小さき者たちの話(五千字)(ファンタジー)
ある夜のことです。オツー君が波に揺られていると、月明かりに照らされて、エヌエ君がふらふらしながら向こうから漂ってきたのです。エヌエ君もオツー君に気がついたようで、挨拶をしてきました。
「お、オツー君じゃないか。元気かい」
「こんにちは、エヌエ君」
オツー君がエヌエ君に会うのは初めてではありませんでした。でも、どのエヌエ君も姿形がそっくりなので、このエヌエ君が会ったことのあるエヌエ君なのか、初めて会うエヌエ君なのか、判別がつきませんでした。もっともエヌエ君にしてもそれは同じことです。
「なあ、君ってこの前、船の上であったオツー君じゃないか?」
「船?」
エヌエ君に問われてオツー君は首を傾げました。船、船……記憶がありません。
「う~ん、最近、船に乗ったことはないかなあ」
「そうか、じゃあ、別のオツー君だったんだな。君も俺も見ただけじゃ区別がつかないからな」
エヌエ君は頭を掻くと、話を続けました。
「俺は遠くの島から来たんだ。随分長いこと海の中に住んでいた。ところが、ある日汲み出されたと思ったら天日に干されてしまってな。そこで相棒のシエルに出会ったってわけさ」
エヌエ君は遠くを懐かしそうに見ています。きっとシエル君との初めての出会いを思い出しているのでしょう。
「シエルと結合してソルトになってから俺たちはいつも一緒だった。風に乗って空を渡り、船の甲板で船乗りの肌にへばりついたり。そうそう、オツー君に会ったのもその時だ。潮の香りがして、いかにも海の子って奴だったな。君、会ったことないか?」
「う~ん、ちょっと心当たりはないかなあ。すみません、お役に立てなくて」
オツー君は申し訳なそうに言いました。それを見てエヌエ君も申し訳なさそうな顔になりました。
「いや、謝るのはこっちだ。そうか別人か。あのオツー君は元気にやっているかな」
懐かしい眼差しをするエヌエ君にどんな思い出があるのか、オツー君は少し興味を抱きましたが、こちらからそれを尋ねるのは躊躇われました。それから二人は一緒になって水の中を漂っていました。
「あれ!」
オツー君が声をあげました。エヌエ君も驚きました。
「おい、今、揺れたぞ」
「地震、かな?」
二人は顔を見合わせました。途端に水が大きくうねり、二人は強力な力で波に押され始めました。まるでサーフィンをしているみたいです。こうなってはもうどうすることも出来ません。オツー君もエヌエ君も波に身を任せて、どこへとも知れず運ばれていくばかりです。
しばらくして激流はようやくその暴走をやめました。水の外へ放り出された二人はほっと胸を撫で下ろすと、周囲を眺めました。
「ここは、海岸みたいだな。また、えらく流されてきたもんだ」
「見て、あそこに大きな物があるよ。岩山でも木でもないし、あれは何だろう」
オツー君に言われてエヌエ君もそちらを見ました。大きな物が薄黄色い月光を浴びて立っています。もちろん、初めて見る物でした。
「何だ、ありゃ。見たことないぜ」
「あれはヒトが作ったものなのです」
突然、太く低い声が聞こえました。その声の主を見て、エヌエ君も、そしてオツー君も驚愕の叫び声をあげました。
「あ、あなたは重人族のユー君!」
「し、しかも二三五じゃねえか。こりゃたまげたな」
二人が驚くのも無理はありませんでした。重人族は極めて数が少ない部族で、滅多にお目に掛かれるものではないからです。しかもユー君はその重人族の中でも希少な存在でした。オツー君はユー君の巨体を眺めながらため息まじりに言いました。
「久しぶりに見たけど、やっぱり大きくて格好いいね、重人族は」
「ああ、さすがの俺もびっくりだ。ところで、どうしてこんな所にいるんだ」
エヌエ君の問い掛けに、ユー君は重い口調で答えました。
「逃げてきたのですよ、あの施設から」
そう言ってユー君は月明かりの下に立つ、大きな物を指差しました。
「あれはヒトが作った恐るべき装置。我々を魔物に変えて力を取り出しているのです」
「魔物だって!」
「そうです。ヒトは多くの、そして強大な力を欲しているのです。その為に極めて不安定な魔術を使っています。我々はその魔術の生贄にされているのです。魔物にされ、力を奪われ、あとはゴミのように埋められるのです。そんな境遇に耐えられず、私は逃げ出してきたのです」
