表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/52

彼女は便器 完結編(六千字)(コメディ)

12



 その声は突然、そしてまるで当たり前のように、ボクの耳に聞こえてきました。


「少しは反省した?」


 瞬間、ボクは、はしたないくらいの大声を発してしまいました。


「君は! 居なくなったんじゃなかったのかい?」

「ちょっと寝てただけよ。それより何、この有様。あんた、どれだけあたしを粗末に扱えば気が済むのよ」

「ご、ごめん、地震があって家が崩れちゃったみたいなんだ。すぐに片付けて綺麗にしてあげたいけど、左足が挟まって動けなくて」

「相変わらず世話が焼けるわね。しょうがない、取って置きの技を使って助けてあげる」


 技? この便器に、今の状況をどうにかできる機能があったでしょうか。

 ボクは頭の中にインプットしてあるおトイレマニュアルの目次を探り始めました。見当たりません。では、便器の女神様、固有の技?


「あの、もしかして女神さまのお力で、奇跡でも起こしていただけるのでしょうか?」

「何、アホなこと言ってんのよ。便器の女神如きが奇跡なんか起こせるはずないでしょ。いい、よくお聞き。この加圧型洗浄便器には水の力を最大限に利用する特殊機能が備わっているの」

「特殊機能って言っても、所詮は水なんでしょ。それほどのことができるとは思えないけど」

「もう、水を馬鹿にしちゃいけないわよ。ウォータージェットって知らない? 様々な材質を切断できるほど加圧された細流水。この便器にはその機能が組み込まれている。普段は低圧力で洗浄のみの使用に限定しているけど、その限定を解除すれば、ウォータージェットが利用可能になる。三つのノズルを合体させて一つの噴射口にすれば、水流速度はマッハ三にまで高められるわ。これを使って、便器を覆っているゴミどもをメタメタに切り刻んでやる」

「ほ、本当にそんな機能があるの? マニュアルには確かそんな項目はなかったような」

「隠し機能なのよ。コントローラーの上上下下右左右左と同じような感じ」


 何と言うか、もう開いた口が塞がりませんでした。日本で最高レベルのウォッシュレットをお願いしてはいましたが、まさかそんな機能まで装備していたとは、我が国の最先端技術に脱帽です。

 しかし、これで早期脱出のメドは付きました。左足も切断せずに済みそうです。


「わかったよ。じゃあ、早速、その機能を発動させてくれませんか」

「あたしだけの意志じゃ無理。特殊かつ危険な機能なので、厳重に管理されてるの。あんたの目の前、便器と床の境目部分に、色が違う部分があるはず。押してみて」


 そう言われてよく見ると、桜色の便器の一番下、二センチ四方の正方形部分だけ真っ白になっています。ボクはそれを恐る恐る押してみました。


『ピー。超高水圧モードに移行します』


 便器の声とは違う機械音がしました。同時にウォッシュレット操作盤にスマホの画面のようなディスプレイと、小型キーボードがせり出してきます。ボクは画面を覗き込みました。『パスワードを入力してください』と表示されています。

 パスワード? これは困りました。そんなもの知りません。まごついていると、便器が苛立った声でがなり立ててきます。


「ちょっと、何、ぐずぐずしてんの。早くしなさいよ」

「それがパスワード入力画面になっているんだよ。そんなの知らないし、困ったな」

「もう、どこまで世話が焼けるのよ。いいわ、教えてあげる。あ、それと、これは文字入力だけなく音声入力も必要だから、声に出して言うのよ。では最初のパスワード。『便器ちゃんはカワイイね』入力文字は全てひらがなよ。はい、言って」

「べ、べんきちゃんはかわいいね」


 ボクは言われた通りに文字を入力し、声に出して言いました。


「大事なパスワードなので二回言いなさい。便器ちゃんはカワイイね」

「便器ちゃんはカワイイね」

「よろしい。次のパスワード。『便器ちゃん、ボクの彼女になってください』はい」

「べんきちゃんぼくのかのじょになってください、っと」

「最後の、『っと』は不要。もう一度ちゃんと言って」

「便器ちゃん、ボクの彼女になってください」


 と、この言葉も二回繰り返したのですが、何だか変です。こんなパスワードがあるでしょうか。心なしか、便器はすこぶる機嫌が良さそうです。


「うん、いいわ。じゃ、次のパスワード。『便器ちゃん、ボクをあなたの奴隷にしてください』はい」

「えっ、ど、奴隷!」

「そうよ、早く言いなさいよ。助かりたいんでしょう」

「それは、そうだけど……」


 助かりたいのは山々ですし、言っているのも単なるパスワードではありますが、それにしても少々抵抗を感じる言葉です。ボクはためらいながら、操作盤のディスプレイを確認しました。すると、そこには『パスワード確認済』と表示されています。


