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最後の遠足(四千字)(夏ホラー2015)



「さて、今日は遠足です。みなさん、昨晩はよく眠れましたか?」


 先生の明るい声が教室に響きました。それに引き換え、六人の児童たちには元気がありません。


「いきなりですが、残念なお知らせです。本日はマイクロバスで沢野山へ行く予定でしたが、都合でバスの手配ができず、徒歩で沢野谷へ行くことになりました」


 突然の予定変更にもかかわらず、六人の児童たちは全く動じません。みんな平然と先生を眺めています。


「では、みなさん。遠足に出発しましょう!」


 先生の元気な声。六人の児童はのっそりと立ち上がり、各自、リュックや水筒を身に着け始めました。


「こら、さっきから全然返事がないぞ。小学生は元気でなくちゃ。じゃあ、もう一度。みなさん、遠足に出発しますよ!」

「はーい……」


 気の抜けた声があちこちから聞こえてきます。先生は仕方ないなあという顔をすると、自分も荷物を持って教室を出ました。

 運動場に整列した後、二列に並んで出発です。遠足日和の青い空、気持ちのいい風も吹いて来ます。

 先生は上機嫌で歩いて行きます。その後ろを六人の児童はゆるゆると付いて行きます。


「おーや、どこへ行きなさる」


 畑仕事をしていたお婆さんが声を掛けてきました。児童たちは誰も答えようとしません。先生はヤレヤレという顔をして答えました。


「今日は遠足なんですよ。ホラ、あの沢野谷で花や虫を観察するのです」

「そうかね、気をつけての」


 お婆さんはそれだけ言うと、また畑仕事を始めました。先生も軽く頭を下げると、前を向いて歩いて行きます。


「ねえ、みんな、もっと元気を出していこうよ」


 先生は歩きながら声を掛けました。


「六年生の二人が出て行って四人になってしまったら、あの学校、本当に廃校になってしまうかもしれない、みんな、そう考えているんでしょう。でもね、もしかしたらそれまでに新しい一年生が、この土地に引っ越してきてくれるかもしれないじゃない」


 先生の言葉にも六人の反応はありません。俯いたまま黙って歩き続けています。


「先生だって、小学校がなくなったら困っちゃうから、四人でも続けてもらえるように頼んでいるのよ。だから大丈夫、元気を出していきましょう。返事は?」

「……はーい……」


 先生の威勢の良さとは裏腹に、気の抜けた声がパラパラと返ってきます。それでも先生はにっこりと笑って道を進んで行きました。


 山道に入り、樹木の続く小道を登り、先生と六人の児童は目的の沢野谷にやって来ました。


「わあー、気持ちがいいね」


 渓流のせせらぎが聞こえる川原に腰を下ろすと、先生は汗を拭いました。児童たちは待ちきれないように裸足になると、川に入って遊び始めています。


「あんまり深い場所へ行ってはダメよ。危ないからね」

「ねえ、先生」


 六年生の男の子が、水筒のお茶を飲みながら話し掛けました。


「なあに?」

「先生は、ボクらのこと、本当に好きなの?」

「まあ、何を当たり前のことを言っているの。わかっているわ、みんなが私をあんまり良くは思っていないって事。無理もないわよね。今までずっと教えてもらってきた先生が居なくなって、その代わりに都会から来た先生だもの。すぐには馴染めないわよね」

「うん、それもあるけど……」

「でもね、それでも先生はみんなのことが好きよ。たとえどんな風に思われていたって、先生のこの気持ちは変わらない」

「それなら……」


 六年生の男の子の目が妖しく光りました。水筒を川原に置くと男の子は立ち上がって川を指差しました。


「ボクたちをいつでも守ってくれるんだよね。もし誰かが溺れてしまったら、もちろん、助けてくれるんだよね」

「そんなこと、言うまでもなく……あ、ああ、なんてこと!」


 先生は口に手を当てました。二年生の女の子が深みにはまって溺れていたのです。


「待ってなさい、すぐに行くから」


 先生は上着を脱ぎ捨てて走りました。何のためらいもなく川に入り、二年生の女の子目指して泳ぎます。


「せんせい、助けて、せんせい!」


 女の子は叫びながら下流へ流されていきます。川の流れは本当に速かったのです。先生は無我夢中で泳ぎ続け、ようやく女の子に手が届こうとした時、


「せんせい、助けて!」


 別の声が上流から聞こえてきました。三年生の男の子が溺れていたのです。先生は女の子を抱きしめると、男の子が流れて来る地点まで泳ごうとしました。その時、


「せんせい、せんせいっ!」


 少し下流から叫び声。今度は六年生の女の子が溺れているのです。先生は叫びました。


「みんな、どうして、どうしてこんな事をするの!」


 見回せば、四年生の男の子と女の子、それから先ほど話し掛けて来た六年生の男の子も、みんな川に入って溺れています。六人を一度に助けることなど、幾ら先生でもできません。