ユー君は体を震わせながら、そして声も震わせながら自分の境遇を語りました。エヌエ君もオツー君も、思いもかけぬ話に言葉が出ませんでした。
「……そうか、しかし、よく逃げられたな」
「彼の力を借りたのです」
ユー君が体を動かすと、その後ろに隠れていたもう一人のユー君が姿を現しました。顔色が悪く、ひどく疲労しているようです。
「それは、二三八ですね」
「ええ、彼とは幼馴染なのです。ヒトが欲しがるのは私のような二三五だけ。生贄を選別する段階で、彼は無用物として切り捨てられました。けれども私を心配して、ここまで追いかけてきてくれたのです。そして私の、そして仲間たちの境遇を知り、脱出計画に力を貸してくれたのです。一緒に逃げた仲間は大勢いました。けれども、あの施設には私たちを一人も外部へ漏らさぬように、様々な仕掛けが施されています。ここまで逃げられたのは、結局私たち二人だけでした。彼はこの作戦の為に自分の力を限界まで使ってしまったため、もう喋る気力もないようです」
「ひどい話だな、まったく」
「そう、ヒトがこんな残酷な生き物だとは夢にも思いませんでした」
エヌエ君もユー君もヒトに対して大変な憤りを感じているようです。けれどもオツー君は首を傾げました。
「二人とも待って。そんな決めつけはよくないよ。ボクは昔、ヒトの中にいたことがあるんだ。多くの友人と共に吸われて、赤いエフイー君と一緒に管の中を流されながら、それこそ全身くまなく旅したものだよ。その時のヒトはとても優しかった。温厚で思慮深く、そんな装置を作ってまで強大な力を求めている様子なんて全然なかったよ」
「ヒトもそれぞれってことさ。俺たちだってそうだろ」
エヌエ君にいとも簡単に否定され、オツー君は少し不満な顔になりました。
「それはそうだけど、でも……」
不意にオツー君の顔色が変わりました。言葉の続きが出なくなるほどの恐怖。エヌエ君もユー君もただならぬ事態に体を硬直させました。それはまるで横殴りに降る夕立のようでした。おびただしい数の魔族の下僕が、夜空を埋め尽くさんばかりに飛来してきたのです。
「こ、これは……」
「アー、ベー、ガー、おい、ニュートまで飛んでくるじゃねえか。しかもなんだ、この信じられないような数は。地獄の釜の蓋でも開いたのか。こりゃヤバイぞ」
「あの施設です。きっと魔術が失敗したのです。間違いありません」
ユー君が大声をあげました。失敗と聞いて、オツー君は心配そうな顔をしています。
「失敗って、もしかしたら地震のせいで?」
「それもあるでしょう。でも、元々、あのような魔の技はヒトには身分不相応だったのです。これも自業自得、当然の結果なのです。いや、今はそんな事はどうでもいい。逃げてください。ここにいては危険です」
「じゃあ、ユー君も一緒に」
「私は体が重くて足手まといになります。それに彼を置いてはいけません」
「おい、オツー君、ユー君の言う通りだぜ。こんな飛来のど真ん中に留まっていたら、どうなるかわかったもんじゃねえ。早く逃げよう」
「で、でも……」
オツー君は迷いました。せっかくここまで逃げて来た二人です。出来るなら完全に自由にしてあげたい、そう思う気持ちが強かったのでした。そんなオツー君の気持ちを察したのか、ユー君が強い口調で言いました。
「逃げて! 早く! この状態はあの施設の中と同じです。このままでは下手をすると、私は魔化してしまう。そうなってはあなたたちもただではすみません」
「うん、それはそうだけど……」
「何を迷っているのです。急いで! 早く! 逃げて! あ、ああー!」
ユー君が叫び声をあげました。高速のニュートがユー君に衝突し吸収されてしまったのです。
「まずい! 魔化するぞ!」
「に、逃げて……早く……」
苦しそうにあえぐユー君、その姿が変貌していきます。
「こ、これが、魔物……」
二三六になったユー君は、もう元の姿ではありませんでした。それは余りにも不安定な、自分で制御不可能な魔物の姿でした。そしてその体が発光を始めました。
「駄目だ、逃げられねえ!」
