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黒と黒のコントラスト  作者: じっぴー
第一章
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4

 浅い、そして限りなく広い。

 そんな海で永遠と泳いでいたかった。

 僕は空の青から、海を連想していた。

 水は透明なのに、どうして海は青く見えるのだろう? 空を映しているから? 

 宇宙から見たら、地球は青く見えるらしい。

 それを誰が信じるだろうか? いや、多くの人は信じているようだ。

 ガガーリンが言った有名な言葉がある。しかしだ。本当に正しいのだろうか。僕は、宇宙に行ったこともないし、そこから地球を眺めたこともない。それなのに、どうして地球が青いことを信じられるのか。僕に言わせればであるが。

 つまるところ、自分の見たことや、聞いたこと、触ったときの感触、食べ物や飲み物の味、におい、それらは自分にとっては自分だけの感覚であって、他人と同じだとは保証できない。

 もちろんそういった他人の声を信じようが信じまいが、それも個人の自由だ。

 なぜならこの世は情報で溢れかえっているからだ。『人間が一日に吸収できる情報量』がおちょこ一杯分とすると、『地球上で一日で新たに追加された情報量』は、地球にある水の量と例えても言い過ぎではないように感じる。それほど溢れかえったものの中から自分に必要な情報のみを取り出せば良いのだが、普通に考えて無理だ。まず何が必要なのかすらわからない。

 結局自分一人では限界があるのだ。だから他人の声に耳を傾け、情報を得る。正解か不正解か、それは誰にもわからない。どこが起源なのか、そして伝達の途中で誤った伝え方をされたのではないか。そもそも嘘ではないのか。

十人ぐらいが一列に並び、一番後ろの人から順番に、一つ前にいる人に何か文章を伝える。いわゆる伝言ゲーム。たった十人ですら、正しく伝わらないケースが多い。

 曖昧に伝わっていそうな情報は曖昧に受け取り、確実に伝わっていそうな情報は確実であると受け取る。

 その情報を次にどのように伝えるかはともかくとして、一般的に受け取る側の考え方としてはそれで良いのではないか。

 僕はそう思った。

 ふと左手につけている腕時計を見る。ちょうど午後二時を指していた。

 そうか、あれから三十分も経つのか。

 僕は右手をポケットに滑らし、煙草を一本とライターを取り出した。元々手ぶらでないとソワソワしてしまうので、どこか出かけるにしても何も持ち歩かない。

 煙草を吸い始めた当初はポケットから箱を取り出してから抜き取る手法だったが、いつしか無意識にできるようになっていた。

 どんな作業でも慣れるとできるようになるもんだと自分に、というより人間に感心した。

 煙草をくわえ、火をつける。

 煙が肺を満たし、同時に頭がクリアになるのがわかった。

 これまで鮮明だと思っていたものが、あまりにぼやけていたことにようやく気付く。

 僕はたった今、初めて人を殺した。

 このままうまくいけば、捕まりすらしないだろう。

 殺したといっても、実際に自分が返り血を浴びたわけでもない。手に何か感触が残っているわけでもない。

 でも殺した時の感情は想像以上に鮮明だ。

 ただ、記憶はあまりない。浅い眠りから覚めた時と似ている。

 はたして本当に自分だったかすらも怪しい。

 あの時の感情は、自分のものではなかったのか。僕は今一体どこで何をしているのだろう。

 足が、手が、煙草を運んだ血液によって自分を取り戻していく。脳に比べると相当遅い。

 ようやく、自分の位置が把握できた。

 そもそも本当に死んだかの確認はとっていないので、前提が間違っているかもしれない。しかし、少なくとも僕は、殺意をもって行動を起こした。

 行動と結果は確実だ。もちろん過程も確実だ。

 自分か他人かが分からないだけで。

 分からないことと言えばもう一つある。 

 彼女達は一体、何者だ?

