表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/52

とこたん(一万字)(時代物)

 1


 尾張国智多郡常滑村の藩医、平野忠司ひらのちゅうじが、陶工、杉江寿門すぎえじゅもんの窯場を訪れたのは嘉永六年の晩秋のことである。おりしも次の焼成の準備に入っており窯の中は空であったが、火は完全には落ちていなかった。そこはかとない温もりを感じて忠司の心は和んだ。

 薪を割っていた寿門は突然の訪問に驚き、慌てて鉈を置くと、前掛けで手を拭いながら忠司を出迎えた。


「平野様、わざわざ足を運んで頂かずともよろしいものを」

「いや、寿門殿に直々に頼みたいことがあってな」

「ならば使いの者をお遣わしください。それと、寿門殿はおやめくだされ。安平で結構です」


 寿門はまだ二十代、鯉江方救こいえほうきゅうを師と仰ぎ、師の息子である方寿ほうじゅと共に陶芸の修業に邁進する若輩者である。一方の忠司は八代続く尾張藩の御典医。藩主へのお目通りをも許された武士に準ずる身分である。一歩下がった寿門の態度は当然であった。


「そなたを一廉ひとかどの陶工と見込んでここに来たのだ。ならば寿門殿と呼ぶのが筋であろう。ふむ、これが登窯か。立派なものだな」


 階段状に上へと並ぶ連房式登窯を、忠司は頼もしげに眺めた。登窯は安土桃山の時代より用いられていたが、この地には寿門の師である鯉江家の尽力によって、十数年前にようやく導入されたばかりだった。


「この窯ならば、良き真焼物も作れよう」

「ところで平野様、今日はどのようなご用件で」

「ああ、済まぬ。これを読んでくれ。詳しくはそこに書いてある」


 忠司が差し出したふみを寿門はすぐに読もうとした。その時、上の窯で何かが動く気配がした。一瞬、二人の表情が険しくなった。が、その後に聞こえてきた鳴き声で、二人の頬は緩んだ。


「猫か」

「平野様、すみませぬ。寒くなるとこの窯場に潜り込むのが、奴の習慣になっておりまして。これ、常丹とこたん、降りてこぬか」


 寿門が怒鳴っても常丹は平気な顔をしている。仕方なく上の窯まで登って行き、手掴みにして窯の中から引きずり出した。


「トコタンとは、これはまた珍妙な名だな」

「はい、頭に赤い斑がありましょう。それが丹頂鶴のように見えるのでそう呼んでおります」

「なるほど、常丹か。うまく名付けたな」


 頭の斑だけでなく、全身の毛色が濃い橙色なのもその名によく合っている、おまけに猫にしては愛嬌のあるこの顔……忠司は少し可笑しくなった。


「寒くなってかまどに潜り込むへっつい猫なら聞いたことがあるが、窯に潜り込む猫は初めて見たわい、ははは。寿門殿、良い返事を待っておるぞ。ではまた後日」


 窯場を離れた忠司に晩秋の風が冷たく吹き付けた。体を丸め僅かに震える忠司であったが、その心の中には熱い情熱が静かに燃えていた。


 2


 数日後、寿門は忠司の屋敷を訪れた。通された座敷の上座には忠司、その前に一人の男が座っている。


「おう、二光にこう殿。そなたも呼ばれておったのか」

「久しいな、寿門殿」


 片岡二光は寿門より六才年上。松下三光に基礎を伝授された後は、天性の手先の器用さを生かし、ほぼ独学で技巧を磨き続ける天才肌の陶工である。

 寿門が二光の隣に座ると、下男が座敷に入ってきた。馴れた手付きで三人の前に茶を置き、忠司に小ぶりの木箱を手渡すと、余計なことは言わず一礼をして出ていった。


「二人ともよく来てくれた。酒でも出したいところだが、まずは一服、茶でもすすってくれ」


 置かれた湯呑茶碗を一目見ただけで、二人は苦笑いを浮かべた。それぞれの前に置かれた湯呑茶碗は、忠司がそれぞれから買い取った物であった。己の作った陶器で茶を飲むのは、なんともこそばゆく感じられた。