エヌエ君が悲鳴をあげました。オツー君は目を閉じ体を伏せました。ユー君の断末魔。閉じた瞼の裏からもわかる激光。魔物と化したユー君から解放された魔力が二人を襲います。
「もう駄目だ……」
オツー君は覚悟を決めました。
どれだけそうしていたことでしょう。オツー君はゆっくりと目を開けました。同じように体を伏せているエヌエ君が見えました。そしてその向こうに居たはずのユー君の姿はなく、代わりにワイとアイが気絶していました。
「ユーは分裂して魔の力を解放した……」
そう言ったのはもう一人のユー君、二三八のユー君でした。背中が赤く焼けています。
「お、おい、おまえ、まさか……」
起き上がったエヌエ君が言葉を詰まらせました。オツー君は声も出ません。魔物となったユー君が発した魔力を彼が身を挺して防ぎ、二人を守ったことは明らかでした。
「二人とも、無事でよかった」
「だからって、お前がその有様じゃ意味がねえだろう!」
エヌエ君の怒りに似た叫び。それでもユー君は微かに笑みを浮かべて言いました。
「さあ、今度こそ逃げろ。俺はユーの放出したニュートを吸収した。すぐに魔化して二三九になる」
エヌエ君はオツー君の手を掴むと引っ張りました。問答無用で逃げるつもりです。しかしオツー君は動こうとしません。エヌエ君は怒りに顔を赤くすると、大声で怒鳴りました。
「いい加減にしろ、オツー! 彼の行為を無駄にするのか。自分を魔化してまで俺たちを助けたんだぞ」
「う、うう、ぐぐぐ」
ユー君の呻き声が聞こえてきました。魔化です。ベーを放出して変貌していくユー君の姿。ネプになり、さらにベーを放出して、そこに現われたのはプルトーでした。その禍々しい姿にエヌエ君は息を飲みました。
「こ、これが、史上最強最悪の魔王、プルトー……」
エヌエ君はオツー君の手を掴み走り出しました。オツー君も素直に付いて行きます。あの姿を見てはもう逃げるしかありません。
「あれが、プルトーか。初めて見たぜ」
「ユー君、どうなるのかな」
「馬鹿、あれはもうユーじゃない、プルトーだ。俺たちが適う相手じゃない。そして、多分、ヒトだって……」
海岸を走る二人。その二人の頭上を無数のアーが、ベーが、ガーが、飛来していきます。月明かりの夜空を飛んでいくその姿は、箒に跨った魔女の集団のようでした。遠くの大きな物からは白い煙が出ていました。それはまるで廃墟から立ち上るキノコ雲のようでした。
「おい、飛び込むぞ!」
二人は海へと身を躍らせました。体にまとわりつく海水、それは二人を安心で包み込んでくれるようでした。
「ヤレヤレ。ここなら少しは安心だろう」
エヌエ君が額の汗を拭いました。けれどもオツー君の顔は晴れません。エヌエ君が肩を叩きました。
「クヨクヨするなよ。別に俺たちは悪い事なんかしていないんだからな」
オツー君は心配そうに自分たちが逃げて来た海岸を振り返りました。
「あの場所は、これからどうなるんだろう」
「あそこはもう魔界に等しい。俺たちも、そしてヒトさえも立ち入ることの出来ない不毛の地となるだろうな」
「なんとかしてあげられないかな」
「おいおい、自分を勇者とでも思っているのかい。俺たちに出来るのはただ逃げる事だけだ。一刻も早くここから離れようぜ」
エヌエ君とオツー君は黙々と水の中を進み始めました。時々、水中に飛び込んだベーが青い光を放射しながら、二人の横を通り過ぎて行きます。海岸から随分遠ざかった時、オツー君は不安げに言いました。
「ねえ、エヌエ君、ヒトは何をしたいんだろう。こんな危険な事態を招いてまで、一体、何をしたいんだろう。こんな事をしていたら世界は滅んでしまうかもしれないよ」
「さあな。案外、ヒトもまた装置の一部なのかもしれないぜ」
「装置? 何の?」
「世界を蘇らせるための装置さ。蘇るためには一旦滅ぼさないといけないだろう。世界を滅ぼすために、この宇宙が用意した装置、それがヒトなのさ」
そうしてエヌエ君とオツー君はもう一度、二人が逃げてきた海岸を眺めました。ヒトが作った大きな物はもう見えません。けれども、そこから立ち上り、世界を覆うように広がり続けている白い煙だけは、水中からもまだおぼろげに見えていました。