「あ、あの、パスワード確認済って表示されているんですけど」

「ちっ! 気が付いたか」


 便器の舌打ちが聞こえてきます。どうやら最初の言葉だけでよかったようです。


「こんな時に悪ふざけは勘弁してくださいよ」

「何よ、こんな時くらいあたしの好きにしたっていいでしょ。今まで冷たくしておいて、困った時だけ頼りにするんだから」


 その通りです。返す言葉もありません。苦しい時だけの神頼みって言葉もあるくらいですからね。人間の自分勝手な振る舞いに対しては、神様も腹を立てたくもなるでしょう。


「まあ、いいわ。それじゃいくわよ。左足は絶対に動かさないでね。ゴミと一緒に切っちゃうかもしれないから。」


 ようやく便器の最大にして最終奥義、発動のようです。



13



「ディスプレイに表示されたスタートボタンを押して」


 言われるままに押しました。便器の中から機械音が聞こえてきます。


『ピー。超高水圧モード、作動します。注意してください』


「いくわよー!」


 ゴゴゴゴゴとせり上がってくるような音がします。同時にポンプが急速回転するような振動。溜まりに溜まった何かを吹き出すように、それは噴出されました。


「おおー、これは凄い!」


 驚きです。薄暗い非常灯の下でも、足を覆うゴミどもが切断されていく様子がよくわかります。同時に足に感じていた圧迫感も小さくなっていきます。ボクは感動してしまいました。


「やったね、便器ちゃん。これならいけるね」

「は、話し掛けない、で……」


 いつになく苦しそうな声です。感じていた便器の振動も次第に大きくなっていきます。


「う、くく……」


 呻き声。便器のこんな声を聞くのは初めてでした。ボクは心配になってきました。


「だ、大丈夫かい。もうだいぶ楽になったから……」

「うるさい!」


 便器の怒鳴り声。ボクは黙りました。けれども振動も、苦しそうな喘ぎ声もどんどん大きくなっていきます。いや、駄目だ。たとえ何と言われようと、もう止めさせた方がいい、そう思った時、大きな破壊音が聞こえました。


 ピシッ! パキパキ!


「きゃあああー!」


『ピー。超高水圧モード、強制終了しました』


 おトイレの中に静けさが戻りました。ウォータージェットは停止してしまったようです。けれども、左足の上のゴミは、まだ全て切断されてはいません。ここからは自力で取り払うしかなさそうです。自由な右足で蹴り飛ばし、薙ぎ払い、上半身を捻って右手で弾き飛ばし、掴み投げ、ついにボクの左足は自由になりました。


「やったよ。抜けたよ。ありがとう便器ちゃん。君のおかげだ」

「そ、そう、よかった、わね」


 疲れ切った声です。相当力を使ったのでしょう。ボクは上半身を起こして便器の中を覗き込みました。


「こ、これは……」


 全身から力が抜けていきました。

 最初に目に入ったのはヒビです。そして折れたノズル。割れた陶器のカケラ。

 あの芸術品と見まごうばかりの美をまとっていた便器が、見るも無残な姿になっていたのです。


「なぜ、こんなことに……」

「マッハ三での使用限界時間は三十秒。それを越えると、便器それ自体が、破壊される」


 ボクは顔を覆いました。知らなかったとは言え、自分が助かるために便器を犠牲にしてしまったのです。


「どうして……どうして、そこまでしてボクを助けたの。あんなに君を冷たく扱ったボクなんかを」

「当たり前でしょ。だって、あたしはあんたの、彼女なんだもん」


 ボクは便器を抱きしめました。本当にボクのことを思い、ボクのことを考え、ボクのことを見続けてくれた便器。今になってようやくそれに気が付いた自分の愚かさに、ただ胸が痛むばかりでした。


「便器が壊れたら、君はどうなるんだい」

「消えるわ。それが、一旦便器を住処とした、女神の宿命。あんたとは、これで、お別れ、ね……」

「そんな、そんな……」

「おーい。誰か居るのかあー、大丈夫かあー!」


 家の外から誰かの声が聞こえてきました。きっと近所の人が駆けつけてくれたのでしょう。でも、ボクは返事ができませんでした。流れる涙と嗚咽が、ボクに後悔と謝罪以外の言葉を口にすることを許さなかったからです。



14



 ボクは一週間ほどで退院できました。後で聞いた話によると、ボクの救助は大変だったみたいです。壊れた家の瓦礫は大したことなかったのですが、ボクは便器にしがみついて、離れようとしなかったのだそうです。全然記憶にないんですけどね。

 足は切断せずに済みました。でも骨折はしていたので、手術で接合してもらい、ギブスを嵌め、しばらく様子を見てからの退院です。

 家の方は物の見事に全壊でした。跡地をどうするか家族で検討した結果、元通り平屋を建て直すことに決まりました。ボクの高校生活がまだ三年近く残っていますし、空き地よりも住宅地の方が固定資産税が安くなるからです。

 新しい家が建つまで、ボクは駅前のホテルに滞在し、車で送迎してもらうことになりました。車での登校なんて恥ずかしいので、校門のかなり手前で降ろしてもらって、そこから松葉杖で歩きます。これもなかなか新鮮な体験でした。


