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あま柿しぶ柿(五千字)(昔話)

 

 秋である。


 秋と言うと、一般的には物寂しいイメージが付いて回るようで、例えば、百人一首などにも、「山鳥の尾みたいに長くなってきた夜を一人で寝るのは寂しいよ、グスン」などという実に女々しい歌があり、過ぎ去ったひと夏の恋を懐かしむのは秋のドラマの定番であり、「葉っぱが全部落ちると、あたし死んじゃうの」なんて、どっかの小説の主人公みたいなセリフをつぶやくセンチメンタル勘違い娘っ子が発生するのも、秋の特徴のひとつであり、そしてなにより「秋=寂しい」の等式を現代人の脳みそに決定的に植え付けたのが、とあるフランス人の「秋の日のヴィオロンが身にしみて悲しい」という詩である。これによって明治時代以降、我が国でも秋は悲しむものとなったのだ。


 しかし、そのような恋愛脳を持たない花より団子、色気より食い気な一般庶民にとって、秋はすこぶる目出度い季節と言わねばならない。


 そう、食欲の秋である。


 そもそも、四季の中で秋くらい輝いている季節もないであろう。新米で溢れている、果物で溢れている、魚は脂が乗って美味い。まん丸の月を眺めて里芋を食い、弁当を持って紅葉狩りに行き、秋茄子と秋鯖は嫁から遠ざけて隠しておき、酒に菊を浮かべて酔っぱらう、まさにこの世の春である。秋なのに春というのは可笑しな話だが、とにかく秋はお目出度い季節なのだ。

 今となってはどの食材も一年中手に入るので、秋としての季節感も薄らいでいるが、昔は、夏の暑さから解放され、旨いものが巷に溢れるこの季節は、庶民総出で浮かれまくっていたに違いない。


 さて、そこで菓子である。ジャンクフードが氾濫する現代とは違い、昔は菓子と言えば果物、特に柿はその筆頭に挙げられるであろう。柿が赤くなると医者が青くなると言われるように、熟れた柿の独特の甘みと食感は、いかに優れた和菓子職人といえども再現不可能な、まさに菓子の王者として君臨するに相応しい魅力で我々を虜にするのである。

 そんな柿であるから、昔は一家に一本は必ず庭に植えておきたい樹木の筆頭であった。芭蕉も故郷の伊賀上野で「里古りて柿の木持たぬ家もなし」と詠んでいる。甘味の乏しい時代には柿の甘さは本当に有難いものであったことだろう。

 これは柿の木がそれほどまでに重宝がられていた頃のお話である。別に現代より前ならいつの時代でもいいのだが、戦国より前の歴史はあんまり詳しくないので、江戸時代ということで話を進めよう。



 その柿の木は街道沿いに立っていた。宿場から宿場へ行く間に、たった一本、植えられていたのである。

 全く以って見事な柿の木だった。秋には枝が折れんばかりに沢山の実を付けた。その実も大きくツヤツヤで、昼の弁当を食べた直後で満腹であるにもかかわらず、一目見たらついつい口に放り込みたくなるほどであった。

 だが、世の中、そう甘くはないのである。綺麗なバラにはトゲある。この柿の木の前には立札が掲げられていた。曰く、


「この柿の実は極めて危険にて不用意に食べるべからず。互いの無事を確認しながら、必ず同伴者と交互に味わうべし」


 そう、実はこの柿の木、渋柿なのである。


 ただ、普通の渋柿ではなかった。一本の木に甘柿と渋柿が混在しているのである。見た目は変わらない。どの実もほとんど同じだ。口に入れて齧るまでは甘柿か渋柿かわからない。ほとんど博打である。

 しかも厄介なのは、甘さと渋さがどちらも飛び抜けていたことだ。齧ったのが運よく甘柿だった場合、もはや、果物の域を越え、天上の神々が飲む甘露もかくやと思わせるほどの至福の域に到達してしまうのである。

 逆に齧ったのが渋柿だった場合、あまりの渋さに耐えられず、ほとんどの人間は意識を失ってその場に倒れ、多くは一昼夜、悪くすれば三日三晩、昏睡状態が続くのである。

 地元の人間はそれを知っているのでこの柿を食べようとはしない。しかし、人馬行きかう街道沿いに立っている以上、何も知らない旅人が、それとなく一個もぎり、口に入れ、これは甘いと感動してもう一個食べて、その場に卒倒、などという出来事は、この柿の木の秋の風物詩であった。


 柿の木の根元で倒れたままになっている、いかにも旅人風の人間をそのまま放ってもおけぬので、土地の人々は秋になると柿の木の近くにお助け小屋を設置し、その中に運び込んでいる。さりとて、昼夜分かたず柿の木を見張っていられるほど暇でもないので、そのまま半時くらい放っておかれる旅人もいる。

