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こちらをお買い上げですか?(三千字)(紀行)

 あ~、今日も疲れたな。入社二年目でも気を遣う事ばかりだ。早く楽な部署に移りたいものだな。おっと、今日はお待ちかねの初回限定版ブルーレイBOXの予約受付開始の日じゃないか。売り切れて泣きを見ないように今日中に注文しておこう。

  う~んっと……ああ、まだ大丈夫みたいだな。しかしいつも思うんだけど、ちょっと高いよな。ブルーレイだから仕方ないとしても、この価格設定ってどうなんだろう。多分、海外じゃもっと安く売られているんだろうな。他に安く売っているサイトはないか、ちょっと検索してみるか。

 うん、う~ん……変わらないかあ。ここは……同じかあ。やっぱりいつものショップで……

 あれ、ここだけ妙に安いな。いや安いなんてもんじゃない、激安、爆安だよ。これだけ安いと怪しすぎるけど、一応覗いてみるか。

 う~ん、見た感じは普通のサイトだな。店頭販売もしているショップか。支払いは、と。振り込みか代引きのみ。さすがにこの安さでカードは無理みたいだな。いいや、ここで買っちゃえ。必要事項を入力して、はい確定!


 ――こちらをお買い上げですか?


 おや、こりゃまた親切な確認メッセージだな。そうだよっ、と。


 ――本当にお買い上げなさるのですね?


 なんだ、また確認メッセージだよ。そんなに心配してくれなくても大丈夫だって、はい、確定。


 ――もう一度言いますけど、あなたの大切なお金を支払ってまで、本当にこの商品が欲しいのですね?


 おいおい、しつこいなあ。グズグズしていたら売り切れちゃうだろ。そうだよ、欲しいんだよ、確定。


 ――そうですか。わかりました。では、どうしてそんなにこの商品が欲しいのか、理由を教えていただけませんか。表示されているメッセージボックスに理由を入力してください。出来るだけ具体的にお願いします。


 な、なんだよ、このショッピングサイト。商品購入の理由を訊かれるなんて初めてだ。面倒だなあ。本当に売る気あるのか。仕方ない、適当に入力しておくか、えっと……


『この手の映像が好きでいつも購入しているので、今回も買うことにした。ここは他より安いのでここで買うことにした』


 これでいいかな。はい、確定。


 ――なるほど。つまり習慣になっているということですね。しかし、それは本当に良い習慣なのでしょうか。毎朝、酒を一升飲んでいる。だから今朝も酒を一升飲む、こんな人をあなたは認めますか。これは明らかに悪しき習慣です。いつも買っている、だから今回も買う、それはあなたの今回の購入を正当化出来る理由となり得るでしょうか。私は出来ないと思います。よって、そのような理由で販売を許可するわけにはいきません。もしどうしても購入したいのなら、別の理由をお願いします。


 な、なんだよ。いくら温厚な自分でもこれは怒るぞ。いや、これ、絶対オペレーターにつながっているだろ。自動でこんな複雑な返事が出来るはずがない。くそ、文句を言ってやる。


『おい、オペレーター、くだらない事を言っていないで、さっさと買わせろ!』


 確定。


 ――こちらはオペレーターではありません。プログラムで動いている人工知能です。別の理由がないのなら、お取引はここで終了です。よろしいですか?


 はあ、本当かよ。絶対嘘だと思うけど確かめようがないしなあ。くそ、腹が立つぜ。別のサイトで予約するか……いや、このまま諦めるのは惜しいな。半額以下で売っているからなあ。俺が諦めたら別の奴が予約するんだろうし、それはそれで悔しいし……もう少し粘ってみるか。相手が人間なら情に訴えればうまくいくかもしれないしな。ここはひとつ下手に出てみるか。


『購入の理由は習慣になっているという理由だけではありません。本当にこの手の映像が好きなのです。仕事で疲れ、ヘトヘトになっている私を癒してくれる唯一の娯楽、それがこの手の映像を観ることなのです。今回、このBOXが手に入らなければ、ストレスが溜まって社会生活を円滑に営めなくなる恐れがあります。何卒、このサイトで予約させてください。お願いします』


 これでどうだ、確定!