「ほう、これは」

「一味違いまするな」


 二人は感嘆の声をあげた。普段飲んでいる茶に比べれば、味も香りも格段に良い。そんな二人の様子を愉快気に眺めながら、忠司は下男から渡された木箱から何かを取り出した。


「美味であろう、この急焼きびしょ茶器で淹れたのだ」


 急焼茶器とは現在の急須である。その全体を覆う渋みのある朱の美しさに、二人はしばし言葉を失った。


「……平野様、その茶器、手に取ってみてもよろしいか」


 二光にそう言われて忠司は茶器を差し出した。両手に取り、様々な角度からじっくりと品を見定める二光。やがてその動きが止まった。眼光は一際厳しくなっている。


「如何した、二光殿」


 問い掛けた寿門に無言で茶器を渡す二光。今度は寿門がその茶器を眺め回した。が、すぐに二光の豹変の理由が分かった。


「平野様、この急焼茶器は、もしや宜興窯ぎこうようの……」

「左様、清国宜興で作られた明の時代の紫砂茶壺しささこだ。二人ともなかなか目が利くな」

「では、我らへの依頼とは、まさか……」

「そのまさかだ。目の前にある朱泥の急焼茶器、これと同じ陶器を作って欲しいのだ」


 3


 中国江蘇省宜興市は五千年の歴史がある窯業地である。磁器の盛んな景徳鎮が「磁都」と称されているのに対し、宜興は「陶都」と称されていた。

 宜興の土は紫砂泥と呼ばれている。故にそこから作られる茶壺(中国で急須の意)は紫砂茶壺と呼ばれる。ただし、その土の色は紫のみならず、紫泥、紅泥、緑泥の三種が基本となっている。忠司が手に入れたのは朱泥によって焼かれた茶壺であった。


 宜興の土と陶工の熟練の技によって生み出された茶器は、清朝皇室への献上品となるほどまでにその名を高めている。そのような陶器を手に入れることも、ましてやそれを作ることも、二人にとっては想像だに出来ぬものであった。忠司が古陶器の収集に熱心であることは既知であったが、その情熱は二人の想像を遥かに越えていた。


「どうだ、引き受けてくれぬか」


 寿門から返された急焼茶器を元通りに木箱に収めると、忠司は二人を交互に見詰めた。無言であった。文には「製作をお願いしたき物あり、我が家にて見られたし」程度の文言だけをしたためておいた。詳細を書かなかったのは、忠司自身も無理な依頼であると認識していたからである。


「お金持ちの戯れ事でございましょう」

 最初に口を開いたのは二光である。その顔は極めて不機嫌である。

「平野様の道楽に付き合わされるのは真っ平御免です。そのようなもの、欲しければ大枚をはたいて買えばよろしい。何故、この地で作らねばならぬのです」


 二光にとって陶芸は自己の表現そのものであった。故に誰の門下にも入らず、一人でその道に励んでいる。好事家の道楽の道具にされるのは勘弁ならないのであろう、忠司はその気持ちがよくわかった。


「うむ、では寿門殿はどうか」

「私も、敢えて作る必要はなかろうと思います」

「ほう、何故?」

「私は多くの人の役に立てればと陶器を作っております。しかし、そのような急焼茶器、いったい、どれほどの人が必要としておりましょうか。丹精込めて作ったものが、箱の中に仕舞われ、ほとんど日の目を見ないのでは、作る意味がありません」


 四代将軍家綱の時代に明の隠元禅師が釜炒り茶を伝え、八代将軍吉宗の時代に永谷宗円が青製煎茶の製法を開発して以来、煎茶は着実に庶民の間に浸透していった。が、庶民の多くは茶葉を土瓶に入れて煮出して飲んでいた。煎茶を飲むのにわざわざ茶器を使うのは、武家や公家、裕福な商人などのいわゆる文人であり、庶民には関係のない道具であった。