 そうなると悪いヤツはどこにでも居るものだから、ちょいっと、昏睡している旅人の懐をまさぐり、金目のものを頂戴していていく不逞の輩なども出没してしまう。

 特に倒れているのが若い娘だと、これは一大事で、下手をすれば目が覚めたら芸者置屋だったなんてことも、一年に一度くらいは起こったとか、起こらないとか。


 非は立札の注意書きを無視する旅人にある、自業自得だ、と言われればその通りであるが、甘柿と渋柿が混在し、尚且つ、渋さが常識を超えているので、全責任を旅人に求めるのは気の毒である。倒れた旅人の世話をする村人も気の毒である。何とかならぬのかと、引っ切り無しに江戸から対応を迫られているこの土地の殿さまも気の毒である。なんとも罪作りな柿の木であった。


 こんな物騒な柿の木は、本来ならば、とっくに切り倒されているはずである。実はそれが出来ない理由があった。この柿の木、実は、街道を行く旅人の助けになればと、先代の殿さまが自らの手で植えられた木だったのだ。そして先代は植樹の翌日亡くなった。この柿の木は先代の忘れ形見、切り倒すことは先代の意志に背くに等しい。

 先代ほど領民に慕われた殿さまは居なかった。この村には元々、渋柿の木しかなかったのである。それを卓越した技術を導入することで見事に干し柿に作り替え、この土地の一名物にまで仕立て上げ、藩の財政に貢献、今では将軍家への献上品として毎年江戸へ運ばれている。

 更には突然変異的に発生した甘柿の木を、接ぎ木をすることで数を増やし、全村民の庭に一本ずつ配らせたのも先代の殿さまであった。これほどのお方が自らの手で植えられた柿の木である。そう簡単に切り倒せるはずがない。


 では、実が青いうちに全て摘み取ってしまったらどうであろう、という意見もあった。実がなければ旅人も食べようがない。被害は防げるはずだ。しかし、それも「街道を行く旅人の助けになれば」という先代の意志に背くとして退けられた。哀れな渋柿昏睡者よりも、運よく甘柿だけを食べて、何事もなく旅を続けられる旅人の方が多かったからだ。

 ならば、実を干し柿にして旅人に提供すればどうか。それならば先代の意志通り、旅人の助けになる。この案は採用され、ある年、その柿の実は全て、先代の導入した最新式干し柿製造法により干し柿へと作り替えられた。

 失敗だった。大失敗だった。全然甘くないのである。もちろん渋くもない。味のないスルメを噛んでいるようであった。これでは旅人の助けにはならない。

 こうして八方塞がりのまま、時は淡々と流れていくばかりであった。


「父上も厄介のものを残してくれたのう」


 と、現在の当主は愚痴った。昏睡旅人発見の報が入るたびに同じ言葉を愚痴っている。秋になるとほとんど毎日この言葉を愚痴り続けてもう十年である。


「桃栗三年柿八年愚痴十年。そうか父上が亡くなってもう十八年経つのか」


 柿の木が効力を発揮し始めたのは、あの有名な諺通り、植樹が終わってから八年目であった。


「江戸表からは早急に対策を講ぜよと催促の嵐。さりとて父上の意志を蔑ろにも出来ぬ。いやはや困ったものだな」


 この愚痴はまだ五年である。五年間、幕府の不興を買いながらも、のらりくらりと事態を傍観していた殿さまであった。しかし、そろそろ限界が近付きつつあるのも承知している。と、そこへ家老が駆け込んできた。


「殿さま、一大事でございます」

「なんだ、また旅人が気を失ったか」

「はい」

「どこが一大事なのだ。いつものことではないか」

「それが、その旅人の懐から、こんなものが」


 しずしずと差し出された家老の両手に乗っかっているモノを見て、殿さまは腰を抜かしそうになった。


「こ、これは三つ葉葵の巾着!」



 その夜は緊急の話し合いが本丸御殿の大広間で行われた。あの旅人が将軍家の関係者であるのは間違いない。しかし身なりは一介の商人。隠密の可能性は大。その目的は無論あの奇怪な柿の木の調査。そして、噂通り、渋柿の効能が絶大であることは知られてしまった。我が藩は将軍家に干し柿を献上している。にもかかわらず、あの奇怪な柿の木を放置しているのは、渋柿を使った謀反、幕府転覆を目論んでいると解釈されても申し開きが出来ぬ。このままでは、転封、下手すりゃ減封、最悪、改易もあるかも……と、実にネガティブな方向へと話は進んでいき、腰の重かった殿さまも、遂に腰を上げざるを得なかった。


