。やがて、娘は私の偽造した手紙や日記の類を信じるようになり、心の疲れからか日に日に痩せ衰えていきました。私は娘の痩せ衰えていく姿を見るたびに、なぜか心の奥底で小気味よさを感じるようになっていきました。

そして、一年後、つまり、最後の厄の歳、後厄に私は念願かない、ついにあの娘を我がものとすることが出来ました。娘の母親を脅し、宥めすかし、ついに私は、恋憧れた娘を手に入れることが出来ました。それは私にとって、おそらく、あの時は人生最良の日と言っても過言ではなかったと思います。知り合いの者たちを呼び、ささやかな宴を開いた後、私は寝所に入りました。寝所にはあの夢にまで見た想い人、美しいあの人が待っているのだと思うと胸は早鐘のように高く高く鳴り響き、やや軽い眩暈さえ覚えました。身支度を整え、寝所までの廊下を興奮を抑えながら歩き、寝所の障子を開けると、そこには、舌を噛み切り、口元から血を流し、白い絹の夜着と寝具を真っ赤な血で染めて冷たい躯と化した想い人の姿がありました。その眼は開かれており、じいっと、あの日、私が娘の家を訪れた時と同じ侮蔑の色を奥に秘めた目つきで私を見続けていました。

それからのことは、私は一切、記憶がありません。ただ、後で店の者から聞いた話によると、私は一時的に半狂乱状態になり、娘の死骸を抱いて、言葉にならない言葉を叫んでいたそうです。騒ぎを聞きつけて駆け寄ってきた店の者や客たちを半狂乱で拳で打ち据え、

更には台所に入っていき、料理包丁を振り回して暴れ、数人を刺し殺したそうです。その中には、あの娘の母親も含まれており、逃げまどい、追い詰められて泣いて許しを請う娘の母親をめった刺しにして刺し殺したそうです。当日、刺し殺された客の中には、手紙や日記の偽造にかかわった者たちや借金の証文を私に売った者たちも含まれていたそうです。

 私はというと、放心状態で街中をケタケタ笑いながら歩いているところを町方の役人によってとらえられ、そのまま、牢に入れられました。意識が戻った時、私はすでに牢に入れられており、何が起きたかすら分からない状態でした。その後、御白州に引き出されて取り調べを受け、市中引き回しの上、打ち首獄門。首は俗にいう三尺高い台の上にさらされました。まあ、自業自得というべきでしょうね。愛する者の死を見て一時的にせよ、錯乱して多くの人を刺し殺したというのが本当なんでしょうけど、私には、どうしても一つだけ腑に落ちないことがあるのですよ。市中引き回しの際、道の両側で私に罵声を浴びせる群衆の中に、あの娘の姿があったんです。その顔、笑っていましたよ。愉快そうに。せめて、もっと、早くあの笑顔を見たかったなあ。」

 男がやや苦笑いしながら語り終えた時、部屋の中がパアっと明るくなり、見慣れた景色が目におぼろげながらに映り始めた。目が覚めて、意識がハッキリしていくと同時に、夢の内容は、急速に、そのほとんどが、記憶のかなたに消えていった。だが、私は今でも覚えている。男の寂しげな笑みと乾いた笑い声を。そして、いつの間にか、男の横に座っていた若い女の黒目勝ちの大きな瞳を。見る者を凍てつかせるような微笑と一緒に。


 今回の記事は当ブログにも掲載しています。http://blogs.yahoo.co.jp/toshihiko0323

 なんでも結構ですので、皆様の感想、ご意見お待ちしております。

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