 忠司は二人の拒絶の申し出を聞いても、さして落胆の色を示さなかった。むしろ思った通りだというように軽く相槌を打った。改めて座り直し、まずは二光に向き直った。


「二光殿、そなたの気持ちよくわかった。しかし、決して道楽などではない。わしは医者としても、この急焼茶器は必要であると考えておる」

「医者としても、ですか?」

「この赤い色、この正体は恐らく鉄だ。鉄は錆びると赤くなるであろう。そして茶と鉄は相性がいい。鉄瓶で沸かした湯は茶を美味くする。茶道においても茶釜は鉄製が多い。ならば急焼茶器とて鉄を含んだものが良いに決まっておる。味が良くなれば気も休まる。気が休まれば病も退散する。病は気からと言うからな」

「う、むむむ」


 陶芸に優れた才を持っていても、医術の知識はからきしな二光である。そこを理詰めで攻められては反撃のしようもない。忠司はにっこり笑った。


 4

 二光の次は寿門である。忠司はそちらに向き直った。


「寿門殿、先刻、浦賀に黒船が来航したのをご存知か」

「は、はい、知っております」


 ペリー率いる四隻の黒船が江戸湾浦賀沖に投錨したのは、この年の六月のことである。江戸から遠い尾張の地でも、人々の口に上るほどの一大事であった。もっとも寿門のような陶工にとっては、それで暮らしが変わるわけでもない。これまで通り陶芸に励む日々が続く、寿門はそう思っていた。


「のう、寿門殿。わしはな、この国がこれまで頑なに閉ざしてきた門戸は、間もなく開かれるであろうと思っておるのだ。そうなれば海外の品々はこの国に流れ込み、この国の品々も海外へと流出する。陶器とて、清国、いや世界を相手にその優劣を競い合わねばならなくなる。この程度の茶器ひとつ作れぬようでは、その競合に勝ち抜くことはできぬであろう。そしてもうひとつ、大きな声では言えぬが、近いうちに徳川の世は終わる、わしはそう考えておる」

「な、なんということを、平野様」


 この言葉には寿門だけでなく二光も仰天した。平野家は尾張藩より禄を頂く藩医の家柄である。己の存在を否定するに等しい発言に、忠司自身さえも自虐のような笑みを浮かべた。


「驚くことはない。門戸が開かれれば、この国のまつりごとが如何に時代遅れか周知のものとなる。倒幕の動きは抑えられぬに相違ない。徳川の世が終われば、我らは皆、武家も公家もない平民となろう。そうなればこのような茶器も庶民の手にするものとなる。その湯呑茶碗と同じく、日常、誰もが手にするものとなるのだ。そうは思わぬか、寿門殿」

「ならば私ではなく、我が師、鯉江様に協力を仰ぐべきでしょう。私など足元に及ばぬほど陶芸の技に秀でておいでです」

「いや、鯉江殿は尾張藩御用の役を担っておられる。余計な仕事を押し付けたのでは藩から苦情が出かねぬ。それにな、わしはこのような仕事は、まだ己の流儀を身に着けておらぬ、若者こそが相応しいと思っておる。年を取るとどうしても頭が固くなる。新しいやり方に抵抗を感じる。そなたらのような者こそ適任なのだ」


 忠司の話を聞くうちに、寿門の心にも二光の心にも変化が起き始めていた。それは若者特有の未知なるものへの憧憬であった。そしてそれをこの手で成し遂げたいという野心であった。二人は顔を見合わせた。言葉は交わさずとも互いの意志は確実に通じ合った。二人は忠司に向かい合うと、声を揃えて言った。


「わかりました。お引き受けいたしましょう」


 5


 三人が最初に取り掛かったのは陶土探しである。十年余り前、二代目伊奈長三(いなちょうざ)が白泥焼の急焼茶器に成功したのは、常滑村の隣、板山村での白泥土発見あればこそであった。朱泥土さえ見付かれば、業は半ばを達成したようなものであった。

 二人に頼む前から、忠司には目星をつけている田があった。刈り入れの終わった田の底を幾つか掘り返してみたところ、赤味を帯びた泥土を見つけることがあったのである。まずは兼ねてより準備の土で二人に試作させてみた。