「決めた。やっぱり切り倒すべし!」


 五年間、無策だった殿さまも、一旦決断すると行動は迅速である。翌日には伐採班を編成して、殿さま自ら柿の木の元へと馳せ参じた。


「父上、親不孝をお許し下さい。お家存続の為には致し方のないことなのです」


 殿さまは柿の木の根元に跪き、幹に両手を回した。柿好きの先代の顔が浮かぶ。大好きだった柿、柿よりももっと大好きだった父上。その若かりし頃の優しかった父が、殿さまに語りかけてきた。


 ――お家のためにこの木を倒すか。それも仕方あるまいて。だがのう、ひとつ聞いてはくれぬか。お前たちはこの柿の木には甘い実と渋い実が混在している、そう思っているのだろう。それは間違っておる。柿の実はどれも同じなのだ。


「父上、それは誠ですか。では、何故、味が異なるのです」


 ――味を決めているのは柿ではない。それを食べる己自身だ。お前とて何度でも経験しておるだろう。例えば、みかん。そのまま食べれば甘いのに、饅頭を食した後にみかんを食べれば酸っぱさしか感じぬ。それと同じことだ。甘さに飢えた者の疲れを癒すために、わしはこの柿の木を植えた。すでに甘さに満足している者、余計な甘さを更に求める者には、この柿の実は渋さしか与えない。


「なんと、そのような深きお考えであられたとは……」


 殿さまは絶句した。本来は全ての実が甘かったのだ。渋さは人が、人の強欲が作り出していたのだ。一つ目の柿に渋さを感じる者は、食べる前から甘さに満たされているのに、更に甘さを求めた結果。二つ目の柿に渋さを感じる者は、一つの実に満足出来なかった結果。柿の木に罪はなかったのだ。


 ――柿の実を与え続けて早や十年。それだけの月日を経ても、誰一人我が心に気付けぬとは。人の欲深さのなんという果てしなさよ。獣とて足るを知ることくらいわかっておるのに。


 言われてみればそうであった。烏も犬も猫も、柿を口にしている姿を見たことはあるが、失神して木の根元に倒れている姿は見たことがなかった。渋にやられるのは人間だけだったのである。

 十年間、自分は何をしていたのだろう、と殿さまは今更ながらに後悔した。この事実にもっと早く気付いていれば、何らかの対策を講ずることも出来たに違いない。しかし、隠密が動きだした今となっては全てが遅すぎた。殿さまは絞り出すような声で言った。


「父上、そのお心、しかと受け止めました。さりとて、この柿の木をこのまま放置することは、やはり出来ませぬ。立札に真実を書いたとしても、無用の柿の実を齧ろうとする輩は、決してなくなることはないでしょうから。やはり、切り倒すしか……」


 それは苦しい決断だった。柿の木は悪くない。それでも人にとって害を為すものは排除せねばならないのだ。余りの遣る瀬なさに殿さまの目頭は熱くなった。


 ――そうだな。この十年間、お前には迷惑を掛けた。わしの我儘にこれ以上付き合わせるには忍びない。お前の好きにするがよい。


「父上……」


 優しい父の声はそれっきり聞こえなくなった。殿さまは引き連れてきた伐採班に合図をした。そうして世にも珍しい甘柿と渋柿の混在した柿の木はこの地上から永遠に姿を消した。



 柿の木が切り倒された直後、懐に三つ葉葵の巾着を忍ばせるという、隠密にしては間抜けな商人風の男は、渋さの悪夢から解放されて目を覚ました。

 不思議なことにその男は何故自分が気を失っていたのか、すっかり忘れているようで、ぼんやりとした顔付きのまま、お助け小屋から出て行った。


 木が切り倒されたことで、江戸からの叱責はなくなった。難儀する旅人もいなくなった。すっかり平和な街道沿いの村になった。


 ある日、柿の切株から小さな若芽が出ているのを村人が見つけた。無論、摘み取ろうなどと考える者は一人も居ない。村人の誰もがその若芽に、切り倒されても尚生き続けている先代の意志を感じたのである。

 八年後、若芽は立派な柿の木に成長し、その枝には夕陽のような橙色の柿が沢山実った。村人が恐る恐るその一つをもいで齧った。甘かった。次の実も甘かった。次も次も、全てが甘かった。こうして、街道沿いの柿の木は、秋になると旅人に甘さを提供する、ありふれた、そこらにあるのと何も変わらぬ、ただの柿の木となった。

 老境に入りかけていた殿さまは、ある日、その柿の実を一つもいで齧った。ごく普通の月並みな甘柿、けれども殿さまにとって、それは少しほろ苦い甘さであった。齧りかけの柿を手にして、殿さまは大きくなった柿の木を見上げながらつぶやいた。


「なるほど、父上のおっしゃられたとおり、味を決めるのは柿ではなく、それを食する人なのですね……」





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