 ――映像が好き、そしてそれがあなたの精神を良好にしている、なるほど、了解しました。しかし、考えてもみてください。映像が好きと言っても、所詮、その映像は作り物。所詮、その映像は二次元。所詮、その映像は虚にすぎません。それならば外に出て、本当の、生の、三次元の、現実の映像を観た方が、よほど、有意義だと思いませんか?


 むむ、言うじゃないか。健全度はそちらの方が上だしな。しかし、そんな言葉で惑わされたりしないぞ。


『そ、それはそうかもしれませんが、手軽に楽しむのなら映像でしょう。実際に体験するとなると時間も金もかかります。疑似体験でもいいので、取り敢えず楽しみたいのです』


 あまり説得力はないが、これで確定っと。


 ――そうですか。あなたがこの映像に掛ける想いはその程度だったのですね。偽物でもいい、本物である必要はない、取り敢えずで構わない、そんな程度の覚悟でしか、あなたはこの映像に向き合えないのですね。そんないい加減な方に、このBOXを渡すことは出来ません。


 あちゃー、逆効果だったか。なんとかしなくちゃ。


『いえ、私はこの映像を愛しています。本物を味わいたいといつも思っているのです。でもそれに割くお金も時間もないのです。ゆえに、堪え難きを堪えて二次元映像で我慢しているのです。この心情を何卒理解していただきたいのです』


 これでどうじゃ、確定。


 ――いえいえ、心底そう思うのなら、万難を排してあなたは本物の映像を求めるはずです。全てを捨てて旅に出るはずです。これだけの金額をこのBOXに掛けられるあなたなら、あとは時間の都合を付けるだけでそれが可能なのですからね。それをしようとせず、安易にBOXを買おうとしているあなたは、本気で映像を愛しているのではない、と判断せざるを得ません。


 くそ、何を言っても駄目か。仕方ない、ここは実際の映像を求めている方針で話を進めるか。


『いえ、旅をしようと考えたことはあるのです。しかしですね、旅先でそれを観たとしても、その経験はたった一度きりです。お金と時間を掛けて一度だけの映像を観るより、たとえ二次元でもBOXで何度も楽しんだ方が有意義なのではないかと、そう考えているのです』


 ――何をくだらないことを言っているのです。一度きりだからこそいいのですよ。何度でも観られると思うと、集中力は著しく低下し、尚且つ、一瞬一瞬を大切にしようとしません。これが最初で最後なのだと心に留めて観た光景は、何度でも観られるからいいや、と煎餅齧りながら眺めている映像よりも、遥かに大きな感動をあなたに与えるはずです。そう思いませんか?


『ま、まあ、言われてみれば』


 ――それに旅先で体験できるのは映像だけではありません。空から降り注ぐ太陽の日差し、頬を撫でていく爽やかな風、気持ちの良い草木の香り、四方八方から聞こえてくる虫の音、人の声、葉擦れの音などなど。これらは部屋の中に閉じこもっていては、決して体験できない事柄です。そうでしょう。


『そう、ですね』


 ――見知らぬ土地で初めて口にする郷土料理、名産品、お土産。目だけでなく耳で、口で、鼻で、肌で、あなたは映像の世界を体験出来るのです。それならBOXなんかに金を掛けるより、実際に旅に出た方が余程有意義と言えるのではないでしょうか。


『おっしゃるとおりです』


 ――また旅先での見知らぬ人との新しい出会いによって、あなたの人生が大きく変わることだってあるでしょう。失礼ですが、まだ独り身でいらっしゃるのでしょう。このままズルズルと孤独な生活を続けるつもりですか?


『いや、まあそりゃ、いつかは、けっ、結婚とかも』


 ――それなら旅に出ましょう。二次元から三次元への脱却です。このサイトには旅行申し込みのコーナーもあります。この商品に似た体験が出来るツアーも取り揃えております。一度、ご覧になってみてはいかがですか?


『はあ、では……』



 *  *  *



 数週間後、私はバックパックを背負って、一人旅の途上にあった。

 ブルーレイBOXは、もちろん予約しなかった。



 後悔はしていない。



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