「駄目か……」


 結果は散々であった。元は赤みを帯びていても、焼き上がりは様々な色が混じる。茶を淹れて飲んでみても嫌な渋みがある。


「鉄ではない物が邪魔をしておるのだな。緑は銅、青は呉須ごすか……」


 むろん三人とも一回で首尾よく事が進むとは思ってはいなかった。忠司は医術仕事の合間に、寿門と二光は陶芸修行の余暇を利用し、根気強く陶土を探した。


 やがて年が明け、春が過ぎ夏が来た。陶土探しは完全に行き詰まっていた。昨年の秋、三人の中に燃えていた朱泥急焼茶器への情熱は、輝きを増す日中の陽射しとは裏腹に、次第に光を失っていくようだった。


「焼き物の産地とは良き土の産出地。つまりは土こそ全て。他所の土を探そうとせず、己の土を生かすことこそ本道。我らは道を踏み外そうとしているのではないか」

 二光の口からはこんな言葉まで出る始末であった。



「よいのう、おぬしは。何の気兼ねもなく毎日寝ておるばかりで」


 寿門の作業小屋の日陰で寝そべっている常丹を、忠司は羨ましげに眺めた。当てもない土探しの毎日に、流石の忠司も焦りを感じ始めていた。やはり、無理な試みだったのだろうか、そんな考えが浮んでくるたびに忠司は己の弱気を叱咤していた。だが、それも限界に近付いていることはわかっていた。そんな忠司の苦労などまったく存ぜぬという風情で、常丹は風通しの良い日陰で体を伸ばしている。


「見れば見るほど不思議な毛色だな。縞になった茶虎ならよく見るが、一面の橙色とは」

「いえ、常丹は元々、白猫だったのです」


 寿門が粘土を捏ねながら答えた。


「白猫、では何故このような色に?」

「常丹は子猫の頃より、日中、ふいっと姿を消してしまうことがよくあったのです。そして夜になって帰ってくると、いつも橙色に汚れていました。最初の頃は拭いてやっていましたが、やがて面倒になりそのままにしておりましたところ、そのような毛色になったのです」


 忠司は常丹に近付くと、その毛を撫でてみた。手の平に、指に、何かが付く。砂のような土のような細かい何かが。


「寿門殿、済まぬが、しばらくわしに常丹を貸してくれぬか」


 何かの確証があるわけではなかった。それは藁にもすがるような一縷の望みとでもいうものだった。

 次の日の昼、寿門の言葉通り、常丹は忠司の屋敷を出ると、海とは反対の方向に歩き始めた。すでに相当な老齢なのだろう、その歩みは遅く、忠司でも容易にその後を追えた。


 常丹がたどり着いたのは、山中の崖下の荒れ地である、それは何の変哲もない場所であったが、荒れ地の表面は赤土であった。その赤土に常丹は自分の体を撫でるように擦り付けていた。特に右足を頻繁に擦り付けている。

 しばらく様子を眺めていた忠司は、近付いてその右足を手に取った。決して小さくはない傷跡があった。医者の目から見て完治はしている。だが、怪我をした当初は相当の深手であったに違いない。


「傷、赤土……無名異土むみょういづち……」


 忠司の頭に閃くものがあった。それは全く別の方角からの光であった。忠司は常丹を抱きかかえると、急ぎ足で屋敷へ戻った。


 6


 寿門と二光が、至急の用有りとの知らせを受け取ったのは翌日である。取るもの取り敢えず駆けつけた忠司の屋敷で、三人はあの時と同じように座敷に座った。


「二人とも、これを見てくれ」


 出された茶を口に付けるのももどかしげに、忠司は皮の小袋を二人の前に掲げた。口を縛った紐を解き、中身を手の平にあける。こぼれ出た赤い粉を見て寿門が尋ねた。


「これは、何でございますか」

「傷薬だ。切り傷の他に火傷や止血に用いる。名を無名異土という」

「それはまた奇妙な名の薬ですな」

「清国に伝わる昔話でな。ある男が怪我をした時、皇宮の壁土を傷口に擦りんだところ、血が止まり痛みが和らいだ。それに名を付けようと思ったが、名が無いので無名異と呼ばれた」