 退院して通学を始めた次の日、ボクは呼び出されました。呼び出したのは同じクラスの女子。そう、ボクに毎日お菓子をくれて、週末を一緒に過ごしていた彼女です。呼び出された場所は体育館の裏。時刻は放課後。ボク一人で来てくれとのことでした。

 放課後、行ってみると、彼女の他に男子が一人いました。駅で会話をしていた男子です。二人でこちらをじっと見詰めてきます。

 何をされるんだろう、どんな用事なんだろう、ボクはドキドキしてきました。ここはとにかく挨拶だと思い、松葉杖をついたまま、こんにちはと言おうとしたら、


「ごめんなさい!」


 いきなり彼女が謝ってきました。同時に袋の中からなにやら取り出しました。それはボクがこれまでに彼女に買ってあげた服やグッズなどなどでした。


「これ返します。全部じゃないです。お姉ちゃんに頼んでネットオークションで売っていたんです。売れちゃった物は返せないけど、その分はお金で弁償します。だから……」


 彼女は深く頭を下げました。少し泣き声になっているような気がします。


「あなたのお父さんには内緒にしてください。言い付けたりしないでください」

「俺からも頼むよ」


 横から口を挟んできた男子も彼女同様、深々と頭を下げました。


「こいつは悪くない。そそのかしたのは俺だ。俺の口車に乗せられただけなんだ。あんたを騙しておいて虫のいい話だとは思う。だけど、こいつは赦してやって欲しい。その代わり責任は俺が取る。言い付けるのは俺だけにしてくれ」


 そう、そうなのです。どうしてボクみたいなお坊ちゃまな高校生が、毎日平和に暮らしていけるのか。全てはお父様とお祖父様のおかげでした。二人ともお金を持っていると同時に、それに見合う権力も持っているのです。それを知っているからこそ、ボクに悪さをしてくる人物などいないのです。


「お願いします!」

「頼む!」


 ボクの前で頭を下げる二人。本当にずる賢しい悪人は、この二人のような真似はしません。決して自分の手を汚さず、いつも安全な場所に居ます。そんな奴らに比べれば、この二人は愛すべき俗人と言えましょう。ボクはにっこり笑いました。


「二人とも、頭を上げて。心配は要らないよ。ボクは父にも祖父にも、今度のことを話すつもりはないんだから。それから、君へのプレゼント、返してくれなくてもいいよ。一度あげたものだもの。君の好きに使うといいよ」

「ほ、本当か!」

「あ、ありがとう!」


 二人は顔を上げました。嬉しそうな笑顔です。ボクまで嬉しくなってきます。


「ね、それよりも、よかったら、これからもボクと友達同士でいてくれないかな。君たちはボクの知らない世界を知っているみたいだから、色々教えて欲しいんだ」

「うん、わかったわ」

「おう、任せておけ。誰かにからまれたら、すぐに助けてやるからな」

「こら、調子に乗るな」


 頼もしい限りです。最後にボクは一番知りたかった質問をしました。


「ところで、二人は恋人同士なの?」


 さすがに答えにくい質問だったのでしょう。二人の威勢がなくなり、少しモジモジし始めました。まだ高校生ですからね。


「そ、そうね、一応、付き合ってはいるかな」

「まあ、そうだな、そうなるかな。俺もこいつもお互いに初めての相手ってわけじゃないんだが、脛に傷持つ同士、ウマが合うっていうか、な」

「そうなんだ。これからも二人仲よくね。じゃあ」


 ボクは手を振って体育館裏を後にしました。幸せそうな二人を見ると寂しくなりました。でも、これで彼女のことはキッパリ諦められました。

 そう、確かに未練はあったのです。初恋でしたからね。やっぱり初恋は実らぬものなのですね。


 けれども、彼女に対しては何の恨みも抱いていませんでした。むしろ、ボクは彼女に感謝していました。だって、女性の言葉も態度も行動も、全てを信じてはいけないことを、身を以って知ることができたのですから。

 もし、女性に幻想を抱いたまま二十代、三十代になっていたら、ちょっとした言動に振り回されてトンデモナイ勘違い男になってしまっていたことでしょう。若いうちに経験できて本当によかったと思いました。

 それに彼女と一緒に過ごした週末は本当に楽しかったのです。そんな思い出を残してくれた彼女には、素直にありがとうと言いたいのです。

 お父様たち大人が大金を使って、歓楽街のママさんと遊ぶ気持ちがよく分かりました。刹那的で虚構のような楽しさでも、それを求めるのが人間というものなのでしょう。


「便器ちゃん……」


 そしてあの不思議な便器との奇妙で愉快な日々も、ボクの中では思い出に変わりつつありました。あの便器のおかげでボクは一回り大きく成長できた、そんな気がするのです。怒ったり、イライラさせられたり、笑わせられたりしたけれど、今はもう感謝の気持ちだけで一杯なボクでした。



「ありがとう、便器ちゃん。君のことは忘れないよ、永遠に……」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