 どこかで見たことがある、と言ってしまえばそれまでかもしれない。しかしそんな状況は総じてよくある。

 一人ならまだしも、二人共だ。この感覚を単純に形容することなどできない。既視感でもない。あえて例えるなら喪失感。会ったのに、何かを失った、そんな気分だ。

 その時携帯が振動した。面倒なので見ないでおいた。

 それにしても、厄介なことに巻き込まれた。いや、自分が巻き込んだのか。しかしどうしてもそうは思えない。

 本当に僕はどうしてしまったのだろう。たった一人、違う世界に紛れ込んでしまったのか。殺してしまったあの瞬間、パラレルワールドに飛ばされたのか。そんなSFみたいなことあったら面白いけれど。

 殺したことに対する罪悪感はまったくない。

 少しくらいは、後ろめたい気持ちだとか、後悔だとか、何かしらのマイナス方向の感情が生まれてくるものだと思っていた。しかし実際は、これからのことや、物事の真理を追い求める思考といった、ある意味前向きな感情しか出てこない。せめてもの防衛本能なのだろうか。せめて自分ぐらいは自分を守るという反射的に出てしまうものなのだろうか。

 それとも、遺伝なのだろうか。昔からずっと人殺しの家系だったのか。それを言えば、日本人の大半にその血は流れているだろう。五百年、千年前は農民が人口の大半を占めていたとはいっても、もっと昔にさかのぼれば誰もが殺人を犯した先祖がいたはずだ。

 時代とは因果なものだ。

 またこんなこと考えている。僕は一つ息を吐いた。

 ふと前方に週刊漫画雑誌より一回り大きい物体が地面に転がっている。周りを行き交う人たちはそんなものに見向きもしない。

 ただ僕は最初、人間かと思って心臓が飛び上がりそうになった。

 近づいてみて、ぬいぐるみであると確信する。誰かが捨てたのだろうか、捨てたにしてはとてもきれいだ。ぬいぐるみというのは大概が飾られたまま放置され、年度末の大掃除の時に汚れに気付くケースが多いように思う。今は夏だから、その理論で考えると汚れが目立っていてもおかしくない。それに一年に一度の清掃なら、それが何年も積み重なって汚れが染みついて取れなくなっているという場合もある。

 もちろん景品でもらっただとか、たまたまUFOキャッチャーでとっただとかではなく、ちゃんと綺麗にしている場合もある。

 一概にはいえないが、ぬいぐるみが落ちている状況を除いては、すべて正常なのかもしれないと僕は思った。

 普段なら「あ、ぬいぐるみだ」で終わるのだが、どうしてか今日は違う。

 僕は周りに人がいないか確認した。別に誰がいてもかまいはしないのだけれど。

 こわごわと手に取り、観察してみる。やはり、埃をはらう必要がないくらい汚れが無い。買ってきたぬいぐるみを落としましたと言われても、ああそうなのかと納得してしまうだろう。もしかするとそうなのかもしれない。バッグからこぼれたか、ビニール袋が破けたか。

 まじまじと目を見つめる。

 このぬいぐるみも僕を見ているのだろうか。

 どっちが先に見始めた?

 どっちが先に目を逸らす?

 どっちが先に空に昇る?

 どっちが先に地に潜る?

 僕は抱いていた指先に何かが当たるのを感じて、ぬいぐるみの背中を見た。僕の方から目を逸らしたことになるが気にしない。

 何か書かれている。

『探さないでください』

 どういうことだ?

 誰に向けて発信されたメッセージだ?

 立ち尽くしていると、炎天下から突然冷凍庫に入ったかのように身体が冷えてきた。

 寒くさえ感じる。

 恐怖。

 畏怖。

 何に対して怯えてる?

 このメッセージを残した人か?

 それとも……

 とりあえず、逃げよう。とにかく積極的に、逃げよう。それしか生き残る術はない。

 正体を暴き、意味を理解できるようになるまでは。

 僕は思い出そうとしていた。

 あの時ぬいぐるみも、同じ意味を持ち、同じ言葉を語りかけていたのだろうか?

 その答えを導き出せる日がくるのだろうか?

 別に導き出せなくても、良いのだけれども。

 平穏な日常が戻ってくれば、それで良いのだけれども。

 僕は人を殺した。一生消えることはなく、僕に付きまとって来るだろう。このぬいぐるみの記憶も、粘性をもったねちっこい液体として、僕の周りに残留するだろう。

 人の声が聞こえた。僕は思わず走り出していた。

 決めた。

 戻るしかない。

 そしてもう、隠れない。隠れるなんて性に合わない。これまでもずっとそうしてきた。

 真正面からぶつかり、勝負してやる。

 今度会ったら、覚えておけ。


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