「しかし、これは土……赤土ではないのですか」


 指の先で粉を擦り合わせていた二光が訝しげに訊いた。


「鋭いな。その通り。だがただの赤土ではない。佐渡の金山に於いて、金鉱石と共に採掘されるものだ。同じものが石見銀山でも出る。傷によく効くので先ほどの清国の故事に因んで無名異土と名付けられた」

「それで、それが我々とどのように関わるのです?」


 二光は率直な男である。無駄な話を聞かされるのは我慢ならないという態度が、言葉の端々に現れていた。忠司は手の平の粉を袋に戻し紐を締めると、決意のこもった声で言った。


「寿門殿、二光殿。これまで我らはこの地に朱泥を探し求め、今に至るまで見つけられぬ。わしは考えた。見つからぬのなら作ればいいのではないか、とな。多量の無名異土を手に入れるのは困難だが、赤土ならばこの地にもある。その土に田の底の泥土を混ぜれば、朱泥が出来るのではないか」

「無理です」

 二光は即答した。

「うるち米を搗いても餅は出来ませぬ。無理に作って焼いたとしても、香ばしい焼餅ではなく、ひび割れた煎餅が出来るだけでしょう。平野様、もしや戯れておられるのですか」

「いや、冗談で言っているのではない。実はこの土に関してはもうひとつ話がある。この無名異土を使って焼き物を作った陶工がおるのだ」

「なんと、それは誠ですか」

「誠だ。とはいえ、実物を見たわけではない。作った陶工の名も知らぬ。今も作られているのかいないのか、それもわからぬ。わかるのはその焼き物が無名異焼と名付けられたこと、それだけだ」


 忠司の言葉に二人は沈黙した。俄かには信じられなかった。赤土では明らかに粘りが足りない。泥土とうまく混じり合うのかもわからない。陶土を探し求めた方が楽なようにも思われた。押し黙ったままの二人に忠司は丁寧な口調で話した。


「無理な注文であることはわかっている。今までと同じように上手くいかぬかもしれぬ。だが、これはわしの思い付きではない。そこに居る猫、常丹が教えてくれたのだ。猫の毛にこびりついた赤土が、何年も陽の光を浴び、窯の残り火に焙られて、元々白かった毛色をあのような橙色に変えたのだ。これはひとつの暗示ではないのか、この猫はわしに何かを伝えようとしているのではないか、そんな気がしてならぬのだ」

「そのような、迷信じみた話を……」


 二光は渋い顔した。しかし寿門は違っていた。忠司の話もあながち間違ってはいないと感じたのだ。常丹は誰よりも長く窯の中に居る。誰よりも詳しく窯のことを知っている。もし窯に神が宿っているとすれば、常丹は間違いなくその神に愛されている。その教えに間違いがあろうはずがない……


「二光殿、やってみようではないか。無名異焼がどのような出来であったかは知らぬが、それを成し遂げた陶工がおるのだ。ならば、我らとて作れぬはずがあるまい。試しもせぬうちに逃げ出すのは、その者に降参するのと同じことぞ」

「むむ」


 二光は負けん気の強い男である。降参と言われては黙っていられない。


「わかりました、やってみましょう。ただし、このやり方で駄目な時は、私は朱泥急焼作りから手を引かせてもらいます。よろしいか」


 忠司は大きく頷くと、二人の肩を叩いた。部屋の隅では常丹が背を丸めて居眠りをしていた。


 7

 

 朱泥作りは根気の要る作業である。

 土や砂はその粒子の大きさで区別される。大きい順に礫、粗砂、細砂、沈泥、粘土であり、陶土となる粘土は粒子が微細なほど質が良くなる。このような土を得るには水簸すいひという方法を用いる。土と水を混ぜて撹拌し、粒子の重さによる沈降速度の違いを利用して、粗と細の粒子を分離する、これを何度も繰り返すのだ。こうして得られた陶土を、寿門と二光は念入りに捏ねた。これに失敗すれば後がない、その思いは二人をより真剣にさせた。