「先生、言ったよね。ボクらを守ってくれるって」

「さあ、助けて、あたしたちを助けて」

「せんせい、守って!」

「助けて、せんせい!」

「せんせい、早く!」

「苦しいよ、せんせい!」


 六人の児童の声は、まるで先生をさいなんでいるようでした。自分に向けられた邪気の籠った声。それは鋭い刃物のように先生の心を抉り、深い悲しみを植え付けました。


「みんな優しい子だったのに。こんな事をするような子たちじゃなかったのに……どうして、どうしてなの」


 誰も答えようとしません。ただ虚ろな眼で先生を眺めているだけです。


「そう、そんなに私が嫌いなのね。みんな、そんなイジワルをしてまで、私に居なくなって欲しいのね。でも、それでも私はみんなを助けるわ。絶対にみんなを守ってみせる」


 下流に行くに連れて、渓流はその激しさを増していきます。冷たい水が先生の手や足から感覚を奪っていきました。二年生の女の子と三年生の男の子の体を抱きしめながら、他の児童に泳ぎ着こうとする先生。けれども、その体力はもう限界でした。

 やがて川の先が見えなくなりました。滝があるのです。先生は最後までもがき続け、そして六人の児童と一緒に滝壺へ落ちて行きました。





 滝を過ぎた渓流は右にゆっくり曲がっています。その左岸に先生の体は流れ着きました。六人の児童は輪になると、びしょ濡れになって意識を失っている先生の体を取り巻くように座りました。


「先生、このままじゃ死んじゃうね」

「うん」

「これでよかったのかな」

「……わからない」

「あっ!」


 誰かが声をあげました。先生の最期の呼吸が終わったのです。

 先生はゆっくりと半身を起こしました。そして川原に横たわっている自分の体を眺めました。


「私は……そう、死んでしまったのね。あなたたちと同じように」

「先生! 思い出したのね」


 二年生の女の子はそう叫ぶと、先生の胸に飛び込みました。先生はその子の頭を優しく撫でました。


「思い出した、ようやく思い出せた……あれからもうどれだけ経ったのかしら。ここに赴任して初めての遠足。校長先生の運転で、みんなと一緒にマイクロバスで向かった沢野山。崖崩れに巻き込まれて転落したバス。みんな亡くなった。けれど、窓から放り出されて木の枝に引っ掛かった私は助かった……」


 六人の児童たちは顔を伏せて先生の話を聞いていました。彼らにとっても辛い話だったのです。


「なのに、私はそれを認めなかった。まだみんな生きていると思い込んでいた。だって仕方ないわよね。みんなの姿も声も私にはわかるのですもの。そうしてとっくに廃校になった小学校に毎日通い、毎日遠足に行っていた。村のみんなも家族も、私の好きにさせてくれた。不憫に思ったのでしょうね」

「先生、ボクたちは一所懸命説明したんです」

「あたしたちは、もう死んでしまったって、何度も言いました」

「でも、でも先生は……」


 児童たちの必死な声と眼差し。先生は静かに頷きました。


「そうね。みんな頑張ってくれた。でも、私はそれを受け入れなかった。自分一人だけ生き残ったことを最後まで信じようとせず、いつまでも自分の妄想の中に居続けた。そして毎日みんなと一緒に遠足に出かけた。私の時は止まったまま……それがあなたたちをどれほど苦しめているか、考えようともしないで。やがてあなたたちは諦めてしまった。私に何を言っても無駄だと悟ってしまった」

「せんせい……」


 三年生の男の子の涙声が聞こえてきました。先生はその子に手を伸ばすと引き寄せて、二年生の女の子と一緒に抱きしめました。


「みんな、この世に残ってしまった。そして去ることもできなかった。私があなたたちを想っているから。私があなたたちへの想いを断ち切らない限り、あなたたちはこの世を離れられない。私のせいであなたたちは彷徨い続けなくてはならない。あなたたちは私に冷たくした。私に忘れてもらおうとした。けれども、どんなに頑張っても、私の想いを断ち切ることはできなかった。困り切ったあなたたちが選択した最後の手段、それが今日、私を死へといざなうこと……そうなのでしょう」

「先生!」


 残りの四人も先生の胸の中に飛び込みました。みんな泣いています。


「ごめんなさい、ごめんなさい、先生」

「ボクたち、もう、どうすればいいか、わからなかったんだ」

「先生が好きだから、あんな先生の姿を、いつまでも見ていたくないから」

「せんせい、せんせい、うわーん」


 自分にすがりついて泣きじゃくる六人の児童を、先生は穏やかに見詰めました。ああ、この子たちはやっぱり本当に良い子だったのだ、と思いながら。


「ねえ、みんな。先生は怒ってはいないわよ。むしろ嬉しいの。だってようやくこうしてみんなと心が通じ合えたのですもの。ホラ、見て御覧なさい」


 六人は顔を上げました。いつの間にか自分たちも先生も、川原を離れて宙に浮いていたのです。横たわっている先生の体がどんどん小さくなっていきます。


「この世にさよならする時がきたのよ。お別れに涙は禁物。みんな笑って」

「う、うん」

「はい!」


 六人は先生から離れるとみんなで手をつなぎ輪になりました。どの子の顔も輝いて生き生きしています。幸せそうな六人を細い目をして眺めながら、先生は明るい声で言いました。


「さあ、これから先生と一緒に遠足へ出発しましょう。二度と戻ることのない遠足へ!」

「はーい!」


 元気な声が空いっぱいに響き渡りました。やがて先生と六人の児童たちの姿は、抜けるような青空の中へと消えていきました。



2015年8月5日投稿

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