 最初は上手くいかなかった。ひび割れたり、色がムラになるものばかりだった。だが、陶土の状態で赤みを帯びていなくても、焼けば赤褐色の色になることがわかってから、出来は着実に良くなっていった。


 こうして夏が行き、秋が過ぎ、冬がやって来た。元号も嘉永から安政に変わった。師走も暮れが押し迫り、これが今年最後の窯明けとなる日、忠司を含めた三人は窯から取り出された陶器をひとつずつ手に取っていた。


「やはり紫砂茶壺には程遠いか」


 以前に比べて格段に良くなったとはいえ、満足のいくものは見当たらなかった。今回も駄目か、そう諦めかけた時、今まで窯の近くにいた常丹が、焼き物のひとつを前足で弄び始めた。


「これ、常丹、悪さをするでない」


 寿門が声を上げても常丹はやめようとはしない。仕方なく、その足を押さえ、陶器を取り上げた。ふいに寿門の体が強張ったように動かなくなった。


「平野様、これを……」


 寿門の震え声を聞いて、忠司と二光は傍らに寄り、手にした陶器を見た。二人の口から驚きの声が漏れた。明らかに違っていた。他の物とは歴然と異なる、その焼き上がり、色、艶、地肌。これだけ多くを試して、ただ、それひとつだけに現れた奇跡的な僥倖であった。だが、見た目は良くても、急焼茶器の真価は実際に茶を淹れてみるまではわからない。三人は喜びを押し殺して、別の日に茶の席を設けることにした。


 8


 平野家の茶室は小間の草庵である。せっかくなので煎茶道に則った茶席にしたいという忠司の申し出により、そこを使うことになった。茶席の経験のない寿門と二光は、方丈の畳の間に居心地悪そうに座っていた。一方、暖かい炉の傍に陣取った常丹は、いつもと同じ気楽な顔で体を丸めている。


「二人とも、固くならずとも好い。窮屈な作法は抜きで楽しまれよ」


 二人の緊張の原因は他にもあった。急焼茶器以外は、茶入れも、煎茶茶碗も、茶托も、容易には手に入らぬ銘品揃いであったのだ。だが、それはまた有難くもあった。忠司のもてなしの気持ちが深く感じられたからである。


 忠司は慣れた手つきで茶碗に湯を注いでいく。神妙な面持ちでその所作を見詰める二人。やがて注ぎ終わると、二光が、寿門が、そして忠司が茶を口に含んだ。

 誰知れずため息が、いや感嘆の吐息が漏れた。早春を思わせる爽やかな香りと味わい。三人は顔を見合わせた。もう間違いなかった。成し遂げたのだ。一度は諦めかけた朱泥急焼茶器を、遂に作り上げたのだ。忠司は茶碗を置くと両手を突き、深々と頭を下げた。


「二光殿、寿門殿、感謝いたす。これほど嬉しいことはない。わしの我儘によくぞ応えてくれた。どれほどの礼を尽くせば、そなたたち二人に……」


 その声は涙声になって途切れた。背中を震わせるばかりの忠司に寿門が身を寄せた。


「お顔をお上げください、平野様。礼を申し上げるのは我らの方です。このような陶器を作り上げることが出来たのは、平野様のご指導あればこそ。よくぞ我らを導いてくだされた、よくぞ……」


 涙もろい寿門もまた言葉を詰まらせた。そんな二人とは対照的に、二光は黙って茶を飲み干すと、淡々と言った。


「寿門殿も、平野様も、喜ぶには早すぎますな。確かにこれは人前に出しても恥ずかしくない茶器。が、我らが目指した宜興窯の紫砂茶壺にはまだまだ遠く及びませぬ。これしきの茶器で浮かれてどうなさいます。むしろ、ここからの道の方が険しくなりましょう」

「相変わらず手厳しいのう、二光殿は」


 忠司は苦笑いをしながら顔を上げ、二光を見た。辛辣な言葉とは裏腹に二光の顔には笑みが浮かび、目尻には光るものがあった。


「加えて、平野様。もう一人の立役者をお忘れです」


 そう言って二光が顔を向けた先には常丹が居た。濃い橙色に包まれた白猫。この猫なくして今回の成功はあり得なかった。忠司は頭を叩くと、茶托に茶を注ぎ、常丹に差し出した。


「忘れておったわ。常丹、此度はよく頑張ってくれたな。飲んでくれ」


 しかし常丹は飲もうとしない。知らぬ顔で体を丸めている。


「うむ、茶は嫌いか。ではメジロの干物でもやるか。ご褒美じゃ」

「いえ、最近は歳のせいか歯が弱って、堅いものは食べませぬ。刺身ならよかろうかと」


 そう言った寿門の顔からは湿っぽさは消え、笑顔が溢れている。忠司は立ち上がり、威勢よく声を出した。


「そうか、では常丹には鯛でも差し上げるとしよう。二人とも、座敷に酒の席を用意させてある。茶器完成の祝いも兼ねて、今宵は年忘れの宴を思う存分楽しもうではないか」

「ほう、それは準備のおよろしい。もし、この茶器が出来損ないだった時は、如何なされるおつもりだったのかな」

「その時は年忘れの宴のみじゃ」

「何れにしても、我らは酒と馳走にありつけたというわけじゃな。ははは」


 座敷に移ってからの三人は大いに騒いだ。この一年、酒を断っていた三人には心地よい酔いだった。普段見られぬ上機嫌の二光と寿門を眺めながら、忠司は満ち足りた気分に浸っていた。確かに二光の言う通り、出来た茶器は紫砂茶壺に比肩しうるとは言い難い。まだまだ改良の余地はある。しかし道筋はついたのだ。その道をどう進んでいくかはこの若い二人に任せればいい。自分はこれでもう十分だ。


「のう、おぬしもそう思うだろう、常丹よ」


 忠司に背中を撫でられて、鯛の刺身を食べていた常丹は小さな声で鳴いた。自分の役目は終わった、そう言いたそうな満足げな表情が、その顔には浮かんでいた。


 9


 常丹が亡くなったのは年が明けて睦月の末である。昼になってもなかなか窯から出て来ないので、寿門が見に行ったところ、既に事切れていたのだ。忠司は常丹の死を痛く悲しみ、寿門から遺骸を譲り受けると、自分の墓所に立派な墓を作り手厚く葬った。


 忠司の言葉通り、その後、幾ばくも経たぬうちに徳川の世は終わった。明治十一年、鯉江氏の招きにより、清国の文人、金士恒きんしこうが常滑を訪れ、寿門らに宜興窯の茶器の製法を伝授した。ここに於いて、常滑の朱泥急須はひとつの完成を見たと言ってよい。


 だが大正、昭和、平成へと続く急須の需要拡大はその質を変化させていった、大量生産の要求により、手間のかかる水簸ではなく、顔料の弁柄べんがらを粘土に混ぜて陶土を作り、それを石膏型に流し成形して焼く、鋳込み技法が主流となった。また環境への配慮から登窯は廃れ、ガス窯や電気窯が用いられ始めた。二光の熟練した巧手や、寿門の愛した登窯は無くとも、今は容易に朱泥急須を手に入れられるようになった。


 平野忠司は明治三十三年に亡くなった。杉江寿門は明治三十年に、片岡二光は明治三十六年に天寿を全うしている。忠司の墓は平野家墓所に、初代寿門を讃える石碑は天神山にあり、彼らを偲ぶよすがとなっている。

 彼ら三人を導いた猫、常丹の墓は残っていない。陶工たちの窯と技が忘れられていったように、常丹の名も、その存在さえも、人々の記憶から消え去っていった。ただ、常丹の毛色と同じ古い朱泥急須だけが、今に伝えられているばかりである。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